彼と彼女

「あら、お久しぶりです」

 町の中にそう声を掛けられて彼は歩んでいた動きを止めた。彼が行こうとしたその先にライリーがいる。

—ひさしぶり。どこに—

 紙に書いた文字を見せればライリーが微笑んでいる。

「買い出しの予定なのですが、一緒にどうでしょうか」

 差し出された手の平に彼は黙って頷いた。あの日から三ヶ月近く経った。

 彼が人間界に来た回数は片手を超え、両手さえも超えてしまっていた。普通ではあり得ない数だった。嘘を付いて彼は重ねる。

 駄目だと分かっているのに。

 ライリーと一緒に町を歩く彼にも様々な声が掛けられる。

「おんや、久しぶりだね。今日もライリーちゃんとお買い物かい」

「仲が良いね。羨ましい限りだよ」

「ほら、これおまけね。ライリーちゃんのこと頼んだよ」

 掛けられてくる声を曖昧に笑い受け流しながら、彼はライリーと共に先を急いだ。最初言われるたびに顔を赤くして必死で弁解していたライリーも、今は慣れて苦笑で受け流すことが出来るようになっていた。

「今日は何が食べたいですか」

—何でもいい—

「また。いつもそれだけですよ。もうちょっと張り合いのあることを言って下さい」

—ごめん—

「まあ、いいですけど。もし食べたいものがあれば遠慮せずに言って下さいね」

—ああ— 

こんな何気ない会話が好きだった。彼が答えるときには僅かに時間が掛かるがライリーは静かにそれを待って微笑んでいた。急かすこともせず遅くとも良いんだと待っていてくれる、その優しさがとてもありがたいものであることを彼は知っている。

 買い物も終わり、彼らはライリーの家に向かった。人間の国で過ごす間はいつもそうだった。彼はライリーの家に半同棲の形で居座っている。

 それは二度目に再会してからずっとだった。一週間、約束通り姫の元に通い続けた彼は大臣に人間界にいくことを話した。すぐにと言うのはさすがに周りにいぶかしく思われると言うことで、もう少し待ってからと言うことにその時はなった。それから五日後。彼は大地を踏みしめた。

覚えている道を辿りライリーのいる家へと向かう。玄関を前にして初めて彼は動きを止めた。

どうして良いのか分からなかったのだ。

お礼に来るとは言っていたが相手がそれを本気にしているとは思えない。わざわざやってきて迷惑とは思われないのだろうか彼の中に渦巻いた不安は消し去る要素を持たなかった。いくら親切に世話をしてくれたからといえ、会いに来るのは迷惑になるかもしれない。帰った方が良いのではないかと思い出した。

幸いまだノックはしていなかった。ノックをしようとドアに近付けた手を離し、後ろに下がり帰るべきでないのかと疑った。

実際、そうしようと考えただけでなく、行動にも写していた。門を出て、家から遠ざかっていく。もう会えない覚悟をしていた。会わない方がよいのだ。一時の気の迷いだったのだと、何度も己に言い聞かせていた。

そうして人魚の世界に当たり前の日々に戻ろうとしていたのに、出会ってしまった。彼女に。

ライリーは彼が帰ろうと歩いていた方向からやって来るところだった。

「あれ?」と、言うライリーの声がしたことに、深く考え込んでいた彼は気付かなかった。

「ファイレスさん?」

彼女に名前を呼ばれて初めて彼はライリーが目の前から歩いてきていることに気づいた。答えを返そうとして彼は動きを止める。ライリーから借りた手帳はもう返しており、答えることができなかったのだ。それに気づいた彼女が歩みより手を差し出した。

「どうぞ」

差し出された手のひらの上に文字を重ねた。—久しぶり—何を書くべきか悩んだ末にでてきたのはそんな在り来たりな一文だった。

「久しぶりです。どうしてここに」

問われた問いに答えるのを考える。本当のことを言うべきかどうか。偶然を装うべきではないのか。考えて、動いた動きは彼が考えた答えではなかった。

—君に会いに来た。—

「え?」

—お礼をしに来た—

書いたあと彼は後悔しかけていた。迷惑でないのか、これで本当によかったのか。迷う彼にライリーは嬉しげに笑ってくれた。

「本当ですか。別にいいと何度も言っていた癖になんですけど、とても嬉しいです」

—ありがとう—

 そう書くべきと動いた手にライリーは首をかしげるしぐさを見せた。

「どうしてですか? お礼をすべきは私なのに。ありがとうございます」

—いや、まだなにもしてないから—

「そう言えばそうでしたね」

見つめてくる瞳。笑っている口許。たくさん迷っていたのが嘘みたいにぶっ飛んだ瞬間だった。来てよかった。そう思った。

—これ—

手のひらに文字を書いてから、持っていたものをライリーに見せた。息を飲む気配がする。彼がライリーに渡したのは珊瑚と真珠でできた髪飾りだったのだ。高価なそれにライリーが受け取れないと首を降る。

