第10話
あのCMが流れ始め評判は上々だった。シンガーの知名度もあがり話題になっていた。アタシと
この日も飲みに行き、彼が大学時代お笑いサークルでコンビを組んで漫才をしていたこと、在学中に父親が亡くなって芸人をあきらめて堅実に就職の道を選んだことなど、込み入ったことまで話していた。
いい時間になったので帰ろうと、タクシーを拾うため歩道から車道を見ていた。
するとそこに黒い車が目の前に止まった。ウィンドウが下がると、そこには知った顔があった。
「桜ちゃんだよね。ひさしぶり」
と、ニッコリ白い歯で微笑むその男は、かつて交際していた
彼の突然の華麗なる登場にビックリしていると、金比良の方に向かっても笑顔で頭を下げて軽い挨拶をした。それでも固まってるアタシに対して
「乗ってく?」と翠生が声かけてきたので我に返って「いや、大丈夫。」と仏頂面で答えた。
「彼も一緒にさ」
「ほんと、大丈夫」
「じゃ、また。連絡して」
にこやかに言うと、高級感あるエンジン音を響かせて翠生は去っていった。
「あの車ヤバいっスね。オレでもわかりますよ。どんな関係なんスか?!」
と、金比良は興奮ぎみに聞いた。
アタシは翠生が怖い。
5歳年上の彼とは社会人になってすぐの頃付き合い始めた。きっかけは先輩に連れていかれたコンパ。アタシはコンパは苦手で、その日も消極的な態度でいた。そんなつまらない女にお酒を勧めてくれたり、積極的に話をしてくれたりと楽しめるように気を使ってくれたのが翠生だった。それがとても遊び慣れてる風に見えて最初は警戒していたが、お酒のせいもあってか、翠生の女性の扱いが上手だからか、帰り際には心を許し電話番号を交換していた。
それから何度か食事をしているうちに彼に惹かれていった。
彼はスラっと背が高く少し日焼けした肌に白い歯、真ん中で分けた黒い髪は無造作に後ろに流し、とても高級なスーツをしっかり着こなしていた。客観的に見ても外見が良く、一緒にいて気分が良かった。
若くしてIT系のベンチャー企業を立ち上げていて仕事に熱心で、そんな話を聞いてるのも楽しかった。
デートは社会人になりたての小娘がまだ行ったことのないような、高級なレストランやバーに連れて行ってくれる。大人の女性になった気分にしてくれた。
服や髪型、ネイルまで、少しの変化をほめてくれたりした。
アタシに似合うと思ったという理由だけで、高級なバックやアクセサリーをプレゼントしてくれたりもした。とにかく女性を甘やかすのがうまかったのだ。
当時のアタシは翠生にすっかり夢中になっていた。
しかしながらあっさり捨てられる。交際して2年たった頃だ。
結婚するのだという。ということは、彼とデートしていたのは自分だけじゃなかったということに気づく。かなり大きな衝撃だったはずだが、彼のことをしばらく忘れられずにいた。翠生にはなんとも形容しがたい、魅力というか魔力があった。
と、いう話をタクシーの中で立て板に水のごとく語ると、金比良は翠生のことを死神に例えた。古今東西どんな物語にでてくる死神も関われば最後はろくなことにならないのだから、今後関わってはだめだと。
アタシは胸がいっぱいで金比良の話も半分だ。それというのは、あの時捨てられたショックが蘇ったのと、あんな男に夢中になった子供な自分に対する情けなさと、でもまたデートしたらどんな気分なのだろうと、いろんな感情がごちゃ混ぜになって苦しかった。
こわばった表情を見ていた金比良は「お茶飲みます?」と、さっきコンビニで買ったお茶を差し出した。
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