第8話
言われたことは必ずメモをとり積極的に仕事に取り組んでいる。
いくら距離感が縮まったとはいえ
「彼氏いないんスか?」とか
「なんで結婚しないんでスか?」とか
間違ったコミュニケーションはとってこない。
お友達のシンガーのように物言う女性に臆することもなければ、煙たがったりもしない。
そしてなんだかあか抜けない。
これが新しい世代なのかと感服した。
しかし今日の彼は少し落ち込んでいた。3日連続で遅刻してしまい上司に厳しく叱られた。忙しいこの時期だから、あの上司のストレス発散に利用された感じも否めないが、その姿が気がかりだったので、ランチに誘ってみることにした。
昼時の騒がしい和食屋で、金比良は定食を勢いよく頬張りながら言った。
「オレADHDなんスよ。時間だけはどうもダメで」
あまりにあっけらかんと言ったので、同じ和定食を食べていたアタシの箸は止まった。
「気にしないでくださいね、オレも気にしてないし。結構うまく付き合えてるんで」
と言われ「うん……」としか言えず、気持ちの良いほど勢いよくしかも綺麗に次から次へと食べ物を口に運ぶ彼をただ見ていた。すると金比良は顔を上げて
「このおこわうまいっスね」
と、笑顔でアタシを見たので、気まずい空気が一変した。
不思議とそれが彼の長所に思えた。今のところ、仕事に問題ないどころか移動してきて間もないのに必要な存在になっているし、天才的なひらめきもあったし、それを発表する勇気もあった。遅刻した分なんていくらでも取り返せる。
それらがその疾患のせいならば、それは疾患ではなく個性だ。打ち明けてくれたことに敬意を表して、自分の中でこの数日でどれほど金比良の存在が大きくなったか伝えた。
「
照れ隠しにふざけた反応をし、もう1つ秘密を教えてくれるという。
なんてことはない若白髪で、毎月の美容室の悲喜交交を話した。
自虐で笑いを取ろうとしてるのだろうが、アタシが笑っていいのかわからず難しい顔をすると
「笑っていいところっスよ!」と、金比良が言い2人で笑った。
どんな状況でも笑わせてくれようとする金比良に対し、自分が20代だったら恋してたかもしれないと密かに思っていた。
帰りの電車で彼の疾患について検索した。いろんなことが書いてあるが、とにかく同じ疾患でもいろいろな症状があり、どんな症状だか、それがどの程度なのかは、人それぞれだということが分かった。大人になるにつれてそれらが自然と目立たなくなっていくこともあるが、深刻な人もいるということを知った。
彼が言われたことをちゃんとメモをとっていたこと、居残ってまでそれらを遂行していたことに合点がいった。それと同時に自分の無知さに呆れていた。
先輩としてというより人間としてあの態度や発言は合っていたのだろうかと、考えながら
いつのまにかとなりに
同級生の間では銀二が離婚したのは、浮気をしたせいだということになっていた。
離婚を機に都心に買ったマンションも出て会社も辞めたから、それも説得力があった。それとなにより本人が否定しないで笑っていたからだ。
しかしアタシは、銀二が浮気するとは思えなかった。学生時代にだいぶ遊んでいるような噂は聞いていたけど、彼は子供の頃からいつも呆れるほどピュアでまっすぐな快男子という印象しかないからだ。でも魔が差すってことは誰にでもあるからかと納得しかけていた。
帰り道、鼻歌を歌いながら数歩先を歩く銀二に、なにげなく離婚した理由を聞いてみると彼は立ち止まった。それに追いついて横から
「あ、ごめん。余計なこと聞いちゃった」
と、言ってうつむいた銀二を覗き込んだ。
「オレ、子供できないんだって……。アイツ子供欲しかったから……」
下を向いたままいつもより暗い声で言った銀二に、なんと声かけたらいいかわからないアタシは、思わず彼の腕をぎゅっとつかんだ。顔を上げた銀二は涙ぐんでいた。
「子供できなくたって銀二に変わりないじゃん。アタシたちの大好きな銀二だよ!」
と、勢いに任せたことを言ったアタシに大粒の涙を流した彼は抱きついてきた。
大きい男がアタシの肩でさめざめと泣いている。黙って肩を貸し続けた。
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