第59話 私闘に笑う

 闇夜の決戦。

 その舞台は芦原とヴィスペル、双方にとって十分に力を発揮できるものだった。


 なだらかで見晴らしのいい平野は、障害となるものがなく潜伏や攪乱に不向きな地形だ。そしてあらゆる手札まほうを有するヴィスペルはともかく、搦め手の選択肢が多くない芦原にとって、真っ向からの力比べができるこの場所が戦いやすいのは間違いないだろう。

 夜という時間も、これまた魔法による多角的な感覚器センサーを持つヴィスペルはもちろん、芦原にとっても慣れ親しんだ戦場だ。日本こきょうにおいて魔術師が暗躍する時間は人目の減る夜であることが多く、さすがに電灯や照明などによる明るさの違いはあるものの、暗闇の中での対人戦は幾度となく経験している。


 ――故に、至近での戦闘に何の支障もない。


「ふッ――!」

「――らァッ!」


 剣の間合いから始まった戦闘は、すでに拳の間合いに移行している。


 顔面狙いの芦原の拳を、ヴィスペルが弾く。

 ヴィスペルが腕を掴もうとして、芦原が咄嗟に回避する。

 お互いがお互いの一挙手一投足に注目しながら、次の動きを読んで先手を取ろうと攻撃する。


 魔術と魔法、それぞれ異なる方法で自身を強化する彼らにとって、悪視界での格闘戦は平時のそれとそう変わるものではない。

 故に顕在化するのは武力の差――つまりは肉体ちから武術わざの差だ。リーチで勝る芦原は我流故にクセは大きいが次の動きがわかりづらく、膂力と速度で上回るヴィスペルはスタンダードな拳術で隙は小さいが流れを読まれやすい。


 この格闘戦の均衡が崩れるとしたら、ヴィスペルが芦原の格闘術を読み切った時だろう。そうなれば、後は彼女の独壇場だ。

 故に芦原は、どこかでこの状況を打開せねばならず――しかしこの敵手を出し抜くことがいかに困難かを理解しているから、迂闊には動けない。格闘戦を繰り広げているからこそ、劣勢を覆すにはそれ以外の手札を切る必要がある。


 そして、この状況を作り上げたヴィスペルは芦原の一撃を警戒する。

 彼の魔術ちからがある程度の溜めチャージを必要とするものであることを、魔素溜まりダンジョン攻略を共にする中で気づいていた。故にその初撃さえ凌ぎ、カウンターで大規模な魔法を放てば、芦原に対処の術はない――と、そう考えるのは自然なことだった。


 お互いがお互いの懐に入り込み、致命の一撃を繰り出す機会を窺うこの状況。

 ――だからこそ、刺さる一手がある。


「っ、こいつ……!」


 ヴィスペルが瞠目する。

 押されている。それも次の動きを読めるようになりつつあるにも関わらず、だ。


 少年の拳が、女の頬を掠めた。

 拳速が増したわけじゃない。視線、ステップ、身体の捻り、呼吸――そうした一つ一つの小さな動作がワンテンポずつだが早くなっている。そのほんの少しの変化によってヴィスペルは芦原の攻撃を捌けなくなり、戦況は傾きつつあった。


 そして彼の動きが変化した理由を、彼女は正しく理解している。


「正気か……!?」


 芦原は、

 敵の魔術ちからを警戒するが故に、多少なりと注意が散漫になっているヴィスペル。対して芦原はこの攻防のみに集中することで、攻撃と読みの精度を上げている。


 ――自殺行為だ、と女は思う。

 確かにそうすれば拮抗は破れるが、一つのことに集中すれば必然的にそれ以外への対処が遅れる。この至近距離で彼女が魔法を行使すれば、一瞬の反応の遅れが命取りになるのは言うまでもないだろう。


 意図が読めない。

 本当に格闘戦で決着をつけるつもりなのか、それとも何か企みがあってこちらの動きを誘っているのか――ヴィスペルが悩む間にも形勢は傾いていく。


 いつもの彼女なら罠だろうと何だろうと勇んで踏み抜きにいくところだが、それを躊躇う程度には芦原を警戒していた。

 彼の魔術ちからには謎が多い。その全容を把握できていない以上、些細なミスが致命の一撃につながる。もちろん芦原にヴィスペルを殺す気はないが、正々堂々の勝負を望む彼女はそこまで追い込まれた時点で潔く負けを認めることだろう。


 ……だが、このままではジリ貧だ。

 ヴィスペルも格闘戦の精度を高めることはできるが、それだと今度は彼女が相手の不意打ちに対応しづらくなる。であればやはり、こちらから仕掛けるべきだろうと彼女は判断する。


 ――そして、確実に敵を仕留めるためのを用意する。


「ぐ、うっ……!」


 度重なる猛攻を受け続けたことで、ダメージを蓄積された腕が悲鳴を上げる。ある程度の衝撃なら技量で受け流せるが、それでも完全に威力を殺すことはできない。

 回復するのは容易だが、ここで魔法を使えば芦原を再び警戒させる。そうして振り出しに戻してしまえば、相手の動きに慣れつつある彼女がまた優位に立てるのだが、ダラダラと戦いを引き延ばして勝ちを拾うことをヴィスペルは嫌った。今この時、そういう気分じゃなかった――というだけの理由で。


