第60話 死闘に眩む
スキル『魔法蒐集』。
その権能を簡潔に例えるのであれば――料理のレシピ本、といったところだろうか。
他者の魔法をスキルの所有者自身が直接、見るなり聞くなり受けるなりして知覚することで記録できる
あまり知られていないことだが、記録の際には魔法に個別の名称をつける必要がある。そのためヴィスペルは、他人がすでに名前をつけてある
記録した魔法は書物のページにその発動手順が記載され、ページに触れることでその魔法の知覚を思い出すことができる。
記録可能な魔法の数に上限はなく、望む魔法を自動で検索することもできるが、魔法を記録することと扱えることはイコールではない。発動手順が判明したとて、それを体現するのは結局のところ本人の才能だ。レシピ本は調理を補助するためのものであり、調理そのものを代行してはくれないのだから。
――だからこそ、『魔法蒐集』というスキルは恐ろしい。
この再現は威力や範囲、燃費などのあらゆる要素に適用され、一切の調整を許さない。味方を巻き込むから軌道を変えようとか、防御を破るために威力を上げようとか、そういうことはどんな手段を以てしても叶わない。
であれば汎用性に乏しいのかといえば、決してそんなことはない。要は同じ魔法の別パターンを、別の魔法として、別の名前で記録してしまえばいいのだ。レシピ本がレシピ通りの分量でレシピ通りの人数分の料理しか作れないなら、同じ料理を一人前から百人前まで、材料や調味料の分量を変えたものまで、全てレシピ本に記載してしまえばいい――という、ある種の力技だ。
このスキルは、特に人間相手に強い効力を発揮する。
魔法が強さが戦闘能力に直結するこの世界において、強者とは強い魔法を使える者とほぼ同義だ。相手が魔法を使えば使うだけ、『魔法蒐集』はそれを記録してそっくりそのまま再現できる――それがどれほどの脅威か、わからない者はいないだろう。
とはいえ、だ。当然のことながら、『魔法蒐集』にも弱点はある。
最大の懸念はやはり、魔法の多用による魔力切れだろう。これはスキルではなく、当人の保有する魔力量に関係する問題だ。また強力なスキルであるが故にそれに頼りがちで、スキルの一部である本を破壊してスキルそのものを封じてしまえば無力化できる可能性も高い。……要はスキルを正面から攻略するのではなく、スキルの持ち主が抱える弱点を攻めてしまえばいいという話だ。
――だからこそ、ヴィスペル・サニー・ヴィステリエムという人物は恐ろしい。
他者が編み出した独自の魔法を、より洗練させ、より効率化し、より高速化する――それを己の才能一つで成し遂げてしまう。であれば、融通の利かない
また、記録された発動手順を覚えてしまえばスキルを行使する必要もない。彼女は有用と判断した数十の魔法を自力で習得し、それ以外の魔法を思い出す時のみスキルに頼る。故に彼女は本気じゃない時ほどスキルを多用する傾向があった。
魔力の量も、常人の数十倍――戦闘を生業とし魔法を得意とする兵士や冒険者と比較しても数倍を誇る。
運動神経も高く体術や武器術も一通り修め、注意力や洞察力にも優れ頭も回る。個の戦闘能力、その総合値において彼女を上回る
それは勇者にして魔術師である、芦原とて例外ではない。
彼の操る
そうでなくとも芦原は扱える魔術の数が極端に少なく、総合力や汎用性においては優秀な人材とは言い難い。手札の数、戦術の豊富さ、状況への対応力という点では、どう足掻いても芦原はヴィスペルに敵わない。
――故に、彼の勝機は限られている。
彼女に勝る数少ない
ルール無用の真剣勝負。
その本領が発揮されたことで、戦いはすでに混迷を極めていた。
「――《ビットステア》!」
幾度目になろうかという魔法の行使。
その力は平原の広域に及ぶ。隆起し、亀裂が走り、見るも無残に荒らされた大地を再び操作する。
