生粋の意地悪

 家政婦のバイト、と聞いて油断していた所はある。

 よく考えれば、女の子一人と同じ屋根の下で働いて、家政婦の仕事をして、月20万円。――そんな上手い話があるわけがない。


 オモチャって言葉の意味だって、よく分かっていなかった。


「う、ぐ、ぐううううっ!」

「揺らさないで。本読めないでしょ」

「でも、おも……っ」


 パチンっ。


 思いっきり頭を叩かれ、髪をグシャグシャにされる。

 ボクは今、四つん這いになっている。

 背中にミサキさんを乗せて、広いリビングを散歩していた。


「掃除が、まだ終わってな……」

「そんなの適当でいいって言ったでしょ」


 雑巾で床を磨いていると、ラフな格好に着替えたミサキさんに乗られたのだ。馬となったボクは逆らう事ができず、「あっち行って」と言われるがまま、四つん這いで歩き回る。


 額から落ちた汗が手の甲に当たり、小さな滴に分裂する。

 歯を食いしばって、汚れた手を見つめ、ボクはひたすら呻いた。


「どんな風にイジメられてるの?」

「い、いじめられ、てない」

「嘘言いなさいよ。背中に汚物の張り紙なんて、友達だったらしないでしょ」


 ミサキさんは、とても楽しげに笑っている。

 声の調子で分かってしまう。

 笑みを含んだ喋り方で、ボクが嫌がる事をわざと聞いて、頭や尻を叩いてくるのだ。


 これで、初日。

 六条家に来るのは、二度目である。


「パパの顔なんて見たくないけど。今回は、いい買い物したわね」

「う、うう」

「首輪でも付けてみようかしら。……あんたが来た時から、どうやって嬲ってやろうか。ずっと考えてたわ」


 この人、狂ってる。

 本当に人をオモチャとしか思っていない。


「なんで、こんなことをっ!」

「黙ってて。本を読むから」


 ミサキさんはわき腹を叩いて、立ち止まるように命令してきた。

 言う事に従うと、背中全体に温かい感触が広がった。

 首筋には柔らかい毛先の感触。

 ふんわりと良い匂いが漂ってきて、首だけを回して振り向くと、顔には垂れた髪が当たった。


 どうやら、背中に寝そべっているらしい。

 寝にくそうに腰を揺り動かし、何度か舌打ちをする。


「くっ、……なんだ、よ。これ」

「逆らう?」

「……っ」

「ふふん。逆らってもいいわよ」


 耳に湿った空気が当たり、低い声が鼓膜を震わせる。


「――事故に遭ってもらうけどね」


 六条家の中は、ボクの知っている世界ではなかった。

 近隣に民家はなく、遠くから聞こえる波の音と木の梢が擦れ合う音で、外に漏れたボクの声はかき消されるだろう。


 歯を食いしばって、何とか耐えようとしたが、腕が限界だった。

 震えが大きくなり、痺れが増すと、一気に体勢が前のめりになる。


「ひゃっ」


 可愛らしい悲鳴と共に、ミサキさんが床に落ちる。


「はぁ、はぁ、……っ、はぁ」

「痛いじゃない」

「ご、ごめんなさ……」


 足を使って仰向けにされると、ミサキさんは容赦なく、ボクの腹を踏みつけてきた。


「げほっ」

「椅子になることもできないの?」

「む、無理だよ。……だって、重くて」

「こ、のっ!」


 ガンっ。


 二の腕を踏まれ、ボクは床を転がった。

 体を丸めて、なるべく痛みを減らそうと縮こまる。

 その間、ミサキさんは踏んだり、蹴ったりしてきて、怒りをぶつけてきた。


「……ふう。ほんっと、使えない」


 腕を組んで見下ろしてくるミサキさんは、しばらくの間、ボクを睨みつけていた。


「んー」


 鋭い目がボクの体の至るところに向けられる。


「そういえば、男子って。……ここ、一番苦しいのよね」


 また無理やり仰向けにされると、ミサキさんは片足を持ち上げ、「抵抗しないで」と、ある一点を踏みつけてきた。


「い、った!」


 相変わらず、感情を殺した表情で、ミサキさんは股間を踏みつけてきたのだ。片足に全体重を乗せ、踵を捻じってくるので、堪らずにボクはイモムシのように体を丸めた。


「い、たい、たたたっ! やめて! 痛い!」

「へえ。本当に痛いんだ。どんな風に痛いの?」

「どいて! 重い!」

「……チッ」


 ぎゅぅぅっ。


 踵を減り込ませて、下から上へとずり上げるように、ミサキさんの足踏みは攻撃的になった。


 始めは眉間に皺を刻んで、ボクへ怒りをぶつけていた。

 ところが、何度も踏みつけていると、次第にミサキさんは薄く微笑み、ボクの顔と踏んでいる場所を交互に見つめ始めた。


「まあ、いいわ。面白いし」

「い、っだいよ!」

「あは、……はははっ!」


 真顔に近い笑みが、一気に崩れた。


「あっはっはっは! 何その顔! 面白い!」


 腹を抱えて笑いだし、手に持っていた本を落とす。

 やっている事は惨いけど、笑顔だけ見れば、ミサキさんは本当に心から笑っているのが伝わってくる。


 ボクは股間に乗せられたつま先を押さえ、必死に抵抗した。

 でも、身長の高さも相まって、ミサキさんは重い。

 力だって、ボクよりある。


「そっか。こういう遊び方もあるわね」

「ちょ、っ、……やめ」


 ミサキさんは、ひたすらボクの股間を踏みつけては、ボクの顔を凝視して笑っていた。

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