池田屋女装潜入作戦-3


 ある日の深夜。

 池田屋でのお仕事がやっと終わったわたしは、身も心もヘロヘロに疲弊しきってやっと屯所に戻ってきた。

 いろいろと情報は得られたような気もするけれど、あんまり覚えていない……。


(志士の皆さんの酒癖の悪さもアレだけれど、とにかく桂さんの愚痴が長い! 今までは、いったい誰が桂さんの愚痴を聞いていたんだろう? 幾松さんなのかな?)


 けっこう着込んで踊ったりしたので、身体は汗でびっしょり。寝る前に庭で水浴びをしたいけれど、もしもまだ起きている隊士に覗かれたらアレだしね……専用風呂はこの時間になるともう閉まってるし、どうしようかな。

 はあ~。24時間シャワー浴び放題だったユニットバスが恋しいです。

 とりあえず、今夜は手ぬぐいで首筋と顔を拭いて寝ちゃおう。

 入浴は明日だ、明日。

 庭園で月を見上げながら、わたしは大坂の南蛮商館で手に入れた西洋タオルで顔を拭いながら(これで新選組の運命を変えられればいいのだけれど)と思わず呟いていた。


 わたしは、ほんとうに土方さんたちの役に立てているのだろうか。

 沖田総司女体化騒動を起こして、波風ばかり立たせているような気もする。

 土方さんは、わたしを除隊させて危険な現場から遠ざけたくて仕方がないみたいだし。

 もしも土方さんが、新選組よりもわたしの安全を優先して策を誤ったら……会津藩公襲撃事件の時は、紙一重だったものね。苦言を呈してくれた山南さんがいなかったら、どうなっていたか。

 わたしって、土方さんの負担にしかなっていないのかなあ……。

 池田屋潜入にも、どれだけの意味があるのかな。

 戸惑いながら、目に涙を浮かべていると。


「……おお。遅くまでお勤めご苦労さん、総司」


 試衛館最古参の大ベテラン。井上源三郎さん。通称・源さんが声をかけてくれた。


「わたしゃまだまだ老人ではないのだけれど、歳を取るとなかなか眠れなくてねえ」


 源さんは、近藤さんの兄弟子にあたる人で、試衛館時代から黙々と地味な下働きをこなしてくれてきた、縁の下の力持ちのような先輩だ。

 性格が温厚すぎるのか、剣術の腕はいまいちだが、年齢よりもずっと老成していて、老賢者といった雰囲気の持ち主で、隊内でも人望は篤い。

 年下の後輩の近藤さんが試衛館を継いだことにもいっさい不満を抱かず、「強い者が継ぐ。それが天然理心流だよ。いや、めでたい」と大喜び。

 以後、近藤さんを「若先生」と呼んで忠実に仕えてきてくれた。


 試衛館組が食い詰めて上洛して、新選組を結成した時にも、

「私は無学者で尊皇も攘夷もよくわかりませんが、どこまでも若先生についていきますよ」

 と、一も二もなく入隊してくれた。


 それからも、屯所で掃除や洗濯のような下働きを淡々と続けながら、命を賭けた巡邏仕事にも「できれば斬り合いはしたくないねえ」と飄々とした表情で出て行くという、無欲な働き者のおじさんだ。

 近藤さんはいい先輩を持ったなあ、とつくづく思う。


「なあ、総司。お前さん、中身は沖田総司じゃないね?」


 思わず、声を失っていた。

 源さんが突然、真相を言い当てたからだ。


「いやなに、総司が幼い頃から面倒を見てきたものでね。その仕草を見ていればわかるさ。総司も天真爛漫だったが、顔や身体を拭く仕草はもっと豪快だったよ。お前さん、生まれながらのお若い女性なんだね」


「え、えっと……そのっ……げげげ源さん、どうしていきなりそんな話を……?」


 どう反応するのが正解なのか、まったくわからない!

