☆★☆★☆★☆7

 アースは自分が何者であるのか忘れかけていた。

 まさにそのとき。


「……っ……めて!」


 暗闇の中で飛び跳ねるような声が幽かに聞こえた。


「――お兄ちゃん、やめて!」


 そして今度こそ愛らしい声が鮮明に聞こえた――アースが振り向けば、妹のムーンが38メートル先の宇宙に立っていた。

 その傍にはアベックのウサボンもいる。


「それ以上は星に戻れなくなる!」


 ムーンは大空を駆け抜けると☆のような手を伸ばして、アースの手と結ぶ。五本の指が互いに絡み合った。それからそっと兄を抱きしめた。月のニュークがアースを包み込むと、徐々に青黒い糸は解きほぐされていく。アースの右目は元の澄み渡った輝きを取り戻していった。


「……馬鹿な」


 呆気にとられる黒星卿を尻目にムーンはアースと目を合わせて見つめる。


「お兄ちゃん、わたしが誰だかわかる?」

「ああ、きみは月ムーン――僕の妹だ」

「正解。それじゃあなたは?」


 アースは我に返ったように自己紹介した。


「僕は太陽系第三惑星、地球アース。ニャンレオのアベックだ」


 言ってアースは胸の中に取り込みかけた小さな命を見やる。

 その生命はとても憔悴しきっており、アースは空のニュークとともに抱きしめた。

 これから何があっても二度とはぐれないように。


「もう離さないよ、ニャンレオ」


 浅い呼吸を漏らしながらアースの二の腕をふみふみするニャンレオ。

 するとアースの目尻から一滴の涙がこぼれた。

 その美しい涙は黒星卿めがけて落ちていき、★型の涙黒子を伝って表面張力を遺憾なく発揮する。

 がしかし、その涙を黒星卿は無感情に拭い去った。


「蛇足は無用」


 そんな言葉を置き去りにしてから黒星卿は黒歩をつかう。音も無くムーンの背後に瞬間移動した。背筋が凍るような気配をムーンが感じ取った――その次の瞬間、黒星卿は左の貫手でムーンの月形の心臓核を貫こうとした。


「ボンボン!」


 いち早くアベックの危機を察知したウサボンがムーンと黒星卿の間に割って入る。

 しかしそれでも黒星卿の殺意は留まるところを知らなかった。


 グチャッ!


 なんと肉壁に入ったウサボンごとムーンの心臓核は黒星卿の手によって貫かれてしまった。ズボッと引き抜かれたその左手にはウサボンの小さな心臓が握られている。トクントクンと鼓動するアベックの心臓をムーンは後ろ目に見てから、自身も血を吐く。クレーターのフルフェイスヘルメット内に星血の球が漂い真っ赤な月に変わった。

 そして主星を失い、心臓を抜かれたウサボンはムーンと離れ離れに散っていく。


「ムー……ン」


 赤く染まる妹を前にアースは頭が真っ白になった。

 それとは対照的に瞳がギュルンと一瞬にして反転すると青黒く変わる。

 そんなアースに向かって黒星卿はムーンの背中を蹴り飛ばすと、アースは反射的にニャンレオを一旦離してからムーンを抱きとめた。その間に黒星卿はウサボンの小さな心臓を雑に投げ捨てた。のちに自身の胸の中心にぽっかりと空いた特異点から暗黒刀・黒鬼丸を二本引き出した。


 そして妹を抱いたアースに急接近すると、黒星卿は平行に二本重ねた黒鬼丸の刃がアースとムーンの首めがけて空間ごと一刀両断する。暗闇によって切り取られたふたつの生首は横回転しながら宇宙を仲良く飛んでいった。


「あ」


 誰かのそんな声が宇宙に放たれた気がした。

 当然そんな仲間の無惨な死を目の当たりにして他の惑星たちはいても立ってもいられない。立て続けにマーズ、ジュピター、ヴィーナス、マーキュリーの四星が黒星卿に襲いかかった。


「てんめえー!」

「よくもアースを!」

「許さんけんね!」

「うちゅ!」


 がしかし、四星が黒星を取り囲んだ――その次の瞬間には一瞬にして四星の首が飛び、アースの二の舞になってしまう。まるでそれはダルマ落としのような呆気無さであり、ある種の滑稽さも同居していた。ぐるんぐるんと無重力下で永遠に横回転する独楽のような星の生首を見つめながらそのアベックたちは震え上がる。


「貴様たちもすぐ星の後を追わせてやる」


 黒星卿はせめてもの情けというふうに一匹ずつ始末する。

 まずはヒツネの炎のともる尻尾を切り落として心臓をひと突きにした。

 続いて黒星卿はカッペエの背中の甲羅を黒鬼丸の峰で叩き割ると、さらにかかと落としで頭の皿を頭蓋骨ごと粉々に割り砕いた。

 お次はカモノホシの靴べらのようなクチバシから黒鬼丸を突っ込み、尻尾までを串刺しにし、次にスイギドラの甲冑に覆われた四つのヒレを削いでから長い首を切り落とした。


「残るは貴様らだ」


 そう言って黒星卿はウラヌス、ネプチューン、プルートの兄弟を治療するサターンを見据えた。瀕死の三星の頭頂部にはエンジェルハイロウが回っており、その三星をかばうようにサターンとデビタン、それに加えてアベックのホエッピとゾロンが立ちはだかった。

