第2話 お帰りなさい


「折方美理弥ミリヤと申します。よろしくお願いします」


 教壇の前でぺこりと頭を下げているのはミリヤだ。

 2学期が始まり、魔法を使って戸籍等の書類をでっちあげたあのバカは、転校生としてうちのクラスにやって来た。


 もちろん、浮世離れした美人の転校生に、クラスの連中は大盛り上がりだ。


 俺はそれを教室の端で肘をついて横目で眺めていた。


 俺からすれば2年振りの教室だ。

 少々のカタルシスに浸るのは許して欲しい。


「ふっ……」


 2年、そう2年もの間、俺は闘争の日々に身を置いていた。

 命懸けでモンスターと戦い、時に街を救う為に魔族を倒し、拐われた王国の姫を奪還する為に謀略を巡らせた。

 精神的にも肉体的にも大きく成長を遂げた筈だ。

 周りの同級生よりも精神年齢は上だし、体格は筋肉質になっている。


 まぁ──


「ミリヤさん!彼氏とか居ないんですか!?」

「ミリヤちゃんって海外の人!?美人すぎ……!」

「あれ?折方?そんな名字の奴クラスに居なかったっけ?」


 ──俺のそんな些細な変化はミリヤの登場で全て持っていかれているが。


 あと、折方って俺ね俺!クラスメイトの名前くらい覚えてろよ!


「あいつ大人気だなぁ……」


 さすがと言うべきか、大金はたいて買っただけはある。

 担任も目を奪われているくらいだしな。

 と言うか奪われるなよ。クソ教師め。


 俺が怨みがましい視線をクラス中に向けていると、隣の席から声が掛かる。


「出流君、あの子知り合い?」

「ん?」


 基本ぼっちである俺に話し掛けてくれたのは平岡ひらおか芹那せりな

 いわゆる幼馴染みというやつである。

 家がお隣さんって訳じゃないが、昔から両親同士が謎に仲が良くってな。

 天真爛漫で誰とでも仲良くなれる可愛い女の子だ。肩の辺りで髪を切り揃え、ゆるふわとした雰囲気は優しい印象を抱かせる。


 実家が超の付くお金持ちで、あちらの世界であれば公爵令嬢だったろうという、そんなレベルだ。富豪と友達とかやるな俺の親。


 ともかく、そんな子が俺みたいなインキャとお話してくれるんだ。現実世界万歳。


「ほら、あの子さっきから出流君の事じっと見てるし、名字も一緒だしさ」

「あー……」


 どう説明したものか……。

 俺が眉間にシワを寄せて悩んでいると、平岡は「それと」と続けた。


「夏休みの間、どこ行ってたの?未読無視に電話にも出ない。私、結構怒ってますよ?」

「えっ」


 物凄い笑顔なのに、ひくぅ~い声で俺を見る平岡。

 ハハ……駄目だ、言えない事が多すぎる。


 まさか『俺、異世界で冒険者してたんだ!しかも2年!!』なんて嘘過ぎるだろう。

 

 言っても良いが、恐らく喋れば喋るだけ正気を疑われる。

 もし平岡に精神科でも紹介されたら俺は泣く。学校で俺と話してくれる唯一の存在だからな。

 平岡は俺の心のオアシスなのだ。


「えーっとです……な。電波も入らない田舎のばぁちゃんちに行ってて……」


 目線を泳がせながらうつろうつろに言葉を吐き出すと、俺の額の前に丸まった人差し指が近付いて来る。


「いたっ!!」


 ちょっと強めのデコピンが俺の額を弾く。


「心配させないでよ。言いたくないなら聞かないから、せめて嘘はつかないで」

「……ごめん」


 よくよく考えれば、平岡はうちにそんな遠くの親戚が居ない事くらい知っているわな。

 

 平岡は一瞬だけ凄く悲しそうな顔をした後、すぐに顔を綻ばせて俺の額を撫でた。


「出流君が無事で良かった」

「……あぁ」


 思わず泣きそうになってしまう。

 辛い日々の果てに待っていたのは、クソ女神からの異世界追放だからな。

 何のお礼も恩恵もないとか──こっちでも魔法やスキルを使えるのはありがたいが──無茶苦茶だろマジで。


 俺は心の中で呟いた。

 ただいま、と──。


「こほっこほっ……!」

「平岡?」

「ご、ごめん、最近体の調子が悪くって……」

「大丈夫か?」

「う、うん……」


 平岡は苦しそうに豊満な胸を抑えながら咳を止めようとしている。

 昔から体が弱く、子供の頃は病弱な深窓の令嬢といった感じだった。

 高校に入ってからは体調もだいぶ戻ってきていた筈なのに……。


 俺が背中でもさすってやろうと手を伸ばした時だった。


「何をやっているのですか、マスター?」

「み、ミリヤ……?」


 ゴミを見るような目で俺を見下ろしているのは、人だかりから抜けてきたミリヤだ。


 俺がミリヤに平岡の体調が優れないので、こっそり治癒魔法でも使おうとしているのを説明しようとすると──


「い、出流君、"マスター"ってなに……!?」

「え、えと……平岡さんや?そんな睨まないで……?」

「マスター、今何をしようとしていたのですか?"それ"を人目のある所でしようとは正気ですか?」


 魔法を人目のある所で使うなって事!?

