第9話 たべてしまえ
喫茶店に到着し、俺はコーヒー、響はパンケーキを注文した。
先に届いたのはコーヒー。一口飲もうと手を伸ばすと、「ちょっと待って」と響に止められた。
「SNSに載せる写真欲しいから、僕が飲んでるとこ撮ってよ」
「いいけど、響、コーヒー飲めたっけ?」
「飲むフリだよ、フリ。クールなキャラで売ってるからさ。優雅にコーヒーを嗜む僕を、ファンは求めてるってわけ」
俺のコーヒーと響のスマホを交換し、パシャリと写真を撮った。
スイーツ大好きで苦いものなど一切受け付けない響が、コーヒーを手にドヤ顔をしている様はかなり面白い。しかし、格好いいというのもまた事実で、出来過ぎなほど絵になっている。
「ありがとね。助かったよ」
「そりゃいいけど……大変だな、人気者って。歌うだけでも大仕事なのに、こんなことまでしなくちゃならないなんて」
「チヤホヤされるし楽しいよ。渚も何か写真載せてみたら?」
「俺の写真なんか誰も見ないだろ」
「三十万人くらいは見てくれると思うけど」
「何だよそれ、どっから出した数字だ」
「え? 気づいてないの?」
話が噛み合わず、お互いに首を傾げた。
「僕と綴がネットで活動始めた時、渚さ、SNSで僕たちの宣伝してくれてたでしょ? 中学卒業するくらいまで、毎日ずっと」
「あー、そんなこともあったな。それくらいしか手伝えなかったし」
ちなみに高校に入った段階でやめたのは、もう必要がないと思ったからだ。
当時既に、二人が運営するチャンネルは登録者三十万人にのぼっていた。ここまで伸びると、俺がせっせと拡散するまでもない。
「だからファンの人たち、渚のこと超最古参のファンだと思ってるんだ。実際、僕と綴がSNSでフォローしてるアカウントって渚のだけだし。ちょっと見てみなよ、すごいことになってるから」
「えっ?」
急いでスマホを開き、当時のアカウントにログインした。
な、何だこれ……。
フォロワー数、三十万。
さ、三十万? 三十万って何だ……百の三千倍で、千の三百倍ってことだよな?
だ、ダメだ。
数が多過ぎて脳みそが受け付けない。
一旦落ち着こう。
……しかし、すごいな。
「Amazoraを見つけてくれてありがとう」「二人を支えてくれてありがとう」等のリプが無数に並んでおり、同じような内容のDMが数えきれないほど届いている。
「通知が多過ぎて、スマホフリーズしたんだけど……」
「あはは、仕方ないよ。ファンの聖地みたいになってるっぽくてさ。よかったじゃん渚、有名人だよ」
確かにフォロワー三十万は驚異的な数字だが、これは響と綴の頑張りによって得たものだ。他人の努力のおこぼれで喜ぶのは難しい。
というか、何でもない俺にここまでの数字が舞い込むとか、Amazoraの影響力はどうなってるんだ。俺に良識がなかったら、たぶん変な勘違いしてたぞ。
二人のすごさを再認識したところで、注文したパンケーキが届いた。
それはフルーツとクリームでこれでもかと彩られており、見ているだけでお腹いっぱいになる代物。響は「わーっ」と黄色い声を漏らし、目をキラキラと輝かせる。
「いただきまーす!」
丁寧に手を合わせて、ナイフとフォークを使い一口分切り取る。
一口にしては大き過ぎるそれを思い切り頬張り、もぐもぐと咀嚼。そして蕩けるような笑顔。一連の流れがあまりにも可愛過ぎて、俺は余計なことを忘れて破顔する。
「美味いか?」
「ふごひおいひぃーよ!」
「そっか」
はむはむ。ばくばく。
気持ちのいい食べっぷりに、こっちまで腹が膨れてきた。
こんな風に食べてくれるなら、パンケーキの作り方も勉強しておこうかな。綴も好きだろうし。これを機に、お菓子作り自体を学ぶのも面白い。今度、レシピ本を買ってみよう。
「いらっしゃいませ。お好きな席におかけくださーい」
カランコロンと扉に付いた鈴が鳴り、店員の声で誰かが入って来たのだとわかった。
何の気なしに出入り口へ目をやると、そこにいたのは同年代くらいの二人組の女性。うち一人と目が合い、その視線は俺の向かいでパンケーキを搔っ食らう銀髪美少女に流れる。
……もしかして、バレたのか?
