第15話 もうヤッた?
「あでー? にゃーんで響ちゃんと綴ちゃんが、ここにいるのかにゃー?」
「「……」」
五月初旬。
ゴールデンウィーク初日の昼下がり。
僕と綴は友達から連絡を受け、とあるスペインバルに来ていた。
ワインの瓶片手にテラス席に座る、黒とピンクのツートンの髪が特徴的な女性。胸元が大きく開いた白のニットにチェック柄のミニスカートと露出度の高い服を着ており、酔っ払って頬が上気しているのもあって、同性ながら目のやり場に困る。
「……にゃんでって、ちーちゃんが呼んだんでしょ? 助けてーって」
「あっ、しょーしょー! へへへー、忘れちゃってたぁ」
ちーちゃん――本名、
僕たちの五つ上の二十五歳で、職業はシンガーソングライター。
Amazoraのサポートメンバーでもあり、レコーディングやライブの際にギターとして参加してもらっている。
「まぁいいから座りなよ。ほらほら、好きなもん頼んじゃいなー」
「いや別に、僕たちお腹空いてな――」
「先輩の席だぞぉー! 座れ座れぇー!」
綴と顔を見合わせ、ひとまず大人しく席に着いた。
ちーちゃんはお酒にだらしなく、仕事の時以外は常に酔っている。……そんなに美味しいのかな、お酒って。
「すみませーん! えーっとぉ……お姉さんのオススメ、ぜーんぶくださーい!」
店員さんを呼び出すなり豪快な注文をして、「若いんだから食べなよぉ!」と僕たちの肩を叩く。
「……んで、助けてってどうしたの? 僕たち、急いで家出てきたんだよ」
「えー? あー……んーっと……あっ! 実はお財布、家に置いてきちゃってさぁー。お会計、してもらっていい?」
「「……」」
「ちょ、ちょっとぉー! 無言で帰らないで! お姉さん、寂しくって泣いちゃうよぉー!」
文無しで飲み食いして会計のために後輩を呼びつけ、それを忘れて追加注文するアホ。これこそ、ちーちゃんクオリティ。
こういうことは今回が初めてではなく、正直来る前から何となくわかっていた。
「これっきりにしてよ。次やったら、一年間タダ働きしてもらうからね」
「へへへぇ、わかーってるってぇ。わたしのこと、おバカさんだと思ってるでしょぉー?」
無言で頷く綴。
冷え切った赤い眼光に当てられ少し酔いが覚めたのか、ちーちゃんは額に冷や汗を滲ませながら「しゅみません……」と頭を下げた。
「そぉーいえばさ、ナギくんと同棲始めて、そろそろ一ヵ月だっけー? どう? もうヤッた?」
「ごふっ! ごほっ、んっ……ちょ、ちょっと! 大きな声で変なこと聞かないでよ!」
ナギくんとは、渚のことだ。
中学時代、Amazoraを応援するために作ったSNSのアカウント名がナギ。ちーちゃんは渚のアカウント経由で僕たちを知ったため、彼のことをハンドルネームで呼ぶ。
僕が焦る中、綴はマイペースに首を横に振った。
それを見てちーちゃんは、「えぇー?」と残念そうな声をあげる。
「ナギくんもお堅いにゃー。こぉーんなに可愛い子たちと一緒にいたら、わたしなら一日三回は食べちゃってるけど」
「ち、ちーちゃんと一緒にしないでよ。渚は……何て言うか、ちゃ、ちゃんとしてるの。僕たちのこと、大事にしてくれてるだけだからっ」
言い返すと、ちーちゃんは「ふーん」と軽薄な笑みを浮かべた。
……正直、僕と綴は少しだけ焦っていた。
同じベッドで寝るとこまで漕ぎ着けたのに、渚とはいまだに何もない。というか、何かが起きる隙がない。
渚は僕たちが寝るまで自室で勉強しており、朝は僕たちが起きる前に朝食と弁当を作って待っている。少しは休むよう言っても、まったく聞いてくれない。
「大事にしてくれてる、かぁ。確かにナギくんは献身的だからなぁー。遠距離でも色々相談乗ってあげてさ、大学でも二人のためになるようなこと勉強してるんでしょ? そこまでする人、まずいないよねー」
愉快そうに言って、瓶に口をつけワインを身体に流し込んだ。
ぷはぁっと気持ちよさそうに息をつき、酒気帯びて蕩けた黒い瞳をスッと細める。
「ずーっと気になってたんだけど、何でナギくんって、二人にそんな尽くすの?」
「えっ? それはまあ……幼馴染、だからじゃない? 僕たち、ずっと仲良しだし」
「いやいやぁ、一回引っ越してそのまま八年間も会ってなかったんでしょ? そんな相手のために将来決めるって、言っちゃ悪いけど、ちょっとどうかしてるんじゃないかなぁ?」
「「……」」
綴と視線を交わし、静かに頷く。
今まで考えもしなかったが、確かにそうかもしれない。
「まぁーナギくん、家があんな感じだったからさ。どっかで二人に助けられてたのかもねぇ」
「……だと、いいけど」
渚が抱えていた問題を知ったのは、全てが取り返しのつかないことになったあとだった。
もしかしたら当時の彼は、僕たちに無言のSOSを出していたのではないか。
ずっと助けを待っていたのではないか。
……今になっても、そう思わない日はない。
「すみませーん! ワイン、もう一本くださいなぁー!」
「タダ働きって言ったの、もう忘れたの!?」
真面目な話を始めたかと思ったら、空になった瓶を掲げて追加注文を行った。
