甘い誘惑

 ボクの住む田舎町は、海と山に挟まれていて、人口はとても少ない。

 過疎地域ってほどではないが、家と家の間隔は広くて、自然に恵まれた土地なのは確かだ。


 家から近い公立の高校に通い、学校が終わればバイト。

 月5万から、3万を引いて、銀行に振り込んでいる。

 残りは電車賃と食費。


 バイトが終われば畦道あぜみちの近くにある自宅で、死んだようにぐっすり寝る。この繰り返しだ。


 ある日、ボクが家に帰ると、知らない靴が玄関にあった。

 中からは男の人の話し声がして、何となく忍び足で居間の方に歩いていく。


「これ以上は無理です。どうか、待ってもらえませんか?」

「おばあちゃん。こっちは慈善事業じゃないんだ。毎月3万円ずつじゃ、利子だって払えないんだよ。どれだけ滞納してると思ってるの?」


 首を伸ばして、戸の陰から居間を覗く。

 円卓を挟んで、手前にばあちゃん。

 向かいには、髪を七三分けにした冷たい雰囲気の男が座っていた。


「お?」


 男がボクに気づき、顔を上げる。


「お孫さんかな。丁度良かった。彼にも話を聞いてもらおう」

「いやぁ、孫は、難しい話は分からないと思いますけどぉ」

「無関係じゃないんだ。君。こっちに座りなさい」


 少しだけ話を聞いただけだが、二人が借金のことについて話しているのが、すぐに分かった。


 ボクは、ばあちゃんの隣に座った。

 一人で借金の話を聞いているより、身近な人が傍にいた方が、ストレスだってマシになるだろうって思ったからだ。


「実はね。君が背負ってる借金。にしようと思ってるんだ」


 夢でも見てるのかと思った。

 利子が高いから、増えないように払っていたけど。

 結局、利子の分しか払えなくて、元金は減らないままだった。


 その鬱陶しい借金がなくなってくれるなら、こんなに嬉しい事はない。

 なのに、ばあちゃんは苦虫を噛み潰したような顔で、額がじっとりと汗ばんでいた。


「ここにウチの会社の店舗を建てようと思ってね。君のご両親からは多額の金銭を受け取ったわけだし、君は学生ときたものだ。借金を返しながらでは、学業に差し支えるだろう」


 ありがたい話のはずが、何だか背筋がぞわっとしてきた。

 たぶん、目の前の男が放つ雰囲気が、あまりにも冷たくて、別の何かに見えたからだろう。


「だから、ここの土地を買い取るよ。あぁ、はこっちで持つからいいよ」

「え? ちょ、ちょ、待ってください。解体?」


 土地を買い取って、家を解体する。

 だったら、ボクとばあちゃんは、どこに行けばいいのだろう。


 一昔前なら、まだ年金で事足りたかもしれないが、今では年金の額が減らされ、毎月ギリギリだ。ボクの給料を当てて、どれくらい持つか分からない。


 食費だって、二人で畑を耕して何とか浮かせてる。

 でも、にあるのだ。


「じゃあ、ボクらはどうなるんですか?」

「知らないよ。適当にアパートを借りればいい」

「そんな……」

「君のご両親が、私から借りたお金。君が払えるのかい?」

「……う」


 こいつの言ってる事が、どこまで正しいのか分からない。

 ボクにはお金の知識がない。

 でも、法外だっていうのは、何となく分かっている。

 なのに、こうして借りたお金を払っているのは、両親がした借金には弁護士を挟んで作った誓約書があるからだ。


 示談金、だったかな。

 父がお偉いさんの車にぶつかって、事故を起こしたのが始まり。

 始めは500万円だった。


 それから、借金を返している内に、生活が苦しくなったって聞いた。

 ボクはまだ小さかったから、お金が大変で、母はそのお偉いさんが金を貸してくれるっていうから、まんまと借りてしまった。


 冷静に考えれば、本当にバカだったと思う。

 だけど、思考が回らないくらい、両親は不安でいっぱいだったはずだ。

 細かい事は聞いてないから分からないけど。


 母が亡くなる前に聞いたのは、ざっくりとこんな感じだった。


 ボクが何も言えずに固まっていると、男は「そういえば」と、話を切り出した。


「君、16歳だったね」

「……はい」


 何で、そんな事知ってるんだろう。

 なんてことは、愚問ぐもんか。

 ボクの事なんて、とっくに調べられているのだろう。


 男は上を向いて、何やら考え事をしていた。

 しばらくの間、気まずい沈黙が流れ、男は独りでに頷く。


「だったら、……そうだな。君、私の家で働いてみないか?」

「あ、や、バイト、もうしてるので」

「いくら貰ってる?」

「5万円……です」

「なるほど。少ないね」


 学生のコンビニバイトなんて、そんなものだ。

 都会ならもっと貰えるだろうけど、ボクの住んでる場所は田舎町。

 時給は最低賃金と同じ額。


「こっちで働いてくれたら、月に20万出すよ」

「……え?」


 ボクには、この『20万円』の価値が本当の所分かっていない。

 社会人ではないから、20万円でどんな生活ができるか、想像ができないのだ。


「そして、給料から借金返済の分を差し引く」

「ちなみに、仕事って何ですか?」

「家政婦だよ。あと、ウチの娘の相手をしてほしい」


 疲れたように息を吐き、男がジロっとした目をボクに向ける。


「おばあちゃん。楽にさせたいだろう?」


 ばあちゃんが手を握ってきた。

 振り向けば、首を横に振っていて、目が潤んでいた。


 甘い誘惑の言葉に、ボクは――。

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