第2話 地獄の底

「……という夢を見ていたのだった」


 だったらいいなと願いを込めて、翌朝直樹は呟いた。

 不思議な事に、言葉にしてみると本当にそんな気がしてきた。


「……いや、マジで。あの後ラインも来てないし」


 浮気現場を目撃されたら、普通はなにかしらアクションがあるのではないだろうか?

 そう思うと、昨日見た千春も、やっぱりよく似た他人だったような気が――


「なわけないだろ!? どんだけ頭沸いてんだ俺は!?」


 部屋の壁にガツンガツンと頭をぶつける。

 千春の浮気がショック過ぎて頭がどうにかなりそうだ。

 というか、実際になっているのだろう。

 昨日の出来事をなかった事にしよう、夢だと思おうとしている気がする。

 脳が破壊されないように防衛本能が働いているのかもしれない。

 一方で、どう考えてもあれは千春だったという確信も確かにある。


「……だって幼馴染だし。三年ちょっとも付き合ったんだぞ……」


 相手が千春なら、変装してたって雰囲気だけでそうと分かる自信がある。

 ……確かめたい。

 なにを?

 浮気していたのは間違いないのに。

 兄貴とか従兄とか、よくある勘違いの可能性はない。

 だってめちゃくちゃ大人のキスをしていたのだ。

 あれが挨拶だとしたらそれはそれで問題ありだし異常である。

 ……でも、ワンチャンそういう可能性も微レ存なのか?


 今すぐラインで問いただしたい。

 お前は本当に浮気をしたのかと。

 小一時間程問い詰めたい。

 だって千春は恋人で、直樹は千春が好きなのだ。

 あれが何かの間違いで誤解なら、その方が良いに決まっている。


「いや、無理だろ……。てか、なんて言えばいいんだよ……」


 おはよう。元気? そういや昨日浮気した?

 バカ丸出しだ。

 違ったら千春を傷つけるし、それが理由で振られるかもしれない。

 もし本当に浮気をしていたら、こっちから尋ねるのは癪である。

 既にラインをブロックされている可能性もある。

 こっちから連絡してそれに気づいたら物凄く悔しいし傷つく。

 きっと一生消えない傷になるだろう。

 既にそうなっている気もするが。

 なんにしたって無駄に傷を増やしたくない。


「………………とりあえず、学校行くか」


 三年ちょっと付き合った幼馴染の恋人に浮気されようが、学校には行かなければいけない。むしろ、浮気されたからこそ(いや、まだそう決まったわけではないが!)、そんな理由で学校を休んだら負けた感じがしたイヤだ。

 あるいは単に問題を先送りにしたいだけなのかもしれないが。

 学校に行って千春に会ってその時の反応を見れば、嫌でも真偽は分かるだろう。

 ……そうだろうか?

 もし何食わぬ顔で平静を装ってきたら?

 その時自分はガツンと千春に言えるのだろうか?

 ……わからない。

 ……自信もない。

 ……ぶっちゃけ最近は千春の方が可愛くなりすぎて不釣り合いな感じになっていたし。

 そんな風に弱気になっている内に時間が過ぎ、渋々直樹は家を出た。


「あ~! マジで学校休みて~!」


 心の底からそう思いつつ。



 †



「あ、あいつ。噂の」

「うそ、全然そんな風には見えないけど」

「そういうもんでしょ。殺人犯だって大体無害そうな顔してるし」

「あ~……」


(………………俺の事か?)


 違ったら恥ずかしいので知らん顔をするが。

 学校に着いたのだが、なんだか今日は周りの様子がおかしかった。

 やたらと視線を感じるのだ。

 主に女子、所により男子。

 知らない顔も混じっている。

 なんだかコソコソして、陰口を言われているような雰囲気だ。

 中には露骨に軽蔑の眼差しを向けてくる者もいる。


「……いったいなにがどうなってるんだ?」


 わからないが、とにかく嫌な予感がする。

 千春とはクラスが違うので、さっさと机に教科書を詰め込んで浮気の真偽を確認したい。

 そんな時に限って、さして仲良くもないクラスの陽キャがニヤニヤしながら話しかけて来る。


「よぉ芦村。お前、清水さんと付き合ってる癖に他の女と浮気したんだってな?」


 直樹の頭はフリーズした。

 再起動まで五秒はかかった。

 ポク、ポク、ポク、ポク、チン!


「………………はぁ!? どういう事だよ!?」

「誤魔化しても無駄だって。学校中の噂になってるぜ?」

「………………嘘だろ」


 眩暈がして危うくひっくり返りそうになる。

 この瞬間、千春が浮気をしていた事が確定した。

 それだけならまだよかった。

 あのクソアマは、先手を打って直樹が浮気をしたと周りに言い触らしたのだろう。


「自分は彼女一筋ですって顔しといて、裏じゃ相当遊んでたらしいな? 羨ましい話だぜ。今度俺にも女紹介してくれよ」


 話の途中で直樹は教室を飛び出した。


「おい千春! お前、どういうつも――おごぁ!?」


 三組の扉を開いた瞬間、名前も知らない女子に顔面をぶん殴られる。


「ってぇ……。いきなりなにを……」


 顔を上げると、三組の女子が直樹の周りを囲んでいた。


「黙れ女の敵!」

「清水さんから全部聞いたんだから!」

「誘われたら誰とでも寝る最低の浮気男!」

「ゴミ! クズ! 大した顔してるわけでもないの調子に乗んな!」

「二度と清水さんに近づかないで!」


 身に覚えのない罵詈雑言を浴びせられ、フルボッコに蹴られまくる。


「ち、ちが――俺は――浮気なんか――うわぁ!?」


 反論する隙など欠片もない。

 そんな事をしても口の中を切るだけだ。

 そもそもこいつらには話を聞く気なんか毛頭ない。

 襲い掛かる無数の足の間から辛うじて三組の教室が見える。

 千春は顔を覆ってウソ泣きを決め込んでいた。

 まるでもなにもそのままズバリ悲劇のヒロイン気取りである。

 周りの女子は必死に慰めたり一緒に泣いたりこっちを睨んだり蔑んでいる。

 それで直樹は気づいた。

 手遅れなのだ。

 もう、何を言っても無駄だ。

 冴えないモブ男子である直樹と、みんなに愛される清楚系美少女の千春。

 いったい人はどっちの言葉を信じるだろうか?

 この世に真実なんか存在しない。

 大勢がそうに違いないと思う言葉が事実として扱われるだけなのである。


(……ちくしょう! ちくしょう! 俺がなにをしたっていうんだよ!?)


 無力な直樹はただただ亀のように身を丸め、無様に泣く事しか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る