会いたい



 帰ってから暫く彼は落ち着いた暮らしの中で生活していた。毎日のように姫のもとに赴き二人過ごす。騎士としての仕事も勤めるが、平和な今、そう気構えることも起きなかった。

「ファイレス。今日は一緒にお昼食べましょう」

「ええ」

「今日は珍しい海藻が手に入ったんですって。次女が凄く楽しそうにしてたの。私も今から楽しみなのよ」

「それは良かったですね」

「一緒に食べましょうね」

「はい。ありがとうございます」

 最近の姫はどんな事でも彼と一緒に行動しようとする。彼が仕事の時はさすがに遠慮するが、それ以外はべったりとくっついて彼の元から離れようとしなかった。最近では夜まで一緒ににいようとする始末だ。

それを面倒だとも窮屈だとも感じることはない。ただ、言いようもない罪悪感だけが募っていく。

姫は彼が地上にいるときライリーのそばにいたことも、彼女相手にポーアモアがなってしまったこともしらない。彼を慕い、彼が自分を裏切っているなど考えもしない。一途に彼を思いつづけている。だけど何処かで不安を感じている。何かが彼の中で代わり始めているのではないかと、敏感に感じ取っている。実際はもう変わってしまっているのだけど。

不安を抑えるために彼を求め、彼を自分のもとに留めようとしている。そんなことしなくても本来ならよいはずなのに。ファイレスには姫の側にいるしか他、出来ることはないのだから。なのに、不安がっている。ひとえにすべて彼のせいだろう。

長らく地上に居すぎたこと、日常のふっとした瞬間に何処か遠くを見てしまうこと、ボゥーとしてしまうこと。笑顔のちょっとした変化。そんなことが不安にさせてしまう。

 止めよう。出来る限りいつも通りを振る舞おう何度もそう考え、決意するのに、時たま不意に思い出しては遠い目をしてしまう。前まで自分がどう笑っていたのかさえ彼は忘れてしまったような気分だ。笑顔が旨くでていかない。笑えているとは思うが不安になる。

 本当にこれで良いのかと。

 姫の元に。それだけで良いのに、どうして余計な事に目を向けてしまったのか。過去の自分が彼は憎かった。

 こうして海の世界で合わないようにしていたらこんな思いも消えていてくれるだろうか……。

 そんな事を考える。

「どうしたのファイレス」

 姫の柔らかい声が正気に返らせた。また自分の思考に落ちいていた。不安そうな眼が彼を見ている。最近、いつもこうだ。

「何でもございません」

 今更取り繕うように笑ったって、姫の表情からは不安は除かれない。

「そう良かった」

 いっそ増えてしまうぐらいだ。言葉上では安堵したようにみせるのに、作られた笑顔は引きつっていて、目元が大きく揺れている。何があったの。私には言えない事、と無言で訪ねてくる。

 それが彼にはとても重く恐ろしい。

 そう思う事がとても失礼だと分かっていても、どうにもならない。

 彼の蜷局を巻いた内側を知られそうで、知られてはいけない秘密がばれてしまいそうで、彼はいつもこの瞬間息ができなくなる。旨く笑おうとして今日も失敗する。

「大丈夫」

 その表情に姫が問いかけてくる。奥に一歩踏み込んでくるその行為は、いつも彼を追いつめる。

「大丈夫ですけど、どうかしたんですか?」

 何を心配されるのか分からないという風に彼は首を傾げる。いつものパターンだ。そしたら姫はちょっと悲しそうな顔をして笑う。

「そう、ならいいのだけど」

 本当は良くないって思っているけど、姫はいつもここで身を引く。これ以上踏み込んで嫌われる事を恐れている。彼が姫を嫌う事など出来はしないのに。嫌ったところで彼は姫の傍にいるのに……。本当の本当は、踏み込んでこないのはただ知りたくないのかもしれない。その線の一歩向こう側を。

