第7話 殺したいほど憎かった


 添い寝をお願いされた時、正直するべきかどうかかなり迷った。

 しかし響は病人で、その原因は帰りが遅くなった俺にもあるわけで。


 だから、彼女が望むならと実行したのだ。


 女の子の布団に入り、後ろから抱き締める。

 この上ないほど理性が悲鳴をあげていたが、これは治療の一環だと何とか心をなだめていたのに……。


「へ、へへぇ……渚、いい匂いだぁ……♡」


 砂糖を練乳で煮詰めたような声が、俺の耳を揺らした。

 背中に感じるやわらかいものが、破城槌が城門を破壊するが如く、脳内の冷静な部分に凄まじい衝撃を叩き込む。


「ちょ、綴!? 渚に何してるの!?」

「響が抜け駆けした分……わ、私も、渚を摂取、してるっ」

「摂取って、俺、ビタミンか何かなのか……?」


 そもそも、抜け駆けって何だ。

 何をどう響が抜け駆けしたっていうんだ。 


「渚の匂い……私、す、好きだよ」

「好きって、別に普通の匂いだと思うけど……」

「普通じゃ、ない。響は……普通、だと思ってるかも、だけど」

「はぁ!? ぼ、僕も普通じゃないと思ってるし! すっ……す、好きだし!」


 声を荒げて、もぞもぞと身体を動かす響。

 まさか、と戦慄する間もなく、彼女はこちらに顔を向ける。


 今までは後ろ姿だったから視覚的に安心だったが、こうなると話は別だ。

 雪の妖精を思わす髪に、宝石がはめ込まれたような青の瞳。暴力的なまでに整った顔が、吐息のかかる距離にある。後ろを向けば、蠱惑的な真紅の光を放つ双眸がこちらを覗いており、瞼の裏以外どこにも安全なところがない。


「僕も……す、好きだよ? 普通だと思ってないからね?」

「わ、私も、好きっ。ひ、響より、好きだから……っ」

「ぼ、僕の方が好き! 渚ならわかってくれるよね!?」

「あっ……あの、いや……その……」


 前門の虎、後門の狼。

 前から後ろから好き好きと連呼され、怒涛の勢いで理性が削られてゆく。


 一旦深呼吸だ。落ち着こう。焦ってはいけない。


 昔はたまに、こうやって三人で並んで昼寝をした。それを思い出して、二人はじゃれているだけだろう。そうでなければ、状況に説明がつかない。


「響、そろそろ寝ないと治るもんも治らないぞ。綴もちょっと離れてくれないか? ベッドから出たいんだけど」

「……や、やだ」

「え?」


 綴は俺の胸部に腕を回し、ギュッと抱き着いてきた。

 何とか言ってくれ、と目の前の響に視線で助けを求める。はふっと彼女は小さく息を漏らし、俺の脇腹に腕を回して胸に顔を埋める。


「どこ行くの? 僕、泣くよ……?」

「い、いやそれは、さっき冗談だって――」

「今回は本気だし。……どっか行ったら許さないから」

「そんなこと言われも……」

「渚……わ、私も泣く。どっか行っちゃ、やだっ」


 あり得ないようなやわらかさと、爽やかながら甘い匂いに挟まれ、頭がくらくらしてきた。


 「行かないで」「ここにいて」と甘美な声が脳を揺らす。

 こいつら俺に気があるのか、と妙な考えが頭を過ぎる。


 やめろやめろ、変な妄想をするな。


 引っ越して来て今日で二日目。

 慣れない環境に寂しさを感じて、センチメンタルになっているだけに違いない。気が弱ってる女の子に欲情するとか、いい加減にしろよ俺。クールに対応しろ、クールに。


「……わかった。どこにも行かない」

「「ほんと?」」

「本当だって、約束する。でも、今夜だけな? 幼馴染だからって、男女でこんなの絶対によくないし」

「「やだ」」

「何でだよ」


 せっかく話が丸く収まりそうだったのに。


「僕たちと寝るの、嫌い?」

「は? いや、嫌いとかじゃ……」

「わ、私たちのこと、き、嫌い……?」

「ちょっと待て。そんな話は――」

「「嫌い?」」

「……嫌いじゃ、ない、けど……」

「「嫌いじゃない?」」


 物欲しそうな青い瞳が俺を映す。

 後ろを見ると、何か合図でもあったかのように綴もまったく同じ目で俺を見ていた。


 これはもう、逃げられそうにない。


「……す、好きだよ、幼馴染として。二人がいなかったら……俺、生きてたかどうかも怪しいし。好きにならないわけがないだろ」


 下手に誤魔化して機嫌を損ねても面白くないため、精一杯の本音をぶつけた。

 響は頬を染め、綴は腕に力を込めて更に強く抱き着き、「僕も好き」「私も」と続ける。……幼馴染として、だよな? 変な意味じゃないよな?


