第4話 初恋


「何か私に言う事はありませんか、マスター?」


 仲林との胸糞悪い再会を果たしたその日の放課後、腕を組んで仁王立ちをしているミリヤが俺を起こす。


「ふぁ~……やっとホームルームも終わったか。良く寝た……」

「相変わらずぐうたらですね。それよりも、感謝の言葉と謝罪の言葉はまだですか?」

「んぁ……?」


 まだまどろみの消えない俺の頭が、ミリヤの言葉を反芻する。


「感謝……謝罪……」

「はい」

「俺のお姉ちゃんになってくれてありがとう。余計な誤解を増やしまくって俺にごめんなさいは?」

「何で私が謝る事になってるんですか、愚弟」

「おい!お前仮にもご主人様に向かって──」


 言い掛けたところでクラスメイトから死の視線が集まる。


「……いつもご迷惑をお掛けしてすみません、お姉様」

「よろしいです。次は無いですからね」

「ハハハ」


 こいつ、本当に俺の奴隷なの?不敬すぎない? 

 まぁ今に始まった事じゃないけど。


 俺がそろそろ帰ろうかと、背伸びをした時だ。


「出流君、一緒に帰ろ」

「平岡」


 隣の席の平岡がカバンを両手に持って満面の笑みを向けている。眩しすぎる。


「お前、生徒会は?」


 平岡は学校中で大人気の女の子だ。

 彼女の親が理事長と知り合いでもあり、推薦状が多く集まった彼女は生徒会副会長である。

 本当は会長になれたが、3年生の顔を立てる為に辞退したとか。どこまで立派なんだ。


 そんな平岡だが、少しだけ困ったように笑って俺の疑問に答えた。


「最近はお休み頂いてるの。今朝も言ったでしょ?体調が悪くてさ」

「え、そんなに悪いのか……?お前それ入院した方が──」


 俺が続けようとした言葉は、無理矢理腕を引っ張られたせいで発する事は出来なかった。


「もー良いから行くよ!」

「あ、ちょ、おい!」


 俺は平岡に引っ張られるまま教室のドアに向かう。


「マスタ──」

「ねぇミリヤさん!この後暇?良かったら女子でお茶しない!?」

「む」


 俺の後を追おうとしたミリヤだが、何やら女子会に誘われている。

 それを横目で見ながら、俺は少し頬を緩めてしまう。

 ミリヤは大の菓子好きだ。お茶も大好き。

 あの異世界でも俺が用意したホットケーキに食い付いてたっけな。


 俺は念話を発動し、ミリヤの頭に話し掛けた。


(行って来いよ。クラスに馴染んでた方が良い事が多いぞ)

(マスターには出来なかった事ですからね。ご自身のご体験からのご教授、痛み入ります)

(ちょっと?お前それ俺に友達が居ないって言いたいの?)

(おや?マスターの読解力はそんな事も理解出来ない程落ちているのですか。授業中に居眠りしているからですよ)

(おーけーお前が喧嘩を売っている事は良く分かった。帰ったらおぼettttt──)


「ほら、出流君!!」


 あ、念話の限界距離だ。


 俺は一瞬ミリヤに視線を移した後、平岡に歩調を合わせた。


 ……何故だろうか。

 こちらを見ているミリヤの視線が凄く寂しそうだったのは。





「……ミリヤの奴、怒り過ぎだろ」


 平岡と並んで歩く帰り道の途中、先程のミリヤとの念話を思い出して呟いた。


 あいつの毒舌はいつもの事だが、さっきのあいつは毒3割増って感じだったからな。


 俺を殺した仲林と会った事も勘付いてるみたいだったし、それのせいかな?

 

