何でもできる

 掃除が終わったら、日が暮れて19時になった。

 外は雨。

 来るときは降っていなかったから、傘なんて持ってきていない。


 リビングで寛ぐミサキさんの肩を揉み、ボクは窓越しに外を眺めた。


「手、止まってる」

「あ、はい」


 細い肩を揉み、二の腕も丹念に揉んでいく。

 逆らったら、また拗ねるかもしれないし、大人しく言う事を聞いておこう。


 ミサキさんはスマホで何かをずっと見ていた。

 気になって、肩を揉みながら首を伸ばし、画面を覗く。


『チョーカー×鎖』なんて文字が見えた。


 まさか、本当に犬の首輪でも付けさせる気か。

 どうかしてる。


「ねえ」


 声を掛けられ、慌てて目を逸らす。


「夕飯作って」

「え、と」

「食材は冷蔵庫にあるから。適当に」

「……はい」


 本当は帰るつもりだった。

 昨日は19時前に帰れたから、今日も同じだと思っていた。

 こういう所のルーズさは、コンビニの仕事と違って曖昧だ。

 気分的って感じだし。


 肩揉みを止めて、ボクはキッチンに向かう。

 角に冷蔵庫が置かれていて、キッチンには見慣れないコンロがあった。


「……マジか」


 分からないよ。

 コンロはIHってやつだ。

 弄り方が分からないから、料理を作る以前の問題だった。


 平らな台の上には、赤丸が二つ。

 丸い模様の下に、操作パネルがあるけど、何が何だか分からなくてボクは固まってしまった。


「あ、あの」

「……ん?」


 首を少しだけ曲げ、ミサキさんが振り向く。


「使い方、……分からなくて」


 正直に言うと、「ハァ」と大きなため息を吐き、ダルそうに立ち上がる。立ち上がる際、これまたダルそうにスマホをソファに投げ、「使えない」と悪態を吐かれた。


「パネルで設定して」


 壁に掛けてあるフライパンを乱暴に乗せ、ボクの前でパネルを操作する。炒め物だったり、揚げ物だったり、用途によって切り替える必要があるみたいだ。


「適当に野菜出して」

「はい」


 冷蔵庫から食材を出そうと手を掛ける。――が、開かない。


「あ、あれ?」


 押しても引いても、冷蔵庫の扉は開かなかった。

 横にスライドするのか、なんて思い、左右に引っ張るけど、全然ダメだ。


「……」


 ミサキさんがジッとボクを見ていた。


「何やってるの?」

「冷蔵庫の扉、開かなくて」

「……ハッ、原始人みたい」


 ボクの頭を叩いた後、ミサキさんは冷蔵庫にタッチした。

 すると、独りでに冷蔵庫の扉が開き、ひんやりとした空気が漏れてくる。


「魚と、あとはブロッコリー。キャベツ。ニンジン」

「は、はい」


 言われた物を取り出し、冷蔵庫を閉める。

 物を台の上に置くと、ボクは前で手を組んで、ミサキさんの背中を見守った。


 何と言うか、この時ボクはどうして雇われたのか分からなかった。

 ミサキさんは料理ができるし、魚を焼きながら、適当に切った野菜を炒めて、その間にもう一つのコンロでソースを作っていた。


 そりゃ、シェフとかに比べたら、味は劣るだろうし、作り方も適当で無骨ではある。

 でも、十分だ。

 一人で何でもこなせる器用さがあるのだから、誰かに頼らなくていい。


「……何で、ボク雇われたんだろ」


 情けなくて、つい口にしてしまった。


「オモチャでしょ」

「オモチャって」

「あたし、友達いないから。毎日、暇なのよ。カエルとか、ヘビの解剖は飽きたし。……兎捕まえるのも、時間掛かるし。今の時期じゃ、雨ばかりで釣りはダルイし」


 本当に何でも一人でやってきたみたいだ。


「人間の体、弄りたいのよね」

「……解剖するんですか?」


 何となく、ミサキさんだったらやりかねないと思った。

 ボクが後ずさって聞くと、前を向いていた頭がゆっくりと回転する。


「……くすっ」


 目じりに皺を刻み、ミサキさんはボクに笑みを向けた。

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