好きに
「おかえりなさい。ファイレス。何かあったの」
彼を一番に向かえたのは驚くことに姫だった。姫がいつから門の前にいたのかは分からない。ただ彼が帰ってくるのを分かっての行動ではないだろうことは確かだ。ならあ、彼女は待っていたのか。なかなか帰ってこない彼を。そう思うと嬉しい気持ちと罪悪感が一気に押し寄せてくる。
「ただいま、帰りました」
喉が震えている。姫の存在をあり得ない物を見るように見ている。
「ナーツ様、どうしてここに」
「ふっふ。ファイレスが帰ってくるような気がして」
そうでないのは分かる。周りの兵の気配、姫の傍にいる大臣の困ったような姿。そうでないのは一目瞭然。待たれていた。こうしてこんなところに来ては祈られているぐらいには彼は待たれている。それもそうだ。彼は愛されているのだから。その事をいやという程彼女から感じているのだから。例え、今の彼がそれを返せなくても……。
「そうですか。ありがとうございます」
「ううん。いいのよ。気にしなくて。それよりちょっとお話をしましょう」
「ですが、報告が」
「そんなのは後で良いの。ほら、こっちに来て」
強く握りしめられた手は彼を連れて行く。反応を見る大臣は止めようとはせず緩く首を振った。
「姫様、また後で玉座の方にファイレス様とご一緒にお越しください。今回の報告をしていただきます」
「分かったわ」
連れられるままに彼は姫の後ろを着いていた。姫は何処に行くとも言わなかった。ただしっかりとした進み方だった。
「今回はどうしていたの」
進んでいる時姫が聞いてきた。
「また怪我をしてしまいまして」
「そうなの。大丈夫」
「ええ。まだ多少は痛みますが心配するほどではございません」
「そう。良かった。遅いからとても心配していたのよ」
「申し訳ございません」
「いいの。ただ、あんまり心配かけないでね」
「はい」
口に乗せた言葉の何と嘘くさいことか。本当にしなければならないことを分かっていても出来ないと思うのは何故か。愛さなければと分かっているのに、笑わなければと笑みを浮かべるのに、何かが違うと思ってしまうのは何故か。
まだ帰ってきたばかりなのに彼の心はもう地上にある。
何とおぞましくて何と恐ろしい。
貼り付けた笑みが剥がれてしまいそうだ。
「ナーツ様、どちらに」
「いつもの場所よ。ほら、行きましょう」
「はい」
姫の笑顔を追い掛ける。これからもそうしていかなければならない。捨てたはずなのに後ろ髪引かれる思いに彼はそっと蓋をしようとした。
いつもの場所と言って彼女たちが来たのは、城の奥にある中庭だった。そこは姫に許可されたものしかはいることが出来ないため、人が来ることはない。そんなところに自分が来る事が出来る。自分はそれだけの存在なのだ。そう彼は改めて感じ取った。だからこそやらなくてはいけない事と共に。
「ファイレス」
「はい、ナーツ様」
呼びかけに答え、微笑みかける。それだけで姫は笑う。本当に嬉しそうに笑う。どれだけ思われているかなど、そんな事彼は知っている。
「ファイレスがいなくてとても寂しかったのよ。最近は出掛けてばっかり何だもの。それずっと帰ってこないから何かあるのかって心配してた」
「申し訳ございません」
「謝らないでよ。それより本当に怪我大丈夫」
「はい。大丈夫ですよ」
「そう」
庭の中で二人が微笑みあっている。姫の手は彼の手を握りしめたまま。かすかに震える手は強い力が込められている。
何を願って何を望んでいるのか手に取るように分かる。
「ナーツ様」
姫の名を呼ぶ。
「何」
彼に笑いかける姫の顔は名を呼ばれたただそれだけのことに幸せそうにしている。口に乗せるのは本当と嘘。嘘と真実。
「好きですよ」
目を見開いた彼女はふるふると唇を震えさせる。涙が一つ姫からこぼれ落ちていく。彼がこの言葉を口にするのは今日が初めてだった。
姫はこの言葉を良く口にする。そして彼にその言葉を望んでいる。
だけど口にしなかったのは、躊躇いがあったからだった。姫がたくさんの思いを込めて口にするのと違い、彼はそれを安くしか口に出来ない。姫が言葉にする思いと、彼が言葉に出来る思いとでは違う。
だから、口に出来なかった。
今でも違うし、今こそ大きく変わってしまった。でも、それでも今言わなければならない。彼はそう思った。今言わなければならない。今言わなければこの思いはもっと変化していく。それを止めなければいけないと。実際にはどうやっても止められない事を彼自身知っていたのだが。
「私も、好き」
姫から漏れた細い声……。
彼は笑った。その瞳には哀しみ含まれている。
思いは違う。差は大きい。
「好きです」
もう一度言葉にして彼は思う。
(好きになって見せます)
出来るか何て分からない。それでも思いに答えてみせる。その為さらに言葉を風にのせる。載せた言葉が本当になるように。届くように。
愛してみせる。思い合ってみせる。
忘れてみせる。
罪を償ってみせる。
たったそれだけを望み続ける。ああ、それでも会いたい……。
罪悪感が増えていく。合いたいと願うたび。でも増えていく罪悪感さえもどうでも良くなるほど、彼は会いたいと願っていた。今、この段階でさえ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます