☆★2
目を開けると、そこは青空だった。
アースは青空の真っ只中にいた。
ニャンレオを肩に乗せて。
それから目の回るような黄色の地面に落下してく。
「うわあああああ!?」
なんてこった。
アースは慌てて、スペーススーツの生命維持装置に付属するニュークジェットエンジンを駆動させた。
姿勢制御をはかると、その甲斐もあり。
ファサッ! ボフン!
と、無事不時着した。
「あいててててて」
アースは腰をさすりながら辺りを見回すと、一面ひまわり畑だった。
ミンミンミン!
「ひゃはう!?」
アースは汗をダラダラ垂らしながら自身の心臓部をまさぐり確認する。
「傷が……治ってる」
黒星卿の黒刀に貫かれて致命傷だったはずなのに……。
一体全体、これはどういうことだ?
ミンミンミン!
生命維持装置も問題なく動いている。
そして胸元をまさぐりながらアースはもうひとつ重大なことに気づく。
「スターストーンがない!?」
どっかに落っことしてしまったようだ。
ミンミンミン!
しかし周辺をいくら探しても見つからない。
ミンミンミン!
マーキュリーちゃんがせっかくくれたのに。
ミンミンミン!
ごめんね。
ミンミンミン!
もしかしたら本物の四次元の石だったかもしれないのに。
ミンミンミン!
アースが空を見上げると、今にも落ちてきそうなほど大きい入道雲。
ミンミンミン! ワシャワシャワシャ! ジリィージリィージリィー! ニイニイニイ! カナカナカナ! ツクツクボウシツクツクボウシ!
てゆーか。
「あっちぃ!」
なぁんて暑さだ。
暑い暑い暑い。
猛暑だ。
地面のすぐ下にマグマでも流れてんのかってくらいにじっとりと汗を掻き、宇宙服がこれではまるでサウナスーツではないか。
アースは手のひらからニュークを放出してニャンレオを即席のニュークカプセルで保護する。のちに宇宙服の冷却循環機能をフル活用した。強さは当然MAXだ。
急速に冷えていく頭でアースは周囲の状況を冷静に観察する。
「まるで真夏だなぁ。いったい、ここはどこの星なんだろう?」
そして、先ほどからやけに
真夏に大発生するスターモン、セミマロカリスの大合唱のせいだ。
パルムフォンを起動しても時刻表示がバグっている。
およそありえない時刻を叩き出している。
ダメだこりゃ。
アースははやばやと諦めて、とりあえずひまわりたちの向く方角に歩いてみることにした。
この行動にさしたる理由はない。
そうしてひまわりに道案内されていると、小さな神木が見えてくる。
その神木の幹には注連縄が巻き付けてあり、まだ子供のガジュバブの木のようだ。
一般的な植物は二酸化炭素を酸素に変えるだけでニュークは生成できないので、ガジュバブの存在は星の生態系には欠かせないのである。ちなみにニュークとは宇宙の最小単位の物質でありニュークがなければどんな生物も生きてはいけない。それはアースたち星とて例外ではない。
ということは、この母星には誰か住んでいる可能性がありそうだ。
ガジュバブの木陰の下には古臭い黒板と机と椅子が並べられていた。
すこし離れた場所にどこか見覚えのある一階建ての施設があったが、すべてのものが太陽学校より一回りも二回りも小さかった。
「ん?」
でも、おかしい。
そこでアースは違和感を抱く。
手狭とはいえ、あの一室を教室代わりに使えばいいのではないか?
この星徒数なら押し込めば何とかなるだろう。
妙に気にかかり、その建物の前に立ってアースは得心する。
「見覚えがあるはずだ」
引き戸の上のプレートには第四図書室と記されていた。
一度入ったが最後、時空の檻に閉じ込められてしまうといういわく付きの図書室である。
「というか、なんで太陽学校の第四図書室がここに?」
もしや。
アースはガジュバブの木を見上げる。
「いやいやいや、まさかね」
図書室なんてどれも似たようなものだしな。
その馬鹿馬鹿しい妄想を打ち砕くためにも、この第四図書室に入っていろいろと確かめなければならない。
結局、卒業式の日は何の成果も得られなかったわけだし。
内心必死に言い訳を重ねながら、アースは再び第四図書室の扉を開け放った。
「まさか僕が一日に二度も校則違反を犯してしまうとは、よもや
室内はやはりホコリっぽい。
何も代わり映えしない。
ニャンレオのハウスダストアレルギーも変わらず健在だったが、今回はニャンレオを空のニュークで包んでいるので安心だろう。
「本当に今日、僕が見た第四図書室のまんまだ」
レプリカみたいに本棚や本の並び順まで完璧に一致している。
「いや……ちょっと待て」
アースは重要な要素を見落としていることに気づく。
「……足跡がない」
そうだ。あのとき僕の見た第四図書室には何者か(物体X)の足跡があった。
それがないということは、つまり――
「あの隙間に収まっていた本がまだこの第四図書室にはある」
ということだ。
要するに、その何者かよりも先にその本を手に入れることが今の僕には可能である。
この第四図書室が僕の知っている第四図書室であれば、あるいは。
校則を犯してまで何の本をそいつは求めたのか。
僕は気になった。
アースは意を決して第四図書室に足を踏み入れると、くっきりと足跡が刻まれキラキラとホコリが舞う。
「これは星には小さな一歩だが、僕にとっては大いなる飛躍だ」
この僕の足跡を見て先を越されたそいつはさぞ悔しがることだろう。
するとそこには。
「あった……。やっぱりあったんだ」
アースは興奮した面持ちでギッチギチに詰まった本棚から目的の書籍を抜き取る。
書籍名はサルバドール・S・ダーウィン著の『シュノキゲン』。
「聞かない作家だなぁ」
いったいどんな星なんだろう。
しかし、何者かが校則違反を犯してまで読みたい本なのだから、きっとおもしろいに違いない。
そう静かに確信して、アースは古びた装丁に指をかけて一ページ目をめくる。
すると冒頭の一文からアースは度肝を抜かれることとなった。
それはこんな文章から始まる。
『吾輩は
なぜかはわからないがアースはそのなかのひとつの単語が妙に気にかかる。
「人間……?」
どこか奇妙で恐ろしい響きのある言葉だった。
人間。
この禁書に記されている人間とはいったい何なのか?
