第18話 三人一緒がいい


「あはははっ! 渚ってば、点数低過ぎー!」

「ふ、ふふっ。五十八点って……ちゃんと全部歌って、そ、そんな点数出るんだ……」

「くそ、もう一回やる! 次、六十点以上取ったら、笑ったこと謝れよ!」


 カラオケに入って、そろそろ三時間ほど経つ。

 響の歌や綴の演奏を聞いたり、ポテトをつまみながら駄弁ったりと、この二人と一緒だと勝手に時間が溶けてゆく。


 そして今は、採点機能をつけて遊んでいた。

 音痴の俺が低い点数を叩き出すと、二人は腹を抱えて笑う。それが悔しくてもう一曲歌うが、


「ご、五十……七点……」


 ディスプレイに映し出された数字を呟いて、響と綴に視線を移した。

 二人は抱き合うようにして顔を隠し、肩をプルプルと震わせている。……そんなに面白いか、俺の下手くそ具合が。


「まあ元気出しなよ。ひとには向き不向きがあるんだから、何でもできる人なんていないって」

「な、渚にこれ以上、取り柄あったら……私たち立場無いから、ちょ、ちょうどいいよ」

「そうそう。勉強も運動も家事もできちゃってさ。カラオケくらい五十七点じゃなきゃつり合いがとれないっての」

「たかが、か、カラオケだし。渚がすごいこと……私たち、知ってるから、ね?」


 笑われるのは腹立つが、本気で慰められるのもこれはこれで辛い。

 やり場のない悔しさと共にマイクをテーブルに置いて、今日一番の大きなため息を漏らす。


「そういえば渚、結局夕食はどうするの? 何食べたいか決まった?」

「そ、その時の気分、とかもあるし……私たち、ど、どこも予約、してないよ……?」


 プレゼント同様、今日の夕食も要望を聞かれていた。

 当然、まだ何も決まっていない。


「参考までに聞くけど、二人は何食べたいんだ?」

「「渚が食べたいやつ」」

「……そ、そっか」

「高い焼肉でも、鉄板焼きでも、どこでも奢るよ」

「いつも私たちのご飯、作ってくれるし……きょ、今日は甘えてね?」


 甘える、か。困ったな。

 家事が苦であれば、二人の財布が目一杯萎むような高い飯をご馳走になってやる、という気も湧いただろう。しかしあれは俺が好きでやっているだけで、そもそも見返りなど求めていない。


