☆★☆★4

 時は遡る。

 三億年前、黒穴。

 無力にもアースは立ち尽くしていた。

 その隣にはマルパンが寝ており毛並みは純白から白黒のモノクロになっていた。

 しかし、ひとまず生きている。

 すでに住民たちの避難は完了したが、もはや心配はいらない。

 七夕事件は白星によって一件落着した。


「僕のせいだ。僕のせい……だったんだ」


 事件の真犯星は僕だった。

 紐解いてしまえばなんてこともない真相。

 アースはひざまずくと猫面の紅緒が緩んではらりと地面に落ちる。

 三億年後に太陽町が滅ぶのも全部、僕のせいだ。

 猫も杓子も、ぜんぶ僕の……。

 そもそも僕が生まれてこなければこんなことには……。


「タロウのせいじゃないさ」


 背後から後光とともにそんな声が聞こえ、アースが振り向くとそこには神童ガオレイがいた。


「タロウを過去に送った者のせいとも言えるし、校則違反を犯して宇宙に出たせいとも言えるし、四次元の石を造った者のせいとも言える。どうせ堂々巡りさ。最後に行き着くのは宇宙創世だ」


 そのガオレイの背後にはちっちゃな太陽先生が控えている。


「ガオレイさんから、あらかたの事情は聞きました」


 僕が何者であるのかも知られてしまったのか。

 だから?

 それがなんだと言うんだ?

 何の意味もない。

 何も変わらない。

 白星はすでに死んだ。

 ニャンレオは慰めるようにアースの頬を舐める。


「ニャンレオ、くすぐったいってば」


 ニャンレオを撫でながらアースが顔を逸らすと、上空にキラキラと瞬くものを見つけた。

 ふわりゆらり。

 イヴ星の重力に引かれながらとある星が空から落ちてくる。

 何に突き動かされたのかはわからないがアースは力無く立ち上がった。一歩二歩と座標を合わせて、その星をやさしく受け止めた。

 腕の中でお互いの重さを感じる。


 黒星ブラックホール。

 のちの黒星卿。

 その胸には見覚えのある指輪が抱かれており、それを見てアースはピンとくる。


「そうだ。時空の鍵を使って白星くんと会う前に戻れば……」

「やれやれ」


 ガオレイは呆れたようにかぶりを振った。


「起こるべきことは起こるべくして起こる。この宇宙では因果律は決まっているのだ」

「でも、やってみなきゃわからないだろ」

「きみはシュレディンガーの猫にでもなる気かね?」

「……どういう意味さ?」

ボックスに入ってしまえば毒ガスが充満せずとも、いずれ窒息すると忠告しているのだ」


 一時はやり過ごせても何らかの形でツケは払うことになるってことか。

 それが歴史の強制力。

 宇宙というブラックボックスに僕が飛び込んだ時点で運命は決まっていると?

 奇しくもアースは三億年後の黒星卿と同じ解答に行き着いてしまっていた。

 しかしその道は行き止まりだった。


「A watched pot never boils.(見つめられた鍋は煮立たない)。量子クオンタムゼノ効果エフェクトだ」


 ガオレイは冷静に言葉を紡ぐ。


「宇宙において時間は問題じゃない。立ち止まってはいけない。観測された時点で過去に起こったことは変えられないのだから」

「でも……」

「それでもどうしても変えたいと望むのなら、まだ誰も観測したことのない未来で変えなくてはならないのだ」

「……未来で変える」


 結論、それしかないのだろう。

 すると今まで口を挟まずに見守っていた太陽先生が口を開く。


「タロウさん、あなたにはやり残していることがあるのでしょう?」

「はい。僕は未来に帰らなくてはなりません」


 そうだ。

 待たせている星たちがいる。

 アースは目線を下げて抱いている黒星を見つめた。

 漆黒のフルフェイスの奥ではどんな表情を浮かべているのだろう。

 そんなことを考えているとフルフェイスに向かってニャンレオがシャーッと威嚇し始めたので、アースはそっとやさしく黒星を地面に降ろす。ヴェノコはアベックに近づき、チロチロと赤い舌で星を舐めていた。

 それからアースは猫面を拾い、生命維持装置の背嚢に納める。

 とそこで、太陽先生はおもむろに首に提げていた時空の鍵を取り出した。


「行き先は未来の何時いつですか?」

「今から三億年後の天の川暦太陽時間、92億2020年3月11日の20時過ぎ、星祭りの夜です。打ち上げ花火の開始時刻が20時だから間違いないと思います」

「かしこまりました。では20時以降に設定しますね」

「お願いします」


 それから太陽先生は鍵の時計の竜頭りゅうずを回して時刻を設定しつつ説明を始める。


「出発時間を懐中時計、現在時間を原子時計がそれぞれ示し、ブレード部分には行きたい未来時間が表示されます」


 太陽先生の言うとおり時空の鍵のブレード部分に表示された数字が変化していき、ものの数十秒で設定完了だ。


「空間にこの鍵を挿し込み、右手で右にひねると未来への扉が開き、左手で左にひねると過去への扉が開きます」


 自分自身に確認するように太陽先生は口を動かし続ける。

 滅多に使用することがないから不安なのだろう。


「…………」


 急にアースも太陽先生の不安がうつった。

 そんなアースの心持ちを知ってか知らずか、太陽先生は言葉どおり時空の鍵を輝く右手ライトハンドで持ち眼前の空間に挿し込む。何もないところから突如、上部が方形ほうけいで下部が円形の扉が現れた。クラシックな鍵穴が巨大化したような形の扉である。

 その前方後円扉の後円部には12本の長さの違う針が回っている。方形部にはさらに鍵穴が空いていた。太陽先生は時空の鍵を握りながら輝く右手を右回りにひねる。


 ガチャッゴゴゴォ!