「だったら、また一緒に寝てくれる?」

「私たちのこと、す、好きなら……当然、だよね……?」

「……もう勝手にしてくれ」


 この話し合いは、俺が折れない限り絶対に終わらないと悟った。

 二人は嬉しそうにコロコロと笑って、「さっさと寝ろよ」という俺の言葉にようやく大人しく従う。


 あと一回か二回、一緒に寝れば二人も飽きるだろう。

 それくらいなら付き合ってもいい。


「じゃ、おやすみ」


 少しでも気を抜けば悶々としかねない状況。

 本当は寝ないつもりでいたが、気を張ったまま朝まで耐えるのは辛い。そこで俺も、瞼を閉じて身体を眠気に託す。


 二人の体温は心地よく、また楽しかった子供の頃を思い出すおかげか、驚くほど快適に意識が落ちてゆく。


 もしかしたら、たまになら――。

 三人でこうやって寝るのも、悪くないのかもしれない。








「まだ六時か……」


 カーテンから僅かに覗く、白み始めた空。

 大人三人がセミダブルサイズのベッドで寝るのは無理があった。寝入りはよかったが、寝心地は最悪。二時間とちょっとくらいしか眠れていない。


 響と綴を起こさないよう、そーっと脱出した。

 どうにか成功し、二人を見おろす。


 いなくなった俺を探すように、二人は眠ったままうにょうにょと腕を伸ばした。

 しかし見つかるわけもなく、最後には諦めてお互い仲良く手を繋ぎ寝息を立てる。


「寝顔、昔と変わらないな」


 くすりと笑って、捲れ上がっていた布団をかけ直した。

 二人はもぞもぞと動いて、だらしない顔で同時に俺の名前を呼ぶ。……寝言までハモるとか、仲がいいにも程があるだろ。


「これから二人と、毎日一緒なんだよな……」


 昨日は色々と慌ただしくて落ち着く暇がなかったが、ようやく今その実感が湧いて来た。


 響の体調が全快したら、三人で新生活のお祝いをしよう。

 Amazoraのライブにも行きたいし、メジャーデビューも祝いたい。

 二十歳になったら皆で酒盛りもしたいし、せっかく車の免許を取ったから旅行に行くのもありだろう。あぁ、あとマリカー大会を忘れたら二人が怒るな。


 それにしても、おかしな話だ。


 一時期は二人のことが、

 そんな二人と、一緒に暮らす日が来るなんて。


 今となっては逆恨みも甚だしいなと笑ってしまうが、あの頃は心の底から二人がいなくなればいいと思っていたし、実際にそうなるよう行動にも移した。二人が消えてなくなれば、全てが上手くいくと本気で思い込んでいた。


 そう思うことで、どうにか心のバランスを取っていたのだろう。

 当時はそれくらい、色々とギリギリだったから。


 蓋を開けてみれば、何のことはない。

 結局、俺の手をずっと握ってくれていたのは響と綴だった。


 二人のために何ができるのか、もうずっと、十年以上考え続けている。

 勉強もそのために頑張ったし、大学もそれで選んだが、正直この道が正しいのかわからない。答えなんてどこにもないような気がする。


『け、結婚……私、たちと……す、する?』


 彼女たちが喜ぶことは何なのか。

 それについて思案していると、昨晩の綴の発言が脳裏を過ぎった。


 バカか俺は。

 ないない、あり得ない。


 二人にはもっと相応しい人がいる。少なくとも、二十年間も男だと勘違いしていた俺みたいな大間抜けにそんな席はない。


 第一、冗談を真に受けてどうする。


「朝食でも作っとくか」


 せっかく早起きしたのだ。今朝は少し豪勢にいこう。


 響には別に、消化にいいものを用意しなければ。

 綴も仕事だって言ってたし、弁当とか作ったら喜ぶかな。

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