 ヴィスペルの身が崩れ落ちる。

 ――否、自ら屈んだのだ。そして同時、徒手の応酬だったこの格闘戦で初めての蹴りを、足払いを放つ。


 それは芦原の意表を突くには至らず、冷静に跳んで対処する。

 数瞬、低く宙を舞う少年は思考する。ただでさえ小柄な相手が身を低くしたことで、拳を用いた打撃戦は厳しくなった。逆にこちらも蹴りを当てやすくはなるが、捕まって組み技に持ち込まれてしまえば彼に逃れる術はない。


 ヴィスペルの動きを窺いながら、次の手を模索する芦原。

 ――その視界に、ほんの僅かな翳りが生まれた。


「っ!?」


 顔を上げた少年は、地上に降り注ぐ微かな月光と星光とを遮る物体を目にする。


 それは、――ヴィスペルのスキル『魔法蒐集』に付随する、数多の魔法が記録された大判の書物だった。

 この本は並の防具程度の強度を有し、スキルの所有者の意思によって自在に動かせる。本が破壊されると時間経過で修復するまでスキルが使えない、という欠点はあるものの、ないに等しいようなものだ。


 つまりは、変則的な飛び道具として扱えるということ。

 ヴィスペルは身を低くして視線や意識を下方に惹きつけながら、芦原の頭上に本を出現させた。蒐集した魔法の行使は魔力で感知されてしまうが、本を操るだけならその恐れもない。


 それでも僅かな視界の変化で気づく辺り、彼女にとっても芦原は油断できない相手ではある。

 高速で落下するそれを、少年は頭上に掲げた両腕で防ぐ。本を出現させた位置が遠かったために防御の暇を与えてしまったが、逆に近すぎても速度を出し切れず威力が乗らなかっただろう。


 空中で食らった攻撃の威力を受け止めるために、着地した芦原の両足がコンマ数秒だけ縫い止められる。

 その隙を狙って、ヴィスペルはすでに魔力を滾らせている。頭の中で望む魔法を思い描き、それを実現するための手順を体内で構築する。骨や筋肉、血管や神経を通して魔力を加工するような感覚をイメージして、


「――《イラプトフューリー》!!」


 大山の噴火の如きマグマの奔流として、己が力を撃ち放った。

 彼女が蒐集した魔法の中でも最高クラスの火力を誇るその一撃は、芦原の全身を焼き尽くしてあまりあるほどの広範囲に及ぶ。万が一にも逃げられることのないように。


 マグマが少年を呑み込む寸前、女は目撃する。

 彼の右手に、いつの間にか七支刀が握られている。両腕で本を受け止めているため、手にした得物を振ることはできないはずだが、それでも油断なく敵手に対応しようとして、


「――はぁ!?」


 けれど直後、三つのことが同時に生じて彼女は困惑する。


 一つは、芦原の姿が消えたこと。瞬きの暇すらない刹那の間に、まるで初めからそこにいなかったかのように、彼の存在は消失していた。

 一つは、芦原が立っていた場所を起点に、地面に亀裂が走ったこと。それは浅く小さな断裂だが、その線上にあったヴィスペルの左足にも被害が及んでいる。

 そして最後の一つは、彼女の背後――左後方の至近に人の気配を感じること。今まで無だった空間から生まれた、空気の揺れや風を切る音から、その人物が突如としてそこに現れたのは明白だった。


 何が起きたのか、この一瞬で理解するのは難しい。難しいが、それでも彼女の身体は正確に反射する。

 理屈を考えるより早く右足を後ろに引き、瞬時に体勢を整えた上で負傷した左足で後ろ回し蹴りを放つ。感覚と経験を元にした勘の一撃は、咄嗟とは思えないほど正確な軌道を描き、


「しッ――!」

「――お、っと」


 背後から迫る芦原の拳を弾いた。

 身を回す勢いのまま片足で地を蹴り、相手と距離を取る。当然彼も追ってくるが、


「《ビッグフィッシュ》」


 ヴィスペルの展開した、魚群の如き弾幕がそれを妨げる。

 あらゆるものを引き裂き、その延長線上に瞬間移動テレポートする魔術ちから――脅威ではあるが、連発できないとわかれば対処法はある。要は初撃を防ぐなり避けるなりさせた上で、二撃目を当てればいいだけの話だ。


 彼女の操る弾数重視の魔法なら、難しくはあるが不可能ではない。

 彼もそれを理解して足を止めた。やみくもに突っ込んで勝てる相手じゃないとわかっているから。


 しばしの仕切り直しの時間、弾幕が敵の侵入を防ぐ中で、女は大きく息を吐く。

 左足を魔法で治癒しながら、彼女は顔を顰めた。傷は浅く戦闘には何の支障もないが、お気に入りのシューズが裂けたことがひどく気に食わなかった。……好きな服を纏って戦いたいが、好きな服が傷つくのは腹立たしいという、難儀な葛藤ジレンマを抱えていた。