二人はコソコソと話しながら、響を見ていた。
そして意を決したような顔で歩き出し、わざわざ俺たちに隣に座る。響も少し妙だと思ったのか、急いで口を拭ってよそ行き用の凛とした無表情を作る。
「あ、あの……」
女性の一人が、おずおずと響に声をかけた。
響は演出のためか、わざわざ足を組み「ん?」とキメ顔で首を傾げる。
「一之瀬さん……ですよね? ほら、小学校で一緒だった」
「……えっ?」
急拵えしたHibikiとしての顔が、女性の言葉で一瞬にして崩れた。途端に響は青白い顔になり、僅かに仰け反りながら浅く呼吸する。
俺もそれを聞きピンと来て、なぜ二人が話しかけて来たのか理解する。と同時に、腹の内側で沸々と怒りが熱を上げ、それを冷ますように水を飲み干す。
「覚えてない、ですか? 三年生の時に同じクラスだった、三宅と倉持ですけど……」
「私たち、ずっと一之瀬さんの活躍見てて……! で、その……いつか会えたら、謝りたいなぁって思ってて……!」
怯えていることを悟られないよう、全力で歯を食いしばる響。
それとは対照的に、二人はどこか晴れやかな、春の陽気じみた爽やかな口ぶりで言う。
「……あの頃は、本当にごめんなさい。一之瀬さんのこと……い、
一瞬、響が俺のことを見た。
その目はあの頃と同じ、諦めと悲しみが織り混ざった、暗く沈んだ色をしていた。
◆
今から十年近く前。
それは、ちょっとした風邪のような症状から始まった。
何となく声が出にくい。
そんな違和感がいつまでたっても拭えず、ついには声自体が出なくなり、喉の病気だとわかった。
ずっと歌うのが好きで歌手を夢見ていた僕が、よりにもよって。
最初は絶望したが、手術は無事成功。
これでまた歌える――と、そう思っていた。
再び声を出すまでは。
それは、ガラガラでガサガサで。
小学生のものとは思えない、化け物のような声だった。
日本人離れした見た目のせいで元々良くも悪くも目立っていた僕は、声が決定的な要因となりいじめられた。
酷いあだ名を付けられ、物を隠され、叩かれ……。
消えてしまいたくなるほど毎日が苦痛で、今でも風邪をひくと当時の記憶がフラッシュバックする。また声が出なくなるのではないか、またいじめられるのではないか。冷たい不安に責め立てられ、どうしようもなくなる。
「ご、ごめんなさい! あの時は、本当に酷いことをしちゃって……!」
三宅と名乗る女性は、申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
Amazoraとして活動する中で、前にも一度、ライブ後に出待ちされ直接謝られたことがある。
心の底から悔やんでいるのか、僕が有名人になったからいじめっ子として晒されるのを恐れたのか、それはわからない。
どちらにしても、僕はその人を許した。
別に許したくて許したわけじゃない。
ぶっちゃけ、くたばれクソが、と思っている。
そう口にできなかったのは、単純に怖かったからだ。
許さなかったら、また何かされるのではないか。
やっと掴み取ったものを、一切合切ぶち壊されるのではないか。
そんな不安に襲われ、あの時は許してしまった。
許す以外に、何もできなかった。
「私もごめん! 軽い気持ちで酷いこと、いっぱいしちゃったよね。あの頃は何て言うか、私もおかしかったっていうかさ……」
と、倉持は言う。
彼女のことはよく覚えている。
僕の給食にゴミを入れたり、靴を校庭に捨てたりと、石を投げて来たりと、毎日しつこく僕を痛めつけて楽しんでいた。
二人とも見てくれはどこにでもいる同年代の若者だが、僕の目には恐ろしい怪物に映る。
Hibikiとしての顔を維持するので精一杯で、冷や汗は止まらないのに声は出ない。
「あの……本当の本当に、ごめんなさいっ。こんなこと、謝って許されることじゃないと思うけど……」
口ではそう言うが、許しが欲しいと、三宅の顔には書いてあった。
倉持も同じで、心なしか僕を睨んでいるような気がする。いつまで黙ってるんだよこいつ、と言いたげに。
怖い。
怖くて仕方がない。
酷く喉が渇いて、上手く息ができない。
落ち着こう。早く落ち着かないと。
