第3話 してもない二股に公認もらった


「お、おい、大丈夫かよ九城……」

「……あぁ」

「顔色がやべぇぞ。どうした、具合でも悪いのか?」

「……いや、別に……」

「よしわかった。いっちょ気合注入してやんよ」

「それはいらな――ぶへぇっ!?」


 一之瀬兄弟――いや、一之瀬姉妹が引っ越して来た、翌日のこと。


 大学の食堂で昼食をとっていた俺は、友人の万川よろずがわはなに思い切り背中を叩かれた。


 彼女とは中学からの仲で、高校まで一緒。高校卒業後、俺は諸事情により一年家に留まったが、こうして同じ大学に入り再開した。


 何だかんだ、響と綴の次に付き合いが長い。

 所謂腐れ縁である。


 セミロングの茶髪、ゆったりとしたニットに黒のワイドパンツと、見た目は日本全国に百万人はいそうな可愛らしい女子大生。ただ遺伝子がゴリラに近いのか、異様に力が強い。目で確認したわけではないが、きっと今俺の背中には彼女の手形がくっきりと刻まれているだろう。


 ……まあ、おかげで鬱屈とした気分が、いくらか吹き飛んだが。


「んで、どうした? 気になるから話してみろよ」

「いや、お前に話しても……」

「口割んねぇなら、次はグーでいくぞ」

「傍若無人過ぎるだろ!?」


 そこらの男よりもよっぽどガサツな万川。

 しかも彼女はただ力が強いだけでなく、あらゆる武術、格闘技を習得している。俺に護身術を教えてくれたのもこいつだ。


 そんなゴリラにグーで殴られたらどうなるかなど、想像もしたくない。


「……話してもいいけど笑うなよ。マジで悩んでるんだから」

「わかってるって。ほれほれ、言ってみろよ」


 と言って俺の肩に腕を回し、ガハガハと酔っ払ったオヤジのように笑って見せた。


 俺は小さく嘆息して、昨晩の出来事を話す。

 最初はニコニコとしていた万川だが、段々と雲行きが怪しくなっていき、最終的にはがっくりとうなだれる。


「九城……それはやべぇよ。笑えねぇって、幼馴染さんたちが気の毒過ぎて」

「だよなぁ……失礼にも程があるよなぁ……」


 頬に手をやり、昨晩響に殴られたことを思い出す。

 肉体的な痛みはなかったが、心にズガンと衝撃が走った。あの時の響の顔……あの、怒りと悔しさが入り混じった顔。あれが頭から離れず、自分のバカさ加減に死にたくなる。


 綴は黙っていたが、あいつが喋らないのはいつものこと。

 ああ見えて、響より感情豊かだ。きっと腹の中で、マグマのように怒りを煮え滾らせ、俺への殺意で満ち満ちていたに違いない。


「ってか、何をどうやったらそんな勘違いが起こるんだよ。小学校まで一緒だったなら、普通は制服とかで気づくだろ?」

「……うちの小学校、私服だったんだ。あいつら二人とも、スカートとか一切穿かなかったし……」

「中高の制服も見たことねえのか?」

「中学は見てないな。高校の制服は写真で見たことあるけど、あいつら、普通にズボン穿いてた」

「スカートじゃなくてもいいとこあるもんな。じゃあ喉仏は? あるか無いかで気づくだろ?」

「……見て、ませんでした」

「バカかお前は」


 万川のゴミを見るような目が痛い。


 今記憶を辿ると、どうしてあの時気づかなかったのだろう、という場面が無数にある。


 にも関わらず、昨日まで勘違いを続けていた。

 生まれてから小学校を卒業するまでの十二年間、ずっと一緒だったのに。中学に入って昨日に至るまでの八年間も、毎日連絡を取っていたのに。


「……どうしたら許してくれると思う? 万川が二人の立場だったら、俺にどうして欲しい?」

「アタシに聞いたって仕方ねえだろ。そんなこともわかってなかったのかって向こうはショック受けてるだろうし、腹決めて話し合う以外ねえよ。小手先でどうこうしようとすんな」


 これ以上ないほどのド正論に、俺は閉口するほかなかった。

 万川は乱暴でガサツだが、そこらの男より万倍は男前だ。こいつが俺の立場なら、迷わず二人と腰を据えて話し合うのだろう。


 ……だが俺は、弱い人間だ。

 今朝は顔を合わすのが怖くて挨拶もせず出てきたし、正直、今日は家に帰りたくない。


 二人は俺にとって幼馴染で親友だが、同時にだ。今こうして呑気に大学生をやれているのは、彼女たちのおかげに他ならない。そんな人たちだからこそ、会って話して、また怒られて、お前なんか絶交だと言われるのではと怯えている。


