第13話 覚悟して下さいマスター


「眠れないんですか?マスター」


 深夜、実家のベッドで横になる俺に声を掛けてきたのは、隣で寝そべるミリヤだ。


「……何やってんのお前」


 当たり前のように俺の隣で寝てるけど、間違いが起こったらどうすんだ。

 

 そんな俺の心配を気にする事なく、ミリヤは言う。


「安眠魔法を掛けようかと思ったのですが、今夜は話をする方が良いかと考えたのです」

「いや、あの俺が聞きたいのはそうじゃなくって」

「あぁ、狭いですか?ならもっとこっちへ近付いて下さい」

「だからそうじゃなくって!」


 全然話が通じない……と言うか、わざと聞かないようにしてるのか?

 だが、そんないつも通りのやり取りが少し心地良い。


「マスター、少し顔が赤いですよ」

「そりゃこんな美人が真横で寝てるんだ。仕方ないだろ」

「! 不意打ちはずるいです……」


 俺の言葉にモジモジと反応するミリヤ。

 愛らしい姿であるが、自分の所有する奴隷に手は出せない。


 例え、本人が許すとしてもだ。


 金で買った人間相手に情欲をぶつけるなんて、あっていい話じゃない。

 少なくとも俺はこの世界の価値観を失わずに、あの異世界で過ごしたのだ。今さらこの信念を変える気はない。


「マスターはこの距離に私が居ても手を出さないのですか?」

「だ、出すわけないだろ」


 ……信念がどうのと言ったが、揺るがないって訳じゃない。

 むしろ揺らぎまくりだ。


 色々あって忘れていたが、ミリヤは俺の事を好きだと言ったんだ。

 愛しているからこっちの世界にまでついてきた。

 つまり俺が手を出して良い条件は整っている。

 足りないのは俺の覚悟だけ。


 ただあれは俺を死なせたくないから、口からでまかせを言っただけの可能性も──と、ごちゃごちゃと頭の中で考え込んでしまう。

 すると、ミリヤが不意に俺の腕に触れた。


「お、おい……」

「良いじゃないですか。私の気持ちは既に伝えましたし」

「お前……あれ、俺を死なさない為の口実じゃないの?」

「本気でそう思っているなら、今すぐマスターの唇を塞いでその面倒臭い思考を止めてあげますよ」

「へっ、残念ながらお子ちゃまキスくらいで俺は──」


 ん?何かこの流れ前にもあったような──そう気付いた俺の行動は早かった。


 バっと両手でミリヤの肩を押し、迫る唇をギリギリで回避する。


「むぅ」

「むぅじゃねぇ!お前、今何しようとした!?」

「ですからキスを。それもディープ──」

「言わんでいい!何考えてんだお前!?」

「いえ、こうすればマスターとキスが出来ると聞いたので」

「レイシアだな!?あのお転婆姫が!!」

「不敬ですよ、マスター」


 クソ、次あったら覚えてろよ。


 そう考えてしまった時だ。


 ふと、走馬灯のようにあの異世界での出来事が頭を駆け巡る。


「……もう、あいつらと会う事はないのか」


 俺が溢した言葉に、ミリヤは慰めるように優しく言った。


「そうですね、でも良いじゃないですか。マスターにとって辛い世界だったのでしょう?」


 それは間違いじゃない。

 本当に辛かった。二度と行きたくはない。


 けれど、あの世界で出会った掛け替えのない人達がいるのも事実だ。


 もしもミリヤが居なければ、俺にはあの異世界の事を語れる共通の友人は居ない。

 それはそれで寂しさがあるってもんだ。


 ──いや、少し違うな。


 一人だけ、俺には居たんだ。あの異世界の事を語り合えたかも知れない奴が。


 憎しみ合って、分かり合う事は出来なかった、俺がこの手にかけてしまった少女が。


「……後悔しているのですか?」


 ミリヤはそう言って俺の目元を拭った。

 どうやら自分でも気付かない内に涙を流していたらしい。


「後悔はしてねぇよ。ただ、寂しいなって思っただけだ。色んな意味でさ」

「……」


 俺がそう言うと、ミリヤは一瞬表情を隠した。

 そして、ごそごそと動き出して俺の胸元に顔を埋めた。


「……その寂しさ、私に埋められませんか……?」


 俺はこう見えても鈍感ではない。

 この言葉の真意くらいきちんと分かっている。


 痛いくらいにミリヤの心臓の鼓動が伝えてくるからな。


 だからこそ、俺はこう言うんだ。


「お前には無理だよ、ばーか」

「……私が嫌いですか……?」


 普段ならここでいつもの意趣返しとして『嫌いだよ?主人を主人と思わない奴隷なんて』と、言ってやるところだ。


 だが、今は敢えてこう言おう。


「好きだよ。大好きだ」

「え……?」

「何だよ。じゃなかったらお前みたいなバカ高い女を買うかよ。そんな事出会った頃から分かってた事だろ」

