第九星 このゆびとまれ

エピローグ★

 気づいたときにはボクはここにいた。

 ここはどれくらいの時間が経っただろう。

 何時間、何日、何年、何千年、もしくは何億年。

 あるいは永遠とも思える時間が過ぎた。

 だけどボクには一切関係なかった。

 時間は相対的なものであり、ここにいるかぎりボクにとって時間とは無だ。

 まだ時計の針は動いていない。

 ここには時間という概念はなくただ膨張しているだけだ。


 ……ながれ……ながれ……。


 ここはぷかぷかとひだまりのように温かくて気持ちいい場所。

 

 ……っながれ……っながれ……。


 ひどく懐かしい匂いに包まれていた。

 おひさまのにおいみたいだ。


 ……つながれ……繋がれ…………繋がれ繋がれ繋がれ。


 さっきからなんだろう。

 とても懐かしい響きが聞こえる。

 そういえばここはどこなのだろう。

 なんだか生温かい液体に包まれて浮かんでいるような飛んでいるような感覚がする。

 ボクのおなかのあたりから尻尾が生えており、それは柔らかな壁に繋がっていた。

 突如、その液体にたされた平穏な世界が収縮して、ボクは外に吸い込まれた。

 いや、し出されていた。

 いやだ。

 まだここにいたいよ。

 まだセカイとつながっていたいよ。

 こんなにもイゴコチがいいのに、なんででていかなければならないんだ。

 どうしてあきらめてくれないんだ。

 そこまでして、どうしてボクをいじめるの?

 すると、そのとき柔らかな声が液体を通じて聞こえた。


「勇気を持って外の世界に飛びだそうよ」

「キミは……だれなの?」


 ボクは尋ねてみた。


「僕はね」


 するとやまびこのような声が反射したのち、ボクの目の前に青い球が現れた。

 気泡にしてはやけに大きい。


「きみの友達だよ」

「トモ、ダチ……?」


 聞き慣れない言葉にやはりボクは聞き返した。


「なにそれ?」

「友達。それは近くて遠い。でも離れられない存在のことだよ。僕はきみのご先祖様とも友達だったし、そのご先祖様の友達の友達の友達の友達の友達とも友達だったんだ」

「もうよくわからないよ。トモダチってそんなにできるものなの?」

「きみも僕と友達になればわかるよ」


 なんだかこわい。

 友達教のカンユーみたいだ。

 ボクはケーカイする。


「安心して。僕は何があっても、これから先もきみのずっと傍にいるから」


 とそこで丸い大海原の中で七色に燃える蝶がひらひらと翅を羽ばたかせて優雅に泳ぎ飛んでいた。

 それはおそろしいまでに美しかった。

 目を奪われるとはまさにこのことだ。


「きれい」


 ボクはつぶやいてから何の気なしにたずねた。


「あれはなに?」

「あれは輪廻転生蝶だよ。きみが産まれるのを祝福してるんだ」

「ウまれるって……なに?」

「いろんなものと繋がって結ばれるってことだよ」


 青い球が答えた直後、世界にひびが入って光が差し込んだ。その光に向かって輪廻転生蝶はオーロラを架けながら誘われるように飛んでいった。


「でもね、生まれるってことは同時に死がついて回るってことでもあるんだ。キミは生を与えられるとともに死も与えられることになる」

「シってなに?」

「死は死だよ。ドレミファソラシドの『シ』とはちょっと違う。上も下もなく、高いも低いもない。天国と地獄の片道切符というわけでもない。死という現象だ」

「そんなのこわくない?」


 ボクは震えるような戦慄を覚えた。

 鳥肌がさらに粟立つ。


「つまり、ウまれたしゅんかんからシにはじめてるってことだよね?」

「そうとも言えるね。死に始めることと生き始めることは実は同時に始まる。だから同じことでもあるんだ」


 そのカドのない丸みを帯びた青い声は続けた。


「質量のあるものはいずれ壊れて、質量のないものはやがて忘れられる。でも僕の中に還ってくるかぎり僕はきみを忘れないし、離さない」

「じゃあさ、キミのなかにかえってこれなかったら……ボクはどうなっちゃうの?」

「そのときは僕が手足を生やして迎えに行くよ」


 おどけたように青い球は答えた。


「え? てあしってなに?」

「胴体に生えた便利なものだよ」

「……なんかきもちわるい」

「あはは」


 その青い球はこの液体に満たされた世界を揺らすように、気泡を発しながら爽やかに笑った。

 

