会津公護衛任務-2


 昨夜遅くに壬生屯所に呼び戻された斎藤一は、原田左之助から「総司の秘密、知ってるか~?」と沖田総司女性説を伝えられて「……意味がわからない」と呟いたあと、副長室に入り、仏頂面の土方歳三から指令を受けた。

 土方の様子がいつもと違う、と斎藤はすぐに気づいた。斎藤は無口だが、観察眼は鋭い。むしろ人の顔色を読むことにかけては、山崎烝以上だ。

 それ故に、一介の剣客にしか見えない斎藤は、土方から間者としても重用されていた。

 土方さんはやけに焦っている。なにを悩んでいるのか、と不思議に思った。


「……総司が女だという件、原田から聞いたな?」


「聞いた。あんたが原田に言いふらせているな、土方さん。なんの冗談だ、あれは。総司は男だ」


「それが、冗談じゃないんだよ。隊士たちは、松本良順先生が総司に和蘭陀医学の施術を行って女の身体にしてしまったとか、宦官みたいなもので総司が自ら女になりたがったんだとか、面白おかしくくだらねえ噂をしているが、ほんとうは鴨川で俺と二人でふらふら歩いている最中に突然倒れて、いきなり女になっちまったんだ」


「面妖だな。にわか病か」


「ああ。一応、近藤さんたちには、病だと説明してある。俺も、そうだと思い込んでいたしな。だが、実はそうじゃねえことを知っちまった」


「……病ではない……?」


「斎藤、お前は口が堅い。秘密を墓場まで黙って持っていける男だ――だからお前にだけは打ち明けるが、今の総司の身体の中には、未来から来た町娘が入り込んでいやがるんだ。今のあいつは、総司でありながら町娘でもある。しかも意識は、完全に町娘のほうだ。ほんものの総司はずっと眠っていやがる。得意の剣術を繰り出すのも、寝ながらやってるんだよ」


「素人娘でありながら、総司の剣だけは使える、と?」


「そうだ」


「こんな素っ頓狂な話を、信じるかね」


「あんたがそう言うのなら、信じるさ」


 土方がこんな妙な冗談を言うような人間ではないことは、長い付き合いでよくわかっていた。そっと土方の目を覗き込んでみたが、瞳の輝きは正気を保っている。

 もともと、「芹沢鴨暗殺決行」の夜から土方は新選組という組織を維持運営するためになら鬼にもなると覚悟し、ある意味正気を失っているといえば失っているのだが、逆に言えばあの夜と変わらない。


 つまり土方さんは完全に壊れているのではない、心が激しく揺れてはいるが正気なのだと斎藤は理解した。

 だが、さすがに理解が追いつかない。そんな神がかりみたいなことが、実際に起こるものなのだろうか?


「言われてみれば近頃、総司が嫌な咳をするようになったとは思っていたが……」


「俺も、馬鹿でも夏風邪を引くものだなあとは思っていたが、ありゃあ労咳だそうだ」


「労咳? いったん発症したら、治らないぞ。総司は死ぬのか?」


「ああ。あと数年の命だよ」


 そんなことがあっていいのか、と斎藤は戸惑った。自分のような物心ついた頃からの人斬りがのうのうと生きていて、あの純粋無垢を具現化したかのような沖田総司が。誰にも到達できない剣の境地に若くして登り詰めた、あの天才剣士が。

 あるいは、もともと虚弱な身体で猛稽古を重ねた反動なのかもしれなかった。


「土方さん。総司自身がそう告げたのか?」


「告げたのは、総司の中に居着いている町娘さ。名前は……名前は聞いてねえなあ、そういやあ。二百年ほどの未来から来たから、新選組の俺たちの運命を知っているんだとよ。それで、新選組のみんなを救いたいだのんだのと抜かして、どうしても除隊してくれねえ。困った奴だ。顔も剣術も総司そのものだが、実は中身は剣術なんざおよそ無縁な若い女だとわかっちまった以上、斬り合いなんざさせておけねえよ」


 要は、総司の剣術を使えるとしてもその娘を死なせたくないのだな、と斎藤は察した。

 土方歳三には、そういうところがある。

 そして、幼い頃「殺し屋」に身を落として食いつないでいた斎藤一自身にも。

 二度と、女子供が血を流す場面を見たくない、という強い思いがあった。

 かつて江戸の試衛館で一時世話になっていた近藤さんと土方さんに京で再会して、「誠の武士になろう、斎藤くん!」「おめえの剣技とその無愛想さが、うちには必要だ」と口説かれて今一度新選組に拾ってもらった以上、自分は最後までこの二人に犬として仕える、どこまでも着いて行くと密かに誓った。


