第64話 波乱を望む

 大陸せかいの八割にも及ぶ土地を支配下に置く、セインフォート唯一の国家たるルージェス王国――その南東の広大な土地を治めるヴィステリエム侯爵領。

 その領内で最も高い山の頂に、常と変わらないとんがり帽子を被ったドレス姿のヴィスペル・ヴィステリエムはいた。


「はあ……」


 白い息を吐く彼女の手には、暗い色彩の立方体キューブが握られている。

 一瞥して用途のわからないその物体は、余人が見ればアクセサリーかインテリア、もしくは魔導器マジックアイテムだと判断するだろう。そして、その推測は正しい。


 王国主導の研究機関で開発されたこの魔導器マジックアイテムは、小型の超長距離通信装置の試作型だ。その組織と全く関係のないヴィスペルが試作機を保有している理由――その最たるものは、彼女以外に扱える者が存在しないからだ。


 超長距離通信は通常、電波塔の如き巨大な装置を設置し、常駐する職員の魔力を吸い上げて最長で百キロメートルほど離れた他の塔と通信を行う。

 主な通信内容は王宮からの公布や災害などの緊急事態の伝達といったもので、そう頻繁に利用されるものではない。だがいざ利用する際の職員の負担は非常に大きく、最長距離の通信ともなれば魔力自慢の人間が十人いたとしても一分ほどで全員の魔力を使い果たすだろう。


 超長距離通信装置の小型化は、効果に比例してサイズが大きくなる魔導器マジックアイテムの技術的な問題を解決するサンプルのようなもの。実用は想定していないし、それに耐えられる設計もしていない。

 何より装置そのものが小さくなったところで、消費する魔力の量は変わらない。むしろ人ひとりが持てるサイズにまで小型化してしまったせいで、装置と接触して魔力を供給できる人数が少なくなってしまい、必然的に一人あたりの消費魔力がより多くなってしまっている。


 だからこんなものを使えるのは、人間離れした魔力を持つ者に限られる。

 ヴィスペルがスイッチを押すと、魔力を急激に吸われると同時に立方体キューブに淡い輝きが灯り、細長い魔力のラインが弧を描くように伸びていく。


 推奨される最長距離を優に超えて魔力の伸びる先――通信相手は固定されている。

 それは、ヴィスペルにこの魔導器マジックアイテムを渡した――――











『――――よう、アルティエラクソガキ

「久しぶり――ってほどでもないか」


 私室に用意した秘匿通信用の魔導器マジックアイテムから、思わぬ相手の声が届く。

 ヴィスペル・サニー・ヴィステリエム。彼女と言葉を交わすのは二十日ほど前、サーシャの訃報を聞いて城を訪れた時以来だ。


 彼女がわたくしを忌み嫌っていることは知っている。だから向こうから連絡してくるのはよほどの理由がある時だけだ。


「どうしたの? 昔、王太子殺しクーデターに協力してもらったお礼の件?」

はまだだ』

「……? ねえ、音声が少し掠れているのだけど」

『魔力を節約している影響だろ。それでも通信時間は三分が限界だ――手短に済ますぞ』


 微かなノイズ混じりの声は、感情の起伏が小さい。彼女に迷いがない証拠だ。


 ……そしてサラッととんでもないことを口にするあたり、やはり規格外の存在なのだと思わされる。

 自動で魔力を吸い上げる魔導器マジックアイテムは、本来なら誰が使おうと一律の効果を発揮するものだ。吸収される魔力の量を絞ることで効力と引き換えに持続時間を延ばすなんて、やろうと思ってできることじゃない。


じきにお前の協力者シンパ共から報告が行くだろうが、今朝リコーが屋敷ウチを発った。私も後で合流するつもりだ』

「……復讐は諦めたの?」

『ああ、私はアイツが気に入ったよ。だから、お前がリコーをどう思っているのかは知らんが――つまらない真似すンじゃねえぞ』


 低い声で凄まれる。脅しというよりは、自身が本気だとこちらにわからせるための示威行為だろう。


「ご忠告どうも」


 是も非も返さず、受け取るだけに留めておく。リコー様をどうこうしたいとは今のところ特に思っていないけど、今後もそうだとは限らない。


 そもそもわたくしがユーヤ様を唆してリコー様を排除するように仕向けたのは、勇者様方の気を引き締めると同時に、善かれ悪しかれ彼らの心身に何らかの変化をもたらすことを望んでのこと。そういう意味では十分にリコー様はその役目を果たしたし、今さら彼個人に対して思うところはない。

 ――だからヴィスペルが彼への復讐を求めた際、スキルや印象、所在に動向などを全て話した。サーシャの死に責任を感じていたのもあるけれど、それ以上にこの邂逅によって何が起きるのか楽しみだったから。