振動する地面から、巨大な氷柱のような形状の、硬質化した土の塊が飛び出した。
それは芦原に向かって伸びていくが、大地震にも匹敵する揺れの中で彼は巧みに回避する。揺れの影響で速度は落ち、感覚も鈍っているものの、回避に際し特に苦しげな様子はない。
――それがどれほど異常なことか、真に理解できるのはヴィスペルだけだろう。
彼女の行使する魔法は地面を揺らして土の棘を生み出すと同時、地面を
要は足場が常に動くため不安定になりやすく、特に走行や跳躍の際に足が着地するタイミングが狂えば致命の隙を晒しやすい。ほんの数センチの段差ですら、意識していなければ足を踏み外すものだから。
その中を、少年は駆ける。慣れているとでも言わんばかりに。
五感や肉体に干渉し、それを狂わせる魔術師はそう珍しくない。彼が過去に敵対した相手には、無限に落下する感覚を与えてくる魔術師もいた。それを食らってなお機動戦を制した芦原にしてみれば、物理的な振動や悪路などは対応できる範疇でしかない。
そうして障害を掻い潜り相手に迫る芦原だが、そんな彼にも避けられない攻撃はある。
即ち、圧倒的な広範囲攻撃。平時でも回避が困難な攻撃をこの状況で避けられるはずもなく、隆起した土塊が圧倒的な物量を伴って彼を押し潰さんと全方位から迫る。
「ふッ――」
故に、彼は躊躇いなく魔術を行使する。
七支刀を振り下ろすと、ヴィスペルの操作する大地が一直線に割かれた。
足元にまで伸びる地割れから、女は跳んで遠ざかる。地面を操る魔法が解かれた状況で、芦原が真正面から迫っていた。
実在する物体を操る魔法は、一時的にでも無から有を生み出す魔法と比較して、魔力の消費量こそ少ないが魔法そのものの難易度は高い。地形を変えることに高い適性を持つ芦原の魔術は、広域に及ぶ分だけ強度が甘くなっていたヴィスペルの支配を断ち切っていた。
だが、大規模な魔法を破られた程度で彼女が不利になることはない。
「《ビッグフィッシュ》――」
冷静に、淡々と、次の魔法を発動する。
告げられた魔法の名を、すでに彼は知っている。弾幕を展開されるより早く、敵の喉元に得物を突きつけようと身を低くして走る――が、
「っ!?」
視界に映る
闇夜の中で一層輝く粉塵――その魔法を、彼はその身で味わったことがある。
「――なんてな」
宙を舞う輝きが、一斉に爆発した。
密集した極小の爆弾による多重の衝撃は、指向性を与えずとも全方位に多大な破壊力を振り撒く。こちらへの接近を試みる敵に対して、中距離で迎撃するのに適した魔法だ。
ヴィスペルが必要もないのに魔法の名前を口にしているのは、相手を騙すため。強者としての余裕や慢心ではないし、その圧倒的な強さ故にこうした小賢しい小細工が相手の不意を突くこともある。
――だからこそ、彼女は顔を顰めた。二度は通じないであろうこの一手で、倒すまでは至らずともせめて手傷を負わせるなり体力を削るなりしたかったところだが、
「無駄撃ちか……!」
「そうでもないよ」
少年は魔術によって爆発を断ち、その延長線上である女の眼前に現れた。殺傷能力を失った得物を消して身軽になると同時に拳を放つ。
またしても至近距離での戦いになるが、今度も格闘戦に応じてやる義理は彼女にない。彼自身が認めた通り、魔術を使わせたことで
よって、ヴィスペルは遊びに走らない。
後退して距離を取った上で、即興で魔法を編み上げた。それは洗練を度外視して威力と範囲と速度を高めた、火炎の瀑布として芦原に迫る。
荒削りであるが故に剥き出しの殺意を感じさせる魔法を前に、彼は動じた様子もなく対応策を思案する。
半秒にも満たない時間を経て、彼もまた隠し札を切ることを決意した。
「【二十重の縛め】」
