第11話 命令ちょーだい


「私たちに……なに、させたいの……?」


 綴はシャツのボタンを上から二つ外して、湿り気を帯びた息を吐いた。

 艶やかな表情があまりにも目に毒で、ふっと視線を逸らす。その先で待ち受けていた響は、ギシッとベッドを鳴らしながら四つん這いでこちらに迫って来る。


「……僕たち、何でもするよ?」


 オーバーサイズのTシャツ。襟ぐりがゆるゆるなのと体勢のせいで、シンプルなグレーの下着と胸元が丸見えになっていた。


 右に赤い眼光、左に青い眼光。

 どちらも飢えた獣のような目をしており、俺を見つめて口角を上げる。


「「渚」」


 二つの声が重なり、同時に俺の太ももに手を置く。



「「早く命令、ちょーだい?」」



 ニヤリと覗かせた白い歯。

 呼吸するたび、二人が放つ妖しい色気が肺に溜まる。


 ――どうしてこうなった。


 後悔しながら、俺は数時間前のことを思い返す。




 ◆




 四月も半ばを過ぎて、昼夜問わず随分と暖かくなった。


「……あいつら、これ好きだったよな」

 

 午後六時過ぎ。

 大学が終わった俺は、家に帰る前にスーパーで買い物をしていた。


 ルームシェアを開始して約二週間。

 響が全快した直後から彼女たちの仕事が急に忙しくなり、まともに一緒に食事もとれない日々が続いていた。


 だが、今日明日は休みを取るらしく、夜通し遊ぼうという話になった。

 早速今夜、先延ばしにしていたマリカー大会を開催する。ゲームにはジュースとスナック菓子が欠かせないため、せっせとカゴに詰めて会計を済ます。


 それにしても、ゲームなんて久しぶりにやるな。


 中高の頃は勉強漬けの毎日。

 身体の悪い婆ちゃんと二人暮らしだったのもあり、空いた時間は基本的に婆ちゃんの世話に使っていた。流石に婆ちゃんが死んだ時は勉強をしなかったが、それ以外の日はインフルエンザに罹っていても最低六時間は机に向かっていた。


 あー、楽しみだ。もう大人なのに、友達とゲームができるからって頬が緩む。


「ただいまー」

「あ、おかえり! 待ってたよ、早く来てっ!」


 玄関の扉を開くと、綴の部屋の前に響が立っていた。

 もしかして、俺が帰って来るのをずっとそこで待っていたのか? 自分のことを棚に上げて言うのも何だけど、ゲームくらいではしゃぎ過ぎだろ。


「靴脱ぐの遅い! 見てみて! ほら!」

「わかったわかった。落ち着けって」


 やたらハイテンションな響に半ば引きずられながら、なぜか綴の部屋に案内された。


 マリカー大会するんじゃないのか? と疑問に思った、その瞬間――。

 目に飛び込んできたものに絶句し、手に持っていた買い物袋をドサッと落とす。


「な、何だこれ……!?」


 これまでに何度か、掃除のため綴の部屋に入ったことはあった。


 ドン・キホーテの如く雑然とした響の部屋と違い、綴の部屋はアップルストアのように度を越してシンプル。必要最低限の家具と家電、そして仕事用の楽器しか置いておらず、まるで生活感がない。


 ……だったはずが、一体これはどういう冗談だ。


 PCや楽器などの仕事道具の一切が撤去され、シングルベッドもどこかへ行ってしまった。

 代わりに部屋の大部分を占めるのは、二台のダブルベッド。天井にはプロジェクターが設置されており、壁にゲームの画面を映し出している。


 広々としたベッドの上でくつろぐ綴と、子供のようにベッドに飛び込む響。

 二人はこちらを向いて、へへっとしたり顔で微笑む。


「前に三人で寝た時さ、渚、このベッドじゃ狭過ぎるからもう一緒に寝ないって言ってたでしょ?」

「だから……こ、これくらい広かったら、また三人で寝られるかなって……」

「綴さ、三人で寝た次の日に買いに行ったんだって! 行動力やばくない!?」

「仕事中に、お、思いついて。寸法測るのに、一旦……か、帰ってたの……」


 俺が頭からコーヒーを被った日。

 響と病院から帰宅し、エレベーターを出たところで綴と鉢合わせした。なぜ一度帰宅したのか聞いた際、彼女は内緒と言っていたが、なるほどそういうことだったのか。


 ……綴が時たまエキセントリックなことをするのは知っていたが、まさかここまでとは。

 何だよこれ。もう元の部屋の面影もないぞ。


「……綴の部屋だし好きにすればいいけど、元あった荷物はどうしたんだ?」

「全部……ひ、響の部屋に、移した」

「実家じゃずっと二人でひと部屋だったし、元に戻っただけだよ。僕の部屋のベッドも撤去して、仕事部屋にしちゃった」

「じゃあここを寝室にして、二人で寝るってことか?」

「「二人で?」」


 青と赤の瞳がぱちりと瞬いて、俺を映した。

 視線の意図は理解できる。だからこそ、俺は買い物袋を拾ってそそくさとリビングへ急ぐ。……が、「待ってよ」と響に腕を掴まれ、仕方なく足を止める。


「さ、さっきの話……聞いてた? 渚も、こ、ここで……寝るんだよ?」

「いやいや、それは流石にダメだって!」

「僕たちがまた一緒に寝てくれるか聞いた時、『もう勝手にしてくれ』って言ったよね? 約束破るの?」

「あんなの約束でも何でもないだろ!?」


 二人を幸せにしたいとは思うが、それは別に全てにおいた言いなりになるわけではない。


 俺だって人間で、ごく普通の一般的な男だ。

 毎晩両サイドに魅力的な異性がいて、いつまで理性が持つかわからない。


 寝相が悪くて触ってしまう、というケースだってあり得る。

 望まれるがまま動いて、最終的に不幸にしてしまっては笑い話にもならない。


「……渚も使う、と思って、た、高かいの買ったのに……」


 ポツリと落ちた綴の声に、俺は唾を呑んだ。

 光沢のある黒のベッドフレーム。マットレスもホテルのベッドのように分厚く、高級感が漂っている。


 それを二台もとなると、相当かかっただろう。

 少なくとも、今の俺がポンと出せる額でないことは理解できる。


「あーあ。渚、ひどーい。綴のこと泣かせちゃった」

「は? 別に泣いて――」

「うっ……ぅう、ぐすっ、えっぐ……」

「何でだよ! 今の今まで普通にしてただろ!?」


 途端に俯く綴。何がどうなっているのかわからないが、ボタボタと涙が零れ膝の上を濡らしてゆく。

 

 ダメだろ、それは。泣くのは反則だ。

 こうなっては流石にどうしようもなく、俺はドッと息をついてうな垂れる。


「……もうわかった、わかったよ。一緒に寝るから、泣き止んでくれ」

「「ほんと?」」

「本当だって……って、泣く止むの早くないか!?」


 言うと、綴は手の中から濡れた脱脂綿を出した。

 さっき膝の上に落ちた液体は涙ではなく、脱脂綿から絞り出した水だったらしい。


 ……こいつら、俺が断ることを予想して、最初から泣き落とし作戦に持っていくつもりだったのか。 


「準備しておいてよかったね、綴」

「ねっ、響」

「……」


 ハイタッチをしながら、ニッと白い歯を覗かせる悪知恵姉妹。

 これ以上続けて本当に泣かれても困るため、俺は喉元まで出かかった文句を飲み込み、気を取り直してリビングへ向かった。

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