 だが、「女子供を殺せ」とか「暗殺の際、女を巻き込んでも構わん」という類いの命令にだけは決して従うまいとも誓っていた。

 今回の命令は、その逆だ。女を生かせ、と土方は言っている。斎藤としては一も二もなく承諾するしかない。だが、あまりにも浮世離れした話すぎた。

 斎藤は珍しく饒舌になり、質問を飛ばしていた。


「つまり、その娘は未来から来た生き霊だか死霊だかみたいなものか。総司の身体から出て行かせる方法は、ないのか」


「ない。あの娘自身、どうして総司の身体に入ってしまったのかわからねえそうだ。すっとぼけてやがる。それに、無理に出て行かせれば総司は目覚めるだろうが、総司の身体も本来の身体に戻るから、労咳を発症して数年で死ぬだろうよ」


「……その娘が、未来から来た証拠は」


「いずれ長州志士が池田屋に集まって陰謀計画を練る、と言っていやがった。ところがあいつ、この時代に大して詳しくねえんだよ! 尊皇攘夷も知らなければ、公武合体もわかってねえ。今の日本の政局に興味がねえんだ。あいつは、ただただ新選組が好きなだけらしいんだ。まるで役に立たねえ。とりあえず池田屋は、山崎に調べさせているがよ」


「……ただ、新選組が好きなだけ……? こんな吹けば飛ぶような壬生の野良犬連中が、遠い未来に名を遺すというのか土方さん。剣術に無縁な町娘などにまで?」


「信じられないが、そうらしい。ただ、あいつの口ぶりじゃあ、俺たち試衛館以来の古参隊士はほとんど死んじまうみてえだな。喧嘩好きの俺なんかは絶対に戦場で闘死するだろうよ。あいつの顔色を見りゃあ、察しちまうぜ。ありゃあ、嘘がつけねえんだ」


 町娘の悪口を漏らす土方さんがどこか嬉しそうなのはなぜだ、と斎藤は奇妙に感じた。

 ただ、「どうしても守りたいのだ」ということは理解した。


「……承知した。新選組が滅びるのならば、総司の中に入っている娘を一日も早く除隊させて、滅びの運命から救いだしておきたい。そういう命令なのだな土方さん」


「とはいえ、一人でほいほい退却するような奴じゃねえ。会津藩士たちが総退却する際、総司を連れて行かせろ。お前一人で、不逞浪士の襲撃を防ぎきって会津藩公を守るんだ。相手は少なくとも十人はいるだろう。お前ほどの使い手でも、死ぬかもしれない任務だ。できるか」


「やってみよう。あんたにくれてやった命だ」


「有り難い。これで明日、総司を新選組から除隊させられる。会津藩公の護衛任務に総司を就かせるが、実際に不逞浪士と戦うのは斎藤、お前一人だ。総司には戦わせずに、離脱させろ。それで除隊理由ができる――すべて、お前に任せる」


「敵に襲われて逃げた者は士道不覚悟で切腹。局中法度違反。だが、女子ならば特別に罪一等を減じて除隊で手を打つ。そういうことか」


「そういうことだ」


 あれこれと策略を捻り出すのがこの人の性分であり立場だが、名前も知らない一人の女を生かすためにこれほど必死になっているあんたははじめて見た、と斎藤は思った。

 土方歳三という男の素顔を、はじめて見たような気がする。


「任務に就く新選組隊士は、二人でいいのか?」


「お前以外の隊士を加えれば、総司に三文芝居を気取られて俺の企みがバレるだろうよ。たとえば、修羅場で永倉にそんな芝居ができるか? 無理だ。ブチ壊しになっちまう。あいつは馬鹿だが、そういうところだけは敏感な奴なんだ。うまくやってくれ。そして、できれば――死ぬな。斎藤一が死ねば、あいつが酷く哀しむ」


「俺の名なども、未来に遺っているのか」


「そうらしいぜ。沖田総司と双璧を成す新選組最強剣士なんだだそうだ。女子人気は三番手だとか言っていやがったな。なんだよ、新選組隊士の女子人気って。武田観柳斎かよ。ふざけやがって、あいつはまったく」


 どうせ女子人気一番はあんたなんだろうな、と斎藤は苦笑していた。ただ、いずれ土方が「写真」を撮影して遺したことが決め手になることまではさすがに予想できない。


「……総司を逃がし、一人で刺客たちと立ち合い、生き延びる。無理難題だな。だが、やろう。やってみせる」


「あと、あいつは人と一緒にいながらずっと黙っているのが苦手らしい。お前は口が重いが、あいつには喋ってやれ。適当な話でいい」


「……俺は、長々と話すことに慣れていない。口を滑らせるかもしれんが、わかった。その件も、あんたの言うとおりにしよう」


 斎藤一は、十中八九死ぬであろうその任務を、静かに請けた。

「鬼の副長」と呼ばれる土方さんにもこういう一面があるのだと知れたことが、妙に嬉しかった。

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