変なところを見られて、Amazoraの看板に汚すのは不本意だ。
一緒に頑張ってきた綴と、ずっと支えてくれた渚に迷惑をかけたくない。
別に気にしてないよ――と、ただそう言うだけでいい。
それで全てが丸く収まる。
たった一言だけ。
過ぎたことを一つ、忘れるだけ。
小さく深呼吸し、無理やり笑みを作って二人を見た。
震える唇を一瞬噛んで鞭を入れ、ふっと息を吸い込む。
――その瞬間。
渚は熱々のコーヒーが入ったカップを持ち上げて。
迷わずその中身を、自分の頭にぶちまけた。
「きゃっ!!」
倉持の悲鳴が店内に響き渡り、三宅と僕は大きく目を剥きながら渚を見た。
「汚れちゃったんで帰ります。それでは、失礼します」
花に語りかけるような柔らかな表情で言って、僕の手を取り立ち上がった。
一部始終を見て呆然としていたレジ前の店員に、「ご迷惑おかけしてすみません。おつりは清掃費にあててください」と三万円を払い店をあとにする。
足早に人ごみを切り抜け、マンションのエントランスに到着。
エレベーターのボタンを押したところで、彼は溜まっていたものを吐き出すように息をつく。
「いきなり走ったりしてごめんな。足とか挫いてないか?」
「い、いやいや! 僕より自分のことを心配しなよ! 火傷とかしてない!?」
「たぶん大丈夫だろ」
「たぶんじゃダメだって! びょ、病院に行かなきゃ――」
「落ち着けって。本当に平気だから」
そうは言うが、よく見ると顔の一部が赤くなっている。
明らかに大丈夫ではない。
「な、何で逃げたの……? せっかく二人共、謝ってくれたのに……」
「だって響、あいつらのこと本心から許すつもりじゃなかっただろ」
「……っ」
「どう見ても、嫌なこと思い出して怖がってたし。それに謝罪を突っぱねて、俺とか綴に迷惑かけたくないとか思ってたんじゃないか?」
頭の先からつま先まで全て読まれており、僕は息を呑んだ。
渚は僕の顔に手を伸ばし、緊張から解放されたせいかいつの間にか滲んでいた涙の粒を指で拭う。
「正直あいつらをぶん殴ってやりたかったけど、そんなことしたってメリットないだろ。でも話し合ったって響に得ないし、普通に黙って逃げて追いかけられても困るし。だから、俺がヤバイ奴を演じれば呼び止められず帰れると思ったんだ。……今考えると、もうちょっとやりようあった気がするけど」
と、ため息混じりに微笑み。
視線を逸らし、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「響が形だけでも謝罪を受け入れたかったっていうなら、本当に悪いことした。……ただ俺、我慢できなかったんだよ」
ギリッと奥歯を噛み締める。
おそらくまだあの喫茶店にいる、二人を威嚇するように。
「響が死ぬ気でリハビリしてまた歌えるようになって、死ぬ気で頑張って有名になったから、あいつらいじめてたこと思い出して後悔したんだろ。どうせ忘れてたことを、響のおかげで思い出したんだ。……だったら、謝って楽になろうとするなよって思った。俺の親友を傷つけたんだから、一生モヤモヤしてろよって。許すなんて余計な努力を、響にさせたくなかった」
「ごめんな、ワガママで」と自嘲気味に笑い、濡れた前髪を掻き上げた。
額に刻まれた、小さな傷痕。
いじめられていた僕を庇い、コンクリート片をぶつけられてできたものだ。
彼はいつだってそう。
昔から少しも変わらない。
僕のことを一番に考えてくれて、どんな時だって守ってくれる。
そういう人だから、好きになったし。
そういう人だから、いまだに初恋を引きずっている。
たぶん、これからも、ずっと。
死ぬまで、ずっと。
この気持ちは変わらない。
……ダメだ。どうしよう、これ。
好きで。
好きで。
好きで。
今にも爆発しそうだ。
昨日、綴に段階を踏もうと言ったばかりなのに。
抜け駆けだと注意を受けたばかりなのに。
息が切れて、心臓の鼓動が駆け足になる。
彼が欲しくて、欲しくて、欲しくて。
胸の内側で、甘い火花が散る。
燃える衝動が、理性を押しのけて前に出る。
――渚をたべてしまえ、と。
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