第4話 別世界


 足元が消えたみたいに、彼女の身体はそのままがくんと下に落ちたかと思うと、すぐ彼女は地面に尻餅をついた。


「え……」


 地面についた手には固い石ではなく、柔らかな若草の感触。鼻には強い金木犀のような香り。少し肌寒いそこは、どこかの庭だった。

 蔦がからまった建物もとんがり頭の屋根はなく、赤茶色の丸っこい屋根の小さな家があって、土の壁の塀がその建物と周りの庭を囲んでいた。そして、庭は若々しい草が覆いつくしていて、庭の端には強い匂いの元だと思われる橙色の小さな花をたくさんつけた木が立っていた。


「ここは……」


 明らかに、ここは幽霊屋敷の庭ではなかった。

 カスミは呆然としながら立ち上がり、カスミはそろそろと門の方へと移動した。

 土壁の間の門は赤い木の扉だった。

 その扉を少しだけ開けて覗くと、そこは人の往来がある通りだった。賑わっている通りには果物や野菜が並んでいる屋台があり、石畳の道の真ん中には二つの伸びた溝があった。

 コンクリートとは違う地面。規則正しい石の道にカスミは目を丸くするばかりだった。


「私、知らないうちに外国に来ちゃったのかも!」


 よくよく聞いてみると、屋台の気前の良さそうなおじさんに話しかけている女性が日本語ではない言葉を矢継ぎ早に話しているのを聞いて、カスミは頭を引っ込めた。


「どうしよう……帰り道は……」


 カスミは庭に戻ると地面に膝をついて、地面を包んでいる若草をかき分けた。


「ない……ない……! 魔法陣がなくなってる!」


 カスミは頭を抱えた。


「変なところに来て、帰り道も分からない!」


 ふとカスミは小さな丸っこい家を見た。


「そうだ。魔法陣にのって、ここに来たのなら、この家の人は魔法陣のこととか、帰り方とか知ってるかも!」


 カスミは急いで、扉をノックした。返事はない。


「ごめんください、私。帰り道が分からなくて……」

「えっ、一条⁉」


 カスミは後ろを振り返った。

 すると、そこには黒いローブに身を包んだ少年がいた。白いサラサラの髪に紫の瞳。学芸会で着ているような魔法使いみたいなローブを着ている彼はカスミが追いかけていた魔法使いの古八ルイだった。


「ルイくん!」


 カスミが笑顔になると、ルイは慌てて門を閉める。


「と、とりあえず、家の中に……ここだと外に聞こえるから」


 そう言って、ルイは家の扉に三回、少し間を開けて二回ノックした。すると、勝手に扉が外側に開く。


「すごい!」

「ほら、中に入って……」


 ルイは腕に抱えた果物などが入った袋を両手で抱え直すと、カスミにさっさと家の中に入るように促した。


「どうしてここに?」

「ルイくんって魔法使いでしょう?」


 扉が閉まると同時にカスミはルイに詰め寄った。


「魔法使い?」


 ルイはそれを無視して、さっさと木のテーブルの上に荷物を置いた。魔法陣に入ってしまって、この場所に来てしまったカスミにどう誤魔化せばいいのかと一瞬目を瞑ってからルイは口を開いた。


「なんのこと?」


 しかし、誤魔化せない。


「朝、晴れにしてくれたでしょう? 子猫たちのために!」


 魔法陣だけではなく、まさか朝のその場面を見られていたとは思わず、ルイは頬を引きつらせたが、カスミはそんな彼の表情は気にせず、しっかりとルイの前に立って、深々と頭を下げた。


「晴れにしてくれてありがとう! おかげで朝顔に水やりできたよ!」


 カスミは顔をあげて、満面の笑みを向けた。ルイはその笑顔をじっと見てから、ぎこちなく視線を逸らす。


「水やり? ああ、学校の朝顔の……? 水やりなんてサボりたい奴ばっかりなのに」

「私、花が好きなの! それに、私が水やりをしたいと思っているのに、今までずっと私が当番の日は雨が降って、水をやることができなかったから……」


 気を取り直して、ルイはカスミに「どうぞ」と言って、椅子を引いた。

 かまどのような形をしている石と土でできた穴に薪を入れたルイは広い袖の中から、黒い石を二つ取り出した。朝にカスミが見た朝の透明の中に青い何かを閉じ込めたような石とは違い、石炭のように真っ黒な石の表面には血管のように赤い線が走っていた。

 ルイがかまどの口に手を入れて、薪の上でカチカチと合わせると、かまどから炎の光が見えた。


「魔法だ!」

「これはこっちの世界では生活に不可欠な石なんだよ」

「こっちの世界?」


 カスミが椅子に座ると、キッチンに立ったルイは棚から白いカップを二つ取り出した。透明な瓶に入った茶色の粉を木のスプーンですくい、カップの中にその茶色の粉をスプーン一杯分入れる。


「ああ、一条が普通に暮らしている世界と、今いる世界は別の世界。異世界ってこと。だから、あっちの常識とこっちの常識は違うんだ。あっちではライターを使う。でも、こっちではライターじゃなくてこっちの石を使うんだ」

