第5話 騎士様


「ただまー」


 平岡と別れた俺は、一軒家の自宅の玄関をドアを開けた。

 すると、俺より一足早く帰宅していたらしい妹──阿里沙ありさが洗面所からひょこっと顔を出した。


「……ちゃんと帰ってきた」

「当たり前だろ?それよりお袋は?」

「買い物。あれ、ミリヤさんは一緒じゃないの?」


 阿里沙はこじんまりとした小柄な体を伸ばし、俺の後ろへ視線を向けた。


 家族にはめんどくさいので、彼女という事で一緒に暮らして貰う事にした。

 まぁしばらくの間だ。ミリヤならすぐに金を稼ぎ、一人でマンション暮らしでも出来るだろうし。

 さすがにこっちの世界で高校生が男女一つ屋根の下って訳にもいかん。


「ミリヤならクラスの奴とお茶会だよ。あいつ超人気だったな」

「そりゃあんな美人なら当然でしょ。おにぃのどこを気に入ったのかあたしは疑問だよ」

「んなもん全部だろ?」

「あーダメンズが好きな系か。一生に一度のモテ期じゃん」

「あと二回は残ってらぁ」


 それに俺の場合二生目だ

 ん?て事はモテ期ってまだ沢山残ってるんじゃね?

 

 そんなくだらない事を考えていると、阿里沙が手を洗いだした。

 俺は妹の隣で靴下やら制服のシャツやらを脱いでいく。


「ちょっと!靴下ひっくり返さないでよ!」

「へいへい」

「あとあたしのと一緒のカゴに入れないで」

「……へいへい」


 俺は年頃の娘を持つお父さんですか。まだそんなに臭わねぇよ。


「あと──」

「ん?」


 阿里沙はびしょ濡れの拳で俺の脇腹に少し強めのパンチをくれた。


「……1ヶ月も家空けんならちゃんと連絡くらいしなさいよ。バカおにぃ」

「いてっ!」

「ふんっ」


 何なんだよ……反抗期ですか?

 俺が脇腹をさすっていると、洗面所から出ようとした阿里沙が顔だけをこちらへ向けた。


「あ、そだ。芹那ちゃんとはもう話した?」

「話したけど……それが何か?」

「別に。おにぃが居ない間何回もうちに来てたから、心配掛けてごめんくらい言っときなよって」

「お前、それ昨日のうちに言っとけよ……」


 そうすれば今日平岡に怒られる事もなかったのに。


「いきなり帰って来る方が悪いんでしょ!ったく、芹那ちゃんの気も知らないで女作って帰って来るとかほんと意味分かんないんだから」

「はぁー?何だよそれ……」


 俺だって遊んでた訳じゃないんだぞ!

 いきなり刺されて殺されるし、かと思えば異世界で地獄の日々が待っているし。

 飢えをしのぐ為に、食べられる草を探すあの日々を思い出すと今でも泣けてくる。


 そんな俺の苦悩を知る訳もない阿里沙は「知んない」と言って自室へと戻って行った。


「何なんだよ……」


 考えても仕方ないか。あいつが何考えてるかなんて分かる訳ないし。

 ミリヤがここに居れば『その思考停止具合、実にマスターらしいです』とか言いそうだな。


「へっ」


 俺は蛇口を捻って水を出す。

 じゃばじゃばと手に付いた汚れを洗いながら、独り言ちる。


「……あいつの居ない日常って2年振りかもな」


 



 次の日、俺は甚平を羽織って近所の神社へと赴いていた。

 隣を歩くミリヤが、恍惚に頬を染めているのを見ながら。


「昨日のぱふぇという食べ物は実に美味でした……。マスター、私はマスターに彼の食べ物の再現を求めます!」

「お前こっちの世界に順応しすぎじゃない?」


 夕飯前に帰って来たミリヤは、女子会で食べたイチゴパフェに心奪われたらしい。

 俺があの異世界で初めて食べたものは昆虫の卵だぞ。何この差。


 さて、俺が神社へと向かっている訳だが、理由は言うまでも無く平岡との約束を果たす為だ。

 ミリヤを連れて来てはいるが、待ち合わせ前に彼女には隠れて貰う。


「ミリヤ、さっきも言った通り平岡の"ステータスチェック"を頼む。病気ならすぐに分かるだろうしな」


 俺がミリヤを連れて来たのはこれが理由だ。

 平岡の体調不良は普通じゃなかった。


 ステータスチェックは、あの異世界で暮らす人々なら誰しもが使えるスキルなのだが、俺のお役立ちスキルセットには存在しなかったせいで使えない。忌々しいクソ女神め……。


「それは大丈夫ですが、彼女の事を随分と大事にされているのですね」

「そりゃそうだろ?学校で俺と唯一普通に喋ってくれる奴だぞ」

「……左様ですか」

「何だよ……?」


 ミリヤは立ち止まると、少しだけ俯いて呟いた。


「……彼女の事を想っているのですか?彼女ともう一度会う為にあちらの世界で頑張っていたのですか?」


 いきなり何を言ってるんだと思ったが、ミリヤが醸す雰囲気が真剣なものに感じたので口にするのは止めた。


 思えばミリヤにこちらの世界の事を話した事はあまり無かったな。

 

