池田屋女装潜入作戦-4

 その日の夜。

 個室で就寝していたわたしは、妙な夢を見た。

 夢というか――夢じゃないというか――枕元に、誰かが立っていた。

 夜這い?

 ままままさか、ほんとうに土方さんが?


「違いますよ。ご挨拶が遅くなってすみません、沖田です」


 って――えええええっ? 沖田総司くんっ? ほんものっ?

 間違いない。「侍死」の沖田総司本人だー! でも魂だけみたい。身体は、だって、わたしが占拠してるから。

 今までどこにいたの? やっぱりこの身体の中? 今まで現れなかったのに、突然出てこられたのは、どうしてっ?


「どうもあなたが起きていると、わたしは出てこられないんです。身体がひとつしかないので、どちらか一方しか覚醒できないんですよ。さりとて、あなたが寝てしまってはお話できませんしね。しかし今のあなたは金縛りになっていて、身体は寝ているけれど頭だけは目覚めている状態です。奇跡的に二人で対話できる機会なんですよ」


 確かに、わたしは金縛りで身体が動かせない。なんともバツの悪い初対面となってしまった。

 かろうじて口は動かせるので、とにかく「勝手に憑依してごめんなさい」と詫びるしかなかった。沖田総司が新選組でこれから大活躍しようという時に、わたしってばなんというはた迷惑な真似を。しかも、どうしてこうなったのか未だにわからないし、出て行く方法もわからない。


「いえいえ、いいんですよ。あなたはこの世界を、ずっと外側の世界から眺めてくれてきた人ですよね? いつも、わたしが剣を振るって戦う時に見えない力を与えて応援し続けてくれた人です。この世界を覗いている人は大勢いたけれど、あなたが一番、わたしを応援してくれてきた」


 えっ? それって、わたしが「侍死」で沖田総司でプレイし続けてレベル200というチート限界に到達したことを言っているの? 「侍死」世界の外部にさらに別の世界があるって、気づいていた? メタ視点を獲得してるの? どうしてそんなことが?


「だから、あなたを選んだんです。たまたま、あなたもわたしと同じく、早死にする運命だった。交通事故――って言うんでしたっけ、あなたの世界では。巨大な鉄の車に引かれた直後、あなたの魂が一瞬、ふたつの世界の狭間に浮いていた。そのまま天界に連れて行かれそうになったあなたの魂を、無理にわたしの身体に入れたんです。わたし自身が。わたしは既に労咳が進んでいまして、半分死にかけていて自分の魂が身体からよく抜けるようになっていたから、外の世界のあなたを見ることもできたし、魂をこの世界に連れてくることもできたんでしょうね」


 ええ? 沖田総司くんが、わたしを「侍死」の世界に連れてきてくれた?

 しかも、わたしの魂を自分の身体に入れたって、どうして……?


「不思議な話ですが、わたしは、前世の記憶があるんですよ。前世、そのまた前世、そのまた前世の記憶も。どうやらこの世界は、無限に繰り返されている。あなたの世界で言うところのループ状態に陥っているみたいです。しかも、何度やり直しても必ずわたしは労咳で死に、近藤さんも土方さんも薩長率いる官軍に敗れて死に、京も江戸も追われた新選組は蝦夷地の箱館で壊滅してしまう。いくら前世の記憶が残っていたって、『また総司が冗談を言っている』と誰にも信用されないし、肝心のわたしは身体が壊れてしまっていて池田屋で喀血し、すぐに死ぬので、どうしようもない。歴史を変えられない。近藤さんや土方さんを救えない。どうやらこの世界に生まれ育った人間だけでは、定められた歴史を修正することは不可能らしいんです」


 沖田くん……!?

 こんなことが、あるんだろうか。

 自分が「侍死」世界のキャラクターだという「自覚」を、「自意識」を持ったんだ?

 もともとはゲームのキャラクターなのに、完全に「ほんものの人間」なんだ……!

 どうして? まさか、わたしがレベル200まで鍛え上げ続けてチート限界を突破したせい? それとも、単なる奇跡なのかな?