 その結果、彼女はリコー様と行動を共にすることを決めた。どんな心境の変化でそうするに至ったのかはわからないけれど、少なくともわたくしにとっては復讐が果たされるより面白い展開になったのは間違いない。

 加えて新たに出現した脅威もある。この世界セインフォートの歪み――埋もれていた爆弾の数々にいよいよ火が点こうとしているのかもしれない。


『……私からはそれだけだ。何か言いたいことがあるなら聞いてやる』

「そう? それなら――ああ、一つ質問があるのだけど」


 このタイミングでヴィスペルから通信が届くのは、本当に予想外だった。

 なぜならわざわざ通信してきたということは、逆説的にここに来て直接話をするつもりはないということであり、


「あなたは、わたくしに復讐するつもりはないの?」


 リコー様の次はわたくしだと覚悟していたからこそ、その読みから外れた彼女の行動に驚きを隠せなかった。


 ヴィスペルは自分の欲求に重きを置く性分だけど、それは必ずしも感情的であることを意味しない。復讐にしても、『仇を討つ』という怨恨より『悪を野放しにしておけない』という使命感の方が強いはずだ。……リコー様を殺さなかったのも、あるいはそれが関係しているのかもしれない。

 だからこそ、彼女にはわたくしを殺すに足る理由がある。数多の謀略で政敵を排除してきたわたくしは――いいえ、初めて会った時から彼女には好く思われていない。今までは見逃されていたけれど、サーシャが犠牲になったことで彼女が自制する理由はなくなったはず。


 もちろん、ヴィスペルだって考えなしの復讐鬼じゃない。政治や社会、なにより民衆や故郷に与える影響を考慮して行動を起こさないこともある。

 ……けれどそれは、真の意味で彼女を踏み止まらせるものじゃない。たとえ王族わたくしに弓を引き、王国せかいが敵に回ったとて、それで復讐が果たされるのなら彼女個人は意にも介さないだろう。


 人の縁という鎖は彼女にとってそれほど強固で――だからこそ、それが断ち切られた時の反動もまた凄まじい。

 その中でも一、二を争うほどに太い戒めが解かれた以上、暴れる力の矛先はわたくしに向かうと思っていたのだけれど――


『……本当にわからないんだな、お前』


 ――告げる彼女の声は、先までの淡々とした平坦フラットなものではない。

 静かに、けれど感情の強く滲み出た、まるで嘆くような語調で、


『私はお前を殺さない――

「……拷問にでもかけるってこと?」

『あー、それでいいよ』


 こちらの問いに彼女は投げやりに答える。半分正解、といったところだろうか。


 わたくしは、他者の心の機微を理解するのがそれなりに得意だと自負している。けれどあくまで理解するだけで共感できるわけではないし、リコー様のように何を思っているのかまるでわからない相手もいる。

 ――そして何より、どんな他人よりも自分自身の気持ちが一番わからない。具体的なことは不明だけど、ヴィスペルがわたくしを苦しませようとしているのは明白で、けれどわたくしの胸の内には怒りも恐れも諦めもない。客観的に見て、自分がまともな人間じゃないのは火を見るよりも明らかだ。


 そして、それはヴィスペルもわかっているはず――さて、何を企んでいるのやら。


「なら楽しみにしてるね。……あ、ついでに伝えておくけど」

『なんだ』

「あなたも追ってる『魔王軍』絡みの調査に、王国わたくしはギルドや冒険者を使わないから」

『フン――優秀な勇者コマがたくさんいるってか』

「あなただって、間接的にでもわたくしに使のは嫌でしょう? 協力も対立もその時々で、お互い好き勝手に動いた方が都合がいいと思うの」

『現場の人間は大迷惑だろ。……私は助かるが』


 そう言ってこちらの言葉を暗に認めているのは、彼女がわたくしを嫌っているからだけじゃない。

 冒険者と騎士や兵士では調査の手順や戦闘方法などの勝手が違う。下手に足並みを揃えようとすると互いに足を引っ張るだけ――と、以前にサーシャが言っていた。


 まあそれでも、無用な衝突を避けるために任務や依頼の内容の共有くらいはしておくべきだろうけど……どこに誰が潜んでいるかわからない現状では、逆にリスクになりかねないから。

 ――そういう意味では、逆にヴィスペルは信用できる。


「最後に、先日の王城襲撃の件について」

『あん?』

「『魔王軍』を名乗る相手は、実際の思惑はともかく、少なくとも口では勇者が目的だったみたいだよ」

『――ああ、そうかよ。お前、意外と人望ないんだな』


 わたくしの言葉から、彼女は即座に要点を見抜いた。

 現在、勇者の存在は秘匿され、城の兵士や使用人をはじめとする限られた人間にしか知られていないし口止めもしている。つまり襲撃者が勇者を知っていたということは、誰かが情報を漏らしたか敵組織の一員が城に潜り込んでいる事実を示唆していた。