「平岡は……俺にとって──」

「……はい」


 ミリヤは俺の方を見ないまま、じっと言葉を待った。


「俺がここに居て良いと思わせてくれる存在かな」

「それはつまり……?」

「友達だって事だよ」

「……!」


 そう言うと、ミリヤは少しだけ微笑んで俺の隣に並んだ。


「やはりマスターはマスターですね。期待通りです」

「だから何の期待だよ」

「いえ。ですが、そのような存在が無いと安心出来ないのでしたら、目付きも言動も態度も悪いマスターにはこちらの世界は生きづらいのでは?あちらの世界の方がお似合いですよ」

「ちょっと?マスター泣きそう」

「気持ち悪いです。あとキモいです」

「それ同じ意味だから!昨日女子達に何を吹き込まれた!?」

「そうなんですか?」


 クソ、俺の奴隷に妙な言葉を教えたバカは誰だ。絶対特定してやるからな。


 俺が一人決意をしていると、ミリヤは「ふふ、やはり今の言葉は取り消しましょう」と言った。


「あ、当たり前だ。俺はキモくないもん」

「そっちじゃないですよ」

「そっちであれよ。あ、涙が……」


 目尻に浮かぶしょっぱい奴を拭っていると、ミリヤは俺よりも一歩前に出た。


「……あちらの世界だとマスターへのこの気持ちは伝える事も叶わないですからね」


 急に強く吹いた風がミリヤの言葉を掻き消してしまう。


「ん?何だって?」

「いえ、何でもありません」

「……?」


 黙ってしまったミリヤに疑問を持ちながらも、追及する事は止めておいた。

 言わないって事は、たぶん今聞いても仕方ない事だろうしな。


「さて、私はそろそろおいとましますが、あまり粗相を働かないように気を付けて下さいね」

「お前俺の事何だと思ってんだよ」

「奴隷にいつまで経っても手が出せないヘタレだと認識しておりますが?」

「ど、奴隷相手にそんな事したら俺は人として大事な何かを失うわ!」


 そりゃミリヤは俺の好みドストライクだよ!?

 だけど金で買って言うこと聞かせてる相手にそんなの出来ねぇよ!

 俺にだって倫理観ってのがあるの!!


「やれやれ……。さて、もう着きますね」

「お、おう……」


 前を見ると、神社の鳥居が見えて来た。

 花火はここから駅へ向かって、電車で3駅程乗った所で開催される。


「良し、ならミリヤ後ろ向いてくれ」

「はい」


 俺はミリヤの背中に手を付いて、2つのスキルを発動させた。


「"付与" "透化"」


 俺の持つスキルの中には、自分のスキルを他人へとエンチャント出来るスキルがある。それが"付与"スキルだ。

 ただし、効果はかなり弱くなった状態でだ。

 今回の場合だと透化どころか、景色に同化して見える程度の効果しかない。息を止めている間のみの制限も健在だ。


 しかし、付与相手がミリヤならばこれでも十分だ。


「相変わらず器用に何でもやりますね」

「そうしないと生きていけなかったからな。それより、お前喋ってて良いのか?呼吸は?」

「私は息をせずに2時間は活動出来ますから」

「……相変わらずの超人っぷりで」


 お前もう俺の奴隷辞めて一人で暮らせよ。

 あの異世界では冗談でも言えないセリフだが、こちらの世界ではそれが可能なので、それはそれで逆に言えない。

 こいつを手に入れるのに随分苦労したからな。


「では、しばらく──」


 ミリヤは風景へと溶け込み、気配を完全に殺した。

 ま、平岡の症状を確認したら後は自由にさせている。少しの間主人の為に働いて貰うとしよう。


 俺は俺で今日はエスコートを仰せつかった相手が居るしな。


「──平岡」


 鳥居の下に立つ、一人の美少女に目を奪われる。

 浴衣に身を包み、結って纏め上げた髪型がよく似合っている。


 彼女は俺に気付くと嬉しそうに駆け寄って来た。

 

「出流君!」

「お待たせ。今日は精一杯お相手させて頂きますよ。姫様」

「およ、それは良い心掛けです事よ。騎士様」


 俺達はそんな物語のセリフのような言葉で挨拶を交わす。

 

「ぷっ」

「ふふっ」


 顔を見合わせて思わず笑う。

 

「騎士様とか、似合わないね出流君は」

「言うねぇ。こう見えても騎士経験があるんだぞ?」


 あの異世界で王国の姫を敵国から浚って来る時に一度だけな、とまでは言えなかった。


「へぇ、じゃあ騎士道をお伺いしても?」

「女も子供も老人も、邪魔する奴はぶっ飛ばす!」

「最悪じゃん」

「うっ」


 平岡の返しに、俺に付けられた嫌な二つ名を思い出してしまった。

 

 俺はブンブンと頭を振った後、平岡に手を伸ばした。

 まだ花火会場までは電車に乗らなきゃいけないが、既に結構な人が夕方の道路を覆っている。


「……はぐれたらいけないからな。それにお前、毎年こうしろってうるさいし」

「! やっと学んでくれたみたいで嬉しいよ。で・も。言い訳しないと手も握れないなんて、騎士様失格かな?」

「すんませんねぇ……」


 俺はクスクスと笑う平岡の手を握った。


 その瞬間、俺はいよいよ彼女の体がおかしい事に気付いてしまった。


 今、季節は終わりが近付いているとは言え夏だ。

 涼しくなってきてはいても温度はゆうに30を越える。

 こいつが冷え性じゃないのは知っている。


 ──なぁ平岡。何でこんなに手が冷たいんだよ……。


 まるで氷にでも触れたかのように、彼女の手のひらは冷えきっていたのだ。

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