「だから、外部からあなたを呼んだんです。女になってしまったのは、故意じゃないんですよ。わたしの身体に女性の魂を入れた副作用みたいなものです。ご不便をおかけしています。ご迷惑でしょうが、あなたもこの世界の歴史に詳しいですよね?」


 は、はい。バックボーンとなる歴史知識はさっぱりですが、「侍死」で新選組のキャラクターたちが辿る運命にはとても詳しいです。あらゆるシーンのあらゆる台詞、だいたい覚えてます! 土方さんが池田屋で「待たせたな!」と格好をつけてドヤ顔で飛ばす台詞、最高です! いつも大きな口を開いて笑って隊士たちを迎えてくれる、近藤さんの清々しいこと! 女性にめっぽう弱いのも近藤さんらしくて、いいです! 桂さんの恋人の幾松さんに「あたしの部屋を調べて桂小五郎が出てこなければ、切腹してくれますの?」と叱りつけられて「かたじけない」と大きな身体を縮めながら退散していく姿とか、愛嬌たっぷりで……そして、沖田さんはいつも天真爛漫でかわいくて純朴で、ほんとうに……!


「剣術はわたしが補佐しますから、どうか新選組の近藤さん、土方さんたちを救っていただけないでしょうか。あなたの魂が入ってくれたおかげで、わたしの身体も健康になりましたし、こんどこそ無限に続いてきた新選組滅亡の無限輪廻を終わらせることができるかもしれません。あなたの魂を身体から抜くと、またすぐわたしは労咳で倒れて元の木阿弥ですからね。勝手なことばかり頼んで、ほんとうにごめんなさい」


 いえっ! 謝るのはわたしのほうです! っていうか感謝しています、沖田くん!

 わたしも、ずっと「侍死」のキャラクターたちが、ううん、新選組のみんなが破滅していく姿をじっと見ていることしかできなくて、いつも悔しくて悲しかった。自分が介入できれば、絶対に歴史を変えるのに、と歯がみしていた。

 それに、わたしは前世では結局、なにも成せないままにあっけなく死んじゃったし。

 天才剣士として生まれたのに、病を発して病床から新選組の滅びを見ていることしかできなかった沖田くんの気持ちは、よくわかる……!

 やります。頑張ります。やらせてください!

 一緒に新選組の運命を変えましょう、沖田くん!


「ありがとうございます。土方さんには、わたしの身体を借りてはいるが完全な別人だと再三伝えておいてくださいね。あの人は気難しくて、悩みだしたら止まらないところがあるんです。本来、新選組のような血生臭い組織の運営には向いていないんですよ。面倒な人ですけれど、ほんとうは優しい人です。どうかよろしくお願いします」


 はいっ! 沖田さん!

 わかりました、どうかご安心を! あと、時々こうやって出て来て助言してもらえると助かります! わたし、馬鹿なので! 頑張って、金縛りに合ってみせますから! いつでも好きな時に金縛りになれる体質になります!

 そうかー! わたしがどうして沖田総司になったのか、なぜ女の子になっちゃったのか、なにもかも理解できた。もう、迷わない。よーし、池田屋事件を阻止するんだー!

 朝になったらまず、土方さんにこの件を伝えなくちゃ。ほんものの沖田くんの公認を得て活動しています! と。

 きっと、これからは土方さんもわたしを後押ししてくれるよ。

 ……

 ……

 ……



 ところが。

 翌朝、目覚めてみたら、壬生屯所は想像を絶する大騒ぎになっていた。


「フハーハハハハハ! この武田観柳斎がついに、長州不逞浪士どもの決起計画の証拠を掴みましたぞ土方副長! 河原町四条の升屋喜右衛門なる男、商人になりすましていましたが、その正体は歴戦の長州の志士・古高俊太郎! 古高の店には多数の鉄砲、弾薬、槍に弓その他の武具が備蓄されておりました! 現在、わが隊の隊士たちが奴の店を占拠しておりますぞ!」


 な、なんだってええええー!?

 あーっ、わたしってば馬鹿だー!

 切腹がかかった武田さんが血眼で長州を内偵していたことを、すっかり忘れていたー!

 そして、「侍死」屈指の一大イベント・池田屋事件の発端となった「古高俊太郎捕縛」は、この人がやったことだということも!

 なんだか衆道騒動ばかり起こして、そんな大手柄を立てるようなキャラに見えなかったから……!


 しまったー! ああもう沖田さん、出てくるのが一日遅れましたよー!

 そうか。わたしの魂が覚醒している間は、沖田さんは出てこられないんだった。うう。わたしがもっと早く金縛りに合っていれば……でもわたしって夜は熟睡できちゃうタイプだから、よほど気疲れしていないと金縛りなんかにはならないよー。

 とにかく――これで池田屋事件が、起こってしまう!

