☆★☆★☆★☆★8

 薄い空のニュークに浮かんだ雲のベッド。

 その上に横たわるウサボンにニャンレオは必死に呼びかけていた。


「……ニャオニャオ」


 しかしウサボンは虚ろな目で宇宙の果てを見ており、心臓部にはぽっかりと穴が空いている。

 するとニャンレオは辺りを見回してから黒星卿のポイ捨てたウサボンのミニトマトのような小さな心臓を発見した。

 急いで近づき肉球で優しく転がしながらプカプカと血まみれのベッドに舞い戻る。そしてニャンレオはウサボンの胸に心臓を詰め込むが、当然もとに戻るはずもなく出血は止まらない。

 ぬいぐるみに綿わたを詰めるのとはわけが違うのだ。


「ボンボン……」


 ウサボンは口から血を垂らしながら力無く言った。

 しかしニャンレオは諦めが悪い。涙を流しながらウサボンの頬をなめて、猫のように狭い額を押し当てる。とそこで表面張力によって張り付いたニャンレオの涙がポヨンポヨンと伝ってウサボンの口に入った。

 そしてウサボンはそのしょっぱい透明な涙をゴクリと飲み込んだ――その次の瞬間。



「あいかわらず、泣きむしボンね」



 あろうことか、ウサボンは喋った。

 驚きのあまり目を丸めるニャンレオを知ってか知らずか、ウサボンは続ける。


「ニャンレオ……最後にさ、ひとつだけウチの願い事を聞いてほしいボン」

「ニャンニャン」


 ニャンレオは首がもげる勢いでうなずいた。

 そんな何でも聞く態勢のニャンレオにウサボンはとんでもない願い事をする。

 それは飛躍的なことだった。


「ニャンレオにウサボンを食べてほしいボン」

「ニャ?」


 ニャンレオは一瞬その言葉の意味が理解できない。

 それからだいぶ遅れておっかなびっくり首を横に振った。


「ニャニャニャッ!?」

「そうしないとみんな死んじゃうピョンよ?」


 ウサボンは自明だというふうに事実をニャンレオに突きつけた。

 それにしてもニャンレオはウサボンを食べる? など到底考えられなかった。

 そう、考えられるはずがないのだ。

 スターモンがスターモンを食べるなどどうしてできよう?

 自らの死に瀕してウサボンは気でも触れたのかと思ったが、しかしウサボンの目の奥はまだ死んでいなかった。生きることを諦めていなかった。

 それでもニャンレオは今度は違う意味で泣きそうだった。


「ニャニャ……ニャン……レオニャン」

「甘えたこと抜かすんじゃねえボン!」


 突如、ウサボンは怒鳴り散らすと血の玉が宇宙に飛沫した。


「何のためにそんなに速く走られる足が生えてるボン?」

「……ニャオ」

「何のためにそんな鋭い爪が生えてるボン?

