第11話 五千字近いと分割した方がいいかなって
「……なんつーか、悪い夢から覚めた気分だな」
通学路を歩きながらふと呟く。
文字通り、千春に浮気されて以来直樹は終わらない悪夢の世界に閉じ込められたような心地だった。
なにもかもが最悪で現実感がなく、息苦しくて救いがない。
思考を放棄して感情を殺さなければ心が壊れてしまいそうで、ただただ早く一日が終わる事だけを願っていた。
それでも完全になにも考えないというのは無理なもので、ふとした瞬間に千春が「なんでもない」と言って浮気相手とキスしていたシーンがフラッシュバックしたり、何故千春は浮気したのか、それはいつからなのか、俺が悪かったのか、だとしたらそれはどこで、どうやったらこの結末を回避できたのだろうとか考えたくもない事が勝手に浮かんで死にたい気分になったりしていた。
それが今は嘘みたいに穏やかな気持ちだ。
それどころかドキドキして、ワクワクして、楽しいような気さえする。
姫麗という理解者を得たことで、彼女が自分の事のように怒ってくれた事で、復讐を提案してくれた事で、それを受け入れ覚悟を決めたことで、直樹は無力な被害者ではなくなったのだろう。
状況は相変わらず最悪で、通学路を歩く学生達は隠すことなく直樹に嫌悪の視線を向け、わざとらしく陰口を言い、後ろ指をさしてくる。
昨日までの直樹なら不条理な現実に耐え切れず(俺がなにをしたってんだよ……)と拳を握り俯く事しか出来なかったろう。
それが今はなに見てんだコラ見世物じゃねぇぞてめぇも食われてぇのか? と陰口を言っている相手を睨み返す余裕まである。
直樹の事をやり返してこない木偶だと思っていた相手は慌てて顔を背けバツが悪そうに俯いた。中々悪くない気分である。
(……復讐者になるってのはこういう事なんだな)
今日から直樹はやられる側ではなく、やる側に回るのだ。
まだなにも始まってはいないのだが、意識一つで世界は一変した。
何も知らずに千春の嘘に踊らされるバカ共なんかちーとも怖くない。
むしろ哀れで滑稽にさえ思える。
(……俺には姫麗もついてるしな)
トップカーストのギャル軍団を率いる学校一のヤリマンビッチ(処女)。
まともに話したのは昨日が初めてだったが、既に直樹は姫麗の事を信用していた。
それだけの説得力、誠実さ、熱量が姫麗にはあった。
全部ひっくるめてカリスマとでも言っておこうか。
姫麗という後ろ盾がどれ程の力になるのかは未知数だが、なんにしたって直樹はもう独りではない。たった一人でも真実を知り、直樹の受けた不条理に憤ってくれる理解者がいる。
ただそれだけで、直樹は百万の援軍を得たような気分だった。
学校に着く。
靴を隠されるので下駄箱には鍵を付けていた。扉には油性マジックで女の敵、ヤリチン、バーカ! 勘違い野郎、調子乗んな等の悪口が落書きされている。女子の仕業なのだろうが、カラフルな上に凝った書体のせいで一見すると可愛い感じになってしまっている。中にはちい〇わのイラストまであって、吹き出しで「最低の浮気野郎……ってコト!?」と書かれている。
(……いやそれハチ〇レの台詞だし、ハチ〇レはそんな事言わねぇし言わせんなよ)
直樹は台詞を改変して元キャラが言わなそうな事を言わせるコラが嫌いなオタクだった。
鍵を開けると中には手紙が何通か入っていた。
下駄箱の扉には数ミリ程の隙間があって、そこからポストみたいに入れられるのである。
中身は見なくても分かる。
ミルキーペンで可愛く書かれたトンチキな中傷文の類だろう。
当事者でもないのにわざわざ時間と金を浪費してご苦労様な事である。
ゴミ箱送りにすると直樹は一組の教室に向かった。
「あ、来たよ」
ニヤついた声で誰かが言った。
クスクス笑いと共に視線が集まる。
直樹の机は教卓の上に乗っていて、その上には椅子が乗っていた。
これで三日連続だ。
千春にハメられて、直樹のスクールカーストは最底辺をぶち抜いた。
男子には元々美少女の彼女持ちという事で妬まれていたし、女子の間では直樹をイジメる事が流行っている。その結果がこれだ。
(……さて。どうしたもんかな)
元の位置に戻そうとすると両手が塞がっている所に足をかけられて転ばされるのが分かっている。
大人しくやられるままでいるのはもう終わりにしたい。
だが、クラスメイトは全員敵だ。
義憤に駆られて嫌がらせをするか、面白がって乗っかるか、見て見ぬふりをするか。
なんにしたって味方はいない。
足掻いた所で多勢に無勢、嘲笑されるだけである。
「なにつったってんの? 邪魔だから早く片付けてくんない?」
「早くしねーとせんせーに怒られるぞー」
白々しいヤジが飛び、ギャハハハと笑いが起こる。
(……どうにもなんねぇか)
直樹の勇気はあっさり折れた。
居た堪れない気持ちになり顔が俯く。
気持ちだけでこの状況を変えるのは無理だろう。
大人しく道化を演じようとした矢先。
「アッシーおっぱよ~!」
底抜けに明るい声が背後で響いた。
制服の前をパツンパツンに膨らませ、股下ギリギリのミニスカートで長い素足を晒すのは、学校一の処女ビッチこと姫麗だった。
「……おう。おはよう」
直樹が振り返る。
恥ずかしい場面を見られて頬が強張った。
一方のクラスメイトは直樹に親し気に話しかける姫麗を見て何事かとざわついていた。
「元気ないじゃんアッシー。どったの?」
キョトンとする姫麗に直樹は「まぁ、ちょっと」と口籠った。
味方とは言え情けない姿を晒すのは恥ずかしい。
「?」
姫麗は小首を傾げると、背後のオブジェに視線を向けた。
悩み事なんか一つもなさそうな明るい笑みが白けたようなジト目に変わる。
「……それ、アッシーの机?」
「……まぁ、そんな感じだ」
(……情けねぇ)
恥ずかしくて直樹は消えたい気分だった。
背後ではクラスメイトが姫麗の発するピリピリとした圧に怯えていた。
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