第14話 なんでもない

「アッシー! 迎えにきーたぴょん!」


 昼休みになった途端、ニコニコ笑顔の姫麗が頭の上でうさ耳みたいに両手をひらひらさせながら教室にやってきた。


 それだけでボス猿(♀)は半泣きになり、一組の面々はギクリと頬を引き攣らせる。


(まぁ、あんな目に遭ったら当然だろうが)


 直樹もイジメは大嫌いなのでいい気味である。


 ともあれ、迎えに来たという事は他所で食べるつもりなのだろう。


「おう」


 とりあえず直樹は当たり前の顔をすると弁当を持って立ち上がった。


 姫麗と一緒に教室を出る。


 姫麗のクラスで食べるのかと思ったが、向かうのは逆方向だ。


「どこに行くんだ?」

「しょくど~」


 気だるげに答える姫麗の手には派手な弁当バッグがぶら下がっている。


「弁当あるのにか?」


 決まりがあるわけではないが、普通食堂は弁当のない奴が行く場所である。


「目立つ所の方が都合よくない? あ~しもアッシーと付きってる事周りに広めたいし」

「なるほど」


 直樹は千春に対する復讐、姫麗はヤリマンビッチの地位を確固たるものにしたいという目的がある。


 その為にはヤリチンとヤリマンの二人がいちゃいちゃしている姿を大勢に晒した方が良いのだろう。


 実際、廊下を歩いてるだけで二人はかなり目立っていた。


 すれ違う生徒が皆ギョッとしたりポカンとして「嘘だろ……」「マジぃ!?」「ありえねぇ!?」みたいな反応をするのは悪くない気分だ。


 なんだか有名人になったみたいである。


 事実、学校の中では二人はかなりの有名人ではあるのだが。


 絵的にも清楚系の美少女の幼馴染から学校一のヤリマンビッチに乗り換えた浮気男という感じである。


 これだけ注目を集めれば千春の耳にだって入っているだろう。


 それで千春が悔しがるかは未知数だが。


(……そうじゃなけりゃ、俺はただのピエロだな)


 陰鬱な気持ちが込み上げる。


 千春に未練があるわけではないが、これまでの三年ちょっとの付き合いを完全に否定されるのは恐ろしかった。


 浮気されてデマを流された時点で否定されたも同じだが、確定するかしないかでは気持ち的に大違いである。


 千春の本心を知らないままなら、何か理由があったのかもしれないと逃げる事も出来る。


 例えるならば、シュレディンガーの猫のような物だろう。


 箱を開けて確かめなければ、かつてそこにあったはずの二人の愛が死ぬ事はない。


 我ながら女々しい考えだとは思うが、それでも直樹は少し前まで、本気で千春を好きでいたのだ。


 裏切られたからと言って、いや、裏切られたからこそ、千春の気持ちを知るのが怖い。


 果たして千春は、少しでも自分の事を好きでいてくれたのか。


 それともただ都合の良い男として利用していただけで、もはやなんの興味もないのか。


 千春の性格を考えると、後者である可能性を否定する事は出来なかった。


「ま~たそんな顔して! ちはビッチの事考えてるでしょ!」


 いきなり腕を絡めると、姫麗は直樹を引き寄せるようにしてジト目を向けた。


「……そんな事ねぇけど」

「はいうっそー。顔見れば一発で分かるんだから」


 我知らず顔に出ていたらしい。

 直樹は頬に触れながら。


「……どんな顔だよ」

「この世の終わりみたいな顔! 今はあ~しと付き合ってるんだからしょぼくれた顔禁止! あ~しだけ見て、あ~しの事だけ考えてればいいの!」


 むくれると、姫麗の指先が直樹の鼻をピンと弾いた。


 痛くはない。


 全く。


 それなのに直樹は無性に泣きたくなった。


 本当に泣きはしないが。


 ともかく、そんな気持ちだ。


 溜息と一緒に胸のモヤモヤが鼻から出ていく。


「その通りだな」


 皮肉っぽい笑顔で直樹は笑った。


「そうそう。笑ってる方が可愛いよ」


 無邪気に笑うと、姫麗は急に顔を寄せてきた。


 いきなりキスされるのかと思ってドキリとする。


「なんかあ~しら、本当に付き合ってるみたいじゃない?」


 囁く声が耳をくすぐる。


 たんに内緒話がしたかっただけらしい。


「……だな」


 甘い吐息に頬が熱くなる。


「さっきのあ~しの台詞、漫画みたいだったし。ノリで始めちゃったけど、恋人ロールプレイって結構楽しいね」


 抑えきれないウキウキが漏れ出したような声に直樹は困惑した。


(……なんて答えりゃいいんだよ)


 何も考えず適当に「……だな」と答えればいいのだろう。


 だが、そうする事には抵抗があった。


 なぜ?


