第4章 光り輝く勇者
第66話 新たな師
「はい」
――右の拳が、左手に払われる。
「はいはい」
――左の貫手が、右の掴みが、左手に払われる。
「はいはいはい」
――右の膝が、右の拳が、左の拳が、左手に払われる。
「はいはいはいはい」
――右手が、左手が、右足が、左足が、全て左手一本に払われる。
「はいはいはいはいはいはいはいはいほらほらどうしたそんなモンかァ――!?」
「んにいいいぃぃぃ!!」
半ばムキになっているのを自覚しながら、拳打と蹴撃、頭突きに体当たりまで、あらゆる手管を総動員して一撃を入れるべく奮闘する。
けれどそんな付け焼き刃が、この相手に――最強の冒険者に通じるはずもない。
「指手が悪い、練度が浅い、精度が甘い、速度が遅い、威力が弱い――だが、センスはいい。
「それはどう、もッ――!」
涼しい顔で平然と捌かれながら褒められたって、馬鹿にされているようにしか感じない。
思考、経験、技量、加速、膂力――
「そろそろ慣れてきたか――じゃ、
「――っ!?」
けれどそんな決意を見透かしたかのように、相手はわたしの心を折りにかかる。
たかが左手一本――その回転率が上がるだけで、わたしの行動の全てが封殺される。肩を突かれ、膝を押さえられ、体幹を揺らされれば、ダメージなんかなくたって動きは止まる。……後出しで初動を封じるなんて、相当な実力差がなければできない芸当だ。
さらには胸と喉を突いて呼吸を妨げられる。大人げないほどに非情な攻めは、わたしから着実に余裕を奪い、知覚と思考の幅を狭めた。
抵抗の手数は大きく減らされ、苦悶に喘ぎながら相手の成すがままにされる。実戦ならとっくに死んでいるなあ――なんて今この場で考えるべきではないことが頭に浮かぶのは、意識が朦朧としているからだろうか。
滾る意気とは裏腹に追い詰められていく状況。
いつまで続くかわからない――たぶん相手の気が済むまで続く――苦境を、自ら終えることは簡単だ。
――そんな潔い降伏より、往生際の悪い完全敗北をわたしは望む。
諦めない、諦めない、諦めない――冷静な判断能力を奪われてなお、光や音から反撃の糸口を見出そうとして、
「――――ぁ――――」
ぼやける視界の端に、ほんの僅かな、か細い隙を見つけたから。
――誘いとか罠とか考える間もなく、胸を突かれながらカウンターで拳を突き出す。自分でもよくわからないけれど、不思議な手応えというか、確信があって。
当たる、と思った打撃は吸い込まれるように相手の頬へ速く、軽く飛び――
「あっぶな」
――けれど寸でのところで受け止められた。
左手一本という縛りでなお、彼女には届かない。
それでも、今の打撃はこれまでで最も彼女に迫ったという実感が、振り抜いた拳やそれと連動した全身に残っている。あの動きが常時できるようになれば、わたしは強くなれるだろう。
「――本当にセンスあるよ、お前」
わたしの拳を左手で掴みながら、彼女は言う。
子どもの成長を見守る親のような眼差しをこちらに向け、
「今の感覚、忘れるなよ」
直後、身体を押されて距離を空けられ、
同時に放たれた
あ、これは落ちた――
「……最後のはズルくないですか」
「実戦に卑怯もクソもない――と言いたいが、これは訓練だし『左手だけで相手する』って言ったのは私だからな。悪かった」
「潔いですね……まあ、反応できなかったわたしにも問題はありますし」
「ああ。――だから今後ハンデ付きで手合わせする際も、今回のように最後だけそれを破ることにした。これならズルくないし、不意打ちに対処する訓練にもなるだろ?」
「それ、開き直りって言うんですよ」
十分ほどの眠りから覚めたわたしは、先の訓練の指導役――ヴィスペルさんに文句を言う。
本気で咎めたいわけじゃないけれど、訓練にならないような言動の意図は問うておく必要がある。……彼女に本気を出されたら、学ぶ間もなくわたしが敗北するのは明らかなのだから。
「センスはある、か。……信じていいんですよね?」
「逆に訊くけど、私が世辞を言うように見えるか?」
「いえ全く」
「ハ、わかってるじゃないか」
口の端を吊り上げて笑みを作る彼女のことは、もちろん信用しているけれど。
……何というか、気の置けない仲だからこその不安がある。人を教え導く上で、加減とか、段階を踏むとか、そういうことがちゃんとできる人なんだろうか?