「ってか、幼馴染さんたちの親御さんはどう思ってんだ?」

「……えっ?」

「いやだから、親御さんからすりゃ大事な娘二人が男の家で寝泊まりするって結構な事件だろ。いくら長い付き合いだからって、心配してないわけねえよ」


 二人をルームシェアに誘うにあたって、向こうの親とは話していなかった。

 成人した男同士のことなのだから、響と綴が納得していれば特に問題ないと思っていたからだ。


 しかし、そもそも二人は女の子だったわけで……。

 その前提が崩れた今、彼女たちの実家に何の断りも入れていないのはとてつもなく失礼なのではないか。額にジワリと冷たい汗が浮かび、俺はすぐさまスマホを取り出す。


「……あ、あの、もしもし。渚ですけど……」

『あー、渚君! 久しぶり、どうしたの?』


 実家に電話すると、出たのはおばさん――二人のお母さんだった。


「今更なんですが……そちらに許可を取らず、む、娘さんたちをルームシェアに誘ってしまって、本当に申し訳ありません……」

『そんなことで電話してきたの? もぅ、いいのよー! 全然気にしてないわ!』

「あ、ありがとうございま――」

『それよりおばさん、ビックリしちゃった。渚君ってその……お、大人しい感じの子だったじゃない?』

「大人しい? ……な、何の話ですか?」

『綴を助けてくれた時みたいに、たまにすごいことしちゃうけど……いやまさか、二人ともモノにしちゃうとはね……』

「……は、はい?」


 モノにしちゃう?

 何だそれ。何をどうモノにしたんだ、俺?


『世間の目とか色々あると思うけど、あの子たちの親として、私は応援してるから! 渚君なら安心して任せられるし!』

「あの、さっきから何を――」

『早く孫の顔が見たいわぁ。子供ができたらすぐ教えて! おばさん、何でも買ってあげちゃうから!』

「……」

『きゃー、楽しみ! じゃあね! 二人のこと、お願いね!』


 ブツ。

 ツーッ、ツーッ。


 一方的に電話を切られ、俺はスマホをテーブルに置いてうなだれた。向こうの声が聞こえていたようで、万川は優しく俺の肩を叩く。


「何か俺、二人と付き合ってることになってるんだけど……? してもない二股に公認もらったんだけど……?」

「よ、よかったじゃねえか。理解ある親御さんで」

「いいわけあるか! どうするんだよ、これ!? 自分の親まで妙な勘違いしてるってあいつらに知られたら、絶対縁切られるぞ!」


 今日何度目になるかわからない、大きなため息をつく。


「精一杯好意的に解釈すると、親が怒ってなかったのは不幸中の幸いじゃねえか? 幼馴染さんたちがよくても、親がまずかったら一方的に関係を打ち切られてたかもしれねえんだしよ」

「それは、まあ、そうだな……」

「とにかく謝れ。幼馴染さんたちの言うことは全部聞け。話はそれからだ」

「……うん、そうする」

「許してもらえなかった時は、焼肉でも行こうぜ。アタシが奢るから」

「お前、実は結構優しいよな」

「惚れてもいいぞ?」

「生まれ変わったら考えてみるよ」

「……」


 なぜか殴られた。




 ◆




 時刻は午後九時過ぎ。


 どう謝罪しようかファミレスにこもって考えているうちに、かなり時間が経ってしまった。

 焼け石に水かもしれないが、二人の好物であるモンブランを手土産に玄関の扉を開く。


「た、ただいまー……」


 声をひそめて中に入る。

 まさか自分の家に帰るのに、ここまで緊張する日が来るとは思わなかった。


「……おかえり」

「お、おかえり、なさい……」


 数メートルの廊下を抜けた先のリビング。

 その扉を僅かに開いて、響と綴がそっと顔を出す。


 じとりと湿った青いの瞳と赤い瞳。あの目は間違いなく、不機嫌な目だ。

 ……昨日あんなことがあった上に、帰りが遅くなったんだから当然か。


「昨日は本当に悪かった! これ……お詫びってわけでも、こんなので誤魔化そうってわけでもないんだけど、モンブラン買って来たんだ。あとで一緒に食べないか?」


 これ以上機嫌を損ねないよう、慎重に、抜き足差し足で、彼女たちの心に歩み寄る。

 響は数秒考え込み、「んっ」と小さく頷いた。


 よし、家に入る許可はもらったぞ。

 あとは席に着いて、向かい合って、誠心誠意謝罪しよう。そのための心の準備は十分にしてきた。


 ――と、靴を脱ぎかけて。


 ギィと扉を開き、二人がリビングから出てきた。

 その姿に目を見張り、あまりの衝撃に頭の中にあった謝罪文が爆散する。


「帰りが遅くなるなら、早めに連絡してよ」

「ば、晩御飯……二人で食べちゃうところ、だ、だったよ……?」


 フンと虚勢丸出しの笑みを浮かべて、腰に手を当て軽くポーズを取る響。

 綴は羞恥に顔を染めつつも、すらりと長い体躯を強調するように手を後ろへ回して背筋を伸ばす。


 二人が着ていたのは、美しい飾りが施されたネグリジェだった。

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