第19話 初めてのキス


「見てよ綴! お風呂ひろーい! うちもこれくらい欲しいね!」

「り、リフォーム、しちゃう?」

「すごっ! 浴槽光るんだけどー!」

「うわぁ……な、何か、やらしい……」


 部屋に入るなり、大はしゃぎの一之瀬姉妹。


 俺はソファに腰を下ろし、大きく息をついた。

 室内に無駄なものはなく、今座っているソファとテーブル、そして大きなベッドだけ。ベッドのそばには避妊具が置かれており、ここがそういうことをする場所なのだと否応なく頭に叩き込まれる。


 ……しっかりしろ、俺。

 三人でラブホテルとかわけの分からない状況だが、こんな時こそクールに対応しよう。空気に酔って手でも出そうものなら、人間として終わる。


「風呂、二人で先に入って来いよ。俺はここで待ってるから」


 と、浴室から戻って来た二人に言った。

 二人は一瞬顔を見合わせて小さく頷き、俺の両隣に腰を下ろす。そして太ももに手を置いて、軽く肩を寄せる。


「三人一緒がいいって言ってたのに、お風呂は別々に入るの?」

「あ、当たり前だろ! 大体それ、そういう意味じゃないから!」

「私……は、早く着替えたいけど、渚と一緒じゃなきゃ、服脱げない病にかかってて……」

「どんな病気だよ!?」

「大変! 綴が危篤だよ! 早く何とかしなきゃ!」

「どこをどう見たら危篤なんだ! ピンピンしてるだろうが!」

「こほっ……げほっ……な、渚とお風呂、入りたかっ……た……」


 ガクッと顔を伏せた綴。

 「いやぁああああ!!」と響は渾身の絶叫を響かせ、チラリと俺を見た。死んだはずの綴も蘇り、俺の顔色をうかがう。


 な、何だその猿芝居。

 この三流役者たちに、俺はどう声をかけたらいいんだ……?


「……わかったから、とりあえず二人で風呂入って来たらどうだ?」

「「渚も一緒!」」

「俺たちもう大人だぞ! どう考えてもまずいだろ!」

「「一緒っ!!」」


 ダメだ、らちが明かない。


 何なんだ、こいつら。場の空気に当てられてるのか。

 ここにいたら変な気分になるのは、ちょっとわかるけど……。


 ともあれ、俺や響はいいとして、綴は一刻も早く着替える必要がある。あんな状態でいつまでもいたら、風邪をひいてしまう。


 だからって、諦めて一緒に風呂に入るのか?

 ……いやいや、ダメだろ。それは絶対にダメだ。

 

