第17話 俺の女を他のやつには見せたくねえぜ


「……何か悪いな。俺、貧乏性だから……」

「いいって、別に。こうやって歩いてるだけで楽しいしさ」


 俺への入学祝いを買うため、百貨店に連れて来られた。

 事前に何でも買ってあげると言われていたが、結局何も思いついていない。必要なもの以外は買わない生活を送って来たため、何でもいいと言われてもかなり困る。


 しいて言うなら、新しいジップロックが欲しい。そろそろ在庫が無くなるから。

 しかし、大学の入学祝いにそんなものを所望するのは流石に失礼だ。


 ……にしても、何でもか。


 この百貨店には、相当数の高級ブランドの店舗が軒を連ねている。

 ここへ連れて来た以上、俺が数万数十万のブランド品を欲しがっても問題ないくらい、二人の財布の底は深いのだろう。


 立派になったなぁと躍進を喜びつつ、何だか二人が遠くへ行ってしまったようで少し寂しい。昔は数十円の駄菓子を買うのにも悩んでいたのに。


「……ん? あれ、綴は?」


 ふと右隣に意識をやると、ついさっきまでそこにいたはずの綴がいなくなっていた。

 響と一緒に周囲を見回す。


 するとかなり後ろの方で、壁際に寄り縮こまる彼女を発見した。


「どうした。具合でも悪いのか?」


 急いで駆け寄り尋ねると、彼女は青白い顔を力なく横に振った。


「人が、お、多くて……。頑張った、けど……もう無理、かも。ご、ごめんなさい……」


 コミュ障レベルがカンストしている綴。

 いつもの厳つい格好ではない上に、この人の多さで完全にグロッキー状態になっていた。


 家を出てからさっきまで割と平気そうな顔をしていたが、かなり無理をさせていたらしい。

 ……何でもっと早く気づかなかったんだ、俺。


「とりあえず一回、外出るか。響もそれでいいよな?」

「うん。綴、大丈夫? 歩けそう?」


 コクリと頷いた瞬間、糸が切れたように体勢を崩す。

 すぐさま腕を取り、身体を支えた。綴は俺を見上げて、申し訳なさそうに眉を寄せる。


「このまま俺にしがみついとけよ。外まで一緒に行こう」

「……ごめん、なさい。私、ダメダメで……た、楽しい日なのに、台無しに、しちゃって……」

「綴はダメダメじゃないし、何も台無しにしてないだろ。俺は二人が元気でいてくれることが、どんなプレゼントより嬉しいんだから」

「うわー。渚、ママみたいなこと言うじゃん。何かキモい」

「い、いいだろ別に! 本気でそう思ってるんだよ……!」

「まあでも、僕も同感かな。綴は全然ダメじゃないし、台無しになんてしてないよ。どっかで一休みしよ、僕も疲れてたし」


 響が言うと、綴は躊躇いながらも首を縦に振った。


 しかし、ここまでダメージが大きいとは。

 昔は今より数ミリグラム程度、社交性があったのに。

 おそらく鎧を着込むことを学習し、鎧の強化に専念した結果、内側は強度を必要としなくなり弱体化したのだろう。


「おい、あれ見ろよ」

「うわ、すっげ」

「家でやれよな……」


 同年代ほどの三人グループとすれ違った際、ヒソヒソ話が耳に入った。

 一瞥すると、彼らの視線は明らかに俺たちに向いている。


 ……まあ、そりゃそうか。

 目立つよな、こんだけべったり引っ付かれてたら。


 嫉妬のような、羨望のような。

 少なくとも綺麗ではない視線が、いくつも俺たちに突き刺さる。


 早くここを抜けよう。

 そう思って歩幅を少し広げたところで、空いていた左腕に響がしがみつく。


「お前……っ! な、何してるんだ……!」


 綴だけならただのイチャつくカップルだが、二人もはべらせていたらそれはちょっとした事件だ。