—古いものだから—

「でも……」

—もう誰も使う人がいないんだ。だから君に使ってほしい。きっと似合うはずだから—

「そんなの」

—もし使わないと言うなら売ってくれても構わない。君の好きにしてくれ—

戸惑い続ける彼女に彼は手を包んで見つめる。有無を言わさぬ笑みを浮かべて

「分かったわ。貰います。だけど、これはいくらなんでも貰いすぎだから、今日はこれから私の家に来て。一緒にご飯食べましょう」

慌てて首を降ろうとする彼に今度はライリーが有無を言わさなかった。

「あ、でも、食材がないので買い物に一緒に来てくださいますか」

そうして彼は初めてライリーと共に町へでた。町は知らないものをライリーがつれて歩くのに厳しい目で見ていたが、彼が悪い人でもないとわかるとすぐに優しい顔になり、たくさん声をかけてくるようになった。彼は町に受け入れられることができた。晩の食材を買い、ライリーの家に行けば彼はひとつの部屋に案内されそこでおとなしくしているように言われた。手伝おうと思っていた彼だが、見事に先手をとられた。暇で何をすることもできず、待っていれば美味しい臭いのする料理を拵えてライリーがでてきた。

「たくさん食べてくださいね」

—ああ。頂きます—

彼女からまたメモ帳を貸してもらい、彼は文字を書いた。

—おいしい—

 一口食べたあと、思った通りを言葉にしたら彼女が嬉しそうに笑う。

「ありがとう」

彼女から漏れる自然なそれに彼も自然に微笑み返した。食卓では話が進む。

「ファイレスさんは何処に住んでいるんですか」

その問いを答えるのに彼は止まってしまう。当たり障りなく少しだけとおい町の名前をだせばライリーはすぐに信じた。

「へぇ。結構遠くなんですね。この町にはよく来るんですか?」

どう答えようか迷うそぶりはわずかにあったがでも決まっているも同然だった。

—ああ—

「そう言うときはどうしているんですか? 日帰りは無理ですよね」

—宿に泊まるようにしているんだ—

次々と聞かれ、次々と嘘をついていくのに彼女はすべて信じて笑う。そして、こんなことを言ってきた。

「それだと毎回宿賃大変でしょう。もし良ければ私の家に泊まりませんか。それなら宿賃もいりませんよ」

—いや、そんな訳には—

「遠慮しないでください。私も一人よりは二人でいる方が安心なんです。私を助けると思って是非」

そういわれると彼は嫌とは言えなかった。お願いしますとキラキラとした瞳が見てきて、彼は仕方なく……、心の底また来る口実ができたことを嬉しく思いながら頷いたのだ。

それ以来彼は人間界に通い、その度に彼女の家にニ・三日滞在していた。ライリーはそれを迷惑がる所か有り難がっている所もあり、余計に彼の足はここから離れない。

—今日もありがとう—

「どういたしまして。美味しかったですか」

—とても—

「ありがとうございます。あとはお願いしますね」—ああ—

ご飯を食べ終わった後の皿洗いは彼の担当になっていた。初めは客に手伝いをさせることを渋っていたライリーだが、彼が何度もお世話になるだけでは自分の気がすまないのだと言葉にすると許してもらえるようになった。

他にもいくつかの家事を任せられるようになり、彼は着実にライリーの家に馴染んできていた。

—これを—

彼が差し出したものにライリーは顔を歪めた。大きな貝殻を磨き、そこに鏡を嵌め込んだ手鏡だった。彼は毎度、ここに来るたびに何かをライリーに渡した。そのほとんどが海で取れるもので、彼にしてみれば必要もないものだったが、ライリーにしてみればとても高価なものだった。受け取れないといつも首を降るが最後は彼に押しきられてしまう。

手にするそれをライリーは決して使うことがなかった。家の中の引き出しにしまい込み、ずっと取っている。それを彼は知っているがどうこう言うこともできない。彼としては使って欲しいと思っているし、中には使えないようなものもあるだろうからそう言うものは売って欲しいと思っていた。売れば相当な値段になるものはよくある。彼の家は昔は栄えていたし、彼自身騎士という名誉職に就いていることからわりと裕福な方だった。だが、余り物欲のない彼には家の中にあるものはすべて邪魔でしかなく、売るのも何か違うのでしなかっただけ。だから、ライリーに使って欲しかったのだ。純粋に似合うと思ったのもあれば、そうでなくお金の足しにして欲しいと思っているのもある。

 あの時以後、どうなっているかは知らないが、金を取りに男が来ている形跡は家の中にいくつかあった。ライリーは言葉にしないし、そんな素振りも見せないようにしているが、彼女がお金に喘いでいることは間違いなかった。

 だからこそ、使って欲しいのだけれど、ライリーは受け取るだけで決して手をつけようとはしないのだった。

 丁寧に壊れ物を扱うかのようなその手つきに彼は目を細めた。

「どうしました」

—いえ、なにも—


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