寄り添う

 さらに一週間が経ち、四週間ほどの時だった。  怪我もだいぶ癒え、もうそろそろで帰ると言うとき。そいつらはやってきた。  



 やってきたのはライリーが外に出ているときだった。どんどんと戸を叩く音が聞こえてきて、さて、どうしようかと彼は迷った。こう言うとき普通はでるものなのだろうが、女一人暮らしの家に男性がいると知られたらよからぬ噂を立てられ、ライリーに迷惑になるのではないかと考えたのだ。数回で諦めるようならでないでいようと彼は決めたのだが、戸を叩く主は数回で諦めなかった。いや、それよりももっと質が悪かった。

 どんどんと戸を叩く音は荒くなり、怒声までしてきたのだ。彼が流石にこれは出ようと扉の近くまで来たときには、叩くというより、蹴っているのではないかと思われるようなノックに変わっていた。  こんにちは、何のようでしょうか

 そう書かれている手帳のページを前に出しながらドアノブを引いた。扉の向こうには柄の悪い男が数人立っていた。

「ああ? 何だ、テメェ。ライリーの奴はどうした」

 ドスをきかせた声で男が聞いてくるのに彼は眉を寄せた。どう見ても堅気のものとは思えない。それが一体ライリーにどういう用事があるのか。彼女が知り合うようなタイプにも思えなかった。次のページを開く文字を書く。

—外出しています—

「いねえーだ? かくまってるんじゃないだろうな」

 不必要なまでに近づいてきて脅すような素振りを見せる男に彼は身を少し引いた。不快に顔を歪めながら、素早く文字を書いて叩きつける。

—ほんとうにいない—

 男も同じように不快な顔をして手帳を見つめる。その上に文字が続いていくのを見つめている。

—それよりなんのようでしょう— —俺で良ければ伝えますが—

 彼が続けざまに書いた2つの言葉、更に、彼がここにいることに男は疑問を感じ、周りを訝しげに見渡し始めていた。彼を値踏みするように見た。

「何だお前。ライリーのなんなんだよ」

 その問いに彼の筆の動きが止まる。怪我人と看病する人。彼とライリーの関係は言うならばそれだけで、誰かに伝えるようなものではなかった。

—知人です—

 淡白に書いた文字に男が目をぎらつかせた。

「ほう。……知人ね」

 ねっとりと絡みつくような声。不快に身を粟立たせながら、彼は一歩後ろに引く。それを追いかけるように男が足を動かす。詰め寄られ彼はもう一度手帳を見せた。

—なんの用ですか—

 男が鼻を鳴らした。

「なんの用? 決まってるだろ。金だよ、金。今月分がまだ払われていないんだよ。ライリーのやつがどこに行ったのかは知らないけど、待たしてもらうぞ。ちゃんと払ってもらわないとな」

 言うだけ言うと男は家の中に入ろうと玄関に足を一歩踏み入れようとする。我が物顔のその動きを遮り、睨み付けると男が嫌そうに彼を見据えた。

「ぁ、何だよ、テメェ」

 もう一度入り込もうとする男を止めて文字を書き殴る。彼にしては珍しい字体の崩れた荒々しい字。

—勝手に入らないで頂きたい—

「ああ? ライリーの奴から何か言われてるのかよ」

—いいえ—

「なら良いだろうが。俺はお客様だぜ? それともあれか、番犬でも気取ってるのか」

 嘲笑うような男に彼は冷静に返した。

—お客様だというなら、それらしい態度をしていただきたい—

「あ、バカにしてるのかよ。テメェは」

 胸倉を掴まれて彼は顔を歪めた。治りかけの左肩がじくりと痛む。無意識のうちに左肩を庇った彼の動きに男がニヤリと笑う。

「何だ。左痛めてるのか。ライリーに何かされたか」

 ふざけるなと書きたかったが、胸倉を掴まれている状況では文字を書くことは出来ない。代わりに、怒りの目で男を睨み付け口元でその言葉を形作った。音にならない言葉に一瞬だけ怪訝な顔をした男だが、その顔はすぐに意地の悪いものに変わった。

「あ? 何言ってるんだよ。聞こえねえぜ。あ、そっか、声が出ないんだな。不便だな。声がでねえなんて」

 男の顔は弱いもの苛める最低なものになっている。胸倉を掴んでいた手に力を込め、彼が握っている手帳とペンを振り払う。左手を空いている手で握りしめて、痛みに歪んだ彼の顔を楽しげに見ていた。

「痛そうだなー。何、どうしたの」

 ニヤニヤと笑う男を彼は痛みを堪えて睨み付けた。男が舌打ちをした。どんと突き飛ばすように手を放され、彼は地面に転がる。邪魔者がいなくなった男が家の中に入ろうとするのに彼は素早く立ち上がり、その裾を掴んだ。

