第39話 分割したらぶっ飛ばされる話
「……大事な話ってなんだろう」
夕日の射し込む無人の空き教室。
放課後に突然呼び出されて、姫麗は波のように寄せては返す不安と期待にすり潰されそうになりながら直樹の事を待っていた。
「……もしかして、別れ話じゃないよね……」
先日の一件で直樹と千春のごたごたは一応の終わりを見せたはずだ。
……多分。
性悪ビッチで根に持つタイプっぽい千春があれで引き下がるとは思えない。
直樹も直樹で10・0で向こうが悪いのに下手に出てしまう甘ちゃん野郎だ。
それでも直樹は姫麗の見ている前ではっきりと千春の告白に対して拒絶の意思を示した。
『ごめん千春。俺達は本気で付き合ってるんだ。今は姫麗が俺の彼女で、姫麗の事しか考えられない。本当ごめん』
あの時の直樹の態度を見ても、長年連れ添った幼馴染に対する腐れ縁的な情は残っていても、恋愛感情は残っていないはずである。
千春にばら撒かれたデマは解決していないし、復讐と言える程の復讐も出来てはいない。
だが、それについて直樹は半ば諦めている様子である。
正直姫麗も同じ気持ちだ。
一度広まったデマを訂正するのがどれ程困難かは、姫麗が一番理解している。
だからこそ姫麗はビッチの汚名を受け入れて利用する道を選んだし、直樹にも同じ道を勧めた。
それが正しいとは思わないが、他に手がないのだから仕方がない。
千春の性格を考えればデマを訂正させるというのも無理だろう。
仮に千春が訂正したとして、既にデマは独り歩きを始めていて、言い出した本人にだって制御不能な状態のはずだ。
そもそもの話、二人の関係だって千春の広めたデマの上に成り立ったものである。
だから、デマについてはあれこれ考えても仕方がない。
復讐については千春が勝手に自爆したのでもういい気がしている。
というか、姫麗自身千春があんなにヤベー奴だとは思っていなかったので、これ以上関わりたくないというのが本音である。
あんなバケモノみたいなメンタルの持ち主と復讐合戦をやっても勝てる気がしない。
よくて引き分け、その場合も全員仲良く不幸になる未来しか見えてこない。
そんな事よりも今の姫麗には直樹との関係がどうなるかという事の方が重要だった。
あたし達って結局なんなの?
以前から薄々思っていた事なのだが、先日の一件で姫麗は強くそれを意識するようになっていた。
答えは分かっている。
お互いの利益の為に協力し合っているビジネスライクの関係だ。
直樹は千春に対する復讐の為、姫麗はヤリマンビッチと恐れられる自分の立場を守る為。
だが、それだけだろうか?
推しに誓って最初は全然そんな気はなかった。
直樹との恋人ごっこは本当にごっこのつもりで、ビッチロールプレイの為の勉強のつもりだった。
だが、姫麗の予想に反して直樹との恋人ごっこは凄く楽しかった。
直樹は姫麗の秘密を知っていて、なんでも気軽に話す事が出来る。
その上趣味も合って、遊び相手としても最高だ。
千春に対抗する為に見た目を改造したら物凄く自分好みのビジュアルにもなってしまった(姫麗の美的センスで改造したのだから当然だが)。
性格だって悪くはない。
そりゃ千春に対する優柔不断で甘々な態度にはイラつく事もあるけれど、それ以外は基本的に楽しくて優しい気遣い屋だ。むしろイラつく所も含めてなんか放っておけない不思議な魅力がある。
まぁそれは、姫麗がお節介焼きなタイプだからかもしれないが。
そういう意味でも直樹とは相性が良いのだろう。
ではなにが不安なのか?
前述した通り、直樹と姫麗はビジネスライクな関係だ。
そして前述したとおり、お互いに千春の事はもうほっとけばいいんじゃね?
