第36話 自覚無き勝者に祝福を

 燃えるような夕焼けを背景にして、姫麗の横顔はどこか不安そうに俯いている。


 視線の先は遠い下界、王都エリアを向いていた。


 今頃あそこではベストカップルコンテストが行われている時間だろう。


 二人は今古代の森エリアにいた。


 より正確には、世界樹ユグドラシルの名を冠した巨大観覧車に乗っている。


 千春と別れて程なくして、姫麗の携帯に友人からラインが入った。


 内容は学校掲示板に関するもので、学校の連中が結託してコンテストの妨害を目論んでいるという情報だった。


 直樹は驚いた。


 学校掲示板がある事自体初耳だったのだ。


 中身を見て二度驚いた。


 便所の落書きが上品に見えるくらいクソッタレな内容だったからだ。


 それで直樹は即断した。


 コンテストに出るのを止めよう、と。


 最初姫麗は嫌がった。


 ここで引き下がったら負けだよ!


 悔しくないの!


 あ~しらなら絶対勝てるよ!


 そうかもしれない。


 姫麗と一緒なら直樹はどんな強敵にだって勝てる気がした。


 でも、勝ってどうなる?


 勝手に盛り上がってるバカどもの暇つぶしのネタにされるだけだ。


「くだらねぇよ、こんな勝負」


 勝ても負けても損するだけ。


 それどころか、折角の二人の初デートが穢される気がした。


 偽りの関係だとしても、本当のデートではないのだとしても、それは凄く嫌な気がする。


 恥ずかしくてそんな事姫麗には言えなかったが。


 なんとなく察してくれたのだろう。


 姫麗の顏からも毒気が抜けて、いつもの明るい笑顔で言うのである。


「……確かにね。ここで勝負に乗るのもちはビッチの思うつぼって感じするし。別にあ~しら出るとも出ないとも言ってないし? ブッチしちゃおっか?」


 そういうわけで千春が直樹達に勝とうと躍起になっている間、二人はファンタジーランドを思いっきり堪能していた。


 さっきまでも大盛り上がりで、「すごい!」「高ぇ!」「怖いよぉ~!」とか言ってはしゃいでいたのだが、コンテストの時間になったからか、急に姫麗がおセンチになって俯きだしたというわけである。


「……やっぱコンテスト出たかったか?」


 なんとなくバツが悪くなって直樹は言った。


 あの時はこれが正しいと思った。


 だが、今になって思えば怖気づいて逃げただけのようにも思える。


 やる気満々の姫麗からすればそうとしか思えない状況だろう。


 そんなんだから千春にも足元を見られる。


 これじゃあ何の為にファンタジーランドに来たのか分からない。


 きっと学校の連中も直樹の事を臆病者だと笑うだろう。


 いや、直樹だけじゃない。姫麗も同じ被害を受ける。


 今更になってその事に思い至り、直樹は自分の愚かさを呪った。


 自分はなんてバカな事をしてしまったんだろう!


 悪い考えばかりが浮かび、恐る恐る姫麗の顔色を伺った。


「ほぇ?」


 姫麗はキョトンとした顔で振り返った。


「いや全然。そんな事欠片も思ってなかったけど?」


 あまりにあっけらかんとした態度に直樹の方が戸惑う始末だ。


「そ、そうなのか?」

「お城が綺麗で見惚れてただけだし? てか、アッシーこそなにつまんない事引きづってんの」


 逆に不快にさせたのか、ジト目になって姫麗が睨む。


「ご、ごめん……。でも、よく考えたら逃げたみたいだし……姫麗までバカにされるかもって思ったらなんか……」


 なんか、なんだ?


 分からない。


 なんかはなんかだ。


 なんか嫌だ。


 なんか申し訳ない。


 なんかごめん。


 俺なんかに付き合わせて……。


 俯く直樹の目の前に影が広がる。


 顔を上げると席を立った姫麗の怒り顔が目の前にあった。


「うぉ!?」

「てい!」

「いでっ!?」


 鼻先にデコピンを受けて仰け反る。


「な、なにすんだよ!?」

「しょぼくれた顔してるからだよ!」


 ムスッとして姫麗が隣に座る。


 甘い香りと熱っぽい体温に心臓が小躍りを始める。


(……冗談みたいに可愛いんだよな)


 場違いな考えが頭を過った。


 今日一日で一万回は過った考えだった。


 姫麗に見つめられて直樹は黙った。


 何か言わなければいけない空気なのだが、今のヘタレた直樹には姫麗を怒らせる言葉しか言えない気がした。


 しばらく無言で見つめ合うと、不意に姫麗は困ったような顔でそっぽを向いた。


(……呆れられたか)


 そう思って溜息を吐くと。


「あ~しは楽しかったし」


 足元の小石を蹴り上げるような声で言うと、拗ねた顔でこちらを振り向く。


「……それじゃだめ?」


 急に心臓が苦しくなり直樹は死を覚悟した。


 千春がデスノートを手にしたのでは?


 割とマジでそう思った。


 幸いな事に、苦しいだけで死にはしなかったが。


 不安そうに見つめる姫麗に気づいて慌てて首を横に振る。


「まさか! だめなわけないだろ! てか、俺だって楽しかったし!」


 姫麗と過ごすファンタジーランドは夢のように楽しかった。


 アトラクションに乗ってる時は勿論の事、長い行列に並んでいる時だって楽しかった。


 頬が痛くなるくらい大笑いして、喉が枯れるくらい喋りまくった。


 そしてふと不安になって、この時間が永遠に続けばいいのにと何度も思った。


 今だってそうだ。


「ならそれでいいでしょ!」


 ピシャリと言われたら、不思議と直樹は納得した。


 我ながら単純な男だと思わないでもない。


「……だな」


 どこか情けない、でも優しい笑みを浮かべると、姫麗もニコリと笑いかける。


「そうだよ。だからこの話はもうおしまい。帰るまでまだ時間あるんだから! ちはビッチとか学校の事は後回しにして今はあ~しとのデートの事だけ考えて! いい?」

「……おぅ」

「声が小さい!」

「応!」


 大声で答えると互いに見つめ合い、どちらともなく吹き出した。


 そして二人並んで窓の外を見て、次はどこに行こうか、何に乗ろうか、何を見ようか話し合った。


 そしたらあっと言う間に地上について、二人は大急ぎで次のアトラクションに向かった。


 いつの間にか当たり前のように手を繋いでいる。


 その事に気づいて直樹はドキリとする。


 でも、指摘したら離れてしまう気がして気づかない振りをした。


 途中で魔族の行進パレードに出くわし、そのまま二人で鑑賞した。


 あんな衣装が作りたい、あっちの衣装も可愛いな。


 子供のように目を輝かせる姫麗を横目に、直樹はお前が一番可愛いよという言葉を飲み込んだ。


 不意に携帯が鳴り姫麗がスマホを取り出す。


「……え、ぇええええ!?」


 ただならぬ反応に直樹は心配になった。


 身内に不幸でもあったのだろうか。


「どうした? なんかあったのか?」

「あ~しもよくわかんないんだけど……」


 そう言って姫麗は携帯を向けた。


 画面には例の学校掲示板が映し出されている。


「なんかちはビッチの彼氏逮捕されたっぽい……」

「………………え、ぇええええ!?」


 直樹は姫麗と同じリアクションを取った。


 

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