 彼は男を家の中に入れたくなかった。男からは腐った人間の香りがする。欲や気味の悪さ、人を騙す嘘の匂い。人間の悪が凝縮したような、肺の奥に侵入して、胸を侵す。

 そんな男を優しさのつまる家の中には入れたくなかった。

 力強く握りしめ男を中にいれんとする彼。男は苛立ちに任せ振り払おうとしたが、彼は決して放さなかった。

 男の右腕が上がる。

「やめて!」

 振り下ろされようとしたとき、甲高い声が止めに入った。男と彼の間に赤茶色の髪が入り込む。鈍い音がする。殴られたのはライリーだった。

 蹌踉めいた彼女を支えながらファイレスは目を丸くした。男も同じようにするが、それはすぐにニヤニヤとしたものに変わった。

「よお、ライリー。お前が男を引き連れてる何て思わなかったぜ」

「そんなんじゃないわ。それより何でいるのよ」

「そりゃあ、決まってるだろ。金だよ、金。今月分の金、まだ払ってないだろうが。困るなーー。ちゃんとしてくれないと」

 ニヤニヤとした男の言葉にライリーの肩に怒りで力が入る。ギリギリと唇を噛みしめて彼女は男を睨み付けた。支えていた彼の腕から抜け出し、男の前に立つ。

「あんたに払うお金なんてうちにはないわ! 帰って!」

「んだ、また金がないです、少し待っていて下さいかよ。それはそれで言いようってあるんじゃないのか」

「違うわ! もうあんたに払う必要すらないって言っているの! 毎月毎月言わせないでよ! 何で私があんた達に払わないといけないの! 私はもうあの人達とは何の関係もないの!」

 喉が痛むのではないかと心配になるほど彼女は声に出して叫んでいた。

 普段のライリーからは想像もできないほどの剣幕だった。ほんの僅かに彼女から人間くささが漂う。彼はその姿に自分の心が痛みと安堵、反対の二つの気持ちを抱くのに気付いた。自分勝手な思いにどうしようもない気持ちで溢れる。

 人魚の己よりも綺麗な姿を見せる少女がやはり人間であった事への安堵。それでも綺麗な姿でいて欲しかったという我が儘。

 瞼に涙を浮かべている彼女を見ながら、最低な己の考えを叱咤した。

「テメェ。そんなこと言って良いのかよ。さっさと金払えや」

 男の怒鳴り声が聞こえてきた。

「いや!」

 ライリーが叫ぶのに切れたように男が掴みかかる。その手を彼は掴んだ。

「ぁ、何だ? 離せよ」

 力を込められ振り払われようとするのに、彼も力を込めて止めた。冷めた侮蔑の眼差しを男に向ける。

 暫く格闘していた男の手から力がなくなり、しらけたような様子を見せだした。

「チッ。今日のところは勘弁してやる。だけど、次は覚えていろよ。ライリー」

 捨てぜりふを入って去っていた男に、ライリーはホッとしたような姿を見せた。声を掛けようとして自分の手の中にペンと手帳がないことを思い出した。止まってしまった彼に我に返ったライリーが笑いかけていた。

「助けていただいてありがとうございました。……それと、あの男に何かされませんでしたか? その、騒がしくしてしまってごめんなさい」

 悲しそうな瞳が向けられて、何かを伝えようと地面を探した。落ちた手帳とペンはそれぞれ別の場所、遠くに落ちている。わざわざ拾うのも時間の無駄で、彼はライリーの手を掴んだ。驚く彼女の手の平に丁寧に文字を書いていく。

—大丈夫です。気にしないで—

 手の平に書いた文字。落ちている手帳を見付けて、何かがあったことを悟った彼女は泣きだそうに顔を歪めた。

「ごめんなさい」

—大丈夫—

 震えている手のひら。人差し指を滑らせた後、彼は両手で包み込んで見せた。  


 大丈夫

 口の先で形にした言葉にライリーが涙を流した。 「ごめんなさい」

—大丈夫。それより—

 彼は問うた。自分に出来ることがもしあるならどうにかしてあげたい。そんな気持ちだった  暫く口を噤んだライリーだが、静かに答えだす。

「……私のね、お父さんがあの人達の仲間だったんだって。それで毎月、献上金を払わなくてはいけないらしいんだけど。でも、一年前に両親は行方不明になって。その後、アイツが来てお金を催促するようになったの。どうして良いのか私、分からなくて……。払いたくないって思うんだけど、そうしなくちゃ……。毎月抵抗するけど、意味もなくて。結局」

 湿った匂いがした。

 泣いているライリーを支え家の中にはいると、彼はそっと寄り添った。初めて、声が出なくって良かったと思った。

 声があればいいたい事がたくさんある。きっとそれを言ってしまう。でも今必要なのは、言葉ではない。こうして寄り添うだけが必要なのだ。

 傍にいるだけが。

 ファイレスは声がなくて良かったと思った。


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