「……だったら……」

「ん?」


 ミリヤは俺の胸元から顔を上げて、真っ赤に染まった頬を隠そうともせずに見つめてきた。


「だったら私を──」


 至近距離のミリヤの唇を人差し指で止める。


「俺とお前は主人と奴隷、間違ってもそんな相手に手は出せない。それに、いつか約束したろ」

「……覚えていません」

「なら、もう一度言ってやる」


 俺は拗ねるように視線を逸らすミリヤの頭に手を置いた。


「お前には自由を約束する。俺にそんな余裕が出来たら、な」


 これを言ったのは当然異世界での事。

 はっきり言ってあの異世界では無理な約束だったが、この世界に帰って来られた今、話は変わってきた。


「ミリヤ、知ってるか?この国じゃ人権ってのが認められててさ、俺とお前のような関係は本来あっちゃいけないんだ」

「知りません。知りたくもないです」


 ミリヤは耳を塞いで抵抗を見せる。

 だが俺は構わず話を続けた。


「色々終わって、ちょっと考えてたんだ。俺の復讐も終わったしな。だから──」


 全てが終わった今日、眠れずにいたのは胸に残ったしこりのようなもののせいと、将来について考えていたからだ。


 将来──俺とミリヤのこれからについて。

 

 俺はこれから何の変哲もない人生を送るだろう。

 大して夢も希望もない。やりたい仕事もない。なんなら働きたくもない。

 行きたい大学だって決まっていない。


 そりゃそうだろう。ほんの少し前まで血生臭い戦いの日々を送ってたんだ。


 2年……そう2年もの間、俺はあり得ない日々を過ごした。

 夢のような、夢であって欲しいくらいに残酷な日常を過ごした。


 正直な所、疲れたよ。

 俺はもう人生をやりきった感で溢れてるくらいだ。


 だけどミリヤは違う。


 俺に人生を買われて、自由なんて無い辛い毎日を2年も送らせてしまった。

 せっかく平穏な日本に帰って来れたんだ。

 もう自由にさせてやっても良いんじゃないかと思う。


 こいつならこの世界でも暮らしていけるだろう。

 順応スピードも凄いしな。


 ミリヤは頭も良い。

 このまま高校を卒業して大学に行って就職して、スペックの高い奴と結婚して、普通の幸せを掴めるだろう。


 俺にはミリヤに対して負い目がある。

 せっかく全て終わったんだ。

 どうせ女神に強制帰還させられた時、奴隷として解放される筈だった。

 より安全なこっちの世界ならもう良いんじゃないだろうか。


 だから──


「──俺との奴隷契約、解消しないか?」


 俺のそんな言葉に、ミリヤは一瞬固まった。

 そして本気で悲しそうな顔をして言った。


「わ……私の気持ちを知っていてよくそんな言葉を口にしましたね……!?」

「知ったからだよ。俺はお前を縛りつけてきた。便利な道具として扱ってきたんだ。例え今まで気付いていなくても、お前の気持ちを利用してんのと変わらない行為だ」

「は、はぁ……!?勝手な事をペラペラと……!」


 ミリヤは俺が撫でていた手を払いのけて、その手を強く握った。


「私はマスター、あなたに買われて嬉しかったんです!最初は怖かったですよ!?でも不器用ながらに守ってくれるあなたに惹かれるのがそんなに駄目ですか!?」

「だ、だからその気持ちは立場的に強い俺に対して、謂わば吊り橋効果のような……?そ、そう、そんな感じの気持ちだ!」

「意味分かりませんよ!あーもう、何で2日続けてこんなこと言わなくちゃいけないんですか!」

「はぁ!?」


 何故か徐々にヒートアップしていく俺達。

 先に怒りの頂点に達したミリヤが顔を真っ赤にして、握った俺の手を更に強く握る。


「もしマスターが私との奴隷契約を解消するなら、私はマスターを襲います!!」

「お前何言っちゃってんの!?」

「自由にすると言うなら、私はその自由を行使するというだけです!ふふふ……そうなれば止めろと言われても止める必要は無いですからね……!」

「や、やべぇミリヤが壊れた……」


 ミリヤが段々顔を暗くして笑う。

 怖い!やっぱりこいつを解放するのは危険かも知れない!


「さぁ!それでも私を解放すると言うのなら、やってください!!それもある意味本望です!!」

「あのなぁ!?俺から離れるって選択肢は!?」

「そんなもの──あるわけないでしょう!!」


 真っ直ぐに俺を見つめるミリヤは、とうとう手だけでは飽き足らず、体に腕を回してきた。


「言った筈です!私は一生マスターと一緒に居たいんですよ!!」

「お、お前そんな堂々ストーカー宣言を!?」

「ストーカーって何ですか!あぁもう!!」


 ミリヤは素早く「フリーズ」と口にした。


 こ、こいつ!主人である俺に対して魔法を使いやがった!!