 頭を回せ。何か案を出せ。

 こんな時のために勉強してきたんじゃ――。


「じゃあ……渚が先に、入って……」

「……へっ?」


 綴の発言に、俺は素っ頓狂な声を返した。


 さっきまでの攻防は何だったのか。

 まるで意味がわからないが……まあ、これで一応は解決した。


 本当は綴に先に入って欲しいが、言い合いを続けて無為に時間を消費するよりはいい。

 そもそも俺は、たいして汚れていない。シャワーを浴びるといっても、軽く身体を流すだけ。三分もあれば十分だろう。


「わかったよ。じゃあ、ちょっと待っててくれ」

「「はーい」」


 いい返事をする二人に背を向けて脱衣所へ。

 手早く服を脱いで浴室に入り、バスチェアに座りシャワーを出したところで、脱衣所からの物音に気付く。


 ――が、その時にはもう遅かった。


「「お邪魔しまーす」」


 浴室に入って来たのは、一糸纏わぬ姿の響と綴。

 突然のことに身体が硬直し、二人から目が離せない。だが、いいから早く目を瞑れと脳が信号を送り、二人の全身を視認する前に視界を閉ざす。


「さ、先に入ってって言ったの、お前らだろ!? 何しに来たんだ!!」

「何って、一緒に入りに来たんだよ」

「先に入って……とは言ったけど、い、一緒に入らないとは言ってないよ……?」


 そんな詐欺みたいな話があるか。


「いいから渚は座ってて。僕たちで背中流してあげるからさ」

「これもプレゼント……みたいなもの、だし、う、受け取って?」

「ふざけんな!! 早く出てけよ!!」


 ジーンと自分の耳が痛くなるほどの絶叫。


 さて、二人はどう出るか。

 ……と、しばらく待つが何も言ってこない。


 状況がいまいち掴めず、薄らと目を開けながら鏡を見る。


「ど、どうした……? 急に黙ったりして……」


 眉尻を寄せて視線を伏せる二人。

 先ほどまでの熱はどこへやら。今はすっかり冷え切っており、どこか寂しさを覚える。


「僕たちと一緒にお風呂、そんなに嫌だった……?」

「……調子に乗って、ご、ごめんなさい。私たち、外で待ってる、ね……」


 怒られた犬のような、しゅんとした表情。


 俺は何も間違ったことは言っていない、はず。

 しかし二人のあんな顔を見ると、悪いことをしたような気分になる。罪悪感がのしかかり、頭が痛くなる。


「ち、違うんだ。俺たち、男と女なわけだしさ。まかり間違って俺が変な気を起こしたら、二人を傷つけちゃうだろ? それが怖いだけで……二人のことが嫌いとか、そういうことじゃないから……!」


 わかってくれているとは思うが、一応口に出しておいた。

 すると、二人は顔を上げた。薄い涙の膜が張った青と赤の瞳が、鏡越しにジッと俺を見つめている。


「……怖がったりしなくていいんだよ?」

「わ、私たち……渚になら、何されても、いいよ?」

「じょ、冗談でもそんなこと言うなよ! 俺が本気にしたらどうするんだ!?」


 声を荒げるが、二人は再び口を閉ざした。

 しかしさっきと違い、その目は依然として俺に向いている。決して爽やかとは言えない熱を宿し、俺を映し続けている。


 どう対処するのが正解かわからず、俺はため息とともに肩を落とす。


「……わかったよ。じゃあ、背中流してくれ」

「「いいの?」」

「あぁ、頼む」


 このままやっていても平行線。

 どちらかが……俺が折れないと終わらない。

 思うところはあるが、二人が笑ってくれるなら背中くらい差し出そう。別に刺されるわけじゃないんだし。


「んじゃ僕は右半分、綴は左半分ね」

「う、うん。渚、ボディーソープ、取って……?」


 ボトルを後ろへ渡すと、二人はボディスポンジで背中を洗い始めた。


「んっ……ふぅー……渚、背中広いね」

「お、思ったより……んしょっ……た、大変かも」


 上から下へ。

 ゆっくりと、しっかりと。


 二人にとっては重労働なのか、鼻息がやけに荒い。


 ……何も着てないんだよな、この二人。

 最上級に無防備な状態での、艶やかな息遣い。その音は俺の背中を這い、骨と肉を伝い、脳まで届いて不潔な欲求へと変換される。

 

 不意に、鏡越しに響と目が合った。

 彼女は額に汗しながらニッと笑い、続いて綴も俺を見て白い歯を覗かせる。


 これはまずいと、俺は顔を伏せた。

 覚悟はしていたが、あまりにも心臓に悪い。太ももに爪を食い込ませて情欲を抑えるが、いつ決壊してもおかしくない。


「渚、痒いところない?」

「……な、ない」

「もっと……あ、洗って欲しいところ、ない?」

「いや、べ、別に……」


 浴室に反響する、俺のか細い声。


 落ち着け、落ち着け、落ち着け。

 何でもいい。別のことを考えよう。


 そうだ。確か冷蔵庫の卵、賞味期限が近かったっけ。

 明日にでも、響の好きなオムライスでも作ろう。もしくは、綴の好きな天津飯。


 どっちにしようか。

 あとで二人にジャンケンでもしてもらって――。


「じゃあ次、前洗ってあげる」

「えっ、いや、いいって!」


 考え事に耽っていたのに、響の一言が俺を現実に引き戻した。


「私たちのこと……き、嫌い……?」

「好きとか嫌いとか、そういう問題じゃないだろ!?」


 知っている。

 この流れはダメなやつだ。


 無理やりにでも浴室を出ようと腰を上げた瞬間、二人の手が肩に触れ、背中にそれぞれの体温を感じた。それはあり得ないほどにやわらかく、その正体に辿り着くまでたいして時間はかからない。