「へぇ……」


 杖を振って、呪文を唱えて、超常現象を引き起こすカスミの想像の魔法使いとは少し異なったものの、カスミは興味津々で家の中をきょろきょろと見回した。

 ふと、その視線が天井で止まる。

 天井には何種類もの植物が束ねられた状態でつるされていた。


「あの植物は?」

「あっちの世界……元の世界でもあるだろ。ドライフラワ―だよ」

「あ、ドライフラワーってあんな感じなんだ……」


 ルイは部屋の端にあった脚立をずるずると引きずるとその上にのって、ドライフラワーの束の中から一本だけ袖から出した鋏で切って、降りてきた。


「ほら、こんな感じ」


 ピンクの小さな花が先端にいくつもついているその花をきょとんとしながらカスミは手の平に受け取った。


「花、好きなんだろ。その花なら、もうドライフラワーになってるし、あっちの環境を脅かすこともないから持って帰ってもいい」

「ありがとう! すごいかわいい花だね」


 ルイはキッチンに戻ると、かまどの上に置いていたポット型の容器からカップにお湯を注いだ。


「甘いコーヒーみたいなものだからたぶん飲めると思う」

「コーヒー好きだよ! 砂糖たくさん入れるけど……」


 二人分のカップを机の上に置くとルイはカスミの向かいの席に座った。


「でも、まさか、魔法使いがこんなに近くにいるなんて思わなかったよ」

「まぁ、魔法を使ってると思われるのも仕方ないと思うけど、そんなにいろんなことができるわけじゃない。俺達はたくさんの世界を行き来して、自分の帰る場所を探しているだけで……」

「帰る場所?」

「放浪族とか、さ迷い人とか、いろんな呼び名はあるけど、成人すると言われている十五歳までにより多くの世界を体験して、自分が骨を埋める世界を見つける。そんな一族なんだよ、俺の一族は」

「じゃあ、もしかして、ルイくんが私達の世界では暮らしたくないと思ったら、他の世界で暮らすことになるの?」

「……そういうこと」


 カスミは一口だけ熱い茶色の飲み物を飲んだ。ルイの言っていたように少しコーヒーみたいに苦くて、でも全体的に甘い味がした。

 ルイは「そうだ、これ」と少しだけ明るめの声を出した。

 テーブルの上に袖から出した石を置く。

 二つの黒い石にはやはり血管のように赤い線が表面を通っていた。


「不思議な石だね」

「これを二つ合わせて鳴らすと火が出るんだ。これは真っ黒だから、火花が出たり、焚火の炎を起こしたりしかできないけど、それでも充分生活の役に立っているから流通してるんだ」


 ルイは今度は左の袖から卵型の透明な石を取り出した。

 透明の卵型の石の中には光を受けてキラキラと反射する弾けた青色があった。絵の具が空中で飛び散ったまま石の中で固まったみたいな見た目をしていて、カスミは思わず、その石に見入った。


「ここまで透明なものは市場に出回ることもない。強い効果をもたらすから、たいてい、国が管理しているんだ」

「この石が晴れにしてくれたの?」

「そうだよ。この石は、天気を雨から晴れにしてくれる」

「雪の時は?」

「たぶん、晴れにしてくれる……」


 やったことがないのか、ルイは首を傾げながらも曖昧に頷いた。


「でも、こんなことができるなんて、やっぱり、ルイくんは魔法使いだ!」


 すごいすごいと、思わず興奮してカスミがルイの手を両手で握った。思わず、ルイは固まるが、それに気づかずにカスミは話し続けた。


「雨を止めることができるなんてすごいし、いろんな世界を見てるのもすごいと思う! 私、すっごく魔法使いに憧れてて……ルイくんと会えて本当によかった!」

「そ、それは……よかった……」


 ルイはなんとか掴まれていない方の手を伸ばして、ローブのフードを頭に深く被った。


「あっ、そうだ。いろんな世界を見てるってことは、元の世界にも帰れるんだよね?」

「うん」

「おばあちゃんとお父さん、心配してないかな?」

「ああ……そういうことなら帰ろうか。俺の後にこっちに来たのなら、一時間も経ってないと思うけど、ランドセルがあるから寄り道したってことだろ?」

「うん……」


 さすがに幽霊屋敷まで行って、そのまま一時間も帰らないとなると、カスミも家で待っているおばあちゃんとお父さんが気にしないかと心配になってくる。カスミの父は仕事が忙しく、あまり早くに帰ってこないが、家にはおばあちゃんが待っている。あまりにも遅いと、仕事で忙しいお父さんにも連絡がいってしまう。お父さんに怒られるのも怖いけど、なによりもおばあちゃんを心配させるのはイヤだとカスミは思った。


「そういうことなら、帰ろう。家まで送っていく」


 カスミは帰れる手段があると知ってほっと胸を撫でおろした。


「庭には魔法陣がなかったけど、どこから帰るの?」

「魔法陣? ああ、ドアは一方通行なんだ。往復はできない。元の世界へのドアはあの扉」


 そう言って、席を立ったルイはフードを被ったまま、家の奥へとカスミのことを誘導した。そして、奥には赤い木の扉があった。

 その赤い木の扉には、白いチョークで魔法陣が書かれていた。


「あれ……こっちに来た時と細かいところの模様が違うね」

「あの家の庭にあったドアはこの世界を示すものだから。このドアは行き先は今、元の世界のものになってるから扉を開いてくぐるだけでいい」


 ルイが扉を内側に開くと、カスミは息を飲んだ。

 そこにはただの土壁があるだけだった。


「通れないよ」

「大丈夫。通れる。俺の手を離さないで」


 差し出されたルイの手を一瞬躊躇った後、カスミは強く握った。手を引くルイの身体が土壁に沈むように入っていき「わっ」と声をあげると同時にカスミも土壁に潜った。

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