 どの口が言ってんだこいつ!


 てか何だこの状況。

 美少女二人に迫られている……とも取れなくない……?

 冷や汗が止まらないが。


「出流君ってそういう趣味なの……?」

「誤解だ!」

「誤解?マスターはマスターです。私はマスターの奴隷なのですから」

『!?!?』

「お前もうわざとやってるよなぁ!!」


 クラス全員のぎょっとした眼差しが俺を捉えた。

 おぉ、初めてクラスの人達と視線が合った。望んでないけどね!


 そうそう、隷属の首輪は現在可視化出来ないようにしている。

 普段はミリヤが『私の奴隷としての証を消すとかバカなのですか?』とか言うのでジャラジャラさせていたが、こっちではそうもいかない。


 俺がげんなりとうなだれていると、背中に刺すような視線を感じた。


「!」


 俺の貧弱スキルの一つ、"危機感知"スキルが発動している。

 ちなみにこのスキル、半径2メートル以内でしか効果を発揮しない。

 気付いた頃にはもう手遅れの役に立たないスキルだ。

 俺の持っているスキルはほとんどこんなものばかり。異世界での苦労がお分かり頂けるだろうか……。


 すぐさま俺に鋭い視線を向ける輩の方を見る。

 教室の外、廊下の方で暗く笑う女子生徒が一人。


 俺は小さくその女の名前を呟いた。


「……仲林なかばやし愛莉あいり……!」


 挑発するような表情に気付いているのは、クラスの中で俺だけだろう。


 彼女は顎をくいっと動かすと、そのまま気配を殺して廊下の奥へと消えた。


 ──誘っているのか……?

 

「ミリヤさん……だっけ?あなた、出流君とどういう関係なの?」

「だから言っているでしょう。私はマスターの奴隷です」

「そっ、そうじゃなくって!本当の事を教えてって事!出流君の親戚にあなたが居ない事は知ってるし……」

「あぁそういう事ですか。私は戸籍上マスターの姉ですよ。いつも愚弟がお世話になっております」

「あ、ご丁寧にどうも。──え、嘘……お姉さん!?」


 ん?俺の意識が仲林に向いている間に何かまたややこしい事になっていっている気が……?


 まぁ良い。俺はあの異世界で手に入れたスキルの一つ"念話"を発動した。


(ミリヤ、悪いが急用だ)

(! 念話ですか。女神様から貰った"お役立ちスキルセット"の中でもまだ使えるスキルの一つですね。半径1メートル以内の人間と頭の中で会話が出来る。まぁ会話可能な距離が短すぎますが)

(……説明どーも。とにかく少しここを離れる。付いてくるなよ。命令だ)

(……ポジティブ)

(良い子だ。担任には上手いこと誤魔化しておいてくれ。得意だろ?)

(はぁ……早く行って下さい)

(さんきゅ)


 視線で不機嫌を伝えてくるミリヤを無視し、俺は念話を切った。

 一瞬、俺を睨んだミリヤの瞳が赤く光ったが、気にしている暇はない。


 すぐさま別のスキルを発動させる。


「──透化」


 透化は息を止めている間だけ効果が続く。

 使えそうで使えないんだよなぁこれ……。

 走りながら息を止めるとか、保って数秒だ。

 それに感知スキル持ちの奴には効果が発揮されない。


「すぅっ──」


 思い切り息を吸い込むと体が半透明化し、俺という存在が段々と希薄になっていく。

 そして誰にも気配を悟らせる事なく教室を出た。


 去り際にミリヤが何か呟いていたが、その言葉が俺に届く事は無かった。


「……さすが、カヤバナ王国"最悪の英雄"ですね。姫様を拐ってきた手腕は衰えていませんか」





「屋上か……」


 俺がこっそりとやって来たのは、今どき珍しく解放されている屋上だ。

 ついでに言えば俺が仲林に殺された場所でもある。


 間違いない、薄暗い階段を上がった先にあいつが居る。


 俺を誘うように気配が残されていた。

 魔力の残滓まで残っていやがる。


 ……嫌な予感が止まらないね。


 俺は怯む事なく、屋上のドアを開けた。

 きつく風が吹き込む中、重い足を進ませる。


 差し込む日光に目が眩みながらも、前を見ると──。


「お帰りなさい、折方出流。会いたく無かったわ」

「俺はお前にただいまを言ったつもりはねーぞ、人殺し」


 復讐を誓った相手との再会だ。

 さぁ、派手にいってみようか──。

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