第25話

 あれから皆、母に気を使って過ごしていた。父は母の好きなものを土産に帰ってきたり、姉はパートナーを連れて週の半分はウチで夕飯を食べている。アタシと銀二ぎんじもウチで食べることが増えた。

「ママさんの飯めっちゃ食べちゃうから最近太った気するんすよね」

銀二は調子のいいことを言って母の機嫌をとっている。

たまたま全員集合したとある日姉のパートナーが母に言った。

「レシピサイトに投稿したらどうですか?」

母はまったく理解していない様子でキョトンとしていたので、姉がレシピ投稿サイトについて説明した。アタシも「それでレシピ本出した人だっているよ」と加勢した。

「ママ、スマホ苦手なのよね。字が小さくて……」と、提案はあっさり却下されてしまった。

 しかし翌日、父は姉を伴って帰宅し母にプレゼントだと手に持っていた紙袋を渡した。「これなら見やすいよ」と、タブレットだった。懐疑的だった母も、姉が設定し写真の撮り方など毎日のように実家に通って教えるものだからその気になり始めていた。

なにより主婦人生で培ってきた料理の腕を世界に発信できることに興味が出てきたようだ。

1か月もたたないうちにタブレットを使いこなしレシピの投稿に励んだ。<作ってみました。>と見知らぬ人からのコメントをもらうことが快感になり投稿数をどんどん増やしていった。

60歳になった母に訪れたIT革命だった。


 ITスキルが瞬く間に上がった母は姉たちに関する事を調べることに専念した。LGBTQ+コミュニティのことだ。娘のことをもっと知りたいと思ったのだろう、ニュースや体験談などを熱心に読み、参考になりそうな本などを次々と買って熟読していた。乾いたスポンジのごとく母は次から次へと吸収し、毎晩のように今日知ったことの講義を父にしていた。姉が出来がいいのは父の血筋だと思っていたが、母側なのかもしれない。

 そして母はついにSNSに手を出した。仮名で“Lの母”。自己紹介欄には<LGBTQ+のLの娘を持つ母です。>と記されていた。それを見た瞬間「アタシは?!」と、思わず口に出た。

おとなしかった母はIT革命後、だいぶ大胆なことをしている。母は娘からカミングアウトされたときの気持ちや、その後の心境の変化、参考になった書籍、たまに外食した時の写真と感想などをつぶやいていた。

母には文才があったのか、同じ立場の親や当事者の共感のコメントや“いいね”がいくつか付いて、少しづつだがフォロワーが増えていった。それと比例するかのように批判的なコメントがわずかだが書かれるようになった。せっかく楽しんでいる母が心配になり「そういうのは無視してブロックだよ」と言ってやり方を教えると「きっと寂しい人なのよ……」と、悟りでも開いたかのようなことを言いながらブロックしていた。ネットに触れたのが遅すぎたせいなのか、どうせ知らない人だしといった冷静な感じでまったく気にしてない様子だった。


 ある日、母のアカウントが賑やかだった。原因を辿るとあの化粧品のCMで一緒になった金比良の友人のシンガーが母のつぶやきを“リツイート”したのだ。

<私も最初はよくわかりませんでした。

今でもわかっていないかもしれません。

打ち明けてくれた後で娘の目を見ても

以前と何も変わっていません。

間違いなく私の娘なのです。

愛さずにはいられません。>

批判的なコメントに対する母の返答だった。だいぶ芝居がかった文章だが、やさしい母らしく娘ながら少し感動してしまった。桁違いの“いいね”と“リツイート”、コメントが付いた。


 ネットでデモなどの抗議活動や支援団体などのことを知った母は、居ても立っても居られなくなりSNSから飛び出し実際に行動し始めた。一瞬でも注目を浴びたので、何か使命感のようなものを感じたのか。

 最初は姉が弁護士として協力している支援団体に差し入れをする程度だったが、チラシのコピーをしたり掃除したりするボランティアスタッフとして手伝いに通うようになった。外で働いたことのない母の初めての冒険だ。

街中に出かけるときは着物を着たり品のいい洋装したりしていたが、父とジョギングするために買ってあまり履かずに靴箱にしまわれていたスニーカーを履いて出かけた。

「家でやっていることを外でやるとすごく感謝されるのよ」

と、身形まで変わった母は嬉しいそうに少し嫌味っぽくアタシ達に言っていた。


 それに加え主婦の仕事も抜かりない。遅く帰る日には父宛てに『チンして食べてね。』と書置きと夕食が用意されている。我が家で1番忙しい人となった。

薫子かおるこちゃんの正義感の強さは、ママ譲りだったんだね」と話しながら、温めた夕飯を父に出す。「桜子さくらこのマイペースはパパ似だね」と父が言った。

今度は父が少し寂しそうだったので、アタシと銀二は晩酌と夕食に付き合う。

「オレ、父親いないんでパパさんと飲めて嬉しいっす」と、相変わらず銀二は調子のいいことを言って父を喜ばせていた。

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