第62話 天賦の才

 ――わたしは、激怒した。


「……なんでわたしのいないところで戦ってるんですか」

「だってマリア、絶対邪魔しただろ」

「師匠が勝つなら邪魔しませんでした!」

「リコーが負けそうなら邪魔したってことだろうが」

「というか、今のマリアに決着の瞬間を見極められるほどの実力はないと思うけど」


 夜明けと共に屋敷に帰ってきた二人は、悪びれた様子もなくそう言ってのけた。


 ヴィスペルさんの復讐は彼女と師匠の問題で、わたしには無関係なことは理解している。

 している、けれど――うん、という感じだ。そういう思いがなければ、誰彼構わず人を救うなんておせっかいな真似ができるはずもない。善悪や正否を無視して――ううん、受け止めた上でわたしは首を突っ込むだろう。


 だからわたしは、容赦なく怒りを顕わにする。

 怨恨とか復讐とか断罪とか贖罪とか、そういう話はわたしには


「それで、ヴィスペルさんは――師匠を殺さないという結果に、納得はできたんですか」

「……するしかねーよ。どんだけ駄々こねようがワガママ言おうが、どうにもならない以上は受け入れるしかないんだからな」

「うーん、未練タラタラって感じ」

「悪いか」

「いえ、普通の反応だと思います。大切な人の死なんて、割り切れなくて当たり前ですから」


 最強の冒険者も、やっぱり人間ということだろう。むしろわたしや師匠なんかより、よっぽどまともな心の機微があるに違いない。

 ……彼女が師匠を殺さずに済んでよかったと、本当にそう思う。


「――どうあれ、とりあえずはひと段落ついたわけだ」


 さり気なくわたしたちの視界を外れつつ、ボロボロになった服を脱ぎながら師匠は言う。


「もうここに留まる理由もないし、あまり長居しても迷惑だろうから、明日までには出発したいところだね。……お礼の菓子折りを買える店とかあるかな?」

「土地を治める貴族様に現地の銘菓を渡すのってお礼になります……?」


 まあ、早めに離れる方針には同意だ。急ぐ旅ではないけれど、さすがに他所様のおうちに長期間お世話になるのは忍びない。

 ヴィスペルさんも神妙な顔で頷き、


「確かに、無理に歩調を合わせても時間を無駄にするだけだな。私はまだやることがあって同行できないから、とりあえず合流地点を決めておくか」

「「――――え?」」

「――――ん?」


 けれど、何だかよくわからないことを言い出した。

 ……合流も何も、彼女の要望には応えたのだからここでお別れのはずでは?


「……ヴィスペル、もしかして僕たちについてくるつもり?」

「逆になんで解散する流れなんだよ、パーティ組んだだろうが」

「それって復讐の機会を窺うための口実だよね」

「今は違う」


 元はそうだったらしい。


 ……ともかく、これは困ったことになった。

 ヴィスペルさんを嫌っている、というわけじゃない。最強の冒険者と同じパーティともなれば、否応なしに注目されて目立ってしまうことになるけれど、まあそれだって許容範囲内だ。


 ――問題は、魔術の存在だ。

 魔法でもスキルでもない能力ちからを持っていることはすでに知られているけれど、いくら彼女でもその正体までは掴めていないだろう。であれば彼女がそばにいる状況では、戦闘はともかく修行や教導はしづらくなる。彼女なら、言葉の端々から魔術の実態に辿り着くこともないとは言い切れないのだから。


 判断は師匠に任せるけれど、ここはやっぱり断るしか――


「マリア」

「――はい?」

「……………………えぇ…………?」


 なんて思っていたら、着替えを終えた師匠がまさかの提案をしてきた。

 そんなあっさり――いや、師匠がどれくらい真剣に思案したのかはわたしにはわからないし、半端にバレて探られるくらいならいっそ打ち明けるのもアリだとは思うけど……なんか素直に賛同できないなあ。