 本能がこの状況を喜ぶ半面、まずいやめろと理性が叫び、額からダラダラと汗が垂れてきた。

 二人が何を思ってこんなことをしているのか、まるで理解できない。抗議の声をあげなければいけないのに、緊張のせいか喉が渇いて空気が擦れる音しか出ない。


「「渚」」


 二つの声が、左右それぞれの鼓膜を揺らした。

 同時に更に身体を俺に密着させ、あまりにも暴力的な女性特有の感触に一瞬呼吸の仕方を忘れる。


「「こっち、向いて?」」


 脳みそが砂糖を吐くほどの甘美な誘い。

 自分の心臓の音が頭の中にまで響いて、視界が熱を帯びぐにゃりと歪む。サウナに長時間入った時のような、そんな感覚。しかし不思議と苦しさはなく、幸福のみで構成された倦怠感に身も心も預けたくなる。


 でも、ダメだ。


 このまま行ったら、もう戻れない。

 俺はたぶん、自分を制御し切れない。

 そう確信できるほどに、二人の魅力は凄まじい。


 残り僅か。地獄に垂らされた蜘蛛の糸の如く頼りない、一本の細い理性。


 それを渾身の力で掴み、


「俺、先に出てるから!!」


 と、思い切り立ち上がった。


 ――それがいけなかった。


 俺に密着していた二人は後ろへ弾かれ、響は何とか体勢を立て直すも、綴は泡で足を滑らせ身体が大きく傾く。床はタイル、頭を打てばただでは済まない。


 気がついた時には、身体が勝手に動いていた。


 彼女を抱き寄せて、俺がクッションになるようどうにか身体を捻った。

 絶対に守らなければ。その一心で背中から倒れ込み、何とか綴を庇う――が。


 ふにっ、と。


 倒れた時の衝撃で。

 一秒にも満たない刹那、俺の唇にやわらかいものが触れた。


 朝露を帯びた花弁のような、しっとりとした感触。


 それが彼女の唇だとすぐさま理解し、夥しい罪悪感が押し寄せ心臓が冷や汗をかく。


「ごめん! こんなことするつもりじゃ……俺、綴を守りたかっただけで……!」

「き、気に、しないで」

「いや、でも――」

「本当に……だ、大丈夫、だから。っていうか……その……」


 俺の上に跨ったまま、人差し指で唇をなぞった。


 愛おしそうに、目を細めて。

 満足そうに、息を漏らす。


 紅色の唇が緩やかな弧を描き、妖艶な笑みを作る。



「――……すっごく、嬉しかった」



 そう言って、おもむろに響の腕を取り。

 思い切り引き寄せて、その唇を奪った。


 いつか見た光景。

 その非日常感に生唾を飲む。


「ちょ、綴……! いきなり何……!?」

「渚との……は、初めてのキスの、お裾分け。いらなかった……?」

「……いらなくは、ない、けど……」


 二人はもう一度口づけを交わして、ふっと俺に視線を向けた。


 今まで見たことがないほど熱をもち、薄闇の中で妖しく輝く青と赤の双眸。

 甘い熱気を身に纏い、匂い立つような色気を放ち、それに当てられたのか眩暈がする。


「……ねえ、渚」


 床に膝をついた響。

 四つん這いになって俺に近づき、胸の上に手を置いて身を乗り出した。



「僕とも……しよ……?」






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