 荘厳な音を立てて鍵穴のような扉が開くと、中はぐにゃぐにゃと時空が歪み、見ているだけで酔ってくる。


「あとは扉をくぐれば未来に着くはずです」

「どうもありがとうございます、太陽先生」

「いえいえ。それからできれば右足から踏み出すことをおすすめしますよ」

「それはなぜですか?」

「単なる験担ぎです。理由は特にありません」

「……さいですか」

「タイミングはタロウさんにお任せします」


 というわけでアースは呼吸を整えてから太陽先生とガオレイに振り返り、お礼とお別れを告げようとした――その瞬間。


「ミセス・サン! あそこにUFOが!」

「え!? どこ!? どこですか!?」


 太陽先生が明後日の方向を見ている隙にガオレイは抱っこしているココラの腹に挟んで隠してあった一冊の本を取り出した。その書籍をアースにこっそりと譲渡する。


 表題は『シュノキゲン』。


「僕が持っていっちゃっていいの?」

「最初の一行を読んだのなら最後まで読みたまえ。読了後は未来で返却してくれればよい」

「…………」

「またきみのお家芸であるトリックが見られなくて残念ではあるがね。あはは」

「……そう」


 アースは言葉に詰まってしまった。

 残念ながら未来では第四図書室に返却することはできないんだ。

 いくら神童でも未来がわかるわけではないということだ。


「楽しい時間は過ぎるのが速いね。ウラシマ効果が起こらないのがせめてもの救いさ」

「なにそれ?」

「知らないのかい? まあその説明はまた今度会ったときの楽しみに取っておくとしよう」


 今度会うのはどんなに早くても三億年後だと思うのだが。

 そうアースが首を長くしていると、


「未来の宇宙で大きな革命が起こる」


 と、ガオレイは大胆な予言をした。

 まさか太陽町が壊滅することを言っているわけではあるまい。


「革命ってどんな?」

「それは進化の革命だ。星に捨てられたスターモンたちは栄養をまかなえず、同族に牙を立て、禁忌を犯し、その血の代償はおぞましくも素晴らしい成果を上げるだろう」

「スターモンがスターモンを……」


 モヒカンの密猟者の言っていたことがアースの脳裏をよぎる。


「そして今度は星を支配しようとする。これは逃れなき逆襲の流転だ」

「でも、そんなことって」


 ニューク。ガジュバブ。禁忌。原罪。科学。そして星とスターモンの関係。

 いろいろと考えすぎてアースは目が回る。


「さて、あとはタロウの宿題だ。今は存分に自分の頭で考えたまえ」


 ガオレイは無垢に微笑む。


「やがて、きみは星になる」

「僕に……なれるのかな?」

「なれるさ」

「でも手足のない星になったら僕はどうなるの?」


 そんなアースの素朴な疑問にガオレイははにかんで答えた。



「――それでも、動いている」



 その確信した言葉にアースは思わず勇気づけられた。

 そして今を逃せばもう二度と聞くことはできないと思い尋ねた。


「そういえば、スターノウト・メッセージの文面はなんて送ったの?」

「依頼内容は守秘義務があるのだが、まあいいさ。栞代わりに受け取りたまえ」


 頭を掻きながらガオレイは白衣のポケットから栞を取り出して手渡す。

しかし正確にはそれは栞ではなく、白い短冊だった。当然、とある願い事が書き記されていた。その内容は天の川ミルキーウェイ語太陽系なまりの7文字で次の通りだ。



『このゆびとまれ』



 アースはその短冊を受け取ってから文面を確認するとパタンと本に挟む。背嚢の生命維持装置に仕舞った。それから自身の手のひらを見つめて思いを受け取ったようにアースが拳を握り締める。

 そんな精悍な顔つきになった教え子を知ってか知らずか、太陽先生は口を尖らせる。


「まったくガオレイさん、UFOなんてどこにもないじゃありませんか」

「どうやらぼくの空目だったみたいだね」


 ガオレイ少年は臆面もなく悪びれるふうもない。

 アースは改まって太陽先生にお礼を言った。


「太陽先生、ありがとうございました」

「ええ、未来の教え子のためですから」


 太陽先生はニッコリと微笑む。


「では、また会いましょう」


 不意に紡がれた太陽先生のその言葉に、つい目頭が熱くなる。

 ただひたすら悲しかった。

 そして気がつけば、アースは太陽先生に抱きついていた。


「ほんのすこしの間、こうしていていいですか?」

「うふふ。構いませんよ」


 太陽先生は慈愛に満ちた手つきでアースの頭を撫でると、肩に乗っているニャンレオの喉がゴロゴロと鳴る。


「自分のことを誰も知らない未来に来て、さぞかし怖かったことでしょう。私は未来で何が起こったのかは聞けませんが、よくぞ頑張りましたね」


 アースはあふれそうになる涙をぐっとこらえた。

 雫の代わりに言葉を吐き出した。


「太陽先生が僕の先生でよかった。本当に長い間お世話になりました」

「タロウさん、気が早いですよ」


 あと三億年くらい。

 と、明るい調子で言ったのち、アースをくるりと回して背中を押してくれる太陽先生。


「未来で待ってます」


 手を振る二星に温かく見送られながらアースは前へ進む。

 扉に近付くにつれだんだんと時空が歪んでいく。

 太陽先生。

 太陽サン先生。


「僕の本当の名前は――」


 喉元まで出かかったが言う時間はなかった。

 これ以上、僕はこの時間にいてはいけないのだ。

 自己紹介さよならの代わりに、最後くらい恩師の教えを守ろうと思う。


 アースは未来への一歩を右足から踏み出した。

 理由は、特にない。


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