「…………まあ、師匠がそうしたいならそうすればいいんじゃないですか」

「怒ってる?」

「怒ってるというか……不安、でしょうか。魔術ちからがバレる度にいちいち話していたら、それを秘匿すべきわたしたちが逆に人々に広めることになっちゃいません?」

「僕だってさすがに話す相手くらいは選ぶよ」

「じゃあヴィスペルさんになら話してもいいと思える理由、ちゃんと言えます?」

「勘」


 うーん、不安しかない。


「……別に、秘密にしたいことがあるなら黙ったままでいいんだぞ? 私も無理に訊き出すつもりはないし」

「適度な距離を保てるならそれでもいいけど、一緒に行動して何も気づかれないのは無理だろうから。中途半端に知られて疑念や不和の元になるくらいなら、秘密を共有した方が互いのためになると僕は思う」

「まあ、間違っちゃいないな」


 ……でも、こうしてヴィスペルさんの言葉に即答できる辺り、やっぱりちゃんと考えているのかな?

 それに、彼女を説得してパーティを解散するのも難しそうだからなあ。無理についてくる――というか連れ回されそうな気もするし。その一方で、明かした秘密は守ってくれるだろうという信頼はそれなりにあるのが不思議だ。


 ほう、と大きな息を吐いてから、


「――わかりました。わたしも師匠の判断を支持します」

「ありがとう」


 魔術という未知の能力ちからの隠れ蓑として、規格外の強さを誇るヴィスペルさんは確かに適当だろうと、そう己を納得させたのだった。











「――魔術、ねえ」


 わたしたちに貸し与えられた屋敷の一室で、ヴィスペルさんに防音の魔法を施してもらいながら、魔術について話すこと数分。

 基礎的な内容を一通り聞き終えた彼女は、驚いているようなそうでないような、いつもとあまり変わらない様子で頷いた。


「正直、拍子抜けだな。想像していたより使い勝手が悪そうな能力ちからだ」

「……そう思う理由は?」

単純シンプルに、習得難易度の高さ。心一つで不可能を可能にする――なんて言えば便利に聞こえるが、それで願いが実現したヤツが現実にどれだけいる? 欲望や願望どころか、狂気さえ超えなければ辿り着けない領域にそうそう至ってたまるかよ」


 ……なんというか、強者の言葉だとわたしは思った。

 それは魔法やスキルなど、代替可能な別の分野で天賦の才を持っているから言えることだ。わたしや師匠の世界の住人のように、他に強くなる手段を持たない人間にとって、思いだけで力を得られることがどれほどの希望に――あるいは絶望になるか。きっと彼女には、理解はできても共感はできないだろう。


「しかしまあ、改めてよくわからんヤツだな。魔術師の使命とやらを異世界にまで持ち込むかねフツー」

「……以前にも話したけど、僕にはそれしかなかったんだよ。本当に、比喩でも冗談でもなく」

「両親にでも洗脳されてたと思いたいところだね。これが素なら、本物のイカレ野郎だ」


 フン、と鼻を鳴らしてヴィスペルさんはボロクソに言う。

 正直なところ、そう言いたくなる気持ちはちょっとわかる。自分の魔術おもいを見出した今のわたしだからこそ、『他人に言われたから』という強迫観念じみた理由で魔術師の使命を掲げていた師匠の異常さを強く感じる。


「自分がおかしいことは一応理解しているつもりだ。――だから遠慮なく、ヴィスペルに訊きたいんだけど」

「あん?」

「今の話を聞いて、これまでの人生で魔術に類すると思しき現象に遭遇したことはある?」


 ――ああ、なるほど。が本題か。


 魔術師を殺す魔術師たる師匠にとって、この世界に魔術が存在するか否かは自らの存在意義にすら関わる極めて重要なことだ。ともすれば以前のように、魔物の討伐などを避けて魔術ちからを隠すようになるかもしれない。


 問われたヴィスペルさんは数秒考えこんだ後、


「……まず最初に言っておくが、私には魔術とスキルの区別はつかない。よほど珍妙な能力ちからか、あるいは明らかに別種とわかる複数の能力ちからを使用するでもない限り、私を含めたほとんどの人間は違和感を抱くことすらない。リコーの『魔剣創造』って大嘘も、そうと知らなければ私だって騙されていただろうな」


 そう前置きしてから、


「その上で、これは何の根拠もないただの勘だが――それらしい相手と戦ったことがある」

「っ! それは、どこで――!?」

「『どこか』は問題じゃない。この場合、厄介なのは『誰が』の方だ」


 眉根にシワを寄せた彼女の表情は、見るからに苦々しい。

 ヴィスペルさんにそんな顔をさせる相手となると、王族とか貴族とか、もしくは過去の復讐相手とか――なんて思っていると、


「――だ」


 ……本当に、思わぬ答えが返ってきた。

 それは師匠にとっても同じようで、おそらくわたしも晒しているであろう呆気に取られた顔をしている。


「…………エルフ、って異種族の?」

「ああ。見た感じ相当ジジイで――エルフの寿命は知らないが、たぶん数千歳くらいじゃないか? 他のエルフ共とは明らかに目の色が違った」

「見たのは、その一例だけ?」

「まずエルフなんてそうそう出会う相手じゃないからな、年寄りともなればなおさらだ。……植物を操る能力ちからで、なんかブツブツ呟いてたのが引っかかったんだよな。それで耄碌しているのかと思えば、小賢しい立ち回りで上手く逃げおおせるし」

「なるほど……ありがとう、覚えておくよ」


 そう答えた師匠の心中がわからず、少し不安を覚える。

 ――異種族と呼ばれる、エルフにドワーフ、そして獣人はいずれも狭義の人間ヒューマンと友好的な関係とは言えない。その中でもエルフは、人間社会と最も接点が少ないにも関わらず『出会ったら殺せ』と言われるほどに恐れられている。下手に関わっていいことがあるとは思えない。


 そのことを師匠に忠告しようとする――直前、


「――じゃ、パーティとしての活動に異論もなくなったワケだし」


 両の手のひらを打ち鳴らしてわたしたちの注目を集めながら、ヴィスペルさんが言う。


「明日には発つつもりなら、さっさとやるべきことをやっておくか」

「やるべきこと?」

「決まってんだろ」



 不気味なくらい笑顔の彼女は、わたしたちを指差した。

 そして満面の笑みに青筋を立てて、




「――そのクソダセェ服を今すぐ脱げ」













 と、いうわけで。


「――あの、これ似合ってます?」

「いいじゃん、雰囲気出てる」

「雰囲気……?」


 衣装部屋に連れ込まれたわたしたちは、ヴィスペルさんの要望で新しい服を見繕うことになった。

 まあ選ぶのは彼女だし、費用も出してくれる――この場ではあくまで色味などを確認するだけで、後日わたしたちのサイズに合ったモノ特注オーダーメイドするらしい――って話だから、誰が損することもない。大人しく付き合うことに抵抗はなかった。


 ……けれど、渡された衣服にはちょっとギョッとした。

 形状的には以前とさほど変わらない、冒険者用の軽装とフード付きのローブ――なのだけど、全体的に。特にローブは、刺繍や装飾を除いて表側は全部白色だった。


 わたしは髪も黒いし、肌だって火傷の痕を除いても色白とは言い難い。お世辞にも似合うとは思えなかった。

 こうして実際に着てみても、鏡に写る姿に違和感を拭えない。オシャレのことはよくわからないけれど、少なからず人目を引く衣装だとは思う。


「あのなあ……」


 いい反応を見せないわたしに、ヴィスペルさんは嘆息しながら訴える。


「マリア、お前は人を救いたいんだろ?」

「はい」

「だったらよォ、の格好をしなきゃ疑われるだろうが。ガリガリに痩せた相手から施しを受ける気になるか? ボロボロの服を纏った相手からの救いの手を一切疑うことなく信じられるか?」

「それ、は――」

「本来、見ず知らずの他者を助けるってのは、それができるだけの余裕がある人間がやることなんだよ。途方もない財力だとか、圧倒的な武力だとか、そういうのを目で見てわかるようにしてやるのも救う相手への配慮の一つになる」

「……だから、ヴィスペルさんはそんな格好を?」

「もちろん」


 ものすごく嘘っぽいドヤ顔だった。

 とはいえ、彼女の言い分は確かに頷ける。人は見た目が全てではないけれど、一部であることには違いないのだから、見た目を疎かにすればその人の印象が悪くなるのは当然のことだ。


