第4話 俺の理性が死ぬ

 二人が着ていたのは、美しい飾りが施されたネグリジェだった。


 響は白、綴は黒。


 布としての職務が何なのかわからないのか、それはあり得ないほど透けていた。

 そのため、ネグリジェと同色の妖艶なランジェリーが丸見え。普段ならメンズ系のファッションで隠されている女性的な部分が惜しげもなく晒されており、どこを見ればいいのかわからなくなる。


「な、何て格好してるんだよ!? 早く服を着ろ!」

「え? 嫌だけど?」

「はぁ!?」

「僕たち、家じゃいつもこの格好で過ごしてたし。そうだよね、綴?」

「う、うん。そう……そうだった、はず……」

「はずって何だよ、はずって!? わけのわからん嘘をつくな!!」


 情欲を煽ることに特化した衣装と、グラビアアイドルでも中々いないようなプロポーションに、正直俺は色々と限界だった。


 ぶっちゃけ興奮する。

 もっと見たい。ずっと見ていたい。網膜に焼き付けろ――と、本能が叫ぶ。


 しかし相手は、大切な幼馴染。

 そういう目を向けてはいけない。


 そもそも、女だとわかった瞬間に性欲丸出しの顔をするのは失礼極まりないことだ。


 鎮まれ煩悩。

 治まれもう一人の俺。


 万が一勃って嫌われた時は、容赦なく切り落とすからな。


「頼むから、普通の服を着てくれ! 一生のお願いだ!」


 必死に懇願すると、羞恥の混じった得意そうな顔をしていた響が、しゅんと萎れた花のように俯いた。

 美しい双眸を不安の色に染めて、捨てられた子犬を思わせる視線を俺に向ける。


「……見るに堪えないってこと? 僕たちって、そんなに魅力ないかな?」


 突然降ってきた気弱な声に、俺は凄まじい罪悪感に襲われた。


 だがしかし、状況自体は依然としてわけが分からないわけで……。

 罪悪感に負けて、そのままの格好でおっけー! と言っていいのかどうか。


「……っ……っ……っ!」


 フンスフンスと鼻息を荒げながら、綴が凄まじい勢いで迫って来た。


 家の中では髪を解くのか、今はトレードマークのマンバンヘアではない。

 至って普通の黒髪ロング。そのせいか女の子感が五割増しで、格好も相まって心臓が痛いほどに跳ねる。


「……み、見て」


 手を伸ばせば届く距離まで来て、こちらに鋭い視線を送った。

 俺は視覚情報を極限まで制限するため、目を瞑ったまま顔を横へ向ける。


「いや、だ、だから――」

「見てっ!」

「は、はい!」


 綴が珍しく声を荒げたせいか、身体が勝手に動き彼女を凝視した。


 長い睫毛に縁取られた真紅の瞳。興奮気味に浅く呼吸する、薄っすらと開いた口。

 そのまま視線は胸元の暗闇へと流れ落ちて行き、くびれた腰、健康的な太ももと順になぞる。……こういうのを着痩せ、というのだろうか。明らかに、昨日見た時よりスタイルがいい。


 欲しい――と、黒い感情が一滴落ちて、心の水面に小さな波を起こした。


 ダメだ。落ち着け、俺。

 首を横に振り、再び視線を逸らす。


「見なきゃ……だ、だめ」

「何でだよ。もういいだろっ」

「……な、渚が、悪いから……」


 理解できず、俺は眉を寄せた。

 確かに昨日の件は全面的に俺が悪者だが、今のあられもない姿を見るかどうかについて何の非があるのか。


「いつもこの格好っていうのは、う、嘘。ごめん、なさい……」

「あ、あぁ」

「これを着たのは……ちゃ、ちゃんと女の子だって、わかってもらおうと、思って……」

「いやそれは、もう十分にわかって――」

「二十年も……か、勘違いしてたし。そんな風に言われても、信用……で、できないっ」


 そう言って、両手を俺の肩に置いた。

 否が応でも視線を引き戻され、再び両の瞳は彼女を映す。綴は頬をこれでもかと染めて、ギュッと唇を噛み締める。


「ちゃんと見て、め、目に刻みつけてっ! 女の子だって意識して!」

「……っ! わ……わ、わかった。見る、見るよっ」


 彼女の必死の声と泣きそうな瞳に、俺は猛省した。


 長年勘違いしていた俺にどうにかわかって欲しくて、決行された作戦。

 二人にとって今の姿は、決して本意ではないだろう。にも拘らず俺が普通の服を着ろと騒げば、傷つけてしまうのは当然だ。


「ごめん、俺が悪かった。えっと、その……あ、あんまりにも綺麗だから、照れ臭くなったんだ。魅力がないとかそういうことは、一切ない」

「……ほんと?」


 後ろで立ち尽くしていた響が、雪を乗せたような髪を揺らしながら近づいて来た。


 綴と並び、俺を見上げた。

 垂涎ものの光景に、パキッと理性に僅かな亀裂が入った。……だが、もう騒がない。目を背けない。心を鋼にして、彼女のたちのため、しっかりとその姿を知覚する。


「本当だって。俺がお前たちに嘘ついたことなんて……え、えーっと、そんなに沢山はないだろ?」


 二人は息ピッタリに顔を見合わせて、コクコクと頷き合った。

 自信を取り戻したのか、響は嬉しそうに口角を上げて半歩前に出て、俺の服の裾を摘む。


「じゃあ、可愛い?」

「えっ……? あ、あぁ」

「あぁ? 何それ、ちゃんと言ってくれなきゃわからないよ」


 さっきとは打って変わって強気な笑み。俺は吹き出しそうな歓喜の絶叫をどうにか噛み砕き、飲み込み、クールな笑顔を浮かべる。


「か、可愛い……! すごく可愛いぞ!」

「えへへっ、そーでしょ。知ってるぅ」


 ご主人様を前にした柴犬のような表情の響。

 そんな彼女を見て、綴もまた半歩前に出て服の裾を掴む。震える瞳で俺を見上げ、フンッと荒い鼻息を漏らす。


「つ、綴も可愛いぞ。本当に見違えたっていうか……何で俺は勘違いしてたんだろうって、マジで反省した。可愛すぎて」

「そっか……え、えへぇ、そっかぁ……♡」


 別に嘘はついていない。

 全て正真正銘、心の底からの本音だ。


 ただ異性の容姿を褒める機会などほぼないため、慣れないことをして背中が汗でぐっしょりと濡れている。恥ずかしくて堪らないことが透けているようで、「照れすぎーっ」と響が俺の脇腹を小突く。


「そこまで言うなら、今夜はこれ、ずっと着ててあげる」

「いや、それは――」

「う、嬉しく……ない、の……?」

「あっ、いや、嬉しい! やったー! 嬉しいなぁー!」


 一瞬、二人の顔に陰が差した。

 俺はそれを感じ取り、すぐさま方向転換する。


「へへっ。じゃあ明日も明後日も、毎日着てあげよっかな」

「べ、別の、買いに行こっ。もっと……も、もっと、可愛いの」

「……」


 勘弁してくれ。

 俺の理性が死ぬ。

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