 しかも二人とも、度を越してビジュアルがいい。もし写真でも撮られてネットにあげられたら、とんでもないことになりかねない。


「だって、綴だけズルいじゃん……! 僕も渚と、そういう勘違いされたい……!」

「バカ言うな……! とにかく離れろっ、早く……っ」


 ゴニョゴニョと小声で言い合いながら、俺は左腕を軽く揺すった。

 だが、響は離れる気配を見せない。むしろ一層腕に力を込め、これ見よがしに身体を押し付ける。


「お、おいっ、周りの人たちが見てるだろ……!」

「それだけ僕たちが可愛いってことじゃん。よかったね、両手に花で」

「いいわけあるか……!!」

「……僕たちが、可愛くないってこと?」

「……っ! い、いや可愛いけど……っ!」

「だよねー。ほらほら、くっ付かれて嬉しいくせに」

「……こうなったら、無理やり引き剥がすからなっ」

「嫌がる僕に、無理やり何するの?」

「語弊があること言うなよ……!?」


 離れろ離れないとひたすら言い合いながら、俺は二人を引きずるようにして出口を目指す。

 そんな俺たちに周囲は奇異の目を向け――しかし綴だけは、楽しそうにコロコロと笑っていた。




 ◆





「す、すげー……」


 避難先に選ばれたのは、百貨店から程近いカラオケ店。


 最近のカラオケは楽器のレンタルまでしているらしく、響がエレキギターを借りてきた綴に弾くよう渡した。綴の専門はピアノだが、メジャーな楽器なら大抵触れる。超絶上手い演奏を披露し、それに合わせて超絶歌唱力の響が歌う。


 プロ二人のパフォーマンスに、感嘆の声が漏れる。

 ……これ、金払わないとダメなやつだろ。


「ふぅ……どう? 上手いでしょ?」


 曲が終わり、渚は白い歯を覗かせながら渾身のドヤ顔を作った。

 俺は拍手しながら、「すごかった」と素直に感想を述べる。


「何かこう、ここまで近くで歌われると迫力がやばいな。カラオケで誰かの歌聞いて鳥肌立ったの、初めてだ」

「へへー、でしょでしょー。僕、天才だからさー」


 天まで届きそうなほど、鼻高々な響。

 これで天狗になっているなら問題だが、俺は彼女が毎日トレーニングに励み、喉のケアも欠かさないことを知っている。常人なら到底耐えられない努力量の上に、彼女は立っている。


「綴もすごいな。めちゃくちゃ上手かったし、格好よかった。特にサビのとことか震えたよ」

「そ、そう、かな……へへっ……」

「でも二人とも、自重しろよ。響の声は目立つんだから、もし誰かに聞かれて部屋覗かれたらバレるぞ」

「「はーい」」


 仲良く返事をして、二人は席に着く。


 個室に入ったことで、綴の顔色が随分とよくなった。

 これで一つ、心配事が減った。よかった、あのまま熱とか出さなくて。


「綴、もうここであれ渡しちゃおうよ」

「う、うん。そうしよっか」

「渡す? 何のことだ?」


 響はトートバッグの中から、綺麗にラッピングされた箱を取り出した。それを俺に渡して、開けるように促す。


「えっ……い、イヤホン?」


 ラッピングを剥がすと、中にはワイヤレスイヤホンが入っていた。

 手元から視線を上げると、二人は得意そうに笑っている。


「渚が優柔不断で、ちゃんと欲しい物を決められないのなんて想定済みってわけ」

「だから……わ、私たちで選んで、事前に買っておいたの」

「ノイズキャンセリング付いてるから、勉強の時にでも使って。僕たちも同じの持ってるけど、かなり優秀だよ」


 会えない間も誕生日プレゼントを贈り合っていたのだが、俺は何が欲しいか聞かれてもまともに答えられず、最終的に二人に選んでもらうのが恒例だった。今回も俺には選べないと読まれていたようで、申し訳ないという気持ちがありつつ、気遣いがとても嬉しい。