 ――けれど、


「……この火傷すがたで、今さら見た目に気を配る意味があります?」

「傷は威厳にもなる。取り繕うつもりがないなら、いっそ上手く使った方がいい」

「色は、他にないんですか? 真っ白っていうのは、ちょっと……」

「清廉を示すには手っ取り早いだろ。それに余計な色を足すと教会の連中に間違えられるぞ」

「……逆に胡散臭くありません?」

「うるせェ白が一番似合うんだから大人しく着ろ」


 キレられた。この人怖い。

 別にどうしても白が嫌ってことでもないし、用意してもらうんだからあまりワガママ言うのはやめておこう。……決して問答が面倒になりそうだから諦めたわけじゃない。


「――ヴィスペル、これでいい?」


 その時、着替えを終えた師匠が姿を現した。

 わたしよりずっと長い時間をかけて、彼女が選んだ師匠の服装――その姿は、


「う、わぁ……」

「くはっ――あっはははははは!! ひっ、ひーっ! にあっ、似合わねーっ!」


 黒色が大半を占める丈の長い、シャツにベストにジャケットにズボン――人によってはそれなりに様になりそうな装いが、けれど驚くほどに似合っていない。

 美形というわけでもなく、覇気もあまり感じられない表情に、低めの背丈も相まって精一杯カッコつけた子どもにしか見えない。わたしでも普通にダサいと思う。


「どんな感じ?」

「くひひっ……どう、どうって……は、ふはっ……!」

「……そんなに可笑しいなら着替えてこようか?」

「いや、悪い悪い……! 似合わないとは思ってたけど、想像以上だったモンで……!」

「それでも着せたってことは、何か確認したいことがあったんでしょ?」

「まあ、な。……やっぱ単色を主体にするのはダメか。グレーに寄せて、ネイビー、ブラウン、グリーン――どれがマシかって話になりそうだ……よし、次はこっちを着てくれ」


 そうして、師匠が何度も着せ替えられている間にわたしは採寸を済ませて。

 最終的に灰や黒に近い色味の青と緑でまとめて――それでもヴィスペルさんは不満そうで、


「……何を着ても似合わないヤツっているんだな」


 師匠の採寸をしている間、疲れたようにそう嘆息したのが印象深かった。











 ――翌日。

 わたしたちが、屋敷を発つ日の早朝。


「――――…………ぅ、ん?」


 奇妙な感覚と共に、目が覚めた。

 まぶた越しに光を浴びせられたような、遠くの爆音を耳にしたかのような、強いけど鈍い感覚。それが気になって身を起こすと、


「君も起きたか、マリア」

「…………し、しょう?」


 窓際に立つ師匠が声を投げてきた。

 その様に、わたしは驚いた。この時間に起きていたことじゃない。今までに見たことのない――何か恐ろしいものを見るような表情をしていたからだ。


 彼はすぐに、視線を窓の外に戻した。

 わたしも立ち上がってそちらへ向かい、師匠と同じ場所に視線を向ける――けれど、


「…………?」


 何もわからない。朝焼けの光が眩しいだけだ。

 首を傾げるわたしに、


「来なよ」


 それだけ言って、師匠は寝間着から着替えることもせずに部屋を出た。

 その後を追うと、屋敷の外にまで出て先程窓から見ていた場所へ向かっていく。草や土を踏みしめて歩いていく内に、ようやく師匠が見ていたものに気づいた。


「ひかり――」


 陽光に紛れてキラキラとした微かな輝きが宙を舞っている。

 そしてその中心には一人の人物がいて、


「――まさか」


 そして、奇妙な感覚の正体を知る。

 信じられない――ありえない――けれど、とも思ってしまう。


 さらに近づくと、事態をより鮮明に理解できるようになる。

 その輝きは、例えるなら極小の流星だ。それを生み出しているのは、いつものようにドレスを纏った、


「ああ、お前らちょうどよかった――」


 最強の冒険者――ヴィスペル・ヴィステリエム。

 互いの顔が見える距離まで近づくと、もう誤魔化すことはできない。全身から汗が噴き出し、知らず口角が吊り上がる。師匠の表情の理由がよくわかった。




 

 使




「――って、こんな感じでいいのか?」




 ――本物の天才バケモノだ、と。

 心の底から、そう思わされた。

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