「後はまあ、シンプルに
「ヴィスペルさんに言われると釈然としないんですけど……じゃあ、投げや組みや極めを磨くべきだってことですか?」
「ちげーよ、得物を持ったらどうだって話だ。棒とか、長柄の
武器か――村で木の枝を振り回してたくらいしか扱った覚えがないなあ。
……徒手と武器術のセンスはまた別だろうし、魔術の修練もあるからやること増やしたくない。
「今のわたしに、その余裕はないと思います」
「そうかい。じゃあ余裕ができたら試すってことでいいな」
そうは言っていないんだけど、そういうことにされた。
立ち上がる。ヴィスペルさんに用意してもらった白いローブについた土を軽く払い、身体を軽く伸ばした。
その間にヴィスペルさんは地面の石を拾うと、
「――よっ」
それを軽い
一秒足らずで命中するであろう、その先にいるのは――
「――――」
――岩の上に座り、目も口も閉ざして瞑想する師匠だった。
もう一時間以上も微動だにしない彼の顔面へ向かって投石が飛来し、
「――――ふ」
けれど師匠が浅い息を吐いた直後、石が砕けた。
縦に入った歪な亀裂が石を二つに割り、速度は落ちないまま左右に逸れる形で師匠の横を通り過ぎる。
口笛を吹いて称賛を示したヴィスペルさんは、ゆっくり目を開ける師匠に言葉を投げる。
「さすが」
「いや、
「お勉強の時間だ」
「……なら普通に口で言ってくれない?」
師匠の静かな抗議を無視して、ヴィスペルさんは魔力を滾らせる。
体外に放出された魔力の導線は地面に繋がり、その場所を起点に土が掘り返される。そうして集めた土塊をブロック状に固めると、それを指差してわたしと師匠に座るよう促す。
「……場所を移す必要ある?」
「雰囲気だよ、雰囲気」
理性で問う師匠に、ヴィスペルさんは感情で答えた。
……だからこそ、抗弁は無駄だと悟ったのだろう。師匠は大人しく岩の上から土の台座に跳び移った。
わたしもその隣に腰を下ろすと、その対面に立つヴィスペルさんが笑顔で言い放った。
「それじゃ――『勇者でもわかる超簡単魔法講座』、始めようか」
ヴィステリエム侯爵邸を発って十日。
馬車や合流したヴィスペルさんの魔法で長距離を移動しつつ、人目につかない山中や森の奥で魔術や体術の修練をするのが新しい習慣になりつつある。
今もまた、主要な街道から外れた山林でヴィスペルさんの講義を受けている。それは今までわたしが学ぶ機会のなかった、
「――魔法に必要なイメージは、魔術に求められるそれとは大きく異なる」
魔法について。
基礎の基礎から魔法を学び、人並みより少しマシな程度の知識を得たわたしたちは、それを実践できるようになる必要がある。
「マリアくらいの才能じゃ誤差みたいなモンだろうが、だからこそ魔力の無駄使いを避けるために正しいイメージが必要だ。……リコーはまず魔法を使えるようになれ」
「それができないから苦労してるんだけど」
ただ、師匠は未だ魔法の発動に成功したことがない。
それに関してはヴィスペルさんも、そして師匠自身にすら今すぐにはどうすることもできない問題なので、無視して講義を進めるつもりのようだ。
「前回も話したが、体内の
「うん、管楽器」
「
それを前回教わった際に、自分の魔法の才を改めて思い知ることとなった。小さな火花、僅かな水滴、弱いそよ風、まばらな砂粒――部屋を照らす明かりすら灯せないのがわたしの実力で、限界だ。
そんなわたしが魔法を学ぶ意味は薄いけれど、一方で魔術師たるわたしがどうしても身につける必要のある魔法――というか技術がある。
「
わたしの魔術――身体能力と炎は、師匠のように一つのスキルとして偽ることができない。
人前で両方を同時に使えば、魔法でもスキルでもない
「その魔法に必要なイメージだが――そうだな」
