第63話 一進一退

「『きらきら きらきら ながれゆく』――」


 澄んだ唄声が、朝焼けに溶けていく。


「『ゆらゆら ゆらゆら みんなでおよぐ』――」


 その唄に呼応して、周囲の輝きが動く。


「『きらきら きらきら ながれおちる』――」


 その多種多様な軌道は様々な色の尾によって示され、まるで漂う流星の一つ一つに個別の意思が存在するかのように、それぞれが思い思いの形で宙を舞っている。


「『ぷかぷか ぷかぷか そらに……』……えー、『そらに……』……『うみに……』……あークソ、こりゃダメだ」


 その幻想的な光景は、しかし唄が途切れると共に儚く消えてしまう。

 大きなため息を吐いた彼女――ヴィスペルさんは改めてこちらに向き直り、


「――とまあ、こんな感じだ」

「いや、あの……え、なんで……?」

「ちゃんと魔術になってるよ。……それで、どうして魔術を使えるの?」

「私は、自分が平凡だと思ったことは一度もないんでね。『最強』、『天才』、『王族殺し』、そして『二十三代ヴィスペル』――持ってる肩書きの山に『魔術師』を付け足すくらい造作もねーよ」


 自らを魔術師と認める最初の魔術――その下地が、すでにできあがっていたということらしい。

 決して過信や虚栄ではなく自らが特別な存在なのだと確信するのは、一般人の精神では間違いなく難しい。そういう意味では、自他共に認める特別な人間の方が魔術を習得しやすいのは理に適っているのかもしれない。


 そして、それほど確固たる自意識を築き上げた彼女だからこそ、


「しかも、独創魔術オリジナルまで……一朝一夕で至れる領域じゃないはずなんだけど」

「オリジナル?」

「……個人の思想や信念に基づく、その魔術師固有の魔術のことです」

「ふーん。適化魔法フェイバリットみたいなモンか」


 自分がどれほどのことを成したのか、まるで理解できていない。

 わたしも独創魔術オリジナルの習得は数日で終わらせたけど、それはヴィスペルさんとの会話や彼女を止めるという目的があったからこそ近道ショートカットできただけ。あれがなければ火を――恐怖トラウマを克服するのに、どれだけの月日を費やしていたかわからない。


「……その、今のはどういう魔術なんですか? あ、話したくないなら結構ですけど」

「どうって、見て聞いたまんまだよ。唄、というか詩の通りの現象を引き起こすだけだ。感覚的にはたぶん死者の蘇生さえ実現できる気がするけど、発生させる現象の難易度に見合うクオリティの詩を作らなきゃならんから、まあ現実的ではないな」


 この人、とんでもないこと言ってる……

 蘇生云々は無視するとしても、詩の内容を実現するって――特定の事象に特化したわたしや師匠とは真逆の、あまりにも万能な魔術ちからだ。


「……その場に必要な物語うたを即興で構築する使、か。――この発想は、普通の魔術師からは生まれないだろうね」

「それ、褒めてんのか?」

「別に褒めても貶してもないよ。……ただ、難しい魔術だとは思うけど」

「あー、やっぱこれ難しいんだな。お前らよく魔術こんなモンをホイホイ使えるなと思ってたんだが」


 ……言われてみると確かに、火を灯すための死角が必要なわたしや、奇跡を起こすのに溜めインターバルを要する師匠に比べると、その場で唄を作るというのはハードルが高く感じる。

 さらに相応の質が必要ともなれば、僅かなニュアンスや語感の違いで破綻する可能性もある。現に彼女は、小さな流星を周囲に漂わせるだけの魔術にも失敗していた。


 ――けれど、それを差し引いても魔術という力の恩恵は絶大だろう。

 どれだけ強力な魔法を扱うことができても、それが魔法である限り越えられない領分はある。故に魔法では叶わないことを魔術で補うだけで、それは相対する者にとってこの上ない奇襲となる――


「まあどうにせよ、魔術これは使えないな。が悪すぎる」

「――え」


 と、思っていたのに。

 可能性を切って捨てるようなヴィスペルさんの言葉に、わたしも師匠も驚きを隠せない。わたしでさえ至る考えに、彼女が気づいていないなんて信じられない。


 であれば逆に――彼女が気づいていることに、わたしたちが気づいていないのだろうか?