という雰囲気になっている。
そしたらビジネス崩壊だ。
直樹は姫麗に対してまだ負い目を感じている様子でもある。
いまだに俺なんかがと口にするのがその証拠だ。
姫麗と一緒にいる時の直樹はいつも、俺ばっかり楽しい思いをしていて申し訳ないという雰囲気を出している。
雰囲気だけじゃなく、言葉でも直接伝えて来る。
そういう態度は嫌じゃないし嬉しいし可愛くて好きなんだけど、こっちだって同じくらい、いや、それ以上に楽しい思いをしているんだと分かって欲しい。
直樹と恋人ロールプレイをするようになってから、姫麗は毎日明日が来るのが待ち遠しかった。
それまでは、明日も一日ビッチの振り頑張らないと! と気が重かった。
それが今は、早く直樹と会いたいなとルンルンだ。
それまで姫麗を苦しめていた周りの目や重圧なんか、今は全然気にならない。
そんな事より直樹である。
でも直樹は甘ちゃんだから、千春とのいざこざも一段落したし別れようとか言ってくるかもしれない。
「俺と一緒だと姫麗まで千春に目の敵にされるし、このまま曖昧な関係を続けるのも良くないと思う。恋人ごっこはこの辺で終わりにしないか? もちろん、俺が振られたって事にしてさ」
みたいな事言いだしても全然おかしくない。
それが姫麗は不安だった。
ではもう一方の期待の方は?
「……それとも、こ、ここ、告白、だったり……」
口にするだけで心臓がサンバを踊り顔が火照る。
勘違いでなければ、直樹との恋人ロールプレイはか~な~りイイ感じだ。
というか、もはやこれ普通に付き合ってんじゃね? とすら思える。
先日のファンタジーランドのデートなんか完全にただの普通の超イイ感じのデートだった。
もう、前日から解散後まで全てが最高にパーフェクトだったし、直樹が千春との対決より姫麗とのデートを優先してくれた事が最強に嬉しかった。
観覧車なんか究極に良いムードで、あ~し今超愛されてるじゃん……とか、この流れでキスとかされちゃったらど~しよう! とか、いや別に全然嫌じゃないし、むしろしてくんないかなぁ~……(チラチラ)、みたいな気持ちだった。
なんか気づいたら手も繋いでいて、知らん顔していたけど内心姫麗は嬉しさと恥ずかしさで発狂しそうだった。
直樹だって「あ~俺ってなんて幸せなんだろう……」とか、「おいおいお前可愛すぎだろ……」みたいな顔で姫麗を見ていて、姫麗はその度に幸せのキュンキュンが止まらなかった。
そこに先日の千春との一件だ。
『ねぇ直樹! 冷静になって考えてみなさいよ! そんな訳の分からないポッと出のビッチといつまでも続くわけないでしょ! っていうかそいつ、あたし達のいざこざを引っ掻き回して面白がってるだけなんだから! 悪い事言わないから大人しくあたしと寄り戻しときなさいって! あたし達、小学校の頃からの付き合いで三年以上恋人同士だったのよ? 喧嘩する事もあったけど、なんだかんだ上手く行ってたじゃない!』
悔しいが、千春の言い分も一理ある。
なんだかんだ言っても向こうには長年積み上げた関係性があるし、姫麗は所詮ポッと出のビッチだ。出会い方だって最悪で、あんなん本当にただのビッチだろう。
あの時は必死過ぎて頭が沸いていたのだが、そんなのは言い訳に出来ない。
千春が正しいわけではないのだが、優柔不断な直樹を惑わせる程度のロジックは利いていた。
もしあそこで直樹が千春とよりを戻していたら、デマの事だってあの女がどうにか処理していたかもしれない。悪い意味で、自分の為ならあの女はどんな不可能も可能にしてしまいそうな凄みがある。
でも直樹は断った。
『ごめん千春。俺達は本気で付き合ってるんだ。今は姫麗が俺の彼女で、姫麗の事しか考えられない。本当ごめん』
もしかしなくてもアレはあの場を切り抜ける為の方便だったのかもしれない。
それでも姫麗は嬉しかった。
嬉し過ぎてその場で「ぎゃあああああああ!」と叫び出しそうになったほどだ。
むしろ一瞬「まままマジィ!? あたし達マジで本気で付き合ってるの!?」と真に受けかけたほどだ。
っていうか今だって実はマジだったのでは? と期待している。
なんならスクショして毎日眺めている。
そんな時に直樹に呼び出されたのだ。
そりゃドキドキにすり潰されそうにもなる。
こんな所に呼び出すくらいだから、きっと大事な話だろう。
というか大事な話があると呼び出されているし。
つまり大事な話なのだ。
告白か、はたまた別れ話か……。
その事を考えると姫麗は爆発してしまいそうだった。
告白なら最高だ。
でも別れ話なら?
