第61話 復讐の終わり

 竜巻の槍――《トルネイダンス》。

 私がサーシャに協力する形で作り上げた、アイツの適化魔法フェイバリット


 この魔法を実戦で使うのはこれが初めてになる。

 大抵の適化魔法フェイバリットは、編み出した人間の能力の偏りが強く顕れる。持続時間が極めて長いとか、著しく射程が短いとか、そんな長所や欠点を基にして生まれた魔法なのだから、私のような何でもできる人間にとっては使い勝手が悪くて当たり前だ。


 例に漏れず《トルネイダンス》も、魔法の操作コントロール全般を苦手とするサーシャのために、雑に使っても威力を発揮するよう調整を施してある。おかげで高火力と広範囲を両立しながら応用力は皆無に等しく、私好みの魔法とは言い難い。

 五年か六年か、あるいはそれ以上の時を経て再び形にした魔法は、自分でも驚くほど淀みなく展開された。魔法自体がそれほど難しくない――あくまで私にとっては、だが――のもあるが、それでも発動までの過程プロセスに一切の失敗ミスが生じなかったことには我ながら驚いていた。


 顕現するは、螺旋を描く鎌鼬の大槍。

 回転する風の刃はあらゆるものを斬り裂き、鋭い尖端は強固な防護を掘削する。一切の敵を穿ち滅ぼさんとする、研ぎ澄まされた殺意の具現だ。


 二十の大槍でリコーの周囲を取り囲み、全方位から一斉に射出した。

 一発一発は耐えられるかもしれないが、それらが集中した多重の嵐の中ではリコーと言えど生きてはいられないはずだ。


 引き裂く能力ちからは連発できないし、光帯の方も多用しないのは何らかの制約か不安要素があるからだろう。それに後者は、来るとわかっていれば避けられないことはない。

 よって今のリコーに、まともな迎撃手段はないはず。まだ切り札を隠している可能性もあるが、そんな懸念に足を取られていてはいつまで経っても勝負の舞台に立つことなどできやしない。


 ……そんな重要な局面で、一度もまともに使ったことのない親友サーシャの魔法を選んだ、その事実に私自身が動揺を隠せない。

 その心の揺らぎが肉体や魔法に影響を及ぼすことはない。だというのに、他の有用な魔法を差し置いて《トルネイダンス》を選ぶほどの情念を抱えていたというのは、自分が理性的なのか感情的なのかわからなくなる。


 リコーを相手にするまで、戦闘中に感情で判断を違えることはなかった。殺すべき敵を殺し、護るべき者を護り、世界に唾吐くゴミクズ共を徹底的に躾ける――全て自らの意志に従って、その目的を果たしてきた。

 ……おそらくだけど、『殺すべき』という使命感が頭を冷やし、『殺したい』という情動が心を熱くする。自己満足の復讐を掲げる今の私は後者の思いがより強く、それ故に感情が理性を上回る――の、かもしれない。


 どうあれ、結論から言ってしまえば――――


「は――そりゃそうだよな」




 ――――私は、判断を誤った。




 嵐を突き破って、現れる影がある。

 リコーだ。ヤツは身を低くして、身体全体で落ちるように走る。そして渦巻く刃の薄いところを正確に選び、暴風によって体表を浅く斬り刻まれながら、その只中から抜け出た。


 黒い瞳に、迷いの色はない。

 その目を見て、私は全てを理解した。……いいや、理解させられたというか――もっと早く気づくべきだった。


 

 何を驚くこともない――私でさえ手を焼く相手に、あの弱っちい親友が適化魔法フェイバリットを温存したまま戦うはずがないのだから。


 全身から血を流し、しかし掲げた腕で急所だけは的確に防御しながら、リコーは苦難を脱した。

 ――一も二もなく離脱するというヤツの行動は、この魔法を凌ぐものとして最適解と言えた。逃げ道を暴風域に覆い尽くされるより早く駆け抜けるという、言葉にすれば実に単純シンプルな解決策だが、一瞬の遅れが四肢や命を奪ってもおかしくない程度には危険もあった。


 断たれた右の腕と脚を再生しながら、迫る相手を真っ向から見据える。

 抵抗は試みる。だがその心は、すでにすっかり冷めてしまっていた。


「ああ、クソ――」


 魔素溜まりダンジョンに置き去りにしたあの日から、リコーの動きは変わった。

 それまでは不意打ちや横槍などの不測の事態にも即応できるよう、疾走でも剣戟でも体勢を大きく崩さずにいた。それは例えるなら、短距離走の速さを競う場で転倒を避けるために長距離の走り方をするようなものだ。大コケのリスクは減るが、それで勝てるのはよほど実力差のある相手だけだろう。


 それに比べて今のヤツは、短期決戦に適した動きをしている。

 動きの一つ一つに全身を連動させているため、バランスを崩しやすく、不意打ちへの対処も困難になり、手傷を負うリスクは高まった。だがそれと引き換えに、肉体や精神のリソースを眼前の敵に集中することで、力と速さが爆発的に上昇している。……もしヤツの動きが変わっていなければ、さっきの格闘戦の時点で私が勝利していた可能性が高い。


 要するに、今のリコーを捌くのは私でも骨が折れる。

 ――心が折れれば、なおさらだ。


「ごめんなあ」


 剣閃に魔法で迎撃する最中、自然と謝罪の言葉が口から漏れていた。

 リコーを殺せなかったこと――その意志がブレてしまったこと。これは私がヤツを殺し損ねた日と同じ、に他ならない。


 ヤツを殺すために、私の理性は働かなかった。

 感情によって生じた無駄な一手は、ヤツに届かなかった。

 ――そして、そのことに安堵している自分がいた。


 もはや認めるしかないだろう。

 私にはリコーを殺せない――殺したくない。情に絆されたせいか、それとも最初から破綻していたのかはわからないが、結果としてかつての親友より今の仲間を優先したということになる。