スターモンと何が違うのか?
「あはは。その本に目を付けるとはなかなかお目が高い」
とそこで、いきなり本棚の上からアースは何者かに話しかけられた。
「ぼくもその本を読んで対価的退化論を知ったときは目から鱗が落ちたものだよ」
その少年は本棚の上に浮いていた。
しかしニュークで浮力を得ているふうではない。
あたかも無数のドットの中のひとつのように。
いち原子に至るまで、空間ごと止まっている。
ダボダボの白衣を着て藍色のスラックスを履き、両手にはパルムフォンを嵌めている。胸にはアベックと思しき灰色のスターモンを抱っこしていた。
そのアベックは腹側がフワフワとした白い毛並みで瞳は赤褐色。洋梨型の鼻と天使のようなふさふさの耳が生えている。抱っこしたくなるように愛嬌のあるスターモンである。
「この子が気になるのかい?」
「うん。初めて見るから」
「いいよ、きみは悪い星じゃなさそうだからスターモン図鑑を共有しよう」
そう言うと少年は人差し指を弾くようなアクションを取ってアースを指さした。
直後、アースのデバイスはそれを受信して音声が読み上げる。
『スターモンナンバー1、名前はココラ。コアラ科の有袋類。最終段階進化はファスコラルクトス・シネレウス』
やはりアースは初めて聞くスターモンだった。
この少年はこの青空教室の星徒なのだろうか。
だとすればアースはまたえらいところを見られてしまった。
「僕は別に怪しいものじゃなくて……」
「ねえ知ってるかい?」
アースに構わず見知らぬ少年は続ける。
「宇宙
「スターモンが処分される?」
イヴ星ではありえない話だ。
「どうしてそんなことを? スターモンはこんなにもかわいいのに……」
「結局のところ恐れているのさ。星たちは自分たちが取って代わられることを」
「取って代わられる? 星が? スターモンに?」
「そう。そして星なしでスターモンに生きられると星にとって都合が悪いからさ。ここでいう星とは手足が生えたほうのだ」
「だいたいの星には手足は生えてるでしょ?」
「そうさな。今はまだ」
この少年はいったい何をどこまで知っているのか。
「母星における基本的なニュークの循環は知ってるかい?」
「うん、まあ」
「ちゃんと言えるかい?」
「うん。……えっと、星が水や植物を食べて、様々な種類のニュークを吐く。そのニュークをスターモンが吸って二酸化炭素や排泄をする。その排泄物やスターモンの亡骸が土に還り、ガジュバブなどの植物が二酸化炭素を吸って種子を蒔き、生態系を保つ――ってやつでしょ?」
ちなみにスターモンは特定のニュークを大量に摂取することによって産卵するという仕組みである。しかしそれは無精卵であり有精卵を産んでもらうためには
そこでふとアースはひとつの疑問が起こった。
「だとすれば星はどうやって生まれるんだろう?」
「そんなことも知らないのかい? 子供だね」
「太陽先生に聞いても教えてくれないんだよ」
すると少年は失笑を漏らす。
「きみの肉体そのものも、ある種の拘束衣なのだよ」
「この肉体が……?」
「そうさ。重い力と重い責任は釣り合わなければならない。であるからして、スターモンもそれなりの重さの原罪を科されているんだ」
「スターモンの原罪ってなに?」
「ぼくの口からは答えられないが、あるいはそれを『呪い』と言い換えてもいいかもしれない。しかし、いずれその
だいたい三億年後くらいだとぼくは読むがね。
と、少年はあっけらかんと予言した。
「いずれにせよ、鶏が先か卵が先か」
少年は続ける。
「進化するためには負荷が必要不可欠なのさ。その進化革命のニューエイジは宇宙で同時多発的に起こる。いわゆる百匹目の猿現象だね」
「サル?」
「天動説と地動説がひっくり返るような驚天動地の激震が宇宙に走り、愚かで賢く醜くも美しいものが星に牙を剥くだろう」
「愚かで賢く、醜くも美しいものって?」
「うむ。たとえば朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。この生き物ってなぁんだ?」
「はあ……なにそれ?」
「さあ? あとは自分の頭で考えておくれよ」
「うーん」
先ほどからこの少年との会話が微妙に噛み合ってない気がする。