逃げたい。
今すぐダッシュで。
この関係が終わるくらいなら告白なんかされなくていい。
この関係が終わるくらいならずっと偽りの関係でいい。
この関係が終わったら……。
想像すると姫麗は千春の気持ちがちょっとわかる気がした。
自分だって直樹に振られたらバケモノになってしまうかもしれない。
ならないなんて誰に言える?
それくらい姫麗は直樹の事が――
「……待たせたな」
「ピィッ!?」
不意打ちで声を掛けられて、姫麗は踏みつぶされたひよこみたいな声を出した。
「お、脅かさないでよ!? 心臓発作で死んだらどーするし!?」
「す、すまん……」
涙目で怒る姫麗に、訳も分からず直樹が謝る。
「すまんじゃすまんし! てか、大事な話って何! 早く言って! これ以上焦らされたらあ~しマジで無理になっちゃうから!」
「お、おぅ……。じゃあ、単刀直入に言うんだが……」
「嘘! やっぱ聞きたくない!」
土壇場で日和って姫麗は耳を塞いだ。
もう、いつ心臓がメルトダウンを起こしてもかしくない状況だ。
「好きなんだ」
「――ッ!?」
心臓がビッグバンを起こした。
「この前の千春との一件で気づいた。っていうか、ずっと前から気づいてたんだ。俺、花房さんの事が本気で好きだ。好きになっちまった。だから……こんな俺で良かったら本当の恋人にして欲しい……」
気づけば壁に追い詰められ、直樹の顔が目と鼻の先。
姫麗はハイと答えたかった。
なのに口は言う事を聞かず、酸素不足の金魚みたいにはふはふと空を噛むだけだ。
「……ダメか?」
泣き出しそうな直樹の顔が狂おしい程情けな可愛い。
「……ダメじゃない。あ~しも好き! アッシーの事好きになっちゃった!」
直樹の目が喜びで潤む。
二人はうっとりした表情で見つめ合い、どちらともなく唇を重ねた。
互いに求めるように舌を絡め合う。
「芦村君……」
「直樹って呼んでくれ。好きだ姫麗、愛してる……」
「あ、あたしも――うぎゃぁ!?」
頭から床に落下する。
気が付くと腕の中の直樹はお気に入りのぬいぐるみに変わっていた。
ロマンチックな放課後の教室はオタクグッズだらけの自室に、制服は寝間着に変わっている。
「………………夢落ちなんてサイテー」
宝くじが当たった夢よりも最悪な気分で姫麗が唇を噛む。
悔し過ぎて泣きそうだ。
なによりムカつくのは、こんな夢を見るのは初めてではないという事だ。
千春とのデジタル修羅場があってから、姫麗は毎日のようにこの手の夢を見ていた。
「……もうあたし、完全に芦村君の事が好きになっちゃってるじゃん!」
真っ赤になってぬいぐるみを抱きしめる。
もう千春なんかどうでもいい。
その最大の理由がこれである。
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