第4話 さっさとやっておさらばだ
家に着いた。
「……お、おじゃましま~す」
おっかなびっくり挨拶をすると、姫麗は律義に靴を揃えた。
「……てか、親御さんとか平気なの?」
「平気じゃなけりゃ呼ばないだろ」
「……そうだけど」
なにがどう平気なのか不安なのだろう。
姫麗はどこかソワソワした様子だ。
「仕事だよ。帰ってくるのは七時過ぎだ。それまでには帰れよ」
「……言われなくても帰るけど。……そんな言い方しなくてもいいじゃん」
シュンとして姫麗が唇を尖らせる。
噂だけは知っていたが、実物は随分イメージと違っていた。
学校ではトップカーストの頂点に君臨するギャル軍団の親玉で、女子は勿論、男子にも一目置かれる畏敬の対象。
それが花房姫麗という女だったはずなのだが。
(……なんでもいい。さっさとヤッておさらばだ)
今更になって直樹は姫麗と寝ようとしている事を後悔し始めていた。
元々一途な直樹である。
いくらイイ女だからって見ず知らずのヤリマンビッチと寝る趣味はない。
そうでなくても三年付き合った幼馴染に手酷く裏切られた後だ。
女を抱く気なんか全然湧いてこない。
この一週間、オナニーだってしていないのだ。
だからと言って今更なかった事にも出来ないのだが。
「……ぁ」
自室の扉に手をかけてマヌケな声を出す。
何も考えずに連れ込んでしまったが、直樹の部屋は誰に見せても恥ずかしいオタ部屋だった。
漫画やアニメやラノベやVのグッズが店を開けるくらい並んでいる。
まぁ、それで引かれるならそれでもいい。
別に姫麗と寝たいわけではないし、これ以上落ちる社会的な地位もない。
「どうしたの?」
見栄えだけは純粋そうな瞳で姫麗が尋ねる。
「……別に」
どうにでもなれという気持ちで直樹はドアを開いた。
「……え」
案の定、姫麗は唖然としてその場に立ち尽くした。
「……笑いたきゃ笑えよ。この通り俺は誰とでも寝るキモイオタク野郎――」
「すっごー! 入っていい!?」
興奮した声を出すと、姫麗は遊園地にやってきた子供みたいな顔をして直樹に聞いた。
「い、いいけど……」
「おじゃまします!」
言うが早いか姫麗は大急ぎてスリッパを揃えて直樹の部屋に突入した。
「わぁ! わぁ! わぁ! これ、先週出たばっかの一番くじのフィギュアじゃん! いいないいな~! あ~しも探したんだけどどこも売り切れだったし! どうやって手に入れたの? やっぱメルカリ?」
「……いや、普通に隣町のコンビニだけど……」
「マジか! あ~! あ~しも諦めないでもっと粘ればよかったぁあああ~!」
刹那の飾られたフィギュアケースに齧りつくと、姫麗は悔しそうに頭を抱えた。
「……好きなのか? 刹那」
「うん! 最推しってわけじゃないけど、スリースターズの子はみんな好き!」
「……そうか」
屈託のない笑みに、一瞬直樹はこの女が学校一のヤリマンビッチである事を忘れた。
閉め切った部屋に初夏を思わせる涼風が吹いた。
壁に飾ったタペストリーは揺れなかったが、直樹の心の中では確かに吹いていた。
悔しいが、少しだけ心の傷が癒えた気がした。
ビッチによって傷つけられた心がビッチによって癒されるのは皮肉な気もするが。
癒されてしまったのだから仕方がない。
あるいは、そんな女だから大勢の男が抱きたがるのかもしれない。
そんな事を思っていると。
不意に姫麗の笑みが強張り、サァーッと青ざめた。
「って、今のなし! 全部ナシ! 刹那とか知らないし、Vチューバーも興味ないから!?」
涙目になって顔の前で両手を振る。
大袈裟な動きに、窮屈そうな胸元が大きく揺れる。
「……流石にそれは無理があるだろ」
「そ、そうだけどぉ~! 一応あ~し、がっこーではイケてるギャルで通ってるの! ゴリゴリのオタクな事ばれちゃったらイメージダウンじゃんかぁ!?」
「……別にいいだろ。ちょっとくらい」
「ちょっとじゃないから困ってるの! とにかくこの事は内緒にして! エッチしてあげるから!」
至近距離でお願いされて、直樹は恥ずかしくなって顔を背けた。
先程までなんとも思わなかった姫麗の体臭が妙に色っぽく感じられる。
「言わないって。俺の言葉なんか誰も信じないし。てか、そもそもエッチするつもりで来たんじゃないのか?」
「そ、そうだけど……」
もごもごしながら、胸元で指先をツンツンする。
先程からずっとそうだが、学校一のヤリマンビッチのイメージは壊れる一方だ。
「するのか、しないのか。別に俺はどっちでもいいんだ。俺から誘ったわけじゃないんだからな」
むしろ、姫麗とはしたくない気さえしてきた。
ただの股の緩いクソビッチならあと腐れなく抱けると思っていた。
だが、こんな風に人間味のある所を見せられるとヤリづらい。
「す、するってば! ていうかしなきゃだめだし!」
「しなきゃだめってどういう事だよ。誰かに脅されてるとかじゃないだろうな」
ヤバッ! という顔で姫麗が口を塞ぎ、ブンブンと首を横に振る。
「全然! そういうんじゃないから!」
「じゃあなんなんだよ」
「な、なんでもないし! こっちの都合!」
「……どんな都合だよ」
「そ、それは、え~とぉ……」
胸元で指をイジイジし、姫麗の大きな瞳がピンボールみたいに跳ね回る。
「……もしかして、俺をハメるつもりか? 千春と手を組んで、俺と寝た所を隠し撮りとかして後で被害者ぶる気だろ!」
その可能性に思い至り、直樹はゾッとした。
そんな理由でもなければ、姫麗程の女がわざわざ直樹と寝たがるはずがない。
「お、落ち着いてよ! あ~し、そんなひどい事絶対しないし!」
「じゃあなんで俺と寝たいんだよ! お前なら、寝たがる男なんて幾らでもいるだろ!」
「それは……だから……え~と……」
数学の難問に挑戦するような顔で頭を抱えると、姫麗はハッと目を開いた。
「百人斬り!」
「……はぁ?」
意味が分からず聞き返す。
「だぁ~から、百人斬りだってば! 友達と賭けてんの。期限までに百人の男とヤレるかって。その期限が明日なの。だから今日中に芦村とヤラないとダメ! ね? これなら納得っしょ!」
さも名案を思いついたみたいな顔で姫麗が人差し指を立てる。
正直言って疑わしい。
仮に本当だとしても。
「……お前、アホだろ」
それも超ド級の。
どこの世界にそんな理由で見ず知らずの男に股を開く女がいるのか。
まぁ、それくらいのアホでなければヤリマンビッチにはなれないのかもしれないが。
「アホじゃないし! 自慢だけどあ~し、テストの成績はメッチャいいんだからね!」
「なら勉強の出来るアホなんだろ」という言葉を直樹はグッと飲み込んだ。
そもそも相手の事情などどうでもよかったはずだ。
そこまでヤリたいというのならいいだろう。
誰とでも寝る男になってやる。
姫麗程の女と寝たとなれば、千春だって少しは悔しがるに違いない。
直樹はそう思う事にした。
納得のいかない気持ちを溜息にして吐き出す。
「なら脱げよ。早くしないと親が帰って来る」
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