 そしてヴィスペルなら、こうも考えるだろう。

 国の中枢に近いところまで敵が入りこんでいる以上、ギルドや領地にも手が及んでいる可能性は否定できない――と。


「人気者のあなたにはいらない心配かな?」

『何言ってんだ。裏でコソコソしてるお前と違って、こっちの方が憎んでるヤツも多――あ、ヤバ』


 そんな話をしている最中、ほんの僅かな焦りを含んだその言葉を最後に、異音を発して突然通信が途絶えた。しばらく待ってもまた通信が来ることはない。

 ……どうやら彼女の魔力が尽きるより先に、魔導器マジックアイテムが限界を迎えたようだ。まあ試作機にしてはよく保った方だろう。


「――首の皮一枚つながった、ってことでいいのかな」

「彼女の言が正しいのであれば、むしろ追い詰められているのでは?」


 わたくしが問うと、それまで沈黙していた二人の臣下の片方が答えた。

 灰髪の騎士――ウォルフォードだ。もう片方の山賊じみた、というか元山賊のバートルも口を開いて、


「なあお嬢、話にはよく聞くんだが――『王太子殺しリヴェンジャー』ってのはそんなにヤバいヤツなんですかい?」

「あれ、バートルはまだ会ったことなかった? わたくしはわからないけど、ある程度の実力の持ち主は口を揃えて『怪物バケモノ』と評するくらいには強いみたい」

「強さもそうだが、精神性が普通じゃない。まだ第二王子が顕在の頃、その派閥に属していた貴族の子息にケンカを売られ、容赦なく殺害したそうだ――王子の機嫌一つで武力制裁に発展する可能性もあったのに、な」


 ……かつて、サーシャは彼女のことをこのように言っていた。


「ヴィスペルは、自分が他人とことをよく知っている。他人という存在が、自分のように強くなく、自分のように利口じゃなく、自分のように素直じゃないことを理解している」

「傲慢ですなァ。いや、それが許されるレベルの圧倒的強者ってことか」

「ええ。……そして相手と違うからこそ、彼女は対話でも報復でもに合わせることを厭わない。言葉で人と通じる賢者は、他者を暴力で排する愚者を相手にしないけど、彼女は賢者でありながら愚者を相手に暴力を振るう――そうしなければ、相手に理解させることができないと知っているから」


 そしてそれを感情ではなく、合理的な判断で行う。

 怒りや恨みも多少はあるだろうけど、それでも根本的な部分では『必要だから』という理由で彼女は力を振るう。赤子に幼児語で接するように、訪れた地方の風習に従うように、敵意には暴力で応えるというだけの話だ。


「逆に無害な相手にはどこまでも無害だし、アレで面倒見もいいから慕われてもいるんだけどね。そういう意味ではバートルに似てるのかな?」

「敵でも味方でもライン越えたら容赦しない、って感じですかい」

「そうだね。で、おそらくわたくしの下にいる時点でラインギリギリだから、できれば彼女と会わない方がいいかも」

「……オレの次の任務、『魔王軍』とやらを追うんですよね? 鉢合わせる可能性が高いんじゃ――」

「うん。――だから、気をつけてね」


 言うと彼は引き攣った、けれどどこか楽しそうな笑みを浮かべた。

 そういう反応がで出てくるあたり、やはりわたくしに好き好んで従う人間にはロクなのがいない。趣味が悪いか見る目がないか――この二人は共に前者だ。


「――その件ですが、本当によろしいのですか?」


 ウォルフォードが訊ねる。バートルとは違いあまり感情を表に出さない彼は、面倒くさがりの本性を隠して勤勉に振る舞う。


「レイオーン世教会への人員派遣は避けられないとして、今度の遠征――魔素溜まりダンジョン攻略の実地訓練には、人格面で優秀な勇者が多く揃っています。そちらを予定通り実行して、城で待機する予定だった勇者全員を『魔王軍』の調査に向かわせるというのは危険リスキーではないかと」

「彼らが心配?」

まさか・・・異世界人ゆうしゃがどうなろうと私は構いませんが、任務を与えるならそれに相応しい人員を配置すべきでしょう。あの面子メンツでは――」

「まァ、上手くいくようには見えねえな。折り合いの悪い二つのグループの男共と、輪から外れた個人主義の女共。せめて全員とは言わず、協調性の高いヤツだけで固めた方がよっぽど役に立つだろうぜ」

「いいの。どうせ今回の任務では、勇者様方には撒き餌・・・程度の活躍しか期待していないし――」


 それに、とわたくしは言葉を続け、


「――何か起きてくれた方が面白いでしょう?」


 笑みの一つも出てこないまま、そう口にした。

 さざ波すらも立たないこの心を、動かしてくれる『何か』を求めるように。

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