 焼き肉は二人の服に臭いがつきそうだし却下。

 鉄板焼きは……基本、カウンターだよな。せっかくなら向かい合って食べたいし却下。

 ぶっちゃけこのままカラオケで夕食を済ませてもいいのだが、流石にそうもいかないだろう。


 どうしたものか、と頭を悩ませていると。

 部屋の前の廊下が妙に騒がしいことに気づき、ふっと視線を扉へ向ける。


「ちょ、先輩! そこは――」

「おーう! ちゃんと呑んでるかー?」


 同年代ほどの若い男二人が、勢いよく部屋に入って来た。

 突然のことに困惑する響と綴。ひとまず俺は、状況を把握するため立ち上がる。


 先輩と呼ばれた方の男はかなり酒に酔っており、ここを自分たちの部屋だと勘違いしているようだ。後輩と思しき男は、申し訳なさそうに眉を寄せて俺たちに会釈する。


「誰だこいつぅー? こんなのうちのサークルにいたかぁー?」

「だ、だから先輩! ここ別の人の部屋ですって! 戻りましょう、早く!」

「あのー……連れ戻すの、俺も手伝いましょうか?」


 大柄な先輩に対して、後輩の方は頭一つ分ほどの身長差がある。

 大変そうだなと思い尋ねると、後輩の男は「大丈夫です!」と声を荒げて、先輩の腕を思い切り引っ張る。


「痛って! 何すんだよ、お前っ!」


 と、後輩の手を振り払った瞬間。

 先輩の方が体勢を崩し、テーブルに突っ込んだ。


 飲み物などが宙を舞い、響と綴に迫ってゆく。


 これはまずいと、咄嗟に腕を伸ばすが――。

 綴は俺の手を跳ね除け、そのまま響の盾となった。




 ◆




「「「「あっ」」」」


 部屋にいた私以外の全員が、一斉に声をあげた。


 視線を下にやると、胸から腹部にかけてジュースを浴びてずぶ濡れ。

 おまけにポテトに付属したケチャップとマヨネーズが、べっとりとついていた。


 カランと空になったコップが転がり、乱入してきた男性たちは顔を真っ青にして硬直する。


「ちょっと先輩! マジで何やってるんですか!?」

「い、いや、お前が引っ張るから……」

「そりゃ引っ張るでしょ!! 迷惑かけてるんですから!!」

「あ、あぁ……まあ……その……」


 ブチギレる後輩らしき男性と、しどろもどろになる先輩らしき男性。

 二人は立ち尽くす渚を見て、「「ひっ」」と小さな悲鳴を漏らす。自分たちを睨みつける彼が、よほど怖かったらしい。


「店員さん呼んでくるんで、先輩は部屋戻っといてください! 自分の部屋、ですよ!」

「わ、わかった……。えっと、その……すみません、でした。本当に……」


 先ほどのハイテンションはどこへやら。

 男性は叱られた小学生のように縮こまり、そそくさと部屋を出て行く。


 アクシデントが去り、静寂が訪れた。

 渚はすぐさま私に目をやり、「大丈夫か!?」と慌てた様子で尋ねる。そこに先ほどの怒りの表情はなく、ただただ心配の色だけがにじんでいる。


「お、お前、何で……!」


 大量の水分を帯びて、色が濃くなったワンピース。

 それだけならまだいいが、ケチャップやマヨネーズのせいで見るも無残な有様だ。


 流石にこれでは食事に行けない。

 それでも私は、今できる最大限の笑顔を作った。


「響は……ぬ、濡れなかった?」 

「えっ? あ、うん。僕は平気、だけど……」

「渚は?」

「俺のことより、自分の心配しろよ! そもそも、何で俺のこと押したんだ!? 今日のために服買ったり、時間かけてお洒落したのに、これじゃあ……!!」


 確かに服選びには時間がかかった。

 化粧品も新しく買って、響と一緒に勉強した。

 そしてこうなった以上、少なくともシャワーを浴びなければならないし、新しい服に着替える必要がある。


 それを自分のことのように焦り、悲しむ彼を見て、やっぱり優しい人だなと再確認する。


「だ、だって……ここに来ることになったの、わ、私のせいだし……」


 ふっと、自嘲気味な笑みが漏れた。


 百貨店で私が体調を崩した時、二人はそれを快く受け入れてくれたが、私の腹の中の罪悪感はまったく拭い切れていなかった。


「ほんとなら、もっと楽しいこと、で、できたのに……私が迷惑、かけちゃったし。渚のお祝いの日、なのに……」


 カラオケで過ごした時間は間違いなく楽しかったが、これが最大値なわけがない。

 プレゼントだって、雰囲気のいい店で渡そうと響と相談していた。それが叶わなかったのは私のせい。そこはどう言い訳のしようもない。


「渚にかからないようにしたのはわかるけど、僕を庇う必要なくない!? 渚と一緒に避ければよかったじゃん!」

「だって私……い、一応、お姉ちゃんだから。頼りにならない、けど……妹のこと、ま、守らないと」


 普段は姉も妹もないし、響も私にそんなことは求めていない。

 だから、これは私の自己満足だ。自分がダメダメなことはわかっているから、せめてこの姉という役目だけはまっとうしたい。妹の幸せのために、全力を尽くしたい。


「私……どっか着替えられるとこ、探すから、ふ、二人は先に、ご飯食べてて……?」

「何でそうなるんだよ。綴を置いて行けるわけないだろ」

「だ、だって、シャワーとかも浴びたいし、メイクも直さなきゃ、だし。時間かかるから……渚にこれ以上、め、迷惑かけたくないっ」