 多分それは、楽しむ事に抵抗があるからだろう。


 だってこれは復讐なのだ。


 自分は裏切られたばかりで、傷ついているのだ。


 姫麗との関係だって復讐の為の嘘偽りだ。


 諸々合わせて、楽しむのはなにか不謹慎な気がしてしまう。


「アッシーは楽しくない?」


 黙り込む直樹を見て、急に姫麗は不安そうな顔をした。


 寂しそうで悲しそうで、心配そうな顔だった。


「……そういうわけじゃないけど」

「もしかして、楽しんじゃだめとか思ってる?」


 図星を突かれて直樹は黙った。


 沈黙から、姫麗は答えを見つけたらしい。


「い~じゃん楽しんでも。てか、折角あ~しと付き合ってるんだから楽しんでくれなきゃやだし!」


 再びむくれると、姫麗が直樹の腕に頭を捻じ込んだ。


 はた目からはバカップルがイチャイチャしているようにしか見えないだろう。


 廊下を歩く男子生徒の嫉妬と羨望が肌に痛い。


 だが、悪い気はしなかった。


(というか、めちゃくちゃいい気分ではあるんだよな……)


 花房姫麗はどこを取っても文句のないイイ女だ。


 こんな奴に恋人の振りをして貰って不景気な顔をしているなんて、それこそ罰が当たるだろう。


 素直に認めて、直樹は「そうだな」と答えた。


「……本当にその通りだ」


 傍らの美少女を見つめてしみじみと呟く。


 真面目過ぎる視線に姫麗は不意を突かれたように赤くなって顔を背けた。


「……真顔で言うなし。恥ずかしいじゃん」


 そんな姫麗が可愛すぎて、直樹も赤くなって顔を背けた。


 良い感じの空気を漂わせながら食堂に着く。


 その頃には妙な緊張も解けていた。


 噂の二人の襲来に、食堂中の注目が集まる。


 教室や廊下の比ではないプレッシャーに、絡みついた姫麗の腕がほんのわずかに力を増した。


 向かう所敵なしに見える無敵ギャルにも怖いと思う事があるのだろうか。


 あるのかもしれないしないのかもしれない。


 力を込めた事に理由なんかないのかもしれない。


 あるいは直樹の勘違いかも。


 本当の事なんか分からない。


 三年ちょっと付き合った彼女の浮気も見抜けなかった直樹である。


 それでも、もし姫麗がほんの少しでも怖いと思っているとするのなら。


 そう思うだけで、直樹は妙に落ち着いた気持ちになった。


 自ら姫麗を抱き寄せると、ニヤリとして呟く。


「非モテ共にいっちょう見せつけてやろうぜ」


 その言葉に、姫麗はひまわりみたいな笑みを浮かべた。


「当然!」


 そして二人は食堂のど真ん中に陣取って弁当を食べた。


 会話は弾み、自然と笑顔が零れる。


 考えてみれば、お互いにろくに知らない仲である。


 話す事は無限にある。


 姫麗はよく喋り、よく食べて、よく笑った。


 直樹も彼にしては珍しく多弁になってよく笑った。


 あまりにも会話が弾みすぎて、大混雑の食堂に二人しかいないような気分になってくる。


(……まったく、俺は幸運な男だぜ)


 普通にしていたら姫麗程の女と仲良くなる事など一生なかっただろう。


 彼女に浮気されたお陰というのは皮肉と言う他ないが。


 仮初の関係だとしても、今この時は確かに楽しいものだった。


 そんな中でふと気づく。


 食堂の入口からこちらを覗く千春の姿に。


 その瞬間、直樹は心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。


 千春は壮絶な顔をしていた。


 今までに見た事がない、本来の千春なら絶対に人前で晒す事のない、清楚とはかけ離れた恐ろしい顔。


 視線だけで人を呪殺出来そうな強烈な感情の宿った顔である。


(……なんだよ。千春の奴、浮気した癖にめちゃくちゃ嫉妬してやがるじゃねぇか)


 チビりそうな恐怖と同時に、直樹は猛烈な喜びを感じていた。


 あんな顔をするからには、千春も直樹を愛していたのだ。


 この三年ちょっとは決して無駄ではなかったし、二人の関係は直樹の一方通行というわけではなかった。


 それを知れただけで、直樹の復讐は成就したようなものだった。


「どうかしたの?」


 姫麗が聞いた。


 ニヤついた顔を見るに、千春の存在に気づいているのだろう。


 意地の悪い笑みを浮かべた口元は、悪戯を誘う悪魔のそれだった。


 なにが言いたいのか直樹にもわかった。


 なにをするべきなのかも。


 そして直樹は復讐を実行した。


「なんでもない」


 平然と言って、直樹は視線を姫麗に戻した。


 そして二度と千春を見る事はなかった。


 こちらを睨んで凄まじい憎悪を放っていたとしても気にしない。


 今目の前にいる美少女との時間を心から楽しんだ。

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