「ありがとう。一生大切に使うよ」

「一生って、普通に無理だから壊れたら捨てなよ? あとプレゼント、これで全部じゃないから」

「えっ……?」


 再びバッグに手を入れると、更に二つのラッピングされた箱が出てきた。


 まさか、何かのドッキリでは。

 ウキウキして開けたら、実はビックリ箱でしたとか、そういうノリの。


 などと思っていたが、片方は腕時計、もう片方は香水だった。

 あまりにもちゃんとした贈り物に、一瞬でも疑ってしまった自分を殴り飛ばしたくなる。


「何渡そうか迷って決められなかったから、じゃあ全部あげちゃおうってなったの」

「それはすごく嬉しいけど……こ、こんなに沢山、高かったんじゃないか?」

「お、お金のことは、気にしなくていいよ。入学のお祝い、だし」

「そうか……何か、本当にありがとう。ごめん、もうちょっと気の利いたこと言えたらいいんだけど、上手く思いつかなくて……」


 きっと沢山悩み、沢山時間を使ってくれたのだろう。俺のために。

 それが嬉しくて口元が綻び、頬が熱くなる。照れる俺を見て、二人は満足げに頷く。


「……じゃあ、俺も渡そうかな」」

「「え?」」


 本当は今夜食事に行った時に渡すつもりでいたが、流れ的に今がベストだろう。


 俺はバッグの中から紙袋を取り出し、それぞれ二人に渡した。

 いまいち状況が掴めていない二人は、不思議そうにしながら中から箱を出して開ける。


「ネックレス……?」

「な、何で……これ、ど、どういうこと……?」

「Amazoraのメジャーデビュー祝いと、引っ越し祝いと……あとまあ、色々。二人に何か贈りたくてさ」


 昨日はこれを買うため、万川と出掛けていた。

 どうせ買うなら、半端なものは渡せない。人生で初めてハイブランドの店に入り、万川と店員さんに協力してもらいながら選び購入したが、こうして二人の前に出すとこれでよかったのかと嫌な汗が滲む。


「もしも気に入らなかったら、その時は遠慮なく言って――」

「「ありがとう!」」

「お、おう……」


 高過ぎるテンションに気圧されつつも、機嫌を損ねなかったことに安堵した。

 二人はネックレスを取り出し、声をあげながら眺める。心底嬉しそうな反応に、照れ臭くなって頬を掻く。


「ねえ渚、これ今着けてよ」

「着けるって、俺がか?」


 その問いに、響は首を縦に振った。

 ネックレスを受け取って、背中を向けるよう合図する。しかし彼女はそれに従わず、「前からやって」と俺と向かい合う。


「別にいいけど……着けるの慣れてないから、ちょっと手間取るぞ」

「気にしないよ。ほら、早くっ」


 言われた通り、向かい合った状態で首の後ろへ手を回した。

 これまでの人生で、一度もネックレスなど着けたことがない。当然、留め具をとめるのもこれが初めて。手元が見えないせいで苦戦していると、そんな俺の顔が面白いのか響は悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「何だよ。仕方ないだろ、初めてなんだから」

「……ふーん。僕が渚の、初めての人なんだ」

「変な言い方するなよ!?」


 せっかく留まりかけていたのに、響の妙な発言で離れてしまった。

 やれやれと息をついて、ふと、彼女の目を見る。


 長い睫毛に縁取られた、青い瞳。

 ぱちりと瞬いて、一点に俺を映す。


 相変わらず綺麗だなと、そう思った時。

 ボーッとしていたようで、「どうしたの?」と彼女は首を傾げる。


「いや、ごめん。別に何でもない」

「この距離ならキスできちゃうなー、とか考えてた?」

「か、考えてねえよ! 中学生か俺は!」



「……僕は、考えてたよ?」



 彼女の普段よりも艶やかでピンクがかった唇が、甘く緩やかな弧を描いた。


 細く白い腕を俺の背中に回し、やんわりと、しかし確実に密着する。

 そのやわらかさと体温に心臓が跳ね、彼女はそれを知ってか知らずか茶化すように白い歯を覗かせる。


「ふ、二人だけイチャついて、ズルい……!!」


 俺たちの間を割って、綴が入って来た。

 響は「ごめんごめん」と謝り、今度は俺に背を向ける。


 ……何だ、結局正面からじゃなくてよかったのか。だったら最初からそう言えよ。


「わたっ……わ、私も、着けてっ!」


 綴はフンスと鼻息を荒げながら、俺にネックレスを渡した。

 彼女も後ろからでいいだろうと思っていたが、一向に背を向ける気配がない。


「あ、あのー……後ろ向いてくれないと、着けづらいんだけど……」

「……」

「綴……?」

「……」

「……わかったよ」


 無言の圧に負け、響同様、前からの装着を試みる。

 やっぱり、手元が見えないと上手くいかない。おまけにさっき響が妙なことを言ったせいで、やたらと唇を見てしまう。失礼だからやめなくちゃいけないのに、どうしたってを想像してしまう。