ヴィスペルさんは地面に視線を向けた後、同じくらいの大きさの石を二つ拾う。
その内の片方を力任せにブン投げて、山なりに飛んだ石が森の奥に消えたのを見送った後、
「この投石を、より速く、より遠くに飛ばそうとするなら、どんなイメージが必要になる?」
「どんなイメージ、って――」
どんなイメージだろう……まさかものすごくよく飛ぶ石をイメージして、実際その通りに石が飛ぶわけがないだろうし。
自分のイメージで左右される範疇のことで言うと、石を投げる――投げるのは自分自身なんだから、つまり、
「――速く遠くに石を投げる自分の姿、ですか?」
「わかってるようなわかってないような答えだな……リコーは?」
「速く遠くに石を投げるための正しい
「そうだ。要は、結果に至るまでの詳細な
言うと彼女はもう一つの石を握り締める。
「腕の振り、手の角度、リリースのタイミング、脚の幅、腰の捻り、全身の連動、筋肉の弛緩や脱力、呼吸のリズム、一連の動作のテンポ。それら投石という行為に必要な要素の最適解をイメージし――」
半身になり、片足を上げ、その足を思い切り前に踏み出しながら、身体を捻って腕をしならせ、
「――そのイメージに沿って身体を動かす」
石を投げる。
それは先の一投よりも低くまっすぐ、そして比較にならない速さで木々の間を飛翔した。
「魔法でも肉体でも、実のところ人間は
「同じ動きを再現するにしても限度があるしね」
「ああ。だからこそ可能な限り精密性を高めた上で、最良の動きを身体に刷り込む。無意識下でも八、九割のパフォーマンスができるようになるまで、な」
「……つまり、反復練習が大事ってことですか?」
「正しい形を意識しての反復練習、だ。何となくで回数を重ねれば、いくつもの無駄や不足を残したまま身体が覚えちまうからな」
特に、とヴィスペルさんはわたしを指差して、
「魔法の空撃ちは簡単な技術だが、魔術と併用するとなるとその難易度は一気に跳ね上がる。それをごく自然に、呼吸と同じかそれ以上に無意識かつ淀みなくこなさなくちゃならない」
「それまでは、あまり魔術を使わない方がいいでしょうか?」
「あまりというか、人前では全く使わない方がいい。遠隔でも放てる炎と身体一つで完結する身体強化――魔力の残滓で魔法に偽装するなら断然後者だが、逆に言えば偽装ができない間は常人程度の身体能力しか発揮できないってことだ。炎はスキル、身体強化は魔法って設定を徹底しないといつかどこかから綻ぶぞ」
そう釘を刺されるけれど、以前
「魔術で人を救いたいなら、早いとこ人前で魔術を使えるよう努力するんだな」
「わかってます。なのでアドバイスをください」
「ああ。空撃ちの方法はいくつもあるが、私は両の肺を二つの円で循環させた魔力を全身に流して――」
新たな師は、わたしの求めに応じて助言をくれる。
魔法に慣れない、才能もないわたしには簡単なことじゃないけれど、地道に少しずつ上達する以外にできることもやることもないのだから、そうするだけだ。
ほんの僅かなか細い魔力を体内で回して、意味のない形として発露させる。
わたしの魔力量では長時間の練習はできないし、魔力の変換効率も悪いから回復にも時間を要する。惰性で訓練できるほどの余裕はないから、逆に気が引き締まるというものだ。
「絶対にとは言わないが、実戦を考えるなら魔法は身体の中心部や急所で作るのが理想だ。右手の
「なるほど……」
そうして亀の歩みの如き緩慢さで、
それでも一歩ずつ前進するわたしの隣で、
「…………………………………………うーん?」
終始首を捻っていた師匠は、今日も今日とて魔法を使うことが叶わなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます