ヨナ視点 ユキと私


 中学生の時から私はずっとユキに憧れていた。

 白井ユキはいわゆる絵に描いたような幸せでちょっと裕福な一般家庭の箱入り娘だった。自由に恋愛をして自由に生きることが許される恵まれた人間だ。

 一方で私は違った。両親は医者で父親の家柄は古い時代から名家と呼ばれるような由緒正しいものだった。とはいっても、そんなもの姉と兄がいる末っ子の私には足枷でしかなかった。

「ヨナ、遊んでばっかりいないで勉強しなさい」

 小学生のころ、ユキと遊ぶのが楽しくて遊んでから家に帰ったらこっぴどく両親に叱られたことがあった。両親は私がユキと遊ぶのが気に食わなかったらしいが、プライドなのかなんなのかそれを表に出すことはなく形式上ユキの親とも仲良くしていたっけ。

 お姉ちゃんが医大に合格し、お兄ちゃんのお見合いが決まった頃、私は中学生になっていた。お兄ちゃんは名家のお嬢さんで有名企業の社長令嬢をお嫁さんにもらって父方の家系の会社の跡取りになることが実質決まり、お姉ちゃんが医大に合格したことでうちの医院も跡取りができる状態になった。

——つまり、このタイミングで私は用無しになったのだ


「ヨナちゃんはお顔が可愛いから、アナウンサーになってお家の良さを広めてちょうだいね。アナウンサーならヨナちゃん程度の学力でもコネと美しさがあれば就職はできるから……ねぇお父さん」

「あぁ、うちの会社も確か〇〇新聞に出資しているからな。その配下のテレビ局なら簡単に入社できるはずだ」

「ほら、最近はアナウンサーって社長さんと結婚が多いでしょう? ヨナちゃんもそうなれば黒瀬家に貢献ができるじゃない? ママも鼻が高いわぁ」

 こんな人たち、家族じゃない。

 この人たちにとって子供は大事な家族じゃなくて、家を守るための小道具ぐらいの存在でしかないんだ。

 私はだったんだ。これからの私にできることはこの人たちを落胆させないようにレール通りのお人形を演じることだ。

 いらなくなった予備の子は、家に迷惑をかけないように生きることが求められるのだ。そうやって生きることが「予備」だった私が私である理由であり存在価値なんだ。



 私は高校に入学する時点で既に有名大学への入学も父が勝手に決めていた。表向きには公表されないが、裏口入学なんていうのはよくあることである。多分、あのテレビ局でのアナウンサーへの道ももうこの時には父がレールを敷いていたのかもしれない。みんなが夢を見て輝く中で、私だけ確定された道が淡々と続いているような、そんな感じだ。

「ヨナ、高校生活は絶対に楽しくしようね!」

 ユキは屈託のない笑顔でそういうと、カーディガンは何色にしたほうがいいかな? なんて必死で悩んでいる。この学校に入るために一生懸命勉強するユキが羨ましかった。

「うん、ユキがいてくれるからきっと楽しいよ」

「もー、ヨナったら〜。そーだ。ヨナ、気になる人いる?」

「えっ……?」

「あっ、鼻が膨らんだ! ヨナってばいるんでしょ〜? 誰々〜?」

「か、関係ないじゃん」

「あるよ、だって高校生の醍醐味と言ったらやっぱり恋愛でしょ? 特に受験前はちゃーんと恋愛を楽しめないと大学生になった時に拗らせちゃうんだって」

「何その超理論! じゃあ女子校の子とはどうすんのよ」

「女子校ってめっちゃ合コンあるらしいよ」

 ユキはなぜか小声で「羨ましいよね!」と真剣な表情。私は思わず吹き出した。

「ふふっ」

「あっ、ヨナ〜。はぐらかさないでよ〜」


***


 入学してすぐ、しとしとと雨が降っている日だった。ユキは委員会で居残りだったので先に帰ろうとしたが昇降口の傘立てに置いてあった傘が見当たらなかった時のことだ。

(あれ、ここに入れたはずなんだけどな)

 すぐに盗まれるからビニール傘、と思ったけど見分けがつかないな。みんなどうやって見分けてるんだろう?

「もしかして、傘さがしてる?」

 突然、男性に声をかけられて振り返るとそこには、ひょろっと背が高い黒髪の好青年が立っていた。上靴の色からして同じ学年のようだ。端正な顔立ちと広い肩幅。ボロボロのエナメルバッグ。運動部の生徒だろうか?

「あ〜、はい」

「ごめん、俺中川ハヤト。1年で一応……同じクラス。黒瀬さんだよね?」

「あーうん」

「俺、バスケ部なんだけどさ。今日雨じゃん? 雨だと体育館女テニに占領されちゃって解散だったんだよね。ほらうちの女テニ強いから優先で」

 私は部活に入る予定もなかったし(本当は入りたかったけど)、彼のいう運動部のあれこれはよくわからなかった。

「傘、ビニール傘なんだけど見分けがつかなくて」

「あ〜、ビニール傘はすぐパクられるからこうやっておくといいよ」

 そういうと中川ハヤトはピンク色のヘアゴムがついたビニール傘を傘立てから抜いた。自慢げな表情だったのに次第に彼の顔は真っ赤になっていく。

「これ、姉貴のゴムだから恥ずかしいんだけどさ。よければ貸すよ」

 ヘアゴムをパシっと傘の取手から外すと中川ハヤトは私に傘を押し付けるように寄越す。

「えっ、でもそしたら中川君が」

「あ〜俺はこれがあるから」

 そういうと彼はエナメルバッグの中から黒いレインコートを出した。今時、小学生でもあるまいしレインコートを持ち歩くなんて……。

「レインコート?」

「あぁ、うん。よく使うんだよね。ってことで傘使ってよ」

「ありがとう、明日返すよ」

「じゃあ、なんかヘアゴムでもつけてその傘立てに刺しといてよ。そしたら受け取る」

 もう一度彼に「ありがとう」と礼を言ってから私は昇降口を出て、ジャンプ式の大きなビニール傘を開いた。ビニール傘の骨が少しだけ錆びているのに取っ手のビニールは綺麗に取らずにいる。