「どんな衣服でも修繕できる魔法がありゃいいんだけどなあ……」


 魔法を極めたと言っても過言ではないヴィスペルだからこそ、魔法が万能でないことはよく知っている。

 縫製の魔法は確かにある。だがそれはあくまで、裁縫道具を魔法に置き換えただけのものでしかない。つまりは針仕事の知識と技術がなければ十全には扱えないということで、それは鍛冶でも建築でも、何なら戦闘にだって同じことが言える。


「――おい、リコー」

「なに?」


 破れた靴を見ていた女が、敵に声をかける。

 ……フェアじゃないと思った。相手を殺す気のない今の芦原では、彼女の親友を殺した少年と同一人物とは言えないだろうから。


「私は脳と心臓が繋がってさえいれば、魔法で肉体を再生できる。四肢を落とすくらいは好きにしてくれていい」

「……それ、人間にできていいことじゃなくない?」

「あくまで魔力と体力が保つ限りの話だし、欠損部分の傷が塞がっちまうともう再生できないって条件もあるが――まあ確かに人間離れした真似ではあるな」


 彼女は自身が抜きん出て強いことをよく理解している。だから他の人間が自分より遥かに劣る強さしか持たずとも、そのことに不満や不甲斐なさを覚えたりはしないし、それを理由に他者を見下すようなこともない。

 それでも彼女には、自分と他人とが『違う』ものであるという認識があった。生物学的には間違いなく人間でありながら、ありとあらゆる才覚があまりに秀でているがために、自他共に互いが互いを別種の生物だと誤認してしまうほどだ。それは彼女の親友であっても例外ではなかった。


 だから、なのだろうか――


「それじゃあ――」


 ――初めて、と出会ったと思った。


「――遠慮なく」


 芦原の振るう横薙ぎの一撃。

 咄嗟に跳び上がって回避したヴィスペルは、自身の展開した弾幕がまとめて断裂に呑み込まれるのを知覚した。


「かははっ――――バケモノめ!」


 自分を棚に上げて、僅かな喜悦を滲ませて彼女は笑う。

 女がそう評したのは、たった一刀で魔法を迎撃されたからじゃない。その一刀の直後の隙を狙われていると知りながら、躊躇なく己が隙を晒すその豪胆さ故だ。


 望み通りに再度弾幕を展開し、雨のような密度でそれを降らせる。

 芦原はその中を巧みに掻い潜り、時折刀を振るって一発か二発程度を斬り伏せる。迎撃を必要最低限に留めているのは、本当の窮地に追い込まれた時のために力を温存しておくためだ。


 弾幕の一発を操作コントロールしてあらぬ方向から少年を叩こうとしても、寸前で回避される。

 それは彼の感知能力や体捌きよりも、彼女が扱う魔法の特性そのものに原因があった。


 彼女も愛用するこの魔法は、弾を散らして広範囲を一掃するか、あるいは集中させて一点を突破するかを自由に選べる。なおかつ一発一発の軌道を自在に操作することで、着弾直前まで攻撃の意図を読ませないという芸当も可能だ。

 ――だからこそ、巨体の魔物ならともかく、個人を相手に狭い範囲に密集させることは本来想定していない。何よりの難題は、弾幕で囲う敵を知覚する手段がないことだ。光も、音も、振動も、魔力も、こちらの放つ弾幕それ自体が文字通りの幕となって敵を覆い隠してしまう。


 もちろん只人が相手であれば、そんな弱点とも呼べない弱点が露呈する間もなく滅ぼされることだろう。ヴィスペルも、元の魔法の持ち主でさえも気づかない欠点を突きつけられたのは、それだけ芦原の実力が卓越して、なおかつ型に嵌まらないものである証拠だ。


「あァ――」


 この瞬間、ヴィスペルは間違いなく愉悦を感じていた。


 彼女は戦いそのものに喜びを見出さない。武の競い合いとか、命を懸けた死闘とか、そういうものには興味もない。ただ『嫌いな勝ち方』と『得意な戦い方』があるだけだ。

 だが、鍛錬や模擬戦を通して成長する他者を見るのはそれなりに好きだった。それは例えるなら、初めて意味ある言葉を発した幼子を可愛がるようなものだろう。そこには間違いなく好感情があるが、対等の存在に向けられるものではない。


 彼は違う――違っている・・・・・

 彼女と同じ、人間でありながらその枠に収まらない異分子だ。全く似てはいないが、ある意味で同じ存在なのだ。そしてそれ故に、彼女と対等になれるかもしれない人間なのだ。


 同種を前に心躍る自分を冷静に鑑みて、女は呟く。


「――最低だ」


 復讐心と仲間意識とを、秤にかけながら。

 唄うような響きと共に、ヴィスペルは次の魔法を繰り出すのだった。

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