 うげげ。近藤さんが珍しく、シリアスな表情になっている……! そりゃそうだよね?


「歳、大変なことになりそうだなこいつは。もともと、長州の過激派連中が京で暴れるんじゃないかという噂はずっとあったが」


「ああ。俺のカンだが、これはガチの武装蜂起計画だよ近藤さん。総司、池田屋で情報は掴めているのか? おめえまさか、知っていて黙っているんじゃねえだろうな? これ以上連中を捨て置けば、京は火の海だぜ? そうなりゃあ京は大混乱だ。こんどこそ会津藩公を本気で狙ってくるかもしれねえ」


 ひいい。土方さんの表情が、臨戦態勢に切り替わっている!?


「と、特に今のところは。今日もお仕事ですから、なんとしても掴んできますよ。そ、それまでは様子を見ましょう。お願いします!」


「池田屋にまだ行くのか? お前、桂小五郎と親しくなってるんじゃねえだろうな? あいつ、祇園でおめえの色香にやられちまって、最近では沖田総司と結婚したいとかほざいていると聞いたぜ? てめえ、そんな真似をしたらいくら間諜仕事とはいえ切腹だぞ?」


「桂さんと結婚なんてしません、しませんから! 桂さんしか彼らの暴走を止められる人はいませんから、すぐに話をつけてきますっ! 人質にした古高さんを返還する代わりに武装決起は諦めてもらうという条件で長州と手打ちということにして、責任者数名を捕縛して話を済ませましょう!」


「っておい? 長州と取引するつもりか? まさかほんとうに桂とつるんでるのか、総司? ちょっと待て! 大物幹部の古高を捕縛されて、向こうの連中も大騒ぎになっているんだ。今は池田屋に行くな、冗談じゃねえぞ。危険すぎる!」


「危険でもなんでも、このままでは新選組と長州が、相手が倒れるまで続く激しい戦争をはじめちゃうんです! 京も焼け野原になっちゃう! わたしがなんとかしないと……そうでないと、わたしが沖田総司である意味がなくなっちゃいます!」


「……またお前は……勝手にしやがれ! 俺は止めたぞ。どんなことになっても、もう知ったこっちゃねえからな。新選組副長としての任務を優先するぜ、俺は」


「いいですよ、そうしてください! わたしのために私情で新選組を動かさないでくださいよ、土方さん!」


「ああ? なんだよてめえ、その言い方は? 誰がそんな馬鹿な真似をするか!」


「だって、先日だってわたしを斬り合いの現場から逃がすために斎藤さんに殿をやらせたじゃないですかー!」


「……斎藤は特別だ。あいつはそう簡単には死なないから、いいんだよ」


「よくないです、斎藤さんは死ぬ気でしたよ! わたしのために他の隊士の命を捨てちゃ駄目ですからねっ? それじゃ意味がないんです!」


「うるせえよ! だったら池田屋になんて行くな、馬鹿っ! おめえが勝手にどんどん死地に飛び込み続けるから、俺ぁだな……お前一人の働きで歴史を変えられるだなんて、とんでもねえ見当違いだ! 一人で動くんじゃねえ!」


「だって。だって……わたしは、土方さんたちに……生きて、もらいたくて……」


「泣くな! 泣いても俺ぁ許可しねえからな! ああもう、だから苦手なんだ、お前は!」


「……済みません、わたしって馬鹿なので……いつも暴走して……わたしのこと、迷惑ですか……土方さん……」


「ああ、迷惑だね! お前の顔を見ていると、俺としたことが訳がわからなくなっちまう! 油断するとすぐに、新選組副長という立場を忘れそうになる! 俳諧なんぞ再開しちまって、仕事に集中できねえ。次々と厄介事を持ち込んでくるてめえのせいだぞ!」


「……うっ……ぐすっ……ごめんなさい……それでも、わたしは……土方さんに、生き延びてほしい……どうすれば……」


「だから、泣くなよ! 沖田総司なんだろうが、てめえはよ! 狡いじゃねえか、そんなふうに泣かれちゃあ俺はなにも言えなくなるだろうに……!」


「土方さん。ほんものの沖田くんだって、大泣きするんですよ! 労咳が悪化して、新選組から離脱させられ江戸に置き去りにされることになった時に。わたしを置いていかないでください土方さんと、子供みたいにギャン泣きするんですよ……! そんな沖田くんを見ていたわたしも、いつも沖田くんと一緒に、泣きじゃくっていました……!」


