第58話 復讐者は語らず
ヴィステリエム侯爵邸にお邪魔して数日。
屋敷から少し離れた平原で、模擬戦闘という形で師匠に初めてわたしの
「――うん、いい魔術だ。安定もしている」
「っ……どうも」
その結果、完膚なきまでに捻じ伏せられた。
……同じ土俵に立ったからこそ、改めて思い知らされる。魔術も、そしてそれ以外も、わたしと師匠ではあまりに格が違う。大人と赤子が力比べするようなものだ。
何せこの人、炎に全く動じない。全力で来いと言われたから、望み通り初手で師匠の死角から直接その身を燃やしたというのに、一瞬で距離を詰められた上に秒で制圧された。……そして、さすがに殺傷能力が高すぎるからと訓練で直接相手を燃やすのは禁止された。
それから数戦、魔術の使い方を確かめながら指導を受け、当然ながら全戦全敗。
その結果を受け入れている一方で、わたしの炎と同等かそれ以上の殺傷力を誇る師匠の断裂の魔術――それを一度も使うことなく圧倒されたことに、それなりのショックはある。こちらは魔術による攻撃ができたけど、向こうは肉弾戦しかしてこなかったということなのだから。
「『人を救う』という君の主義主張と、恐怖から生まれた炎の魔術との相性は、決して良いとは言えない。……けれど逆に考えれば、
「それは……ポジティブに考えすぎでは?」
「ポジティブに考えることが大事なんだ。人間の心は複雑怪奇だから、矛盾なんて生じて当然――それをあるがままに、そうでなければ前向きにでも受け入れないと、精神の乱れから魔術が暴走する恐れもある」
――
まあ確かに、長所と短所は表裏一体だとよく言われる。できること、得意なことがあるのに、できないこと、不得手なことばかり考えるのは生産的じゃないように思う。
「炎を扱うなら、補助的な運用より攻撃手段としての技量を先に磨くべきだろうね。これは付け焼き刃で振るっていい
「……殺さないための手加減ができるように、ってことですか?」
「そういうこと」
単純な戦闘手段としてではなく、わたしの在り方を鑑みた上で魔術の鍛え方を考えてくれている。
……師としての指導能力には至らぬ点も見られるけれど、魔術師という
「今日はここまでにしよう。魔術への昇華を果たしたとはいえ、あまり酷使するとまた恐怖が再燃するかもしれない。焦らずに鍛えていこう」
「わかりました」
「……魔術を多用できないなら、体術や武器術を学んでおいた方がいいか。けど誰かに師事するとなると、
ブツブツと呟く師匠を置いて、わたしは屋敷に戻る。
太陽はまだ高い――走り込みでもするか、それとも精神修養に努めるか、どちらにしようか悩んでいると、
「――お、鍛錬は終わりか?」
「ヴィスペルさん……珍しいですね、こんな時間に」
「早々にやることが終わった。有能すぎるってのも考え物だ」
庭でバッタリ遭遇した彼女は、使用人を従えてティータイムを楽しみながら、はーやれやれと息を吐いた。
この屋敷に帰ってきて以来、彼女は午前中にここを離れてはすっかり暗くなった頃に戻ってくるという日々を送っている。
何をしているのか詳しくは聞いていないけれど、どうやら
だから昼過ぎの、この時間に彼女を見るのは珍しい。話す機会も最近はなかったから、この機にいろいろと訊いておこうかと思って、
「リコーの調子はどうだ」
けれど、先に質問されてしまった。
彼女がテーブルを叩き、
「体調自体はとっくに万全ですよ。ただ身体の動かし方を変えたとかで、その調整をしているそうです」
「ふーん……なら、三日後でいいか。決着つけるぞって伝えておいてくれ」
「……本当に、師匠と戦うんですか?」
「逆に訊くが、今さら私が日和ると思うか?」
「……いえ、全く」
カップに注がれる紅茶の香りが漂う。いい香りだ――うん、いい香りだ。それ以上のことはわからない。
「……あの」
「なんだ」
「師匠が殺したというヴィスペルさんのご友人は、どんな方だったんですか」
そう訊ねると、一瞬だけキョトンとした顔を浮かべ、
「ハ――お前に話してわかるかよ」
けれどすぐに、嘲るような笑みを作った。
「友情や愛情ってモンは、くだらない日々の積み重ねで培われる。劇的な
「……いえ、やっぱり結構です。ヴィスペルさんがそれほどの怒りを顕わにする相手だとわかったので」
ともすれば、師匠を殺そうとしていた時より怒っているように見える。
……ヴィスペルさんはたぶん、自他の境界をハッキリと区別している人だ。自分と他人を明確に別の存在だと認識しているからこそ、自分の道理を優先しながら他人の道理も『そういうもの』として尊重できる。
きっとあらゆる称賛も罵声も、他人の意見と割り切っているから彼女には響かない。逆に下手な共感や理解のように、自分の意見に干渉する相手には容赦ない――の、かもしれない。
「安い同情で人の懐に踏み込むのはやめておけ。むしろお前なら、『助けてやるから話を聞かせろ』くらいの態度の方がまだ腹も立たない」
「えぇ……どう考えてもそっちの方が失礼では?」
「救いたがりのお前にはピッタリだろ」
「そうかなあ」
紅茶を飲む。正直、味の良し悪しは全くわからない。少なくとも、野菜くずよりは口に入れた時の不快感が小さいのは確かだ。
……彼女は、自他の領分を違えない。
であれば、彼女にとって復讐の意味とは、
「ヴィスペルさん」
「今度はなんだ」
「師匠を殺して――そのご友人は喜びますか?」
「――――」
その問いに、彼女の視線が鋭くなる。
怒りを隠さずこちらを睨む――けれど、こちらも毅然と正面から対峙する。故人を利用して情に訴えるような真似などしないと、ただ
数秒の緊張の後、
「――――
張り詰めた空気を弛緩させ、彼女はそう答えた。
「普段の言葉や遺言のような、生前の思いならいいさ。だが死んだ後に『あいつはきっとこれを望んでいるに違いない』なんて勝手に意志を継いだような気になったところで、そんなものはただの
「妄想って……まあ、否定はしませんけど」
「復讐なんてのはその最たるものだな。殺された人間が死の間際に何を考えていたのかなんて傍からわかるはずもないのに、さも殺された当人が
フン、と鼻を鳴らして彼女は言う。
……やっぱり彼女の復讐は、死んだ友人のためじゃなくて、その死に憤慨する自分自身のためのものなんだ。
それを薄情と思う一方で、故人を自分の行動の言い訳にしないための――その死を何者にも侵されたくないがための価値観にも感じられる。これが彼女なりの、死者への敬意の示し方なのだろうか。
「私は、私の都合で復讐を果たす。国だろうと死者だろうと――救いたがりのお前にだって、邪魔はさせない」
「……っ」
鋭い眼光と共に放たれる
最強の冒険者に威圧された、そのことに恐れを抱いたわけじゃない。躊躇なく口にできるほどの確固たる意志と信念が、単なる言葉以上の意味を伴ってわたしの心を揺さぶった。
――誰であろうと報いを受けさせるという、ヴィスペルさんの決意。
わたしの『人を救う』という欲望は、それと同じ領域まで達しているのだろうか? 相手が悪人でも、異種族でも――親しい人の仇であっても、同じように救うことができるのだろうか?