僕とこの少年との知能指数の差異が大きすぎるからかもしれないけど。
「ただぼくに言えるのはそれを食べたとき、星は星を産む」
少年はまたぞろ比喩なのかわからないようなことを言った。
アースはしばらく考えてみたが途中で諦めて今更ながら尋ねる。
「どうしてきみはそんないろいろなことを知っているの?」
「知ろうとしたから知っただけさ」
確かにこれ以上の答えはないのかもしれなかった。
というわけでアースはさっそく実践してみる。
「ところで、きみの名前は?」
「ぼくかい?」
少年ははにかんだ。
そして答える。
「ぼくの名前はガリレオ・ガオレイ。将来の夢は宇宙動物博士だよ」
「……ガリレオ」
アースは生唾をゴクリと飲み込む。
それは宇宙でも知らない星はいない宇宙動物の歴史的権威だ。
同姓同名か。
でもそんな偶然があるはずもない。
ここまできたらアースは尋ねないわけにはいかなかった。
「ねえ、教えて欲しいんだけど……」
「なんだい?」
「今は太陽時間でいえば、何年の何月何日なの?」
「ふむ」
ガオレイは機械的に答える。
「現在は天の川暦太陽時間89億2020年7月7日火曜日、午後17時27分37秒、38秒、39秒……」
「わかった。もういい」
アースの嫌な予感は見事的中してしまった。
つまりパルムフォンの時刻表示がバグっていたわけではなく、正確な時間を示していたのだ。
「こんなことって……」
生きた屍のように脱力するアース。
まあ、でも実際は死んでいたようなもんだし生きてるだけ儲けもんだ。
ってことは、ブラックホールに吸い込まれた太陽町のみんなも過去に飛ばされただけなのか。
いや、そんな希望的天体観測はよそう。
「なるほど。きみはタイムトラベラーだったか」
少年はあっさりとアースの状況を言い当てた。
「え? ど、どうして……?」
「きみがわかりやす過ぎるんだ」
そんなにわかりやすかったかなぁ、僕。
ここが三億年前ということはこの足跡も。
間抜けな物体Xの正体は……。
「待て待て」
それじゃあおかしいじゃないか。
三億年だぞ。
そんな時が経てば、こんな足跡もすっかり消えるどころか図書室自体も建て直されて……。
と、そこでアースは思い出した。
この第四図書室にあるものは時空の檻に幽閉されているということを。
「天に吐いた唾は自分に返ってくる。今のきみが選択するといい」
すべてを見透かしたようにガオレイ少年は言った。
未来の自分へアースは何を託すのか?
過去の自分を試すとき、今の自分もまた未来の自分から試されているのだ。
考えた末に、アースは自分の足跡を戻ることにした。
逆コマ送りのように。
後ろ向きに歩く。
さながらムーンウォークだ。
「あははははは!」
ガオレイ少年は腹を抱えて大爆笑してから涙をぬぐう。
「なんか、ぼくは見てはいけない現場を目撃してしまった気分だよ」
「じゃあ見ないでよ」
「目に入るんだからしょうがない。それにしてもそんな古典的なトリックを使う物好きがいつの時代もいるものだねぇ。いったい誰が引っかかるのかね?」
「それが三億年後にいるんだよなぁ」
そう言ってアースが第四図書室の入り口の足跡に立ち戻ったところで、ガオレイは賛辞の拍手を送ってくれる。
「なんかきみとはまた会う気がするよ。遠い未来で」
「だといいけどね」
元の時間に戻れるのかどうか。
もしかしたら、ここで三億年間暮らすことになるかもしれないんだ。
そんな悠長に待ってられるか。
気が狂ってしまうよ。
すると突然、にこやかに拍手を送っていたガオレイ少年の顔面が凍り付く。
「どうしたの? そんな超新星爆発が起こったみたいな顔をして?」
アースが冗談めかして言った――その次の瞬間。
背中側から宇宙服越しにでもわかるほど
「おふたりさん、立ち入り禁止の図書室で何を遊んでいらっしゃるのですかぁ?」
その包み込むような温かい声音をアースはとても久しぶりに聞いた気がした。
およそ三億年ぶりに聞いた気がしたのだ。
恐る恐るアースは振り返ると。
そこには在りし日の太陽先生が立っていた。
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