流石に注意すると、ちーちゃんはしたり顔で「チッチッ」と指を横に振る。
「それ、次やったらって話でしょ? これは今回の会計に含まれるから、次に入りませぇーん! 残念でしたぁー!」
「……綴、帰ろ。あとこの人、クビにしよ」
「や、やだぁー! わたしと二人の仲じゃーん! わかった、グラス一杯だけ! あと一杯、いや二杯……じゅ、十杯で済ますからぁ!」
「それもう一本呑んでるのと変わらなくない!?」
「ってことは、一本呑んでもいいってことだね! やったー! わーい!」
「もう勝手にしなよ……」
厄介な人だが、ちーちゃんにはAmazoraを運営する上でかなり助けられてきた。
渚が精神面の支えだとしたら、彼女は実務面の支え。この人無くして今の僕たちはあり得ないため、心の底から邪険にはできない。……それにまあ、正直一緒にいて楽しい。
「……ん? おやおやぁ?」
道の方を見ながら、ちーちゃんは眉をひそめた。
「ナギくんが二人に手を出さないのってさぁ……もしかして、彼女がいるから、だったりして?」
「「っ!?」」
「ほら、あれ見てみなよ」
車道を挟んだ向かい側の歩道で、渚が茶髪の女性と並んで歩いていた。
二人はとても仲良さげに話していて、時折女性側からのボディタッチまである。
「ナギくん、優しいからなぁ。見てくれもいいし、バカなわたしでも知ってる大学通ってるし、間違いなく将来有望株! モテない方がおかしいよねー」
「「……」」
「でもナギくんの性格的に、彼女がいるのに女の子と同棲とか無理だろうし、流石にただの友達かな?」
「そ、そうだよ! あれは友達! ただの友達! それだけだし!」
……と、口では言いつつ。
あの女性のことが、モヤモヤと頭の中を占拠していた。
遠目で少し見ただけだが、とても可愛い人だった。
普通な感じで、僕や綴とはまるで真逆の属性。いい意味で特徴がなく、毒気がなく、見ていて安心する。
……あと、僕の気のせいかな。
あの女の子、渚に好き好きオーラ出してない? ちょっとこう、様子がおかしいような気がするんだけど。
「渚って、ああいう感じの子が好きなのかな……」
思わず発した言葉に、ちーちゃんはニヤニヤと笑った。
乙女だなぁ、と言いたげな顔だ。
悪かったな、恋してて。大好きなんだよ、渚のことが。
「確かに二人って、とっつきにくさはあるよねー。性別不詳で売ってるわけだし当然だけど」
僕はTシャツにジャケパンとシンプルな様相。綴は金黒の柄シャツに黒のスラックス。先ほど渚が連れていた女性と比べたら、どっちの方が可愛いかなど考える余地もない。
「……明日、渚の入学祝いで出かけるんだけど、その時は普通の格好してみよっかな。ドキドキしてくれるかもだし」
「いいじゃーん、響ちゃんって何着ても似合うし! フリフリでめちゃ可愛いの着ちゃおー!」
盛り上がるちーちゃんとは対照的に、綴はチラチラとこっちを見て挙動不審だった。
「綴は無理せず、いつも通りの格好でいいんだよ」
僕がメンズ系のファッションを身に着けるのはただの趣味。フリフリでリボンたっぷりの服でも、着ることに抵抗はない。
しかし、綴は違う。
この髪型も、ファッションも、他人を寄せ付けないための鎧だ。
渚との再会の日。
思い切って流行りの可愛らしいスカートを穿いたが、あれも本人にとっては大きな決断だった。
「――……や、やるっ」
ぽつりと、綴は俯きながらこぼした。
「せっかくのデート、だし……! 渚が、ど、ドキドキしてくれるなら、やるっ! もっと、いっぱい……い、イチャイチャしたいし……っ!」
鼻息を荒げて、瞳を震わせながら僕を見る。
その双眸には確かな熱が滾っており、僕は覚悟を汲み取り大きく頷く。
「い、今、綴ちゃん喋った!? わたし、初めて声聞いたんだけど! きゃわいいー! きゃわいいから、お酒頼んじゃおー! すみませぇーん! 可愛い店員さーん!」
思わず声を出してしまった綴は、恥ずかしそうに僕に身を寄せて縮こまった。ちーちゃんはそんなことなどお構いなしに可愛い可愛いと囃し立て、なぜか更にアルコールをテーブルに並べる。
この人とは知り合って七年になるが、綴の声を聞いたことがなかったのか。うちの姉がいかに人見知りか、再認識させられる。
……それはさて置き。
今日はこのまま、新しい服を買いに行こう。
渚が可愛いと言うような、そんな服を。
◆
ゴールデンウィーク初日の昼下がり。
その日俺は、万川と買い物に出ていた。
「いやー、助かったよ万川。ああいう店、一人だと入りづらくてさ」
「別に構わねえよ。幼馴染さんたちへのプレゼント、いいの買えてよかったじゃねえか」
「本当にありがとう。お礼に飯でも奢るけど、何がいい?」
「それってつまり、九城が破産するまで食ってもいいってことか?」
「何でだよ!?」
「あー、回らない寿司が食いてぇ気分だな。メニューが全部時価のとこじゃねえと爆発して死ぬ」
「勝手に死んでろ。回転寿司行くぞ」
「五皿食ったらガチャガチャ回せるとこな」
「はいはい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます