第5話 重婚いけるよ
お詫びの印に寿司の出前でもとろうと思っていたが、二人が駅前のデパ地下で総菜を買って来てくれていた。
テーブルに色とりどりのおかずを並べて、夕食をとる。
引っ越してきて、三人での初めての食事。……なのに、俺はまったく集中できていなかった。目の前の下着姿の美女二人が、あまりにも刺激的過ぎて。
「な、なあ……」
二人の胃袋がいくらか満たされたところを見計らい、俺は重たい口を開いた。
「昨日は……ってか、今まで本当に悪かった。性別を間違えるなんて、幼馴染失格だ。何でもするから、どうか許してくれ……!」
下着姿で出迎えられたせいで何となく有耶無耶になっていたが、このまま償いをせずに終わらせるのは違うと思った。
突然の謝罪の驚いたのだろう。
二人は顔を見合わせて、同時に首を傾げ……そしてなぜか、プッと笑みを漏らす。
「そんな真面目な顔しないでよ。もう怒ってないから」
「本当か……?」
「……過ぎたことは、しょ、しょうがないし」
二人の優しさに心底安堵し、少し目頭が熱くなった。
絶交されてもおかしくない勘違い。それをこんなにもあっさり、許してくれた。……俺、いい友達をもったな。一生大切にしなければと、改めて思う。
「――それでさ」
響は言って、蒼玉色の瞳をギラリと輝かせた。
「何でもする……って、ほんと?」
「え?」
「な、何でも、してくれるの……?」
「い、いや、それは許してくれるなら何でもするって意味で――」
「「じゃあ許さない」」
「お前ら本当に仲いいなぁ!?」
と、ツッコミを入れてみたが……。
まあ、ここは俺が折れるべきだよな。常識的に考えて。
本来ならば、腹を切って詫びるような失態だ。
許されたからといって、罪が消えるわけではない。俺にできることなら何でもするのが筋だろう。
「……何でもって、俺に何をして欲しいんだ?」
「んー……どうしよっか、綴」
「ど、どうしよっか、響」
「物理的に不可能なこととかはやめてくれよ」
綴はともかく、響なら「生身で空を飛べ!」とか言いそうだ。
いくら許しを得るためとはいえ、人間をやめることはできない。
「じゃ、じゃあ……具体的に、ど、どこまで大丈夫なの……?」
「へっ?」
そういう確認を綴からされるとは思わず、俺の口から間抜けな声が漏れた。
「どこまでって……綴が思いつくようなことは、大抵できると思うけど。お前は響と違って、深海まで行ってダイオウイカ捕まえて来いとか言うタイプじゃないし」
「もしかして、僕のことバカだと思ってる?」
ちなみに去年の誕生日、プレゼントにダイオウイカを捕まえて来いと響は確かに言った。
もちろん冗談だとあとから訂正されたが、あの時の声は明らかに本気だった。そういう意味不明な無茶ぶりを、彼女は平気でする。
「だったら、け、けっ……――」
け?
けって何だ?
「――結婚、とか」
俺と響は顔を見合わせた。
綴は顔を伏せつつも、前髪の切れ間から紅の瞳を覗かせて、俺のリアクションをうかがう。
「け、結婚……私、たちと……す、する?」
「……いや、あの、つ、綴? たちって、日本は重婚できないぞ?」
「じゃあ、じ、事実婚で……! それなら、じゅ、重婚、いけるっ!」
「どうした綴!? 大丈夫かお前、何か変なもんでも食ったのか!?」
俺のよく知る綴は、この手の意味不明なジョークは言わない。
わけが分からず困惑していると、「ちょ、ちょっと!」と響が声を荒げて、綴の腕を取りリビングの隅へ駆けて行く。
「意識して貰うのが先って言ったの、綴じゃん……! 何でいきなり王手しようとしてるわけ……!?」
「……何でもって言う、から……い、いいのかなって……」
「渚にも心の準備ってのがあるよ……! てか、いきなりそんなことになったら、お母さんビックリし過ぎて
「そ、そっか……」
「色々と段階を踏まなきゃ。とにかく、それは無し。他のにしよっ」
「……んっ」
俺に聞こえないよう声量を絞りつつ、響は必死に何かを訴えた。
綴は頷くも、その顔には不服の色が浮かんでいる。
「いやぁ、ごめんごめん。何か綴、場を和ませようとしたみたいでさ。渚が深刻な顔で謝ったりするからだよ」
「えっ? あぁ、そっか。ごめん、気を遣わせて」
「また謝った。もういいから、気にしないで」
「……わ、わかった」
「でも、何でもするってのは忘れないでね。約束だから」
少し不安だが、俺に頷く以外の選択肢はなかった。
ひとまず、これでいくらか食事に集中できる――と、箸を取ったところで。
重要なことを思い出し、ハッと目を剥く。
「実は、まだ話しておきたいことがあって……」
「え? まだあるの?」
「今日、おばさんに――二人のお母さんに電話したんだ。娘さんたちを勝手にルームシェアに誘ってすみませんって、謝るために」
「ふーん。怒ったりしてなかったでしょ?」
「それはそうなんだけど、何か向こうも勘違いしてるみたいで。おばさんの中で俺、二人と付き合ってることになってるんだよ」
「「え?」」
「してもない二股に公認もらって……は、早く孫の顔が見たいとか言われて……」
「「……」」
「誤解を晴らそうと思ってもう一回電話したんだけど、全然真面目に取り合ってくれなかったんだ。できれば、お前たちの方からも話してくれないか?」
フッと二人は視線を交わす。
綴の口元がへにょりと蕩け、響によく似た悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「……よ、よかったね、響。重婚、いけるよ」
「お母さんがいけるからって、渚はまだ無理だからね? そこのとこ、ちゃんとわかってるよね?」
「……ぶうーっ」
またしてもゴニョゴニョと内緒話。
綴は不服そうに視線を逸らし、響は「わかった!」と俺に向けて笑みを作る。
「今度、僕の方から言っとくよ。だから安心して」
「ありがとう、助かるよ。そ、それと……――」
「なに? まだあるの?」
「これで最後だから。……俺、つい昨日、お前らのことを女だって知っただろ? だから、もしかしたら今後、変な目で見ることがあると思うんだ」
「変な目って?」
「せ、性的な目だよ。実際今だって、そうならないようかなり我慢してるんだからな」
俺だって男の子だ。
眼前にセクシーなランジェリーを身に纏った美女がいれば、どうしたって興奮する。それは本能であり、宿命であり、理性で食い止めるには限界がある。
「二人は俺を安全な生き物だと思って引っ越して来てくれたんだろうけど、正直こうなった以上、不快な思いをさせるかもしれない。それは俺としても嫌なんだ。……だから俺、ここを引っ越すよ」
「「え?」」
「二人を追い出すわけにはいかないしな。ここに住むよう言ってくれた叔父さんには悪いけど、一応部屋の名義は俺になってるし、事情を話せばわかってくれると思う。だから早速明日、不動産屋に――」
言いかけたところで、テーブルの下で響が俺の足を蹴った。
脛に打撃を受け声を漏らすと、彼女は特大のため息を落とす。
「不快な思いって……あのさぁ、そういうこと気にするような女が、こんな格好で帰り待ってると思う?」
「い、いや、今回は状況が特殊だし。普通は嫌なんじゃないのか? そういう目で見られるのって……」
「嫌だよ。嫌だけど、渚は別なの」
「な、何で?」
理解できずに尋ねると、響は雪で化粧したような頬に熱を広げて、ふいっと目を逸らし綴を見た。
数秒の沈黙。
無言の中でも姉妹は目線を通じて何かを交わし、まったく同じタイミングで俺を見つめる。そして響は、固く結んでいた唇の紐を解く。
「渚には……そういう目で見て欲しいって、思ってるから」
独特なハスキーボイスによって編まれた、腹の底まで響く甘く痺れるような言葉。
口にして恥ずかしくなったのか、彼女は顔をより赤く染めて唇を噛み俯いた。それを横目に、今度は綴が口を開く。
「と……と、特別、なんだよ?」
「うん。そう、特別なの」
「……何がどう特別なんだ? 幼馴染だからか?」
「「それもある」」
「それもって、他に何があるんだよ」
「「自分で考えて」」
「お前ら本当に仲いいな」
ともあれ、自分で考えろと言われてはこれ以上追及できない。
「もーっ、話ばっかでお腹いっぱいになっちゃったよ! ご馳走様! 綴、渚、ゲームしよっ! 実家からマリカー持って来たから!」
「マリカー大会じゃー!」と威勢よく言って、自分の食器をシンクへ持って行く。ゲーム好きな綴もそれに追随し、フンフンと鼻息を荒げながらマリカー大会の準備に入る。
……まあ、いいか。
二人が問題視してないなら、俺が深く考えたって仕方がない。
とにかく、俺からは極力そういう目で見ないよう心がけよう。
二人は見て欲しいと言ったが、真意がわからない。下手なことをして、地雷でも踏んでは困る。
「マリカー大会はいいけど、お前ら、ずっとそんな格好してたら風邪ひくぞ。寒くないのか?」
「へーきへーき。僕、手洗いうがい完璧にしてるから! 病院だって定期的に行ってるもんね!」
「そっか。確かにバカは風邪ひかないって言うもんな」
「誰がバ――ぶへぇっくしょん!!」
けたたましいくしゃみがリビングにこだまし、俺と綴は彼女を見た。
響はテッシュで鼻水を拭い、うーんと難しそうに眉を寄せながら左右に軽く揺れ、そっと額に手を当てる。「あっ」と声を漏らして固まり、俺に真っ青な顔を向ける。
「ま、まさか……」
急いで立ち上がり、同じように額に手を当てた。
……熱い。
高熱とまではいかないが、確実に37度以上はある。
「……そんな格好してるからだぞ。それ、いつから着てるんだ?」
「渚がいつ帰って来てもいいように、お昼の三時くらいから……」
「そ、そんなに!?」
ほぼ半裸で六時間以上。そりゃ風邪もひく。
熱があると自覚した途端、響の表情からみるみる覇気が失せていった。
綴は慌てて部屋を出て行き、パーカーを持って戻って来る。それを響の肩にかけ、ソファに座らせる。
「ど、どど、どうしよう……! どう、しようっ、渚……っ!」
響の体調不良に対し、綴は過剰に取り乱す。
「落ち着け、綴。大丈夫、大丈夫だから。お前も早く暖かい格好に着替えた方がいいぞ」
「わ、わかった……!」
再びリビングを出て行った綴。
響は若干ぐったりとしており、その瞳は不安と後悔に揺れていた。
「響、明日仕事は?」
「……ある」
「休めそうか?」
「……綴に任せるから、たぶん大丈夫」
「わかった。じゃあ、今日はもう寝ろ。マリカー大会は今度な」
風邪薬を取りに行こうと、そっと響のそばを離れた。
すると、彼女の手が俺の服を掴む。簡単に振り払える、頼りない握力で。しかし、目だけは必死にこちらを見ながら。
「何でもする、ってやつ……」
「ん?」
「……今使うから、明日の病院付き合って。不安だから、一緒に行ってよ……」
響もまた、過去を思い出しているのだろう。
彼女は風邪を引くと、決まってこうなる。
中学の頃も、高校の頃も、何度か泣きながら電話をかけてきた。不安で心配で堪らなくて、余裕がなくなって、俺を頼る。
響の手を服からそっと外し、両の掌で包み込んだ。
彼女は安堵したように薄く口を開き、暗い感情で満たされていた双眸に僅かな光が灯る。
「何でもするなんてのを、こんなところで使うなよ。もったいないだろ。そんなのなくたって、今晩も明日も、明後日だって……完治するまで一緒にいるから」
「でも……渚、大学は?」
「気にするな。勉強より、響の方がずっと大事だし」
響と綴がいなければ、そもそも大学に通うことすら叶わなかっただろう。
だとしたら、何を優先すべきかなど一考の余地もない。
それにこれまでは、彼女が風邪を引いても電話やメッセージで弱音を聞くのが精一杯だった。
今なら、そばにいられる。
二人が俺にしてくれたことを、少しでも返すことができる。
「大体、俺の帰りが遅くなったから風邪ひいたみたいなもんだろ? だったら、俺が責任取るのは当たり前のことじゃないか?」
変に恩着せがましくなってもいけないと思い、極力おどけた感じで言って肩を叩いた。響は俺を一瞥し、口元に淡い笑みを浮かべて「そうだね」と呟く。
「じゃあ責任取って……今夜はずっと、そばにいてくれる?」
「俺が悪いんだから、それも仕方ないな」
「寝たら罰ゲームね」
「はいはい」
「僕、泣くから」
「そ、その罰は辛過ぎるから別のにしてくれ」
少し元気を取り戻した響は、「やだ」と白い歯を覗かせながら言った。
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