「だからお前も、
「……師匠は勝ちます。だから、その必要はありません」
「だと、いいんだがな」
「はい。…………――――? はい?」
「……失言だ。聞き流せ」
思わず訊き返したわたしに、ヴィスペルさんは小声でそう言った。
ばつが悪そうに顔を逸らす様は、見た目相応の少女のようだ。良からぬ隠し事がバレた子どものようで、なんだか可笑しい。
――戦って決着をつけることを、彼女は望んだ。
彼女の性分なら、真に敵と見定めたのであればそんな悠長なことはせず、すぐさま襲ってくるだろう。本人は割り切ったつもりでいても、やはり師匠を殺すべきかどうか未だ迷いがあるに違いない。
……それは逆に言えば、迷いを抱いてなお暴力に訴えずにはいられないほどの、強い思いを秘めているということ。
二人に戦ってほしくはないけれど、それだとヴィスペルさんに我慢を強いることになる。師匠は応じるつもりだし、となるとやっぱり殺される寸前で加勢するのが――いやでも冷静に考えると、彼女を相手にわたしが助けに入ったところで一蹴されて終わりな気がする。かと言ってあと三日で戦闘能力を飛躍的に伸ばすなんて現実的じゃないし……うーん。
「ままならないなあ……」
「何を悩んでいるのか知らないが、現実ってのはそういうモンだ。武力でも財力でも権力でも、得れば得ただけそれ以上を欲する。……世界で一番になったところで、やりたいこと全てが叶うワケじゃない」
……最強の冒険者と呼ばれる彼女が、親友を亡くした上で口にしたその言葉には、余人には計り知れないほどの実感が込められていることだろう。
「というか、悩んでいる暇があるなら行動するのがお前の性分だろ? 考えるのはいいことだが、足を止めてしまえば成長できないぞ」
「それは――そう、ですね」
「『まず救う』なんて無茶で無謀で後悔の多そうな生き方をするんだ、
「――――!」
その通りだと思いながら、礼儀作法を無視してティーカップの紅茶を一気に呷る。ちょっと熱くて早速後悔した。
ごちそうさまでした、と頭を下げて立ち上がる。その足で走り込みでもしようと彼女に背を向け――けれど、そこで気づいた。
「…………いやあの、わたしをお茶に誘ったのはヴィスペルさんですよね?」
「気づくの遅っ」
振り返って問うわたしに、彼女はそう答えて噴き出した。
最後の最後で釈然としない気持ちにさせられながら、今度こそ駆け出すのだった。
――その、翌朝。
否、まだ日が昇ってもいない時間、多くの者が寝静まる夜闇の中。
ヴィステリエム侯爵家の邸宅から遠く離れた平原で、二人の人物が対峙していた。
「これで邪魔は入らないだろ。……たぶん」
「たぶんて」
「普通の人間なら近づかない。魔物や冒険者は追っ払えばいい。マリアだって、よっぽど長引かない限りここに現れることはないはずだ」
芦原理巧。
ヴィスペル・サニー・ヴィステリエム。
両者が闘志を滾らせる理由は、もはや語るまでもなく。
そしてこの二人しかいない理由――この争いを最も危惧していた少女がこの場にいないのは、ヴィスペルの嘘によるものだ。邪魔者を警戒していた彼女は、芦原ととっくに決戦の日時を定めていたことなどおくびにも出さず、偽りの予定を伝えたのだ。
剣の間合いで向かい合う二人は、心身共にすでに臨戦態勢を整えており、
「……そういや、始め方を決めてなかったな。お互い距離によって有利不利もあるだろうし」
「ヴィスペルの好きにしていいよ。そもそも僕には、君が襲ってこないのなら刃を向ける理由がない」
「じゃ、お言葉に甘えて――」
それ故に、
「――《サンドハンド》」
「――――っ!」
ヴィスペルは瞬時に魔法を発動させ、
芦原は至近から繰り出された砂の巨拳を
――御託も何も必要ない。
――相性も実力差も関係ない。
もはや戦うより他にないのだと、そう言外に主張するかのようなヴィスペルの一撃によって火蓋は切られたのだった。
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