 源さんって、自己主張とかしない人だし。仙人っぽいっていうか。

 わざわざ新選組に波風を立てるような真似は絶対にやらない人のはず。

 源さんは「侍死」では、新選組と幕府の転落が確定した「鳥羽伏見の戦い」で、形勢不利となった絶望的な戦場に最後まで居残り、黙って死んでいった。最後の最後まで、近藤さんと新選組に従順に尽くして、そして散っていった、そんな純朴な人だった。


「いやなに。土方さんがねえ、副長室に籠もりきりで恋の俳諧なぞ捻り出したりして、妙な案配なんだよ。どうやら、総司が女体化の病を発症したから悩んでいる、というような単純な理由ではなさそうでね」


 ええ? 土方さんが? 恋の俳句を? 上洛してから、俳句は禁止してたはず……?


「ひょっとして総司の中身に、どこかの町娘さんが入っているんじゃないか、それで身体も女性になったんじゃないかと、わたしゃ回らない知恵で考えてみたんだなあ。すると、土方さんがあれだけ混乱して迷っている理由も説明できる。だって、弟分の総司が女になったからって、あんなふうに取り乱す人じゃないからね」


「そ、そ、そうなんですか。ええと、その……わ、わたしは……源さん、実は……」


「ああ、いやいや。今のは私の独り言さ。総司に、土方さんのことを気に掛けておいておくれと伝えたかっただけだよ。あの人はぶっきらぼうに見えて、心が繊細だからね。判断を誤らないよう、総司がきちんと土方さんに向かい合ってあげてくれればいいんだ。お前さんが池田屋に勤めるようになってから、いよいよ不機嫌だからね土方さんは」


 あっ? 最近は桂さんに時間を割きすぎて、土方さんとほとんど会話していない。そういえば。


「局長は若先生だけれど、新選組は実質、土方さんの組織だからね。その彼が柄にもなく恋に惑っていては、新選組の行く末が心配でね。総司の中に入っている誰かさん自身も含めてね」


「……恋に惑う……土方さんが……それって、相手は……」


 まさか。

 でも土方さんだけが、わたしの中身が沖田総司じゃない別人格の女子だということを知っている人間だ……。

 いや、待って待って。でもさ、江戸でさんざん女性にモテてきてあれこれ浮名も流してきた天然ジゴロ系の土方さんが、恋愛偏差値測定不能のわたしなんかに……ないでしょ。ない、ない。生娘は嫌だ苦手だどうしていいかわからねえみたいなこと言ってたしー。


 しかも、ガワが弟分の沖田総司だし。

 明らかに倒錯してるよね。もしなにかの間違いで土方さんがわたしに好意を持っても、見た目はほぼ沖田総司だから、そりゃ困っちゃうよね……って、まさか、ほんとうに?

 だったら、どうしよう? どんな顔をして土方さんと話せばいいんだろう?

 うわっ、急に意識してしまって、顔が火照ってきた!?


「いやあ。お前さんは、外面は完全に総司だからね。そりゃあ土方さんが恋愛経験豊富でも、これは道ならぬ恋だと悩むよ。ああ、今のも私の独り言だからね。それじゃあまた明日、頑張ってお勤めしよう。大変だろうが総司の代わりを頼むよ、総司の中の誰かさん――いやいや。すべてはおじさんの独り合点だから、誰にも漏らしはしないよ」


 源さんは長者のような福々しい笑顔を浮かべながら、一人で「きゃあああ」と舞いあがっているわたしの肩をぽんと叩くと、


「上洛以来、土方さんは新選組と若先生を守るために鬼の副長の仮面をつけて、だんだん人情を見失いつつあった。その土方さんが本来の活き活きした表情を取り戻してきたのは、あんたのおかげだよ。どうかくれぐれも土方さんを頼むよ、誰かさん」


 優しく微笑みながら、部屋へと戻っていった。

 源さんを死なせたくない、とわたしは祈った。

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