 ただでさえ今日はゴールデンウィークで、予約すらしていない。時間が遅くなれば店の選択肢は狭まるし、良さそうな店にはまず入れないだろう。


 渚は難しい顔で閉口し、視線を落とした。

 わかってくれたのだろうか。


 ……と思った瞬間、ふっと顔をあげて私を見つめる。

 そして、私の肩に手を置くと、


「綴、ちょっとごめん」

「えっ? あっ、わ、ひゃっ!?」


 思い切り、正面から抱き締められた。

 ジュースのシミが、彼の服に移っていくのがわかる。ケチャップやマヨネーズもねちゃりと広がって、服越しに不快な感触が伝わる。


「な、何して……! これじゃ、な、渚も着替えなきゃ……!」

「そうだな。だから、俺も一緒に行くよ」

「そんなっ、だ、だめ……お祝いの日、なのに……!」

「綴のやったことは立派だし、できればその思いは尊重したいけど、俺は三人一緒がいいんだ。俺のお祝いの日なんだから、これくらいのワガママは許してくれてもいいだろ?」


 そう言って、渚は腕を緩めた。


 視線を落とすと、彼のTシャツは酷い有様。

 しかしそんなことは気にも留めず、くしゃりと少年のように笑って見せた。


 どこまでも眩しくて、陽だまりのように温かい表情に、頬が熱くなる。

 彼への感情すきがより大きくなり、胸を内側から圧迫する。


「ありがとな、庇ってくれて。綴、すごく格好よかったよ」


 「台無しにしちゃったけど」と続けて、汚れたTシャツを一瞥し眉尻を下げた。

 その申し訳なさそうな顔すら、今は愛おしい。


「でも次同じようなことがあったら、今度は俺に任せてくれ。俺だって二人に、いいところ見せたいんだ。男の子だからな」


 自分で言っていて恥ずかしくなったのか、後半、少しおどけた口調で言った。


 それが可愛くて、同時に心強くて、無意識に頬が緩む。

 好きになったのがこの人でよかったと、心の中で独り言つ。


「どりゃー!!」

「うわっ! ひ、響っ、お前何するんだよ!?」


 アメフト選手が敵に突っ込むような、凄まじい勢いで響が抱き着いてきた。

 三人で抱き合うような体勢のまま、彼女はぐりぐりと身体をよじって、渚と同じように自分の服にシミを移す。


「いやだって、僕だけ仲間外れみたいで嫌だったし。三人一緒がいいって言ったの、渚だよ?」

「それはそうだけど……」


 釈然としない面持ちだが、もう既に響の服は汚れてしまっており、もはやどうしようもない。

 響は私を見て、二ッと白い歯を覗かせた。その様子を見て渚も諦めたように笑い、逞しい腕を広げて私たちを抱き締める。……ちょっと痛いのが、堪らなく嬉しい。


 二人分の熱を感じながら、私は改めて思った。


 渚のことも、響のことも、全部欲しい。

 この三人で付き合いたい。結婚したい。思いつく限りの楽しいことを全部しながら、ずっとずっと一緒にいたい――と。




 ◆




 カラオケ店をあとにし、近くの服屋で着替えを購入。

 綴がシャワーを浴びられる場所が近くにあるというので、俺と響は彼女について行った


 このあたりは初めて来るが、銭湯的なものでもあるのだろうか。

 もしそうなら、ちょっとくらい湯船に浸かるのもいいだろう。広い風呂なんて中々入れないし。


 ――……などと楽観的に考えていたが、到着と同時に顔から血の気が引いた。


「ここがどういうとこなのか、わかってるのか……?」

「う、うん。ちーちゃんが前に……お、お風呂が広くて綺麗だったって、言ってたから」

「風呂のクオリティなんてどうでもいいだろ!? だってお前、ここ……!!」


 店先に貼り出された、休憩と宿泊の料金設定。

 俺が知る限り、こんな看板を出しているところはラブホテルだけだ。


「あのさ、つ、綴? ネカフェのシャワー、とかじゃダメなの? 流石にここは……」

「今だったら、な、流れで……三人でここ、入れるよ?」

「いや、でも……」

「場所が場所、だし……渚、そういう気分になる、かもよ……?」

「……」

「そ、そろそろ……既成事実、欲しくない……?」

「……」


 ゴニョゴニョと二人で内緒話。

 終わったのか、ぐるんと首を回して俺を見る。揃って不敵な笑みを浮かべて。


「三人一緒がいいって言ってたのは渚だし、ここに入るのも仕方ないのかなぁ?」

「何がどう仕方ないんだよ!?」


 響はやや上擦った声で言って、俺の手を取りホテルの方へ引っ張った。

 綴もそれに追随し、二人で俺を引きずる。


「ただシャワー浴びるだけ。それだけだよ、渚?」

「へ、変なことしない。すぐ終わるよ、渚?」


 当然抵抗するが、そのせいで周囲から妙な目を向けられた。

 俺が女の子を無理やりホテルに連れ込もうとしているように見えるのか、「何あれ?」「警察呼ぶ?」とざわつき始める。


 これはまずい。

 かなりまずい。


「わ、わかった。わかったから落ち着け。シャワーだけな? それだけだからな?」

「「…………。……うん」」


 妙な間を空けて、二人は頷く。

 青と赤の瞳は、飢えた獣のようにギラついていた。

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