「キミにもたぶんついてるけどね。手足」

「え?」

「それは飛ぶための翼かもしれないし、高速で走るための脚かもしれない。もしくは泳ぐためのひれかもしれないし、あるいは絵を描くための手かもしれない」

「そんないっぱいいらないよ」

つつしみ深いんだね」


 なぜかはわからないがボクは褒められた。

 どことなく居心地の悪さを感じたボクは質問した。


「でもなんでここにいちゃいけないの?」

「別にいちゃいけないってことはないよ。ただそういう星の巡りなんだ。順番が回ってきたのさ」

「……ほしのめぐり」


 ボクは口の中だけで繰り返した。

 そして青い球はよく分からない方向から質問を投げてきた。


「きみは自分の名前を知りたくないの?」

「ボクのなまえ……?」


 ボクははじめてすこし興味が湧いた。


「ボクのなまえってなに?」

「さあ? 僕は知らないよ」

「そっかぁ。ざんねん」


 ボクはがっかりしていると青い球は言う。


「きみの名前を知ってる人は外で待ってるはずだよ」

「……ヒトってなに?」

「なんにでも名前を付けたがる生き物のことだよ」


 あっけらかんとした声で青い球は答える。

 ボクはそこでふと気になった質問をかさねた。


「じゃあさ、キミのなまえは?」

「僕はきみであり、きみは僕だよ」

「キミはボクで、ボクはキミなの? へーんなの」


 ボクは驚きつつもすんなり受け入れることができる。


「うん。そして僕の特技はあらゆるものをまーるく繋げることだ」

「つなげる、つなげる、つなげる……つながる」

「そう。僕たちはずっと昔からとっくに心で繋がっている」


 だからこんなにもあんしんするのか。

 なっとくだ。

 ココロがつながることはこんなにもことをボクははじめてしった。

 ボクももっといろんなものとつながりたい。


「ボク、うまれたほうがいいのかな?」

「あくまでそれを決めるのはきみだ」


 そう言ってから突然「シィーッ」と、その青い球は泡のように小さく言う。


「ほら耳を澄ませてごらん。星の瞬くような音が聞こえるはずだよ」


 その声に導かれてボクは静かにした。

 たしかにドクンドクンと寄せては返すさざ波のような鼓動が聞こえた。

 その音はとても落ち着くものだった。


「わかった。じゃあボク、ウまれることにする」


 ボクが心に決めたその瞬間、ボクの胸の中心が熱く鼓動した。

 それはまるで太陽のように、ボクの胸を焦がした。


「うわっ、なんだこれ」

「生まれる準備が始まったんだよ」


 青い球はどこか嬉しそうに言った。


 そんなにボクとさよならするのがうれしいのだろうか。


 そう思いながらボクは問う。


「キミとまたあえる?」

「きっとすぐ会えるよ。まずは朝は四本足からだね」


 青い球はまたぞろよく分からないことを言ってから、ボクに別れを告げる。


「じゃあここで一旦お別れだね」

「キミはなにするの?」

「僕?」


 驚いたような青い球はしばらく考え込んだ。

 そして扁平へんぺいに潰れたその反動を利用して跳ねると、その場でトリプルアクセルを決めた。


「僕はただまわり続けるだけさ。そのときが来るまでね」

「たいくつだね」

「そうでもないよ。仲間が近くにいるからね」


 そう答えてから青い球はボクを送り出すように言う。


「そろそろ時間が動き出す頃だ。さあ、いってらっしゃい」

「うん。いってきます」


 ボクはここではないどこかの光を目指して突き進んでいった。

 すると最後にボクの背中から賛歌のような言葉が贈られる。



「辛くて幸せで、長くて短い旅をどうか楽しんで。おめでとう」



 その願いを乗せて何年何月何時何分何秒、地球が何回まわったときに産声が上がった。

 破れた卵膜から鮮やかな羊水が漏れて、リノリウムの床に広がる。生まれたばかりの赤ん坊は助産師に取り上げられてからひとしきり泣きわめいたあと、やがて泣き疲れて寝てしまった。

 母親の胸の中で赤ん坊は眠ると、ちょっかいをかけてくるおおきな人差し指を把握ダーウィン反射でギュッとにぎった。


 窓の外には背の高い笹にかかった白い短冊がユラユラと揺れていた。

 その周りでは赤子を祝福するように、名もなき青い鳥と黒い蝶がたわむれていた。


 生まれて、ありがとう。

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スターノウト 悪村押忍花 @akusonosuka

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