「……ああ、畜生。やめろ、やめてくれ! 頼むから俺の心を乱すな、新選組と近藤さんの命運がかかっている今だけは……! まるで自分は偽者だみてえなことは言うな、お前は正真正銘、沖田総司だよ! それだけは認めてやる! だから、後生だから池田屋には行くな……」


 隊士たちが、「土方さんと沖田さんが揉めている」「あの雰囲気、ただ事じゃないぞ」「なんだか痴話喧嘩みたいだな」「まさかあの二人、恋仲なんじゃあ?」とどよめきはじめた。

 わたしと土方さんの口論をじっと見つめていた山南さんが、


「一部、私には理解しがたい会話もありましたが、お二人の関係は誰よりも深いですから仕方ないでしょうね。土方くん、両者の言い分ともに一理あります。前回の合図藩公護衛の際には、土方くんが沖田くんに黙って策を弄したのですから、今回は沖田くんの意志を尊重してはどうでしょう。それでお互いに五分と五分です」


「山南さん? あの時は、あんたが総司を救いに行けと、総司は決して敵から逃げないと俺を怒鳴りつけたんじゃねえか。俺だって、その通りだと納得して従ったさ。それが、なぜ今日は総司の暴走を後押ししやがる?」


「土方さん。先日もそうでしたが、あなたは沖田くんに過保護すぎていつもの冷静さを見失っています。沖田くんが心配なのはわかりますが、沖田くんがあなたに求めているものは――過保護ではない。『信頼』です。新選組の運命がかかったこの重大場面で、彼女を信じてみましょう」


 議論になれば、土方さんが理屈屋の山南さんに勝てることはまずない。

 でも、山南さん? 明らかにわたしは危険な死地に飛び込もうとしているのに、どうして後押ししてくれるんですか?


(「侍死」では、「迂闊に長州を刺激しては一大事になります。慎重に行動しましょう」と、池田屋取り調べの時にも安全策を進言するほど慎重で消極的だった人なのに?)


 なんだろう。山南さんの言動が、「侍死」と大幅に違う。最近、総長室を不在にしがちで、島原で毎晩飲んでいるという噂を聞いているけれど、関係あるのかな?


「沖田くん。堅物だった私も少々勉強してきまして、女性の心や情が多少はわかるようになりましてね。ただ島原で飲み続けていたわけではないんですよ。理屈では土方くんが正しい。ですがあなたをここで止めれば、沖田総司という女性の心を殺すことになってしまう。あなたは、なにがなんでも新選組と土方くんのために志を成したい。そのためだけに新選組隊士沖田総司として生きている。そうですよね?」


「山南さん……」


 もしかして、わたしの正体に勘づいているのだろうか。利発な人だから。律儀に島原に通って女性心理を学んだ結果、見破ったのだろうか?

 でも、それでもわたしの背中を押してくれるんだ。


「……わかったよ。好きにしろ総司……お前は十中八九連中に捕まるが、俺ぁ絶対に助けにいかねえぜ。これだけ止めたんだ、次は容赦なく見捨てるぜ。俺は、情よりも新選組を優先するからな! そうでなきゃあ、俺ぁ先代局長の芹沢鴨に申し訳がたたねえ!」


 山南さんの理詰めを苦手にしている土方さんが、ついに折れた。

 いやでも、折れたけれども、完全にふてくされてるよー!

 むーっ。子供じゃあるまいし、なんですかその拗ね方は。


「はいっ、そーしてください! 絶対に池田屋に斬りこんじゃいけませんよ、土方さん!」


「わかってらあ! ああもう、面倒くせえ奴だな……さっさと行っちまえ!」


 んもー。土方さんってほんとうに、面倒な人だなー。いつものクールさはどうしたの。

 まるで片思い中の男子中学生みたいな態度なんだから。

 確かに今乗り込むのは危険だけれど、池田屋には桂さんがいる。なんとかなる!

 沖田くん。新選組を破滅から救うチャンスは、今だよ。今しかない!

 わたしは、急いで女装して池田屋へと駆けた――。

 果たして、歴史は変わるのか。変えられるのか。

 お借りしている沖田くんの身体を、無事に守り通せるのか。


(ううん。迷っちゃ駄目。とにかく今日行動しなくちゃ。今日の行動が、すべてを決めるんだから!)

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