「……したいの?」

「へっ!? いや、別に……っ!」

「我慢……よ、よくないよ?」

「我慢とかそういうのじゃないから!」

「……私で発散、し、して、いいよ……?」

「い、いや、だから……――!!」


 メイクによって、普段よりも優しさが増した顔付き。

 しかし妖し気な赤い瞳は健在で、俺の心を惑わすようにギラギラと輝く。魔性の熱に晒されながらもどうにか留め具をとめ、勢いよくソファに倒れ込み息をつく。


「……あんまりからかうなよ。本当に俺、耐性ないんだから……」

「「はーい」」


 仲がいいのは大変結構なことだが、まったく信用ができない返事にため息が漏れる。


 ……まあでも、ネックレスが似合っていて安心した。

 チャームのない、シンプルなシルバーのチェーンネックレス。普段の服装にも合わせられるよう選んだため、今の可愛らしい衣装にも邪魔をせず溶け込んでいる。


「と、ところで、さ……渚、知ってる……?」


 ネックレスを指先で軽く弄りながら、綴はほんのりと頬を染めた。続いて響も口元を緩め、顔に茜色が差す。


「男の人が女の人に、ね、ネックレス渡すのって……束縛とか、独占って意味が、あるんだよ?」

「えっ!?」

「渚はさ、僕と綴に首輪着けて、ずーっと自分のモノにしたいって思ってるんだね」

「ち、違うっ! 俺はそんなつもりじゃ――」

「私たち、いらないの……?」

「いるとかいらないとか、そういう問題じゃないだろ!?」

「どっちかって言ったら、どっち?」

「そ、そりゃあ……まあ……いる、けど……!」

「「ふーん」」


 ニヤニヤと笑いながら迫って来て、俺の両隣に座った。

 同時に俺の太ももに手を置き、正面から顔を覗き見る。


「私たちのこと……ひ、独り占め、したいんだ」

「ずーっと一緒にいたいって、思ってるんだね?」

「一緒にはいたいけど……な、何かお前ら、やけに近くないか?」


 これはただのプレゼント。それ以上でもそれ以下でもない。

 だというのに、二人は俺の手に指を絡めて熱っぽい息を漏らす。


「だ、だって渚が、首輪、着けちゃったから……」

「飼い主の近くにいるのは、当然のことじゃない?」

「待てまて! 俺はそんなつもりで贈ったわけじゃないぞ!?」

「「わん」」

「わん、じゃねえよ!」

「「にゃー?」」

「種類の問題じゃない!」


 何がそんなに楽しいのか、二人の頬は今にも溶けて落ちてしまいそうなほど緩んでいた。


 プレゼントを喜んでもらえたのはありがたい限りだが、これはちょっと絡み方がまずい。

 嬉しくて、だからこそ心臓に悪くて、おかしな欲望が湧いてくる。飼い主として振る舞いたくなるような、黒い熱が心を焦がす。


「……ぼ、防犯カメラがあるんだから、いい加減に離れろよ。俺たちのこと、誰が見てるかわからないんだし……!」


 天井に取り付けられたカメラを目で指しながら言うと、二人は渋々離れて行った。

 ホッと安堵しつつも、急に温かみを失い少しだけ寂しくなる。


「俺の女を他のやつには見せたくねえぜってことだよ、今の」

「独占……し、したいんだね、私たちの、こと……」

「やらしーね」

「ねー」


 ヒソヒソと声をひそめてはいるが、俺を挟んでいるため全編丸聞こえ。

 もう言い返す気力などなく、俺は背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。

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