 サターンはエンジェルハイロウをチャクラムのように指で回しながら言い放つ。


「絶対に私の治療は止めさせない」


 そしてデビタンの八本足に回る残りの五つのエンジェルハイロウをデビタンはブーメランのように黒星卿に投擲した。黒鬼丸を軽く振るいエンジェルハイロウを弾くと、その感触に黒星卿は眉をひそめる。


「その輪、ただの輪ではないな」

「ええ。そうよ」


 返ってきたエンジェルハイロウをキャッチしながらサターンは答える。


「エンジェルハイロウは傷ついた万物を治す。あなたの刀で傷つけられた空間を治すことだって可能なの。もちろんエンジェルハイロウ自体も治せるわ」


 黒星卿がそんな説明に耳を傾けている隙にサターンの隣にいたはずのデビタンが消えていた。周囲を索敵すると、いつの間にか黒星卿の足下からヌルヌルとした触手が絡みついてくる。しかし気づいたときには海藻のように全身に絡みつかれていた。黒星卿の手足に吸盤が張り付き、身動きできずに拘束された。


「これで終わりよ」


 サターンは五本のエンジェルハイロウを黒星卿に向かって投擲した。シュルシュルと円を描きながらエンジェルハイロウは多方向から黒星卿めがけて肉薄する。

 しかし黒星卿がわずかにかろうじて指を動かした――その次の瞬間、ブチブチザクザク! と、筋繊維が切断された。

 だが、それは黒星卿のものではなかった。

 というのも黒星卿に向かったはずのエンジェルハイロウの軌道がずれて拘束していたデビタンの触手をズタズタに切り裂いたのである。


「デビタン!」


 宇宙に漂うアベックの切断された触手を見てサターンは叫んだ。

 拘束の解けた黒星卿は首をコキコキッと鳴らすと、サターンは触手を失くしたデビタンを抱きかかえながら黒星卿を恨みのこもった瞳でにらむ。


「重力を歪めてエンジェルハイロウの軌道をずらしたのね」

「ご名答」


 黒星卿はすげなく答えた。


「褒美をつかわそう」


 大胆不敵にそう言って黒星卿は右手の黒鬼丸を投擲すると、その漆黒の刀身はエンジェルハイロウを輪投げの要領で貫く。最後にサターンの左眼の瞳孔に吸い込まれていった。

 悲鳴を上げるサターンの目の前でぐるぐると刀身を軸にして回る五つのエンジェルハイロウ。それから黒星卿はサターンに漸近ぜんきんすると、もう一本の黒鬼丸でその首を取った。


 とそこで横合いからゾロンが黒星卿に突進してきた。無言のまま黒星卿はゾロンの長い鼻を金太郎飴のように返す刀で輪切りにし、長い鼻の生えていた場所に黒刀の切っ先を突き立てて葬る。

 続いてホエッピの尾びれの上下運動によるテールスラップを黒星卿は横に躱してやり過ごすし、ガラ空きとなったホエッピの背中に飛び乗った。そのつるんとした背中の鼻孔に黒鬼丸を突き立てねじり込むと、ホエッピは断末魔の叫びを上げながら血潮を噴いた。最期にはコポコポと血の泡を噴いて倒れた。


「…………」


 黒鬼丸をホエッピに突き立てたまま、特に良心の呵責もないように黒星卿は太陽系惑星のなかで王の名を冠する三兄弟に視線を滑らせる。ブーンと黒星卿は近づくと《星治療スターキュア》の光に包まれたウラヌスの胸に突き立った三本目の黒鬼丸をズズズゥーッと引き抜いた。この黒鬼丸は太陽町でウラヌスと一戦を交えた際に刺し貫いたものである。


 ともあれ。

 今度は狙いをウラヌスの首に定めてから振り下ろしたが、しかし、ガキンと《星治療》の光に弾かれてしまう。黒星卿は首をかしげてから左眼に黒鬼丸の突き刺さったサターンと目が合う。その黒鬼丸の刀身には五つのエンジェルハイロウが回っており、サターンの生首によって蓋がされていた。

 この生首を使わない手はない。

 目には目を。

 歯には歯を。

 首には首を。

 黒星卿は手をかざしてエンジェルハイロウとサターンの生首付きの黒鬼丸を引き寄せると、柄をぎゅっと握る。そしてシュラスコのような黒鬼丸を構えたのち、ウラヌスの首に振り下ろすとエンジェルハイロウと《星治療》の光が折衝せっしょうしてバリーンと割れた。その勢いのままウラヌスの首を落とした。残りのネプチューンとプルートにも同じ介錯を繰り返して首を落とした。

 その際にエンジェルハイロウは粉々に割れてサターンの生首も黒鬼丸の先端からポーンと取れて星屑となった。



 こうしてスターモンの亡骸がスペースデブリとなり、九つの惑星たちの生首が太陽系を飛び交った。

 その太陽系地獄絵図の中心には二匹の瀕死のスターモンがいた。


 それはニャンレオとウサボンだった。

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