不得手な封印術で敵手を縛る。口に出すのは、魔術の発動に必要な集中力を得るため。
空間ごと拘束する魔術に対し、自らの放つ炎の影響もあって、ヴィスペルは知覚するのが一瞬だけ遅れた。その一瞬で、二十の光帯が彼女の周囲に巻きつき、
「ンな
魔法の発動が封じられ、紅蓮の大火は掻き消えた。
滞留する熱の残滓を突き破った芦原は、囚われた状態で瞠目するヴィスペル目がけて横薙ぎに刀を振るう。
自身の魔術をも妨げてしまう拘束を、七支刀が触れる直前で解除する。
すでに速度の乗った剣閃に対し、拘束が解かれた直後とあっては、並の相手では反応すらできないだろう――が、
「かははッ――!」
笑うヴィスペルは身を後ろに低く倒すことで、胴体狙いの一撃を下に避けた。
封印術の解除と同時に一瞬で身体強化の魔法を行使できる反射神経、そして最大の武器が封じられた状態でも動揺せずに活路を見出すことができる強靭な精神力があってこそ可能な真似だ。
地面に着きそうなほどに傾いた身体を二本の足で支えながら、彼女は応戦する。
刀を振り抜いた芦原を指差した。魔力の高まりを感じ取り、そこから放たれるであろう魔法に意識を集中させる少年に向けて、
「っ、ぐ――!?」
放ったのは、強烈な閃光。
殺傷能力の一切ないただの目眩ましは、けれど夜闇の中では平時よりも高い効果を発揮する。開いた瞳孔に大量の光を浴びた少年は、その刺激に耐えられず身を折った。
……実のところ、目眩ましという手は芦原も最初から警戒していた。
視覚や聴覚への攻撃は、単純な痛みと違って精神力だけで耐えられるようなものじゃない。肉体の反射として無防備な姿を晒してしまうため、食らえば彼でも窮地に陥る。
それを理解して、常に頭の隅にその選択肢を置いておきながら、しかし防ぐことは叶わなかった。目眩ましの対策として視線や注意を逸らしながら戦えるほど、ヴィスペルは御し易い相手ではない。
――だが防御は間に合わずとも、その後の対応において彼の警戒は無駄じゃない。
「ゥォらァッ――!」
ヴィスペルが魔法を放つ。
派手さのない、堅実な射撃。確実に急所を射抜くため、速度と精密性に偏重した弾丸。それを五発、頭から胴にかけて正中線近くへ目がけて撃ち放った。
防御も回避も覚束ない敵を、確実に仕留めるための魔法。
それはやはり、並の相手であれば殺すに足る一撃だったが、
「っ、あああ――!!」
「――ち、ィッ!?」
視界を焼かれた少年は即座に、前に出した左足の先から断裂の力を行使する。
視覚以外の感覚と豊富な戦闘経験に基づく勘から、大雑把に敵の行動を予測しそれを迎撃するために。
断裂は四射を呑み込み、さらにヴィスペルの右腕と右脚を引き裂いた。
だが落とされずに済んだ一発が、魔術の余波で僅かに軌道が変わりながらも、無防備な芦原の脇腹を貫いた。内臓が破れ、傷口と口の端から血が流れる。
「「――――ッ!!」」
お互いに、負傷の度合いは軽くない。
それでもどちらが有利かと問われれば、やはり回復手段を有するヴィスペルだろう。特に長期戦において、失血のリスクを回避できるのは大きい。このまま戦いを引き延ばすだけで、敵は自然と消耗していくだろう。
――だが、今の彼女はそういう気分じゃなかった。
自分の手で復讐を果たすことを望むヴィスペルに、初めて芦原が深手を負ったこの好機を逃すつもりはない。
芦原もまた、回復しつつある視覚でヴィスペルの負傷を把握した。攻め時を察知したのか、あるいは守りに入れば不利になると判断したのか、自身の傷を顧みることなく追撃に動く。
しかし今の彼は、断裂の魔術の
そんな少年を討つために、数多の選択肢の中から女が選んだ魔法は――
「――――《トルネイダンス》ッッッ!!!」
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