 少し俯いて考えていると、隣の平岡が俺を見て言う。


「出流君、ちょっと変わったよね」

「え?」


 不意にそんな事を言われたもんだから、つい視線が平岡の方を向く。


「男子三日会わざればって奴?なんか体格も良くなってるし」

「……そうだな。筋トレは結構頑張ったと思う」


 しないと死んじゃう世界だったからね。

 そこはパラメーターが伸びたら勝手に付いてくれよとも思ったが、そんなあまっちょろい世界ではない。


「ふふっ、私と会わない間に全く何をしてるんだか」

「悪かったよ。それどころじゃなくってさ」

「はいはい、大変だったんだよね。言われなくても見れば分かるよ」

「見ればって……」


 お前に俺の2年が分かる訳ないだろ。

 そう思ったが、平岡の泣き笑いのような悲しい笑顔でそんな気持ちは霞んで消えていった。


「ずっと出流君だけを見てたから」

「え……?」


 まだ夕日になるには早い時間だ。

 まるで告白をする前のような不思議な緊張感が走った気がする。


「本当はこの夏いっぱい……いーっぱい思い出を作って悔いを残さないようにしようって思ってたのに」

「平岡?それってどういう……?」


 俺の問い掛けに平岡は答えない。

 代わりに寄越すのは先程から同じ、悲しい笑顔。


「──ねぇ、出流君」

「は、はい……!」


 平岡はタタッ、と俺の前に出て後ろ手にカバンを持った。

 伸びた影が俺を覆う。

 俺が手を伸ばしても、生まれた影が平岡に届く事はない。


「私に心配掛けた償いをして貰います。拒否権はありません」

「償い……?」


 なんだ?結構強めの言葉が出てきたな。


 平岡に限って仲林みたいな恐ろしい展開は起こらないと思うけど……。

 腹の奥が疼くような不快感を感じた。


 それは嫌な予感となる。

 俺のこの手の予感が外れた事はない。

 ほんと、そろそろ外れて欲しいもんだ。


「まだやってる所があるから連れてって欲しいの。花火大会!」

「花火大会……?」


 毎年一緒に行ってるじゃねぇか……。

 どんだけ花火が好きなんだこいつ。


 すぐに首肯しない俺を見て、有無を言わせない不思議な圧力を掛けるように、平岡は顔を近付けてきた。


「拒否権はないって言ったよね?」

「え、えぇ、勿論行かせて頂きます!!」

「よろしい。では明日、いつもの神社でね」

「了解なり!」


 俺はピシッと敬礼を決めて返事をした。


 それを見て平岡は口元を隠して笑う。


「ふふっ、明日が楽しみ」

「……俺なんかを誘う変人はお前くらいだよ」


 事実、俺はこの手の話を家族を除いて平岡以外に誘われた事はない。

 

 何故、彼女は俺に構うのか。

 昔から疑問だったが考えても分かる事は無かった。


 俺を好きだったら良いなくらいは思った事もあるが、平岡は優しい女の子だからな。ぼっちを助けたいんだろうなと納得している。

 妙な勘違いで痛い思いをするのは嫌だしな。


 俺が一人うんうんと頷いていると、平岡が「それじゃ私こっちだから」と言って手を上げた。


「あれ、お前んちそっちじゃねぇだろ?」

「最近引っ越したんだ。出流君が行方をくらましてる間にね」

「……へ、へぇ~……」


 この話題を続けるのは分が悪いと判断した俺はそのまま素直に手を振った。


「そんじゃここでな。また明日」

「うん、また明日ね」


 俺がそのまま真っ直ぐに歩こうと一歩踏み出した時だ。平岡がぼそっと呟いた。


「……居るなんて知らなかったお姉さんは連れて来なくて良いからね」

「ひゃ、ひゃいっ……!」


 その声は異世界を含めて、俺の人生で聞いた全ての声色で一番低いものだった。





「……っ……」


 平岡芹那は出流と別れた後、壁沿いに手を付いて足を引きずって歩いていた。

 重い足は枷でもはめられているかのように動きが鈍い。


 数十メートルをそうやって進むと、黒塗りの送迎車が視界に入る。


 すると、慌てて駆け寄って来たのは芹那の担当メイドだ。


「お嬢様……!」

「……ありがとね」


 倒れ込む芹那を抱きかかえたメイドはそっと額に手を当てた。


「お嬢様……熱が……!」

「……家の人には黙っててね。明日だけは絶対迎えなきゃいけないの……」

「それは……」


 芹那は昔から体が弱かった。

 しかし、それも高校に入ると段々と治まってきていたのだ。

 それが半年程前からまた悪化し始めている。

 それも原因不明の病だ。

 発作が起こると呼吸の乱れ、そして全身に痺れが走る。


 お抱えの医者にも診せると、衰弱を続ける体は早急な入院が必要と言われる程だった。


 それでも芹那は登校を続けた。

 安定剤と増強剤を投与して、騙し騙し今日までを迎えていた。


「……本当、夏休みが最後のチャンスだったのに、バカ……!」


 メイドの腕の中で、芹那は涙を流す。


 一体1ヶ月もどこで何をしていたのか。

 初めの2,3日は連絡が返って来ない事に疑問は抱かなかった。

 だが1週間,2週間と返事が無い事に疑問が募っていった。

 出流の実家にも訪ねに行ったが返って来たのは『男の子たるもの一度は家出するもんさ』と呑気な答え。

 

 芹那も一度はそんな事もあるのか……?と考えたが、家の力を使っても見つからない出流をいよいよ本気で心配していた。


 2学期が始まっていきなり姿を見せた事に安堵はしていたが、事情を説明しない出流に腹も立っていた。

 しかし、芹那に出流のあれこれを聞いている時間はない。


 やもすれば明日にでも入院生活が始まるかも知れないのだ。


「……明日、言えると良いなぁ……」


 車の中までメイドに抱えられた芹那は、シートベルトを体に通すメイドから視線を外しながら呟いた。


 メイドもそんな芹那を見て悲しそうに笑う。


「頑張って下さい。初恋は叶うものです」

「ふふっ……叶わないものじゃないの……?」

「お嬢様に叶わない事はありませんもの」

「……そうだと良いなぁ」


 芹那は出流と出会った、幼い日の事を思い出しながら目蓋を閉じた。


「……大好きな人の記憶に一生残って死ねたらそれはどんなにか──」


 メイドは黙ってハンドルを握った。

 目尻に涙を浮かべながら。


 ──芹那の余命は半年もないと診断されていた。

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