第16話 えへへー♡


 大きな円形の浴槽。

 頭上の照明に明かりは灯っておらず、その分、浴槽が光り湯船の中を照らし出す。


 洗い場は無駄に広く、バスチェアに座って視線を落とす。


「渚、痒いところない?」

「……な、ない」

「もっと……あ、洗って欲しいところ、ない?」

「いや、べ、別に……」


 浴室に反響する、俺のか細い声。


 ここはラブホテルの一室。

 わけあってここへ避難し、なぜか三人で風呂を入ることになり今に至る。


 ボディスポンジを片手に、ゴシゴシと俺の背中を洗う響と綴。

 時折直接触れる指先の感触が、後ろ髪を揺らす息遣いが、心臓に薪をくべ激しく鼓動する。


「じゃあ次、前洗ってあげる」

「えっ、いや、いいって!」

「私たちのこと……き、嫌い……?」

「好きとか嫌いとか、そういう問題じゃないだろ!?」


 この流れはまずい。


 無理やりにでも浴室を出ようとした瞬間、二人の手が肩に触れ、背中にそれぞれの体温を感じた。本能がこの状況を喜ぶ半面、まずいやめろと理性が叫び、額からダラダラと汗が垂れてくる。


「「渚」」


 二つの声が、左右それぞれの鼓膜を揺らした。


「「こっち、向いて?」」


 脳みそが砂糖を吐くほどの甘美な誘い。

 頭をハンマーで殴られたような凄まじい衝撃に、これまでの出来事が走馬灯のように脳裏を駆けてゆく。




 ◆




 ゴールデンウィーク。

 今日は二人が、俺の入学祝いのためわざわざ時間を取ってくれた。


 再会して、初めての三人揃っての外出。

 俺に大学の入学祝いを買ってくれるらしく、嬉しさ半分、申し訳なさ半分で、正直素直に喜べない。ただそんなことを悟らせては失礼なため、全力で楽しまなければ。


「あいつら、やけに遅いな……」


 リビングのソファに座り、響と綴の用意が済むのを待っていた。

 昼食をとってから支度を開始し、かれこれ二時間近く座りっぱなし。女性の支度が大変なことは心得ているが、それにしたって遅過ぎないか?


「……じゃあ、開けるよ?」

「う、うん……」


 リビングの外。

 扉を隔ててすぐのところで、そんな会話をする二人。


 やっと終わったのか。随分とかかったな。

 テレビの電源を落として立ち上がり、リビングの扉を身体を向けた。それと同時にギィと開いて、二人がおっかなびっくり中に入って来る。


「お、お待たせー……」

「遅れちゃって……ご、ごめんね……」

「………………。…………。……お、おう」


 一瞬、二人が誰なのか認識できなかった。

 あまりにも、普段と違い過ぎて。


 フリルがあしらわれたライトブルーのブラウスに、白のミニスカートを穿いた響。

 いつもの格好よさはどこへやら。メイクのせいか顔付きがやけに甘く、白銀の髪も相まってその姿はお人形さんのよう。


 その後ろで不安そうに佇む綴は、お嬢様のような上品さを漂わすチェック柄のワンピースを着ていた。

 髪は括っておらず、ふわりとした可愛らしいカールがかかっている。響同様、メイクによってクールさが完全に削がれており、いつもとのギャップに脳みそがバグる。


「おう、って何さ。その反応はないでしょ」

「い、いやだって……どうしたんだ、それ?」


 俺の知る二人は、そういう類の服は着ない。

 再会した日に着ていたスカートだって、もう既に押し入れの奥深く。あれ以降、一度も見ていない。

 

 そんなメイクも、そんな髪型も、初めて見た。

 わざわざ時間をかけてここまで変身した理由がわからない。


「……に、似合わない、かな?」


 不安そうに零した綴。

 つられて響も瞳に影を落として、しゅんと縮こまる。


 まずい、違う。そうじゃない。

 

「似合う、めちゃくちゃ似合うよ! ちょっとビックリして、一瞬声出なかったし……!」


 わけを聞く前にすべきことがあったのを思い出し、遅れを取り戻すように早口で言った。

 二人は顔を見合わせて、満足そうに息をつく。


 ……よかった。機嫌を損ねずに済んだらしい。


「でも、何でそんな格好してるんだ? いつもの感じと全然違うけど……」

「それは……えーっと、あれだよ! そう、あれあれ!」

「どれだよ」

「へ、変装……的な感じ。わ、私たち三人で歩いてたら……流石に、め、目立っちゃうし」

「渚に迷惑かけたくないからね。ちーちゃんに色々選んでもらって買ったんだ」


 ちーちゃん……あぁ、千星さんか。


 今まで変装と称してキャップを被ったりマスクを着けたりしていたが、あまり効果があるようには思えなかった。

 しかし、今回は違う。

 俺でも一瞬、誰だかわからなかった。余程のファンだったとしても、絶対に気づかないだろう。


「僕たち、可愛い?」

「えっ?」


 てちてちと近づいてきて、響は俺の右手を取った。

 甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐり、青い瞳に見つめられ心臓が跳ねる。


「あぁ……可愛い、と思うけど……」

「お、思う、って……?」


 綴は俺の左手を取って、拗ねるように小首を傾げた。

 いつもなら身体のあちこちに輝くアクセサリーが、今は一つもない。たどたどしい喋り方も相まって深窓の令嬢のようで、清楚で可憐な雰囲気に生唾を呑む。


「……か、可愛いよ! 言いづらいのくらい察してくれ! こっちだって照れ臭いんだから!」

「どっちの方が可愛い?」

「は?」

「付き合うなら……ど、どっち?」

「え?」


 何だその地獄みたいな質問。

 俺が回答に詰まると理解してやっているようで、二人はとても楽しそうだ。ムカつくが、しかし彼女らの手のひらの上から逃れるすべを俺は持たない。


「……そんなの、選べるわけないだろ」

「じゃあ、どっちとも付き合うってことだね」

「何でそうなるんだよっ」

「どっちも嫌い、って……こと……?」

「そんなことは言ってないだろ!?」

「「どっちも好き?」」

「……おう」

「「おう?」」

「好き……です……」

「「えへへー♡」」


 ニッと白い歯を覗かせて笑う二人。


 何なんだよ、本当に。……と内心悪態をつきつつ、悪い気はしなかった。

 二人が楽しそうなら何でもいい。


 できれば、俺を弄らない方向で楽しんで欲しいけど。

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