第3話

 アタシがシングルになって早1年。空いた時間を持て余し、何か習い事でもしようかと見学にいったりしている。けれど何か夢中になれそうなものに出会えない。

職場の後輩・杏奈あんなは上昇志向が強いので、なにかキャリアアップにつながる習い事に通わないかと誘うけれど、それがなんなのか見当もつかない。

そもそもキャリアアップしたいのかもわからない。


 仕事は嫌いじゃない。楽しいことばかりじゃないが、わりと要領よく働けてる方だ。杏奈は時代遅れの上司からのセクハラと戦ったりしてるが、もうが引退しないと世界は変わらないとアタシは悟ってしまっている。というか、諦めだ。

かつては戦った。部署を越えた女子社員のサークルに参加して意見してきた。あらゆるハラスメントに対応するための相談室の設置に尽力した。

 しかし革命はそう簡単に起こせないし、急に世の中も変わらない。ただ少しずつでも変わっていくのを祈っている。何に向かって祈っているのかはわからないが、アタシは祈るしかなかった。

それと同時に正義感の強い杏奈のような後輩を見ると、熱くなれる瞬間があってうらやましく思っていた。


 あいかわらず実家から会社に通っているが、シングルになりたての頃はかなり大事に扱われていても、最近ではそろそろどうにかしなさいよというような空気が流れ始めている。でもこれも相変わらずで結婚に強い興味はない。まぁ興味を持ったところで今は相手がいない。相手を探す気すらない。実家の2階の自室でひっそりと過ごしている。

アタシは大人数で群れるよりも1人の方が好きだった。だからこの部屋は1人を満喫できるようになっている。セミダブルの寝心地のいいベッドにデスクトップパソコンの乗った窓際のデスク、壁に埋め込まれたウォークインクローゼットには今まで働いて稼いできた証ともいえる服やバッグや靴が収められている。デスクの横の棚には本や雑誌が乱雑に押し込められていて、専門書、ビジネス書、評論、ノンフィクション、ルポルタージュなどかわいらしくない顔ぶればかりだった。

部屋の中央のラグの上にはテーブルと座椅子があってたいていそこに座っている。ラップトップを開いてニュースを読んでみたり、ドラマを観たりしていた。ここで好きな事を好きなようにしてる時が1番幸せだった。


 いつからこんな乾いた性格になってしまったのだろうか。もともとの資質なのか、どこか悪いのか、両親に甘やかされすぎたのか、現実は思った以上に厳しいからなのか、はたまたそれすべてか……。生まれ持った性質の様な気もしている。教壇から小学生の悪ふざけを叱っている教師を、小学生のアタシは『そのうち終わるさ』と冷ややかに見ていた記憶があるくらいだ。

 こんなアタシにも宿っていた温かい恋愛の火も1年前にあっさり消えた。あの恋愛は夢だったんじゃないかと思うくらい遠い昔に感じていた。またいった感情は戻ってくるのだろうかと寝る前にふと思うが、居心地のいいこの部屋を抜け出てそれを探しに行く覇気はなかった。


 いつも通りの日曜日、夕飯の支度を手伝いにキッチンへ行き母となんら変わりのない会話をする。ダイニングテーブルでは早々と父が一杯やりながら夕刊に目を通している。

「あ、そういえば!銀ちゃん帰って来たよ」

と、母が言う。

銀ちゃんとは、ウチの裏に住んでいて同じ年の銀二ぎんじのことだ。

彼の母がやっている生け花のお教室に母が通っていることもあり、我が家と同様に代々この地に住んでいることもあり、家族ぐるみの付き合いだ。

 アタシと銀二は幼い頃から一緒に過ごしてきたが、就職したあたりからだんだんと会う機会も減って、彼が28歳で結婚したのを機に地元を離れて行き、年に数回パートナーと共に実家に帰って来た時に会う程度だった。

それが離婚して実家に戻ってきたという。

「うちの娘は1度も結婚してないのに、銀ちゃんは離婚までして……。同じ年なのに……」

父は何か言いたげだが核心を突かないことをしみじみと言った。

 確かに。離婚理由は誰も聞いてはいなかったが、自分の想像の及ばない苦労を経験しただろうと銀二に同情心を抱いた。母が「会いに行ってきたら?」と持ち掛けるが、出かけるのも面倒だし、そのうち会うだろうし、なにより離婚理由を切々と語られても、結婚の経験さえないアタシはどんな顔でそれを聞いたらいいか……それにも想像が及ばなくて、適当に返事を濁して手伝いを続けた。

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