「……ニャオオ」

「何のためにそんな立派な牙が生えてるボン?」

「……ニャーオオ」


「いいからかかってこいピョン! この意気地なし!」


 そう言ってウサボンは発達した前歯でニャンレオの前足に最後の力を振り絞って齧り付く。

 顔をしかめるが無抵抗を貫くニャンレオにウサボンは悔し涙を流しながら訴える。


「ここでウチを食べなきゃほんとうに犬死にピョン。お願いだからウサボンを食べるボン」

「…………」


 そしてウサボンは悟ったようにニャンレオをさとした。


「そうすればウサボンはニャンレオの中でずっと生き続けるボン」


 ウサボンが口を離すとニャンレオの前足には半円状の歯形が二つ向かい合うようにくっきりと形成されていた。


 その歯形を見つめてからニャンレオは腹を決める。


 決死の思いを受け取るようにニャンレオはウサボンの生っ白い毛並みの首にガブッと噛みついた。

 これは喧嘩や戦闘ではなく捕食のために突き立てた牙だった。


 ウサボンは「ウッ」と唸ると、突如ジュワッと股下に血が滲み初潮を迎える。まるでそれは月に帰らなければならない運命に翻弄されたかぐや姫の紅涙のようだった。


「ウチを食べてくれてありがとう」

「ニャ……ニャグッ」


 ウサボンに頭をポンポンと撫でられつつ、ニャンレオは涙を流しながら咀嚼した肉を飲み下した。初めての肉と血の味は感情が昂ぶりすぎてよくわからなかった。


「あいしてる、ニャンレオ。あとは任せた」


 それがウサボンの最期の言葉だった。

 ニャンレオはウサボンを食べる。長い耳。脳味噌。発達した筋肉質な後ろ足。内臓。心臓。特徴的な出っ歯。卵巣。骨の髄から爪の垢に至るまでを喰らい尽くす。

 クチャクチャ。

 バリボリバリボリ。

 ガッツガッツ。

 雲のベッドは鮮血を吸って夕焼けのように赤く染まる。

 口元に血が滴るのも構わず、ニャンレオは夢中で血肉をむさぼる。

 本能的に官能的に。

 するとなんと不思議なことにニャンレオの負っていた火傷や裂傷がみるみるうちに治癒していくではないか。


「貴様、何をしている?」


 一方の黒星卿はおぞましいものでも見たかのような声を漏らした。

 そして怯えたようなツクモノオロチが黒星卿に蛇髪頭を寄せる。黒星卿もおでこを小突き返して安心させたのち、黒鬼丸二星二式を構えた。


「今、葬ってやる」


 黒星卿が交戦を開始しようとした――まさにそのとき、


 ドックン!


 と、宇宙のそこここから胎動のような鼓動が木霊した。

 ニャンレオと黒星卿を中心として囲むように九つの太陽系惑星たちは公転していた。その円を描く太陽系惑星たちの五体がみるみるうちに膨張していく。


 ドックンドックンドックン!


 惑星の心臓核が次第に共鳴するように強く脈を打った。


「超新星が始まったか」


 黒星卿がひっそりつぶやく。


 すると五体に封じ込められた惑星たちの体がガスでパンパンに膨らんだように丸みを帯びていき、宇宙服を破る。

 星本来の姿形へと原星回帰する。

 そしてついに色とりどりのゴム風船がはじけるように超新星爆発を起こした。

 まばゆい七色の光とともにニュークの衝撃波があたりに拡散されるなか、夜夜叉機関車はイヴ星の陰に隠れる形で難を逃れたが、太陽系の外まで吹っ飛ばされてしまう。

 一方、惑星たちの内円の中心にいた黒星卿は幸いなことに衝撃波同士の波紋が相殺し合うかたちのいわばエアスポットに入っていた。とはいえツクモノオロチにとぐろを巻かれる形で守られなければ黒星卿もただでは済まなかったかもしれない。しかし衝撃波をもろに喰らったツクモノオロチは外皮がベリベリと剥がれ落ちて見るも無惨な姿となった。


 超新星爆発が過ぎ去り、太陽系の断末魔が天の川銀河中に知れ渡ろうとしていた。

 とそこでツクモノオロチの極太のとぐろの中から這い出るものがいた。


「最終防御技である《蛇太郎脱皮だいだらだっぴ》まで発動させてしまうとは……」


 黒星卿はツクモノオロチの抜け殻を帯のようにたくし上げながら言った。脱皮したばかりのツクモノオロチの鱗は色が薄くなり、炎天下のアスファルトのような灰色だった。

 そして一方、カラフルな虹のニュークが晴れ上がると、新・太陽系の惑星たちは星本来の姿を取り戻していた。黒星卿を中心として何十億キロメートル規模の数珠のような輪となって外周をぐるぐると回っている。

 水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星はポン・デ・リングドーナツのような仕上がりとなる。


「なんだ……?」


 とそこで黒星卿は自分とツクモノオロチの他にこの即席の惑星リング内に生き物が立っていることに気がついた。

 それは全身空色の産毛うぶげで体を覆われた、二足歩行の奇妙な生き物だった。頭髪はふさふさの白いウルフカットになびいている。その髪の間からはとがった耳がピョコッと突き出していた。青い瞳と三角錐型の鼻。そして口元には隙間の少ない臼歯が並ぶなかに二本の鋭い犬歯がのぞく。手足は胴体に対して比較的長い。さらに細長い五本の指には鋭い爪が伸びていた。

 猫背ながらも二足で虹の上に立つ姿はどことなく星に似ていた。


「貴様、何者だ?」


 黒星卿は誰何すいかするが、しかしその星でもスターモンでもない生物は何も答えない。

 そもそも言葉を介さない可能性も多分にあった。


「いや、知っているぞ」


 すると黒星卿は思い出したかのように言った。


「スターモンを喰らうという禁忌きんきを犯したものに与えられる原罪。もっとも残忍かつ貪欲どんよくで醜い。虚構を共有し偶像を崇拝する存在」

「…………」


「その名も――人間ニンゲン


 そんな黒星卿の洞察を聞きながら目の前の人物はかったるそうにため息をついた。

 それから流暢りゅうちょうに口を開く。


「オレはニャンレオだ」


 変わり果てた姿のニャンレオは肉球のなくなった自身の両手のひらを見つめながら、ぐっと握りしめた。


「ニャンレオ・パンテラ・レオ――――これがオレの本当の姿だ」

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