 こうしていれば姫と彼は平面上は穏やかな毎日でいられるのだから。彼を優しくて姫の事を大事に思ってくれている男として思っていられるのだから。

 開けた先に何があるのか分からないから、踏み込んでこないのかもしれない。

 その事に彼は小さな安堵の息を吐く。

 罪悪感は沸くけれど、それでもばれなければまだ姫を傷つけないでいられるのだ。ライリーの事さえ忘れてしまえば、姫の事を好きになれるかもしれないのだ。

「姫、今日は何をして遊びますか」

 穏やかな笑みで彼はそう聞く。

 これ以上踏み込んでこられないように防衛戦を張る。

「そうね……、今日は」

 それに心の奥底では気付いていながらも、気付かないフリをして姫が楽しそうに考え出す。

 こんな日常、間違っている。

 分かっているのに、どうする方法も持たない。

 姫を幸せにしなければ、だけど、そうするには今の彼の心は欲望に満ちすぎた。

 愛してみせると誓ったのに、忘れてみせると誓ったのに、どれも出来ないでいる。それどころか日に日に思いは強くなる。

 どうしても頭の中から離れない。

 今も彼女の姿が思い浮かんでくる。

「どうしたの」

 また姫の声がする。我に返って浮かんだライリーの残像を消し去る。

「いえ、何でもありませんよ。それより何をするか決めましたか」

 優しく問いかけ、出来る限りの笑顔を浮かべる。愛さなければ。笑わなければ。愛しいと思わなければ。

 特別な感情を持つように姫を見る。

 不安そうに少しの間、顔を歪めていた姫だったが、意を決したように笑みを浮かべる。

「いまから花園に行きましょう。今日はそこで遊ぶの。ファイレスに花冠を作ってあげるわね」

「それは楽しみです。では、行きましょうか」

 一歩先へ行き、当たり前のように手を差し出すと、握り替えされた手の平はいつも握っているのと変わらず、それでいて違うのだなと感じてしまう。それが誰と比べてなのか、思うだけで胸が痛い。




花園にはたくさんの花が咲き誇る。どれも地上にはない海の国の花たちだ。何百年か前に地上に魅入られた人魚が、地上の花を持ってきては植え付け、魔法をかけて品種改良を行い作ったのだ。

 どの時代も地上に憧れる人魚は存在した。今の時代にもそれは存在する。地上を畏れ、その汚さを忌むべきものだとする一方で、何処かに憧れを見いだす。だから、わざわざ監視するのかもしれない。見つかれば危険、人の国が海の国に害なす事がないように等と言い訳を作り、ただ己達が気になるから監視をするのかもしれない。

 そんな事をここに来る時、彼は最近考えてしまう。それは彼の心が地上に捕らわれているからに相違なかった。

「ファイレスはどのお花が好き」

 笑ってそんな事を聞く姫に、一瞬固まりながら彼はありきたりな言葉を零す。

「どの花も好きですよ」

「そう。私もどの花も好きよ」

 返される笑顔に彼も笑い返す。その心は自分を責めている。どの花が好きと聞かれ、一瞬思い浮かべたのは小さな一室に飾られた素朴な花だった。どんな花でも良い。あの落ち着く家に飾られた花。それが一番好きだと思ってしまった。

 駄目だなと自分を叱咤する。

 こんなのでは全然駄目だと。

 何一つ捨てられていないと。

 聞こえないと息を漏らす。

 姫が笑っているのに同じように笑顔を作るのを勤めながら。

「ファイレスにはどんな花が似合うかしらね」

「さあ? 生憎自分では良く分からないんです。姫ならどんな花でもお似合いになられますよ」

「本当。ありがとう」

 言葉は努めて優しく返す。それに心底嬉しそうに笑いながら姫は一本の花を手折った。花冠を作ると行っていたからそうするのだろう。それを傍で見守ろうと出来るだけ穏やかな気持ちを作ろうとする。それにもう一つの問いかけがある。

「ファイレスは何色が好き」

 好きな色と聞かれて彼は得に思いつく色はなかった。だから安心して笑える。

「そうですね……。この海の色、そして、ナーツ様の瞳の色の青が好きですかね」

 笑って自然とそんな事場を口にする事が出来る。ポゥと顔を赤らめた姫に微笑みかける。

 その姿は素直に可愛らしいと思えた。

 なのに何故、自分は愛せないのだろうか?

 また、意味もない疑問が溢れる。

 愛せればいい、これから愛していけば良いだけだ

押しつぶされそうになる罪悪感の中、何度もそうやって自分に暗示をかける。笑う姫に笑いかけ彼は生きる。





 地上に出ないようにして半年の年がたった。

いつか忘れることが出来ると信じて日々を暮らしているが、彼女の姿が記憶から掠れることはなかった。むしろ日に日に強くなっていく彼女の姿。会えない分鮮明に思い出していく。

姿を、笑顔を、匂いを、気配を、すべてが脳裏にこびりついて離れていかない。忘れることの出来ないすべて。

会いたいと思いが募る。

姫のことだけを。

姫のことだけを考えようとしても、気付けば彼の中にはライリーがいる。

思い出しては会いたいと願う。心の中が、張り裂けそうなほど強く、強く、願う。

そんなこと出来ないと。姫を裏切ることは出来ないと分かっているのに。願う度に胸が痛くなる。苦しくなる。息をするのが出来なくなる。

目をつむりこの国のことだけを考えようとする。思い出してしまう姿に蓋をしようとして、止まってしまった。

(無理だ……。忘れられない。無理だ……。

 姫が、姫が、いるのに)

 喉に何かが詰まる。息が出来ない。

 忘れたくて、でも誰よりも忘れられない。

 会いたい。その思いが強く募っていた。今にも爆発しそうなほど。

 息をしたいとファイレスは思う。

 そんな頃だった。

 彼日常に行く任務が下されたのは。しばらくはなかったから彼はすぐには答えを出せなかった。それでも無意識下のうちに行きますと答えていた彼は、ライリーの事を脳裏に描いていた。

 会ってはいけない。

 分かってはいる。分かってはいても止められない思いがあった。

 そうして彼は胸の奥に溜まる澱みを深くしていく。

 一瞬の空気を求めて。


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