「く、口しか動かねぇ……!」

「マスターが悪いんです!今すぐ口も動かないようにしてあげますよ!!」

「へ──」


 ミリヤは固まった俺の体を抱き寄せて、唇に顔を近付けた。

 そして、宣言通りに俺の唇の動きを封じた。


「……っ……」


 柔らかいミリヤの唇の感触が、俺の全身を支配する。

 心臓がドキドキとうるさい。

 恐ろしいまでに美しい彼女が、底辺である俺に口付けをしているのだ、先程までの思考のあれやこれやが吹き飛んでいく。


「マスター……愛してます」


 そっと唇から離れたミリヤは耳元でそう呟いた。

 そして俺の胸に手を置いて、もう一度だけ触れるだけのキスをした。


「心臓……凄い事になってますよ」

「……誰のせいだと思ってんだよ」

「マスターのせいですよ。私を見捨てるなんて言うから……」

「……言ってねぇ」

「同じ事です。右も左も分からない私を解放するだなんてあり得ないです」

「お前なら別に暮らしていけるだろ?こっちには危険だって少ないし」

「無理ですよ。私はマスターの奴隷としての生き方しか知りません」

「……詭弁を」

「マスターの奴隷ですからね」


 こんな時でも嫌味を言いやがって……。

 本当に俺の事好きなの?こいつ。

 もう聞くまでもない事になってしまったけどさ。


「……俺はお前に何もしてやれないぞ」


 この世界では──いや、あの異世界でもだが、あちら以上に俺は無力なガキだ。


「傍に居て下さい。それだけで良いんです」

「……この世界だったらもっと色んな幸せがあるんだぞ」

「必要ないです。マスターの隣以上に幸せな場所なんて存在しません」

「……ったく……」


 頭を掻こうとして、体が動く事に気付いた。

 

「もう魔法は解いてますよ」

「はぁ……」

「それで?」

「え?」


 ミリヤは自由になった体をそれでも拘束するように俺を抱き締める。


「マスターの気持ちを聞かせて下さい。私ばっかりずるいです」

「あー……さっき言ったろ……。大好きだよ」

「……何でなげやりな言い方なんですか」

「そ……それは……」


 もしも、今ここで芹那にも好きと言われて、自分の心が自分で分からないなんて口にしたら、ミリヤはどう思うだろう。


 俺は言うまでもなくミリヤが好きだ。

 だがミリヤに抱く感情は恋と言うより、家族愛に近いような気がする。


 ……いや、言い訳か。

 やはり初恋が俺の胸に燻ってるんだ。


 せっかく芹那を助けられたんだ。もっと色んな話をしたい。

 あの異世界の事も伝えるって約束したしな。


 だからこそ、こんな中途半端な気持ちを言葉には出来ない。


「……えと……ミリヤ、その……」


 言葉を探していると、ミリヤはぎゅっと俺の体を締め付ける力を強くした。


「まさか、平岡芹那ですか?」

「うぐっ」


 なんて勘の鋭いやつなんだ!

 ミリヤはギリギリと、俺の体を締め付けていく。


「マスター……まさか初恋を忘れられないとか……好きだと言われたから"ワンチャン"?とか思ってませんよね……??」

「ま、まさか……!」

「そうですよね?まさかこれ程の想いを伝えた私を目の前にして、他の女と天秤に掛けたいなんて……ね???」

「は、ははは」


 天秤に掛けるとか人聞きがよろしくねぇ!

 そしてそんなつもりは無くても結果そうなってしまってるんだよなこれ!

 どうしよう!何も言えねぇ!


 優柔不断な俺が悪いんだけど、こればかりは仕方ない。

 だって二人とも魅力的過ぎるんだもん!


 俺がだらだらと冷や汗を掻き出した時、がちゃ、と急にドアが開いた。


「おにぃ、さっきからちょっとうるさいんだけど──」


 そこに立っていたのは妹──阿里沙だった。


 そしてこれは非常にまずい。

 何故なら俺とミリヤが熱い抱擁を交わしているようにしか見えないだろうから。

 力加減が伝わってる筈もない。


 つまり、阿里沙が口にする言葉は決まってる。


「うわぁ……おにぃ熱々じゃん……」


 熱々じゃねぇんだよ。体中の関節がそろそろ極りそうなんだよ。


 阿里沙は俺達の様子を見て、すぐにそっとドアを閉めた。


「お、お邪魔しましたぁ。ごゆっくり~……」

「助けてくれよ!なぁ!」


 俺の叫びは虚しくも部屋に響くのみだった。


 阿里沙の言葉を聞いたミリヤはチャンスと考えたのか、「ふふふ……」と妖しく笑った。


「ご家族からのお許しも出ました事ですし、今夜はマスターの恋愛観など、沢山お話しましょうか……!」

「あ、あのミリヤさん?笑顔が怖いんすけど……」

「いかに私がマスターを愛してるかも更にお伝えしましょうか。今夜は眠れると思わない事です!!」

「明日ってか今日も学校なんですけど!?ねぇ!?」


 だがミリヤは止まらない。


「覚悟して下さいマスター!大好きです!!」

「嫌だ!嬉しくないぃぃ!!」


 結局この日、俺が夢の世界の住人となる事は無かった。

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