 それに、傘を取られないようにと心配してくれるお姉さん。中川ハヤトという男がどれだけ恵まれていて愛情を注がれているかわかったような気がした。人は愛情を注がれて育つと人にも優しくなれる。それはユキもそうだし、彼もそうだ。

 私はそんな優しい人間に憧れて、一緒にいることで自分の心の傷を癒しているんだ。

(彼とも、仲良くなりたいな)



***


「わかった。中川ハヤトくん。実は、この前昇降口で傘探してたら手伝ってくれてさ、かっこいいなって思って」

 私がそういうとユキが驚いて目を見開いた。

「私も……ハヤトくんが好き」

 ユキはとたんに真っ赤になる。

「ヨナ、うちらライバルだね。でも、お互い、がんばろうねっ!」

 ユキはどうしてこんなに綺麗なんだろう? 私はユキに握られた手をみて少しだけ目が潤んでしまった。私はユキと同じ人が好きだとわかった時、「嫌われるかも」とか「気まずくなるかも」なんて思っていた。

 でもユキは違った。マイナス思考な私とは違った。


——だから、私はユキが大好きだ


「じゃあ、ハヤトくん同盟設立だね!」

「同盟?」

「うんっ、どっちがハヤトくんの彼女になれるかわからないけど、2人で話しかけてクラスでも仲良いメンツになろっ」

 ぐっとガッツポーズをするユキ。

「でも、もう彼女いるかも?」

「あっ、その可能性もあった、そうだよね……あんなにかっこいいんだもん! ヨナ隊員! まずは女の影を調査するであります!」

 敬礼をしたユキはSNSパトロールと評してスマホに没頭する。私はそんな彼女を見ながら

(これが普通の高校生か……すごく、すごく楽しいな)

 と幸せな気分に慕っていた。


1年後



「お前さ、気に食わないんだよ!」

 2年生になって私はいじめの標的になった。横田セリナという読者モデルをしている生徒が私に目をつけたのだ。子供っぽくて幼稚、悪いことをするのがかっこいいと思っているような典型的な幼い女で絵に描いたようないじめを私にしてくるようになった。

 と同時に中川ハヤトがユキに告白をした。

 2人に遠慮して1人でいることが多くなった私はクラスでも居場所がなくなりはじめていた。

「ない……」

 昇降口、ぐじゃぐじゃに落書きされてゴミが詰められた下駄箱に私の靴が入っていなかった。これで何回目だろう。

「はぁ……」

 前回はゴミ箱、その前は外の植木の中。今回はどこだろう? 私は上靴のままとりあえず近くを探してみる。すぐそばで彼女たちがクスクス笑いをしているところを見るとこの辺にはないのかもしれない。

 ゴミ箱、植木、プール。どの場所にもなくて最後に寄ったのが3階の女子トイレだった。一番奥の個室、唯一ある和式トイレの中に私の靴は沈んでいた。カッターで引き裂かれているところをみると履いては帰れないな。親になんて説明しよう? いいや、帰りに同じものを買ってかえろう。


「おい、なんで泣きも喚きもしねえんだよ」

 ローファー靴を持ち上げた瞬間に後頭部をつかまれて、便器の方にぎゅっと頭を押された。ぎりぎりのところで床に手をついて顔が水に触れるのは防げたが、便器のぬるっとした感触が手のひらにふれて鳥肌が立つ。

「動くなよ、動いたら怪我するから」

「やめてっ」

 横田セリナの手に握られたカッターをみて私は彼女を突き飛ばすとトイレの出口に向かって飛び出した。出入り口のドアを開いて廊下に身を投げ出す。

 しかし……

「はーい、捕獲」

 目の前に立っていたのは片岡ミユ、鳥谷レイ、谷山アオイの3人だった。

「やめてっ、助けて!」

 大声で叫んだがすぐに片岡ミユに口を塞がれる。

「みなさーん、なんでもないでーす! 文化祭のレンシュウなので!」

 そのまま私は3人に押されるようにしてトイレの中に引き戻される。

「アオイ、見張りよろしく〜」

「この写真、いうこと聞かないとネットにばら撒くから」

「わかってるよね? あんたん家金持ちなんでしょ? お小遣いほしいなぁ〜」

「そうそう、1年の時もおんなじように金持ちの子にこれやったら電車に飛び込んで自殺しちゃったんだよね。黒瀬は配信とかやめてよ? 死ぬなら遺言であたしらのことトモダチって書いてね〜」

 カッターで引き裂かれるシャツ。抵抗すれば殺されるかもしれない恐怖。

「じゃあ、刺青ほっちゃおうっかな〜」

 横田セリナがカッターを振り上げる。私の太ももめがけて突き立てるように腕を振る。

「うっわ、こいつションベン漏らしたんですけど! ミユ! 鍵垢のストーリーにあげよーぜ」

「動画でーす! 男子からクラスのマドンナって呼ばれてる黒瀬さんはお漏らし常習犯の淫乱でーす!」

 

 どうしよう、どうしよう。

 ここにいれば私はレールを外れてしまう。いつかはおかしくなってしまう。親にも全てがバレてしまう。私は、私である意味がなくなってしまう。


——助けて、誰か


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