 マリアにも言ったが、リコーを殺してサーシャが喜ぶなんて微塵も思っていない。むしろ私の知るアイツなら、つまらない真似をするなと怒りを顕わにするだろう。友人が自分の復讐に奔走するのを喜ぶような、そんな程度の低い人間じゃない。

 だからこの復讐で示せるのは、私からサーシャへの一方的な友情だけ。道理を無視してでもアイツの仇を討つことで、この怒りや悲しみが真実であると証明したかった。……思えば私らしくもない、幼稚な示威行為だ。


 逸る心が静まってしまえば、もうこの戦闘に意味は見出せない。馬鹿なことをしたと反省しつつ、リコーには悪いがいい経験をしたとも思っている。

 ――そのケジメとして、私から降参を訴えることはしない。抵抗の手を緩めることもない。リコーの命を奪おうとした始めた戦いなら、私の命で幕を引くのが筋だろう。……もちろん私は死にたくないし、リコーだって殺したくはないだろうけど、だからって命を張らずに一方的に終わらせるのは私のプライドが許さなかった。


 砂の巨腕の連撃、輝く粉塵の爆発、聞こえざる音の衝撃――そのいずれをも、ヤツは奇怪な剣で薙ぎ払う。これも例の引き裂く能力ちからによるものだと考えられるが、範囲や威力の問題なのか剣に纏わせる形ならある程度は連発できるようだ。

 炎も、水も、風も、土も、雷も、この近距離では発動した直後を潰される。リコーと魔法主体で戦うなら、徹底して距離を保つか自分を巻き込む覚悟で遠隔発動する必要があるだろう。


 どうあれ、ヤツの刃は私に届く。

 手加減する余裕を与えない程度には真面目に戦っているつもりだ。リコーにその気があれば、私はあっさりと殺されてしまう。ヤツがそうすべきだと判断したなら、私はそれを甘んじて受け入れよう。


 掲げた腕も、防御の魔法も諸共に断たれた末に、その剣は私の首に触れ――




「――僕の勝ち、でいいよね」




「お前は、さあ……本当に、どうなってんだよ」


 ――それで、終わった。

 今まで散々私の身体や魔法を引き裂いていたのが嘘のように、その一閃は首の皮一枚すら断つことなく止まった。まるで斬撃の威力が一瞬で消え失せたかのように、私の首には傷も痛みも、衝撃すら感じなかった。


 原理はまたしても意味不明だが、リコーが私を生かそうとするのは読めていたことだ。

 やっぱりこうなったか――と、胸に湧き上がる感情は安堵ではなく落胆だ。だというのに、無意識の内に落とされた腕を再生しているのだから、もはや自分が生きたいのか死にたいのかさえわからない。


 ――ああまったく、みっともない。

 散々空回りしておいて――その上、さらに無様を晒そうとしている。


「…………なあ」


 地面にへたり込み、仰向けに倒れる。お気に入りのドレスは戦闘の余波ですでにボロボロだ、いまさら汚れるのを構いはしない。

 山の向こうから、うっすらと光が見える。遥か遠くの地平線から太陽が顔を出したんだろう。夜は明けようとしているのに、私の心に未だ光は差さない。


「なに?」

「なんで、私を殺さないんだ」

「ヴィスペルの言葉で言うなら、『殺したくなかったから』かな」

「だったら、なんで――サーシャは、殺したんだ」


 こんなこと、訊いてどうなるわけでもないのに。

 理由を聞いて、納得できるはずもないのに。

 そしてどれほど憤慨したとて、仇を討つこともできないのに。


「……無用な人殺しは好まないけれど、こちらの生命いのちを脅かそうとする敵に容赦するほど甘くはないつもりだ」

「ハ――私は、違うのかよ」

「違うよ。……そう判断しているのが理性なのか感情なのか本能なのか、それは僕自身にもわからないけれど」


 ――ほら、やっぱり納得できない。


 言い分は理解できるし、私も同じ状況なら同じことをするだろう。……だけど私の感情は、それを良しとしたくない。

 だって認めてしまえば、サーシャが殺されて仕方のない人間だったことになる。そんなことは口が裂けても言えない――言いたくない。


「……お前は、アイツのことを何も知らないんだ」


 ――復讐という行為は、本質的にだ。

 復讐を果たしてスカッとした経験は私にもある。けれどそれは結局のところ、尊厳だの面目だの風聞だのと、後からいくらでも取り返せる程度の軽微な被害だから言えることだ。失ったもの、奪われたもの、踏み躙られたものが大きく取り返しのつかないものであればあるほど、復讐の後には虚無感しか残らない。


 だから復讐に意味はない、なんて言うつもりは微塵もない。

 ――復讐それさえ果たせない人間は、こうして情けなく嘆くことしかできないのだから。


「サーシャは……」


 鍛錬に付き合ってやったこと。

 身だしなみに興味のないアイツのために服を見繕ったこと。

 食堂で嫌いな料理を押し付け合ったこと。


「アイツは、なあ――」


 どれもこれも、ありふれた日常だった。

 他人に語るほどの内容もない、ただ居心地がいいだけの安寧だった。

 サーシャのことで思い出すのは、そんなくだらない時間ばかりだ。


 ……アイツは、忠誠を誓う相手を間違えた。

 あんな王女ガキ、さっさと見限るべきだった。後ろ暗い策謀なんかに関わるべきじゃなかった。

 だって、本当のサーシャは――




「――いいヤツ、なんだよ……」




 そう、言わずにはいられなかった。


 朝日の眩さから、腕で目元を覆い隠す。

 ――その下から、熱い液体が溢れ出て止まらなかった。

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