「使えないって、どういう――」

「は? どうってそりゃ――あー、そうか。お前ら魔術しか使わないのか」


 わたしの問いに、彼女は一瞬怪訝な反応を見せ、しかしすぐに納得したように頷いた。

 顔を見合わせ揃って首を傾げる師弟わたしたちに、新米魔術師は知られざる事実を告げる。


。絶対に無理ってことはないが、そのためには相当訓練しなきゃならんだろうな。片手で文章を書きながら、もう一方の手で絵を描くような――いや、違うな。上半身で荒波を泳ぎながら、下半身で悪路を走るようなモンか」

「……ごめん、例えが全然わからない」

「要は、普通なら経験しないしその必要もないレベルの難しさってことだ。それに併用できたとしても、発揮できる力はそれぞれ七、八割が限界だろうな。……そんなを習得する暇があるなら、個別に鍛えた方がよほど強くなれるはずだ」

「「へー」」

「驚くほど興味なさそうだなお前ら」


 いや、興味はある。あるけど、スキルもなければ魔法の才もないわたしにとってはどこまで行っても他人事でしかない。だからこんな反応になってしまう。


 ……あれ、でも魔法と魔術を併用できないってことは――


「――師匠が魔法を使えないのは、そのせいってことですか?」


 口にした推察に、けれど師匠は首を横に振った。


「うーん……たぶんだけど違うと思う」

「根拠は?」

「ヴィスペルの話が事実なら、魔法を使おうとすれば恐らく魔術の出力が下がるはず――だけど、そんな経験をした覚えは一度もない。魔術を保とうと意識していたわけでもないから、単に魔法が使えなかったから魔術に影響が出なかったとしか思えない」


 たぶん、と言った割には力強くそう答えた。

 ヴィスペルさんもそれを否定せず、


「実際、魔法が全く使えない人間ってのはまれにいるからな。……中には、魔力そのものに拒否反応を起こす体質もあるくらいだ」

「まあ僕の勘違いかもしれないし、一応は魔法も試してみるけど――あ、そういえば魔術とスキルは併用できないって話だけど、その場合僕の『魔力貯蔵』はどうなるんだろう?」

「あー……何とも言えんけど、体質や特性を常時付与する類のスキルとは干渉しない可能性は否定できないな。要は別々のことを同時にやろうとして思考や肉体に齟齬が生じるってことだから、頭を使う必要のないスキルなら影響はないかもしれない」

「……試すべきことは多そうだね」


 はあ、と師匠は悩ましげに息を吐く。

 まさかこんな事態になるなんて、昨日どころか目を覚ます寸前まで思いもよらなかった。師匠としても、協力者を増やすだけのつもりが魔術師が増えるとは想定外だったに違いない。


 ――ヴィスペルさんを引き込んだ、その収穫は間違いなく大きい。才に溢れ、若年ながら知識と経験も豊富で、最強の名に相応しい彼女は、この世界における魔術の在り方を示す一人となるだろう。

 けれどだからこそ――その影響が果たしてどこまで広がるのか、わたしたちには想像もつかなかった。











 予想外の事態はあれど、直近の予定に変化はない。

 朝も早い内からヴィスペルさんは領内の冒険者ギルドの支部へ飛んでいき、わたしたちも朝食をいただいて間もなく屋敷を発った。


 数日を共にしたとはいえ、屋敷の人たちとの別れに特別な感情はない。こちらは宿を後にする程度の、向こうは身内の客人を見送る程度の思いだ。

 ――ただ別れ際、侯爵家のご当主様にヴィスペルさんのことをよろしく頼むとかなり念入りに言われた。その必死かつ悲壮感漂う様から、彼女にかけられた苦労の程が窺える。善処はします、としか答えられなかった。


「――それにしても、領主の屋敷がある街なのに乗合馬車がないのってどうなんでしょう」


 街を離れて街道を歩きながら、わたしはふと湧いた疑問を口にする。

 前を歩く師匠は振り返ることなく、


「ん――領主の屋敷くらいしかないから、じゃないかな。主要な通商路からは外れているから行商人や冒険者の出入りも特別多くはないだろうし、侯爵家関係の来訪者なら自前の長距離移動手段を用意していてもおかしくない」

「なるほど……乗合馬車は人員も設備も高くつくから、確実に採算が取れる場所以外に通す余裕はない、と」

「道や治安の問題もある。魔物もそうだし、僕は見たことないけどこの世界には賊も少なくないって話だから」

「……金銭目当ての盗賊にしても、人間ヒトに恨みを持つ異種族にしても、乗合馬車を利用するような裕福な客は格好の的ですからね」


 師匠に買われて一か月六十日足らず――その僅かな期間で、こうして広い世界を憂うようになるなんて思ってなかった。

 それでいて、その現状を夢幻とも分不相応とも思っていない。むしろ今までの人生で最も自分らしくあるとさえ感じている。魔術師としての信念のおかげか――それとも、強大な力を手にした全能感からの錯覚だろうか。


 ――まあ、どっちでもいいのだけど。


「賊と遭遇したら、わたしたちも襲われるでしょうか」

「少なくとも強そうには見えないだろうね」

「それは――いいこと、ですね。わたしたちで捕まえられれば、被害に遭う人を減らせます」

「そうだね。最強の冒険者ヴィスペルが目を光らせているとはいえ、絶対に安全ってことはないだろうから。街からもっと遠ざかればあるいは――」




「そこのガキ二人ィ!! 死にたくなけりゃあ身包み全て置いていきやがれ!!」




「「――嘘ぉ」」


 ……いやまあ、なんか妙な一団が近づいてきてるなあとは思ってたけど。


 ざっと十五人くらいだろうか。わたしたちを取り囲むように広がった男性ばかりのその集団は、人相こそ悪いけれど武器の構えや殺気の薄さなどからほぼ素人の集まりといっていいレベルだった。

 こんなところで犯行に及ぶお粗末さといい、もしかしたら新米の賊なのかもしれない。――なんだ新米の賊って。


「ほ~ら、早くしねえとこの剣のサビになっちまうぜぇ……?」


 それもうすでに錆びてるんですけど。


「怖くて声も出ねえみてえだなあ、ギャハハハ!」


 呆れて声も出ないんですけど。


 はあ、とわたしたちは揃って大きく息を吐き、


「……どうします?」

「街に戻って衛兵に引き渡すしかないけど……ロープの長さ足りるかな」

「さすがに魔法もスキルもなしに荒事に手を出すとは思えませんし、魔導器マジックアイテムでもなければ拘束は難しいのでは?」

「それもそうか。――とりあえず、伸してから考えよう」

「ですね」

「おめーらさっきから何をくっちゃべってんぶへぇっ!?」


 それぞれ逆方向に跳んで、賊を一人ずつブチのめしていく。


 ……この分だと余罪はないか、あっても大したものじゃないだろう。罪を償い、更生してくれることを願うばかりだ。

 何というか、ため息が出るくらい馬鹿らしいことだけど――これで救われる人もいるのだと思うと、悪い気はしなかった。











 そして、人を救うというのは一筋縄ではいかない。

 地道に、根気強く、心を砕くより他にないのだ。




「――それで、なんでこんな真似をしたんですか」

「ひいぃっ! た、助けくれえっ!」

「別に取って食ったりはしませんよ……わたしは話を聞きたいだけなんです。さあ、早く理由を話してください」

「お、俺たちが悪かった! 大人しく捕まるから、命だけは――!」

「あの……だから、話をですね……」




「……前途多難だね。課題だらけだ」


 賊に問うわたしの後ろで呟かれた師匠の言葉が、重くのしかかった。

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